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第三幕・クロロ編 第一話 天才の過去

 夢を見ていた。それはついこの間まで当たり前の日常だった世界。いつも通り会社に行って仕事をし、帰ったらお気に入りの動画をチェックしたり漫画を読む。休みの日にはゲームをしたり、一人カラオケに行ったりして息抜きをする。特別なことなんて何もない。繰り返される平凡な日常。私はどこか懐かしさを感じながら夢の中を満喫していたが、やがてその世界は真っ白く染まり終わりを迎えた。



 ふと目を覚ますと、私は見知らぬ部屋のベッドで寝かされていた。ぼんやりする頭のまま、私は無意識に首を巡らし状況を把握しようとする。部屋は辺り一面真っ白い壁で、極端に物が少ない部屋だった。私が寝ているベッド以外に、椅子が一脚とテーブルが一つしか置いていない。生活感のない無機質な部屋だ。

 私は不安を感じながらゆっくり体を起こす。

「ここ、どこなんだろう…。ん?」

 私は起き上がって初めて自分の着ている服に気がついた。まるで病院の入院患者が着るような水色の患者服を着ており、下着は下しか身につけていなかった。私は今の状態が全く呑み込めず、なんとか自分の記憶を掘り返してみる。

(え~っと、確か私は魔王城にいて、作戦決行の前日だったはず。だけど突然サラマンダー軍が攻め込んできて、城が戦場になったんだ。それで~、…みんながピンチだったから助けに行こうとしたんだけど、サラマンダーと出会って一騎討ちになったんだった!結局最後は倒れちゃって、足場が崩れて真っ逆さまに……。あれ?あたし、あの高さから落ちたのに生きてる?)

 私はベッドから降り立つと、改めて自身の体を見回す。試しに体を軽く動かしてみるが、特に不調なところは見受けられない。頭にだけ包帯を巻いていたが、触ってみても痛みを感じる部分はなかった。

(特に怪我をしてるところはないみたい。包帯が巻いてあるってことは、誰かが手当てしてくれたんだろうけど…)

 私は裸足のままもう一度部屋をぐるっと見回したが、何もなさすぎて大した情報は得られなかった。

「一体ここはどこなんだろう…。どれくらい寝ちゃってたのかな」

 私はとりあえず何でもいいから情報を得たいと思い、ひとまずこの部屋から出ることにした。この部屋には窓は一切なく、唯一の出入り口と思われる扉も取っ手のように手をかける場所が存在しなかった。私は扉の前に立ってみるが、特に何の反応も示さない。早くもドン詰まりに突入していた。

「何なのこの部屋は~!まさか私敵に捕まって監禁されてる!?超殺風景な部屋だし!…う~。この扉、自動ドアみたいに見えるんだけどな~。よくある洋画の研究所とか宇宙船のかっこいいシュンッて開くやつ」

 私が睨みながら扉に手を触れた途端、扉の表面に小さい青い魔法陣が現れた。驚いて手を引っ込めると、数秒と経たず魔法陣は消えてしまった。

「今の魔法陣、なんか似たようなものを前に見た気が」

『目が覚めたようですね、えりさん』

「うわっ!?」

 急に頭の中に響いてきた声に驚き、私は思わず飛び上がって叫んだ。キョロキョロと辺りを見回すが、声の主の姿は見当たらない。

「今の声、クロロの声だったけど…」

『~~~っ!いきなり大声を出さないでください!頭が割れるかと思いましたよ!』

 再び頭の中に響いた声に、今度はビクッとだけ体が反応し、叫び声を上げずに済んだ。どうやら空耳ではなく、間違いなくクロロ本人のようだ。

「ご、ごめん。突然頭の中で声がしたからビックリしちゃって」

『あぁ、念話はあまり慣れていませんでしたか。魔法の一種で遠く離れた相手とも話せるのですが、えりさん相手に使うことは緊急時くらいしかありませんからね』

「うん。前におじいちゃんが一度使ってたけど」

 私は無意識に上を向きながら頭の中のクロロと対話する。

(さすがファンタジーだよね~。携帯いらずで便利だなぁ)

「それで、ここって一体どこなの。私どのくらい寝てたのかな。あんまり状況が分かってなくて。魔王城から落っこちたところまでは覚えてるんだけど」

『三日も寝ていれば頭もすぐには働かないでしょうね。私は今魔王様と作戦会議中で、まだ少しかかりますので大人しくその部屋で休んでいてください。そこは私の領域なので危険もありませんから。終わり次第すぐに迎えに行きますので』

「え、え?ちょ、ちょっと!?」

 一方的に喋って会話を切り上げるクロロに、私は慌てて声を上げて呼び止めようとしたが間に合わなかった。いくら呼びかけようとも、クロロはもううんともすんとも言わない。完璧に念話は切断されてしまったようだった。

 私はがっくりと肩を落とすと、仕方なく回れ右をして部屋の隅にあるベッドへと腰を落とした。

「クロロの領域らしいからとりあえず安全だけど、……何にもないし監禁されてるみたいだから、今は懐かしき地下牢生活を思い出すな。…魔王と作戦会議中って言ってたけど、あれからどうなったんだろう」

 私は傍らにあった枕を抱え、早く迎えに来ないかなぁ、と心の中で呟き待ち人を待つのだった。



 クロロとの念話後、私は結局待ちきれずにいつの間にか眠りに落ちてしまった。ベッドの上に倒れ込んで寝ていると、誰かが私の前髪を掻き上げて頭を撫でた。人の気配を感じてゆっくり目を開けると、真剣な顔をしたクロロとちょうど目が合った。

「あれだけ寝ていたというのにまた眠っているとは驚きです。あまり睡眠を取りすぎるとかえって体がだるくなりますよ」

「く、クロロ!?」

 私はベッドから体を起こすと、目をこすってから乱れた髪を素早く整えた。寝起きで焦っている私にはお構いなしで、クロロは私の頭の包帯に手を伸ばすとクルクルと解き始めた。

「うん。やはり頭の傷の方はもう大丈夫そうですね。先ほど話した時も記憶は混濁していないようでしたし、問題ないでしょう。体を動かして何か気になる点とかはありませんか?」

