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第二幕・第七話 崩れた均衡

 その日は何故か珍しく、私はみんなと顔を合わせることができた。最近は忙しくて滅多に会えない中、少しの間だけでも言葉を交わすことができた。その言葉を交わした中にいたのだろうか。私たちの情報を漏らした者が。

 そう、その時の私はまだ、事態が大きく動き出すとは思っていなかったのだ。なぜなら、私たちの作戦決行日は明日だったからだ―――。




 ケルと共に朝食を食べ終えた私は、久々に三階にあるアトリエへと向かっていた。

 今朝食堂に向かう途中、一旦軍を引き上げて短い休みを取っているはずのレオンにバッタリ出くわした。何故こんな朝早くから城にいるのかと話を聞いたところ、今日は久々に息抜きがてらアトリエで彫刻をする予