 クロロに問いかけられ、私は立ち上がって再び彼の前で軽く体を動かして見せる。

(さっき寝ている時に頭を撫でられていたのは、頭の傷の状態を確かめてたのか。クロロの性格上、頭なんて撫でるわけないからおかしいと思った)

「どこもおかしいところはないみたい。大丈夫。クロロが助けて手当てしてくれたの?」

「えぇ。魔王様から念話で襲撃を受けていると連絡がありまして、急いで駆け付けたところ、あなたが瓦礫と共に落下していく現場に居合わせましたので救助しました。落ちている途中で瓦礫の破片が頭に当たったようで流血していましたから、その影響も合って目を覚ますのに時間がかかったのかもしれませんね」

 頭の包帯の原因が分かり、私はなるほどと頷いた。

「それにしても、あなたの無茶な行動には驚きましたよ。星の戦士の空賊から聞きましたが、あのサラマンダー相手に戦ったそうですね。自殺行為にも程がある。死ぬ気ですか、あなたは」

 呆れた目というよりは、馬鹿にするような蔑む目で見てくるクロロに私は声を荒げた。

「いやいや!私も好きで戦ったわけじゃないから!ていうか普通に考えて、あんな強い人と遭遇したら簡単に逃げられないから!もう戦うの一択しかなくない!?」

 私はゲームのRPGでよくあるボス戦コマンドを思い出しながら言い返す。ゲーム上、ボス戦では逃げるコマンドを選んでもこの戦いは逃げられないとかよく出る説明文がある。

(本当に正にその通りだと思う。あんな強いのと遭遇したらそう簡単に逃げられないって。現実で実際に直面してみて理由が分かった。冗談抜きでボス戦から逃げるのは無理)

 負けじと言い返してきた私に、クロロはため息をついて答える。

「必ずしも一択ではないと思いますよ。あなたの能力を持ってすれば他にも方法は十分あったでしょう。格上と戦った代償として、あなたは全身打撲のうえ極度の疲労からくる貧血も引き起こしていましたよ。おそらく無茶な能力の使い方をした反動でしょう。一体どんな能力を発動させて戦ったのか知りませんが、今回生き残ったのは奇跡といっていいでしょうね」

「う……。そんなに責めなくても。これでも色々考えて一所懸命戦ったのに…。というか、私の能力知ってるの?おじいちゃんからみんな薄々気づいてるとは聞いてたけど」

 私が少しいじけながら訊ねると、クロロは顎に手を当てながら自分の見解を述べる。

「おそらく自身の目にしたものや経験したことを糧にし、願ったことを実現する能力ではないでしょうか。その能力にどれくらいの精度や実現性があるのかは分かりませんが、集中して練り上げれば練り上げるほど成功しやすいといったところでしょうか」

「お、おぉ。すごい、結構当たってる。みんなの前で能力使ったのなんて数えるほどしかないのに」

 私はクロロの適格な予想に感心する。

 今のところ能力を使ったと認識されているのは、地下牢から鍵を開けて抜け出した時、ドラキュリオの毒を治療した時、浮遊魔法を魔王に見られた時、魔王城襲撃時にメリィを助けた時だろうか。その都度違った効力を発動させているので、私が願ったことが実現する能力と判断したのだろう。

「私の頭脳をもってすれば数回使えば十分ですよ。それより、今の戦況とこれからの動きについて説明してもいいでしょうか。それが終わったらすぐに移動しなければならないので」

「は、はい。どうぞ」

 クロロは私の返事を聞くと、モノクルに一度手を添えて調整してから話し始めた。

「サラマンダー軍の襲撃の次の日、私たち魔王軍は予定通り星の戦士との同盟を世界に公表しました。魔王様とロイド王の演説は通信を用いて世界に発信され、一応魔族と人間は協力態勢になりました。しかし、そう簡単にことは上手く運ぶわけもなく、今各地で戦争が激化しています。サラマンダー軍は再びマシックリック付近で暴れ回っており、今は空賊とおじいさんが相手をしています。ネプチューン軍は魔王様の命令を無視し、相変わらずヤマトの国を攻めている状況です。そっちは引き続き隠密殿様とあなたと同じ異世界人が対応していますが、場合によっては魔王軍からも援軍を出す予定です。そして私たちの一番の敵であるクロウリーは今、協力者であるガイゼルと一緒にアレキミルドレア国にいます」

「二人一緒にいるってことは、もう手を組んでることを隠すつもりもないってことだね」

「えぇ。真っ向から私たちと対立するつもりです。クロウリーは魔王軍の中でもおじいさんの次に魔法に長けた者です。そして協力者のガイゼルの能力は強制武装解除。そう簡単に切り崩せる布陣ではありません。現在魔王軍からはレオン軍を派遣し、人間軍はユグリナ騎士団を率いるカイトと踊り子のメルフィナが相手をしています。ガイゼルの能力がなかなか厄介なのでかなり苦戦するでしょうね。クロウリーの精神魔法も強力ですし」

 参謀であるクロロは厳しい顔つきをする。ようやく本命の相手と正面切って戦えるようになったが、個々の持つ力が強力なため倒すのも一筋縄ではいかない。せめて別々に行動してくれていればいくらかマシだったのだが。

「サキュアもすでにクロウリーに洗脳されているのか、魔王様の命令を無視して引き続きルナを襲おうとしているんです。今まで防衛に当たっていた踊り子はクロウリーたちの相手をしていますから、代わりにドラキュリオ軍と神の子がサキュア軍の相手をしています。吸血鬼一族と悪魔族は魅了の耐性が高いので」

「なんかせっかく協力関係になったはずなのに、あんまり戦場の数は減ってないんだね…」

 私は表情を曇らせて残念そうな声を出す。星の戦士と魔王軍が手を組んだら、後はクロウリーとガイゼル王を懲らしめれば戦争が終わるものと思っていたのだが、どうやらそう単純にはいかないようだ。

「さすがにサラマンダーやネプチューンはクロウリーたちと手を組んでいるとは思えませんが、だからと言って放置できる戦力ではありませんからね」

「それで、クロロの軍は何を任されてるの?これから移動しなきゃいけないんでしょ」

「はい。私の軍は聖女と連携しつつ、各地の戦場への救援や情報収集。また、攻め込まれていない街の防衛に人員を割いています。更に困ったことに、この混乱に乗じて魔界の領域を越えて種族同士の争いも各地で起こっているんです。おそらくクロウリーに洗脳された一部の魔族が暴れているようなんですが、その対処も私の軍で行っています。さすがに私の軍だけでは人手が足りないので、魔界の治安維持にはジャックの軍が主体で動いてもらってますがね」

 大体現在の状況を把握した私は、ふむふむと小さく頷いた。

 私がのん気に三日も眠り続けていた間に、みんなはそれぞれの戦場で戦い始めている。私も出遅れた分頑張らないといけない。そう心の中で気合を入れると、参謀に今回の私の役目を訊いた。

「えりさんはとりあえず私と共に行動してもらいます。あなたの能力はかなり応用が利くので、臨機応変に各戦場の救援に回れると思います。なので、随時私の判断で各戦場に…。はい、なんですか?」

 クロロが話している途中で遠慮がちに手を上げた私は、自分の能力で最も大事なことを言い難そうに答えた。

「えっと~、私の能力を当てにして、後でクロロの計算が狂うと大変だから今言うけど、私の能力は正確に言うと、妄想を現実にする能力なの」

「妄想を、現実にする能力……。つまり、頭の中で思い描いたものを現実に反映させることができるんですね。なるほど、だから目にした魔法を扱えるようになったと。頭の中である程度イメージを作る必要があるため、妄想しにくいものは実現しにくいということですね。同時に体への負担も大きくなると」

 スラスラとまた自分の見解を述べていくクロロを見て、私は彼の把握能力の高さに置いてけぼりになりそうだった。色々な分野に精通し、参謀を務めるほどなので前々から頭が良いのは知っていたが、これほど頭の回転が速いとは思わなかった。

「体への負担についてはまだ少し分かってないところがあるけど、今重要なのはそこじゃなくて、この能力の弱点と言っても過言ではないある事実を知っておいてほしくて」

「能力の、弱点?」

 クロロは弱点という一言を聞いて眉をひそめた。

「クロロの考えている通り私の能力はかなり応用が利いて強力なんだけど、その分制限があるんだ。一日三回しか能力が使えないの。それに妄想が不十分で能力発動に失敗したとしても、一回分として回数は消費されちゃうんだ。意外とデメリット部分もある能力なの」

 一日三回と聞いた瞬間、クロロの目が一瞬大きく見開いたが、すぐに目を閉じてモノクルを人差し指で押さえながら情報の精査に入った。

「…回数制限、ですか。確かに妄想一つで色々なことができる能力ですからね。強力な分使用制限があるのも頷けます。ちなみに、能力を使って回数制限を無効にする妄想は現実化できませんか」

「ムリムリ。一応最初に試してみたけど、魔法のランプ方式と同じで回数を増やすみたいなズルはできないみたい」

「そうですか…。まぁ、そんな上手い話はないですよね」

 魔法のランプのお話を知らないクロロは少し引っかかった顔をしたが、特に追及せずスルーした。

「うーん。三回、ですか。これはなかなか使う場面が限られますね」

「そうそう。回数のリセットは夜の0時なんだけど、今まではもしもの時に自分の身を守れるように一日が終わるギリギリまで一回分は残しておくようにしてたから。だから実質自由に使えるのは二回分。そう考えると結構能力を使う場面が限られてくるでしょ。結構使い勝手が悪いんだよねー。失敗すると不発に終わったり、妄想が不十分だと威力が弱くなったりもするしさ」

「なるほど。確かに保険用に一回分残すのは必要でしょうね。えりさんにしてはよく考えているじゃないですか」

「私にしてはって何…?こうみえても学生時代は平均よりは上の頭だったんですけど」

 馬鹿にしたようなクロロの物言いに、私は眉をピクピクさせて反論する。

「それでも上位ではないのでしょう。普段の言動からそこまで賢く見えませんし。ちなみに私は人間の頃は首席で学校を卒業しましたがね」

「エッ!?……べ、別にそんな情報いらないから!張り合わなくていいし!今そんな話関係ないでしょ!」

「あなたから先に学生時代の話をしたんじゃないですか。…とにかく、先に回数制限について聞いておいてよかったです。本音を言えばもっとあなたの能力について色々実験をして検証したいところですが、今は戦争中で立て込んでますのでまたの機会にしましょう」

 クロロは心底残念そうな顔をして私を見るが、すぐに瞳に怪しい光を宿してにっこり微笑む。

「落ち着いて時間が取れ次第、たっぷり可愛がってあげますね。色々なパターンで実験してみましょう。この私にかかればどのような妄想でどれくらい体に負荷がかかるのか、最大効力で妄想を発動させるにはどうしたらいいのか、すぐに調べ上げてみせますよ!」

「い、いやいやいや!地下牢生活している間に十分一人で実験したから大丈夫です!間に合ってますから!」

「どこがですか。先ほど体への負担はよく分かっていないと仰っていたじゃないですか。嘘はいけませんね。今度の実験の時にお仕置きです」

 今度と言いながらクロロはすでに白衣のポケットから注射器を取り出している。私は声にならない悲鳴を上げると、全速力でクロロから距離を取った。

「言ってることと行動が合ってないから!各地の戦場に救援に行かなきゃいけないんでしょ。早く行こうよ!」

「む。そうですね。あなたで遊んでいる場合ではなかった。メリィに頼んでこれに着替え一式が入っています。外で待っていますから早く準備してください」

 クロロが指さしたテーブルの上には、ブーツとボストンバックが置いてあった。そこで初めて私は最初に抱いていた疑問を口にした。

「……あの~、私を助けてくれたのがクロロで、傷の手当てをしてくれたのもクロロってことは、まさか服を着替えさせたのも~」

「当然私ですね」

 クロロはサラッと言ってのけ、平然としている。私は数秒固まり、その事実を受け入れるにつれ顔が朱色に染まっていった。クロロとは対照的に思い切り動揺している私は、声をわななかせながら言葉を続ける。

「な、なな、何でそんな平然と。私女なんですけど!?せめて着替えはメリィとか別の女性に頼んでくれれば…」

「何を今更そんなに狼狽えているんです。あなたの世界では医者にかかる時もいちいちそんなに過剰反応しているんですか。あぁ、それとも常に同性同士の医者にかかる文化なんですか」

「いや、そうじゃないけども!確かにいつもお医者さんにかかる時は医療行為だから意識しないけどね、クロロは医者じゃないでしょう!」

「いや、同じようなものですよ。むしろそこらの医者よりかは知識も腕も遥かに上ですね。専門分野ではありませんが、解剖実験の過程で人体の仕組みは網羅しましたから」

「過程が物騒すぎる!」

 思わずツッコミを入れる私。城の研究室を見た限り、クロロはあらゆる分野に精通しているようだから医術についても医者並の腕前を持っているのだろう。だからと言って、着替えの話は別問題だ。

「安心してください。自意識過剰だから先に行っておきますが、私はあなたの裸なんて見ても何も感じませんから。前にも魔王様と一緒に言ったでしょう。あなたは色気も魅力も皆無で子供っぽいと。そんなに心配しなくても誰も襲ったりしませんよ」

 クロロが涼しい笑顔を向けてきたので、私も負けじと笑顔を浮かべると、ベッドにあった枕を掴んで思い切り彼の顔面目がけて投げてやった。悔しいことにいとも簡単に避けられてしまったが。

「もういい。着替えるからさっさと出てってくれる。邪魔だから。それとも私の能力で存在ごと消してあげようか」

「いくら図星だったからってそんなに怒らないでくださいよ。女性としての魅力はありませんが、貴重な異世界人の実験材料としての魅力は十分ありますので」

「何のフォローにもなってないわソレェ!!」

 私は怒りの形相でクロロを部屋から叩き出すと、メリィの用意してくれた動きやすい服に着替えて行動を開始するのだった。




 クロロに案内されながら無機質な研究所の通路を進んで外に出ると、そこは沼地が広がるジメジメした土地だった。ずいぶん前にメリィからクロロが治める領域は沼や湿地帯が広がるエリアだと聞いたことがある。沼は深い緑色をしているものもあれば、紫色で明らかに毒素を含んでいるものもあった。辺りからは蛙の鳴き声や低い男性のうめき声のようなものが聞こえてくる。

 私が気味悪がって怯えていると、クロロが心配ないと声の正体を教えてくれた。

「あちこちに兵を派遣しているため人手不足でしてね。この研究所の見張りをしているゾンビが寝不足で唸ってるんですよ。見張りの交代予定は明日ですから」

「うわぁ。それはブラック企業だね。仮眠も与えないとは。そのゾンビさんはどこにいるの」

「そこの沼地に潜んでますよ。のこのこ現れた敵を奇襲できるようにね」

(え…。沼に潜ってるの?どんだけ過酷な労働環境なの…)

 私は沼地を観察する。よく見ると沼に小さい気泡がプクプク上がっているところや岩陰の草が小さく揺れている。私は姿の見えない仕事熱心なゾンビたちに感服した。

「あぁ、そうだ。私だけでなくあのスカルドラゴンにも感謝しておいてくださいね。あの日、瓦礫と共に落下するあなたを助けるのに協力してくれたので」

 クロロの言葉に導かれて後ろを振り返ると、今出てきた三階建ての研究所の屋根に大きな骨だけのドラゴンが体を横たえていた。大きなと言っても、先日魔王城で見たサラマンダーの竜化した姿と比べるとずいぶん小さかった。まだ子供のドラゴンなのかもしれない。

「あのドラゴンもクロロの部下なの?ドラゴンはサラマンダーの配下なんじゃ」

「あのスカルドラゴンはもう一度死んでますからね。例え元は竜人族でも死者は全て私の配下です。それに、あの子ドラゴンは自らの意志で私の配下になったんですよ。転生して新しい命として生きるより、今の自分でこの世に留まることを選んだのです。サラマンダーも了承済ですよ」

「生まれ変わらずに……。何か未練があるのかな……」

 私は複雑な気持ちでスカルドラゴンを見上げる。

 もしも自分も死んだ後に選択肢を与えられたらどちらを選ぶのだろう。生まれ変わることを選ぶのか、今の自分を維持して現世に留まるのか。無意識にそんなことを頭の中で考えてしまった。

 私は気を取り直すと、声を張り上げてスカルドラゴンにお礼を言った。

「スカルドラゴンちゃん!この間は助けてくれてありがと~!」

「…あなたは馬鹿正直な人ですねぇ。わざわざ声を張り上げて礼を言わなくても。ついでに言っておくとあの子は男ですけどね」

「そっか。ならスカルドラゴンくんだね。う~ん。でも長いなぁ。略してスカゴンくんでいっか」

「人の配下を勝手に変な風に略さないでください。……お前たち、ここの守りと魔界の治安維持は任せましたよ!私たちは聖女と合流して人間界での支援活動に入ります。行きますよ、スカルドラゴン!」

 クロロの呼びかけに答え、スカルドラゴンが咆哮してから地上へと下りてきた。間近で見ると子ドラゴンと言ってもやはり大きい。大型トラック二台分といったところか。クロロはスカルドラゴンに飛び乗ると、呆けている私に向かって手を伸ばした。

「人間界にはこの子に乗って行きます。この子は魔界と人間界を行き来できる力を持っているので、長距離移動する時は楽なんですよ。…足元に気を付けてください。骨と骨の間が広いから踏み外すとバランスを崩して落ちますよ」

「こ、これ、空飛んだら風圧だけでもバランス崩しそうだけど!落っこちちゃうよ!」

 クロロの手を借りてスカルドラゴンの背に乗った私は、できるだけ接地面を多くしようと、しゃがんだ状態で一番大きな背骨と胸骨を掴んだ。すっかりへっぴり腰になっている私に、クロロは面白い実験体でも見るような目つきで大笑いした。

「いや~、本当にあなたは面白いですね。見ていて飽きません」

「笑い過ぎだから!何でそんなに余裕そうなの!?あ、さては自分は魔法を使うから落ちる心配はないんだな!」

「まぁ、それもありますが、そもそも飛んでいる間はスカルドラゴンが風圧を防ぐ膜を自動で展開してくれるので大丈夫です。風の影響は受けないんですよ。あとは重力魔法を応用して、スカルドラゴンと離れないよう特殊な地場を形成すれば落ちる心配はありません。あなたにも魔法をかけるつもりでしたが~…、その分なら私の魔法がなくても大丈夫そうですね」

「いやいるから!もういい加減笑いすぎ!セイラちゃんと合流するんでしょ!さっさと行くよ!」

 私は意地悪な笑みを浮かべるクロロを軽く小突く。

 ようやく笑い声を引っ込めた彼は、魔法の術式を展開して自分と私に重力魔法をかけた。その後クロロの号令の下、スカルドラゴンは骨の翼を羽ばたかせながら空へと飛び立った。




 ケルやジークフリートの愛馬ウィンスと同じで、スカルドラゴンは青い光を発すると、周りの空間を歪ませながら魔界と人間界を移動した。

 青い光が止んで目を開けると、眼下には機械仕掛けの街が広がっていた。街の至る所から機械の吐き出す蒸気が上がっており、上空から見ても色々な機械を目にすることができる。街の中央にそびえている高い塔は、どうやら飛空艇の発着場のようだ。円形に広がるとても大きな街で、通りを電動二輪車がチラホラ走っているのが見える。しかし、私の良く知る電動二輪車ではなく、超ハイテクでそれは宙を浮いて走っていた。上空には小型飛空艇が何艇か飛んでおり、突然現れた私たちに警戒しているようだった。

「ここはサラマンダーの戦場に近いマシックリックという街で、見ての通り世界で一番魔晶石を用いた機械が発展している街です。人間界で使用されている日常品の多くは、この街で発明されたものなんですよ。この街は機械仕掛けの街で、発明や開発の環境が世界で一番優れている。だからあらゆる分野の研究者や技術者、発明家はこぞってこの街に集まるんです。…支援や補助もしっかりしていますからね」

 街を見下ろしながらクロロの話に耳を傾けていたが、いつもと少しだけ違う声色に聞こえた気がして彼の横顔を盗み見た。上手く説明できないが、悲しいような切ないような、哀愁が漂う表情を浮かべていた。だがそれも短い間で、すぐに彼はいつも通りの冷静沈着な参謀に戻っていた。

「あそこの塔で聖女と合流する手筈になっています。スカルドラゴンが下りるスペースはないので、近くまで行ったら飛び降りますよ」

「エッ!?飛び降りるの!?も、もちろんクロロが浮遊魔法をかけてくれるんだよね?それとも私の貴重な一回分を使う?」

「こんなところで能力を使わなくていいですよ。もったいない。仕方がないので私が浮遊魔法をかけてあげます。…その代わり、今度何か提供してもらいますが」

「ちょっと!?最後小声で物騒なこと追加したでしょ!何も提供しないからね!?」

 私が喚くのもお構いなしにクロロは手際よく浮遊魔法をかけると、私を抱えてスカルドラゴンから飛び降りた。浮遊魔法があると言っても50階建てのビル位の高さから飛び降りたため、私は恐怖から思い切り叫び声を上げてしまった。真横にいたクロロは素早く私の口を手で押さえると、とてつもなく不機嫌な表情で私を睨みつけた。

「あなたは二度までも…!私の頭を割る気ですか!」

「んっん!ふんんうんんんん、んんーんんうんん!」

「……それでも浮遊魔法があるんですから死ぬわけじゃないでしょう。ゆっくり下りてたらその分時間もかかりますし、魔力の消費も多いんですよ」

「むんー。ん、うん!?」

 私はクロロの言葉に納得しかけたが、普通に会話が成立していることにワンテンポ遅れて驚いた。口が塞がれている状態で喋っているのに、クロロはちゃんと私の言い分を理解したように言葉を返してきた。

 私が驚いた目で見ていると、彼はそれも見透かしたようにふっと笑った。

「あなたの考えなど言葉なしでも十分分かりますよ。あなたは思考回路が単純ですし、表情や態度にすぐ出ますからね。さぁ、魔力がもったいないので一気に降下しますよ」

 クロロは私の口を押えたまま、緩やかに落ちていた速度を一気に上げた。地面に急降下していく怖さに耐えきれず、私はクロロにしがみついた。地上に着く直前でようやくスピードを緩めたクロロは、そのままふわっと地面に着地した。



 無事に地面に足を付けた私は、開放された口で大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。

 突然空から降って来た私とクロロに、街の人々は驚きこちらを遠巻きに見ている。人間と魔族が協力関係になったこともあり、騒ぎ立ててパニックを起こす人はさすがにいなかった。

「良かった、えり様。もう御身体は大丈夫なんですね」

「え?セイラちゃん!久しぶり~!元気だった?」

 声のした方向を振り返ると、そこには数人の僧侶を従えたセイラが立っていた。

「わたくしは変わりありません。それよりえり様のほうが大変だったと聞いています。あの七天魔のサラマンダーと戦ってお怪我をされたと。わたくしの力で治そうと申し出たのですが、クロロ様がもう手当てをされたから心配ないと仰られたので。ずっとお元気になった姿を拝見するのを待っていたんですよ」

「そうだったんだ。ごめんね、心配かけちゃって。能力を使った反動で疲れちゃったのか、ついさっき目が覚めたんだ。でももうどこも痛いところとかもないし、大丈夫だよ!」

「それなら良かったです。わざわざ異世界からいらしてくれたえり様に何かあったら申し訳がないですから」

 セイラは本当に心配してくれていたようで、私の無事を確認して心底ほっとしているようだった。聖女の二つ名に相応しい心の優しい少女だ。

 再会を喜ぶ私たちを無視し、クロロは自分の目的を果たすためにさっさと移動を開始する。

「では、私はこの地で活動する配下のところに情報収集に行ってきますので、えりさんは聖女と一緒に怪我人の手当てでもしていてください。後で拾いに来ますので」

「え!?ちょ、ちょっと!そんな適当な」

 私が呼び止めるのも聞かず、クロロはすぐに人込みに紛れて見えなくなってしまった。

 その場に置いて行かれてしまった私は、沸々と沸き上がってくる怒りに拳を震わせた。

(な、なな、何なのあの人はぁ~!連れて来ておいて勝手にいなくなるなんて!普通初めて来た街に一人ぼっちにするかぁ!街に下りる時だって魔力がもったいないからって急降下するし!自分勝手すぎる!頭がいいからっていつもちょっと私を馬鹿にしてる風だし)

 心の中で怒りがどんどんエスカレートしている状態とは知らず、セイラはクロロがいなくなった方を向いて動かない私を気遣って話しかけてきた。

「えり様、心配しなくても大丈夫ですわ。クロロ様ならきっと、用事を済ませたらすぐに迎えに来てくれますわ」

「大丈夫。別に全っ然心配してないから!心配というよりむしろ怒ってたから!だって普通初めて来た街に放っぽり出す!?人としての神経を疑うわ」

「……多分、わたくしがいるせいかもしれません。クロロ様はわたくしのこと、あまり好いてはいらっしゃらないみたいなので。なるべくわたくしと一緒にいるのを避けたいのかもしれません」

 セイラの予期せぬ言葉に、私は目をぱちくりさせた。

 こんな心優しいか弱き乙女を嫌う男など存在するのだろうか。私とセイラを比べてボロクソ言ってきたこともあるので、さすがに嫌ってることはないと思うのだが。

「セイラちゃんの考えすぎじゃない?二人はよく戦場で戦うことが多かったみたいだけど、今は味方同士だし嫌ってるなんてことないと思うけど。そもそもセイラちゃんが人に嫌われる要素なんて思いつかないし」

「わたくし自身が原因というより、わたくしの能力や血を憎んでいるのかもしれませんわ…」

 セイラは哀し気に目を伏せると、場所を移動しましょうと歩き始めた。

 私とセイラはお付きの僧侶を従えて、ひとまず怪我人が収容されている病院へと移動した。




 病院に辿り着くと、十数人の空賊たちが担ぎ込まれていた。皆一様に痛みに耐えかねてうめき声を上げている。

 マシックリックから十数キロ先にあるクロサ草原で、サラマンダー軍とフォード軍、おじいちゃんが衝突しているそうだ。おじいちゃんが加勢しているおかげでいつもより被害は少ないそうだが、それでもやはり怪我人はこうして頻繁に担ぎ込まれているらしい。

 セイラは蒼白の光に包まれながら持っている杖に祈りを込めた。そして杖を怪我人に振りかざすと、周囲一帯が蒼白の光に包まれて癒しの力が発揮された。大怪我や重い火傷を負っていた空賊たちは、見る見るうちに回復していく。私は改めてセイラの能力の凄さを実感した。

「やっぱりすごいねセイラちゃんの能力!慈愛の守護領域って言うんだっけ。あんなに大怪我していた人が完璧に治っちゃった!」

「そんな…。わたくしの能力はただ治せるだけですから。他の皆様のように前線で戦えるようなものではありませんし。前線で血を流して命を懸けて戦っている皆様の方がよっぽどすごいです」

「……セイラちゃん」

 セイラは先ほどまで血だらけで倒れていた空賊を辛そうに見つめている。

 彼女は治せるだけで一緒に血を流して戦うことができない自分に対して、心苦しいようなやりきれない気持ちを抱えているのかもしれない。人にはそれぞれその人にしか分からない辛さや想いがあるものだ。

 じっと見つめる私の視線に気づいたのか、セイラは笑顔を作ると私を連れて空いている病室へと入った。お付きの僧侶たちは怪我の治った空賊たちの相手をするためその場に残った。すぐに動ける者は問題ないが、血を失い過ぎている者はすぐには戦場へ戻れない。僧侶たちは手際よく空賊たちの選別作業に入った。



 空き病室に入った私は、背中を向けて立つセイラに声をかける。

「どうしたの、セイラちゃん」

 セイラはこちらを振り返ると、複雑な表情で話し始めた。

「先ほどの話の続きです。えり様は、クロロ様が人間であった時の話を聞いていますか?」

「ううん。誰からも聞いてないけど。本人にも、自分から人間を止めたとしか聞いてないね」

「そうですか。……実はわたくし、クロロ様が元は人間であったと聞いてから、少し彼について調べてみたのです。そう簡単に人間が魔族になるとは思えませんが、事前にその原因や条件を知っておくのも重要だと思いまして。今後同じような事例と遭遇することがあるかもしれませんから」

「なるほどね。それで、何か調べて分かったの?クロロの過去が。というか、クロロって見た目私のちょい上くらいに見えるけど、実際どうなの?普通にリアナ姫に会ったことあるみたいだし、結構前から魔族やってるんだよね。それにしては見た目若いから、やっぱり魔族になった時に不老にでもなったのかな。職業ネクロマンサーだし」

 私がつらつらと自分の意見を述べると、セイラが分かる限りのことを教えると言った。

「調べたところ、クロロ様はどうやら元々アレキミルドレア国出身の技術者みたいです。短い間でしたが、かつてこのマシックリックにも留学していた記録が残っております」

「そうなの!?確かにクロロって機械強いけど。そういえばさっき、マシックリックは世界で一番発明や開発の環境が整ってるってクロロが言ってた。そっか、実際自分がいたから詳しいんだね」

「……ですが、クロロ様が留学していたという記録は、今から二十年以上も前の話です」

「に、二十年!?じゃあ、……人間だったらクロロってとっくに五十超えてるのかな」

 おそらく、と首を縦に振るセイラ。見た目と実年齢のギャップに私は頭が混乱しそうだった。

「当時からクロロ様の才能は飛び抜けていたようで、『神智の天才』と呼ばれていたそうですよ。多くの技術者や科学者、研究者から注目されていたと記録が残っていました」

「神智の、天才……」

「神の叡智を与えられし者、という意味で付けられたらしいです」

 頭の良いクロロにぴったりな名前だなと思いつつも、この世界ではかっこいい二つ名を持つ人がやけにたくさんいるなとも思った。

(漫画やRPGでもよくあるけど、誰が二つ名って考えて呼び始めるんだろう。不思議と毎回かっこいいしね)

 私はくだらない考えを一旦頭の隅に追いやり、セイラの話に集中した。

「クロロ様は才能に恵まれておりましたが、生まれ故郷がそれを台無しにしてしまいました」

「アレキミルドレア国だね!今ガイゼル王が治めてる。じゃあクロロにとってはガイゼル王は元王様なわけだ」

「いえ、当時の王はガイゼル王の父、ガイエン王でした。ですが、それでも今のガイゼル王とさして性格や振る舞いは変わりませんが」

 二代続いて駄目な王様なのかと私はため息をついた。

 セイラの話によると、アレキミルドレア国は昔から絶対君主政治で、王様の言う事が絶対なのだと言う。国民は王様の物で、その命さえも王に捧げないといけないという異常さらしい。王の機嫌を損ねると、当事者だけでなく家族や親戚まで一緒に処刑されるという噂もあるのだそうだ。

「最低な王様じゃん!そんなやつが王様なんてやっちゃダメでしょ!みんなでクーデターでも起こしちゃえばいいのに」

「なんでも幼い頃から洗脳のように王が絶対と擦り込まれるようで、逆らえなくなってしまうみたいです。常に家族や大事な人が人質に捕られている恐怖も根底にあるようです」

「なんて奴なの!聞いただけで腹立つわぁ!クロウリーと一緒に絶対そんなやつ退治しちゃおうよ!カイトやレオンさんが今頃ぶっ倒してくれてるといいんだけど」

 私は鼻息荒く答える。私のその様子を見て、セイラはくすくす笑った。

「えり様はとても自分の気持ちに正直な方ですね。そこまで本気で怒るなんて」

 私はセイラがにこにこ笑っている意味が分からず、小首を傾げた。

 セイラは気を取り直して話を元に戻す。

「クロロ様の留学は一時的なもので、本来の目的はアレキミルドレア国の軍事力拡大のために技術を磨くことだったようです。その証拠に、アレキミルドレア国はクロロ様が戻って以降、強力な兵器を幾つか生み出しています」

「う~ん。当時の王様もロクな奴じゃなかったんだよね。よくクロロは黙って従って兵器なんか造ったなぁ。今のクロロの性格上、絶対断りそうなのに。やっぱりクロロも洗脳されてたのかな」

「クロロ様にはもうご両親はいなかったようですが、弟様が一人いらしたそうです。何でもご病気で寝たきりの」

「!?まさか、その弟さんが人質に捕られて!」

「そこまでの真相は分かりませんでしたが、多分それで間違いないかと。クロロ様は弟様のために王に従っていたのだと」

 今まで知らなかったクロロの過去が次々に明らかになっていく。

 今までは普段クロロと会っても多少の世間話くらいしかせず、私の方から実験の危険を察知してすぐに退散することが多かった。それに魔王軍の参謀としての仕事も多く、いつも忙しそうにしていたため、積極的に関わろうとしなかったのだ。顔を合わせると私をからかったり馬鹿にする言動がほとんどで、腹が立つからなるべく話したくないというのが本音かもしれない。

「それで結局何がどうして魔族になっちゃったんだろう」

「国に戻ってから何があったのか詳しいことは分かりませんが、結局クロロ様は弟様を連れて国を脱走したようです」

「脱走!?…そっか。王様に抵抗したんだね。確かに弟さんを人質に捕られてずっと働かされるよりは脱走したほうがいいよ」

 私の言葉にセイラは頷いたが、彼女の表情は暗かった。

 その後のクロロの足取りをセイラは語る。

「脱走したクロロ様が向かった先は、わたくしの故郷、ディベールの街です。クロロ様は弟様のご病気を治すため、私の祖父を頼って来たのです。わたくしが生まれる前、祖父はわたくしと同じ癒しの能力を持った星の戦士でした。ですが……」

 そこでセイラは言葉を濁した。拳を握りしめて辛い表情をする彼女に、私は無理はしないでと目で訴えてそっとセイラの肩に手を置いた。

「…ありがとうございます、えり様。…大丈夫です。えり様にも、知っておいてほしいんです。…当時の教会運営は厳しく、祖父は癒しの力を使うのに多額の寄付金を要求していたのです。わたくしもこの事実をつい最近、祖父の日記と帳簿を見て知りました。そこに記されていたのです。クロロ様の弟様を見殺しにしたことが。寄付金を支払えず、重い病いに侵された少年とその兄を追い返したことがっ……!」

 セイラは堪らず涙を流して肩を震わせた。ようやくここで先ほどセイラが言っていた言葉の意味が分かった。クロロがセイラを避けているという理由が。

(セイラちゃんが弟さんを救ってくれなかった能力の使い手だから。更に言えば見殺しにした張本人の孫だからか…。まさか人間時代のクロロにそんなことがあったとは)

 私はポロポロと涙を零すセイラの頭を優しく撫でながら考える。

「それじゃあクロロは弟さんの命を助けられず、脱走したから国にも戻れず、人間に絶望して魔族になっちゃった感じなのかな。自分から人の道を外れて魔族になったって言ってたから」

「噂でしか残っていませんが、クロロ様は神の領域に手を出したのです。人間は手を出してはいけない禁忌の所業」

「神の、領域?何それ」

 涙を拭ったセイラは、噂として残っている天才の末路を全て教えてくれた。

「死んだ者を生き返らせることです。クロロ様はそれに魅入られた。大切な弟様を助けるために。それまで技術者としての知識しか手を出していなかったクロロ様が、弟様が亡くなって以降、あらゆる分野の知識をたちまち吸収してしまったそうです。そして、その知識を元に、死者を生き返らせることに生涯を捧げたと。噂では結局生き返らせることができず、神の怒りを買ってそのまま若くして死んだと残されていました。哀れな天才の末路だと」

「…でも真実は違う。クロロは魔族となって死霊使いの力を手に入れた。……さすがのクロロでも、死者を生き返らせる方法は編み出せなかったみたいだね。ネクロマンサーとして死者の魂をこの世に留めておくことはできるけど」

(今までクロロから弟さんの話なんか聞いたことないけど、不死者として弟さんを現世に留まらせることはできたのかな)

 私がうーん、と顎に手を当て考えていると、セイラはいくらかすっきりした顔をしていた。私に話して少しは気持ちが楽になったようだ。

「最後まで聞いていただいてありがとうございます。話を聞いていただいたら、なんだか少しだけ心が楽になりましたわ。教会関係者に祖父のことを話しても、誰も真剣に取り合ってくれませんでしたから。相変わらず不正を行う聖職者もおりますし、みんな清い心が失われているんですわ」

 セイラは心を痛めて呟く。人々の心に寄り添い導く聖職者がそんな有り様では心を痛めるのも分かる。

 その後病室を出た私たちは、お付きの僧侶と合流して点滴の手伝いや戦争の不安で心を病んだ人たちのケアに回った。




 一仕事終えた私たちが外に出ると、病院の前のベンチでクロロが座って待っていた。飲み物片手にずいぶんリラックスして待っている彼に、私は先ほど消えた怒りがまた沸々と湧いてきた。

「クロロ~!さっきはよくも置いていったなぁ!しかも何そのリラックスっぷりは!こっちは病院の手伝い頑張ってたのに!そんなに休んでたなら手伝ってくれてもいいのに!」

「嫌ですよ。何で私が。私は基本頭を使うのが仕事なので。そんなにご希望なら解剖の仕事なら手伝いますよ。それこそ何人でも」

「助けなきゃいけないのに何でトドメ刺してんのよ!解剖じゃなくて治療にしてよ!」

 わーわーと言い合う私たちを見て、セイラはポカンとした後声を出して笑った。可愛らしい笑い声を聞いて、私はピタッと噛みつくのを止める。

「ご、ごめんなさい。まさかお二人がこんなに仲がよろしいとは思わなくて」

「どこが!?どこをどう見たらそうなったの!?むしろイジメられてるぐらいだよ!?」

「どうやら聖女は目が潰れてるようですね」

「セイラちゃんに悪口言うなぁ!」

 私がパンチを繰り出すと、クロロはヒラリと躱して席を立った。そしてそのまま真面目な話に入る。

「聖女はこれから予定通りアレキミルドレア国の戦場に向かってください。飛空艇の手配は済ませておきました。すぐにでも飛び立てるはずです」

「…わかりました。クロロ様とえり様はどちらへ?」

「私たちはユグリナ王国に寄ってから、その後ドラキュリオ軍と神の子連合軍の戦場に行きます。向かってほしい戦場があれば、私の部下を使いに寄こしますので。それでは」

 クロロは事務的に会話を終了させると、私を呼んで街の外へと急いだ。

 私はセイラを振り返ると、哀し気な表情を浮かべる彼女を元気づけるように笑顔で手を振った。笑顔を作って手を振り返したセイラを確認すると、私は駆け足でクロロを追いかけた。



 街の外へと向かう中、私はクロロの隣を歩きながら会話を模索していた。

 クロロの過去を知ったことで、今までと若干彼に対する見方が変わった気がする。それに、無断で彼の過去を聞いたので、下手に喋ってボロが出たらバレてしまうと警戒もしてしまう。私が珍しくだんまりを貫いているので、横にいるクロロは大げさにため息をついて私の注意を引いた。

「な、何?どうしたの?」

「あなたがあまりにも分かりやすすぎるので。むしろ逆にそれが計算だったらとんでもなく恐ろしいなと思ってしまうくらいです。まぁ、えりさんに限ってそんなことは一ミリもありえないんですけど」

「…なに、喧嘩売ってんの」

 私がいつもの調子に戻り真顔で睨みつけると、クロロも真顔になって私に対抗してきた。

「聖女から私の過去について聞きましたね」

「エッ!?!?………な、何で分かったの?」

「はぁ。あなたの態度を見ていれば消去法ですぐに分かります。…人の過去を勝手に探るとはプライバシーの欠片もありませんね」

 真顔で冷たい声音を放つ彼に、私はもう言い訳することもせず正直に謝った。まだ出してはいないが、クロロが本気で放つ冷たい殺気は本当に怖いのだ。

「ご、ごめんなさい…。悪気はなかったんだけど…」

「…いえ、えりさんを責めたわけじゃありませんよ。今のはあの聖女に向けて言ったんです。えりさんは聖女が話してきた話を聞いただけでしょうから」

「…クロロって、本当にセイラちゃん嫌いなの?」

「あの一族はもれなく全員嫌いです」

 クロロは清々しいほどキッパリ言い切った。セイラの気のせいではなく、やはりクロロは過去のことからセイラを嫌っていることが判明した。

(まぁ、弟さんにされた仕打ちを考えれば当然か。一族みんな憎くなっても仕方がない、のかな?)

 私はクロロとセイラ、二人の立場を考えて難しい顔をする。

 そんな悩む私にはお構いなしに、クロロはずんずん歩いていく。

「ねぇ、クロロ。一つだけ聞いてもいい?」

「…何ですか?」

「弟さんって、クロロの力で不死者にしたの?」

 クロロは前だけを見据え、しばらく何も答えなかった。さすがに無遠慮なことを聞き過ぎたかと後悔し始めた頃、クロロはポツリと語り始めた。

「私の弟、クリスはもう、この世を彷徨う魂ではありません。…私は禁忌にまで手を出しましたが、結局クリスを生き返らせる術は見出せなかった。その代わりに魂が魔に堕ちて魔族になり、ネクロマンサーの力を手に入れることができましたが、もう全てが手遅れだった。クリスの魂はもう星の輪へと還ってしまった後だったんです」

「星の輪って確か…」

「ずいぶん前にもご説明しましたね。簡単に言うならば、生まれ変わる順番待ちの列に入ってしまったということですよ。そうなってはもう私の力ではどうすることもできない。もう二度と、弟を取り戻すことはできない。永遠に。生まれ変わった魂は、全くの別人ですから……」

 遠くを見つめながら呟くその寂しげな表情を見て、私は胸が切なくなった。

(初めて見るな。クロロのこんな表情…。いつも冷静な顔か実験対象を見るような怪しい笑顔か腹黒笑顔しか見てなかったからな。……クロロの人生を変えた哀しい過去か)

 街の外で待つスカルドラゴンのところに向かいながら、私はクロロの悲し気な横顔を見つめることしかできなかった―――。


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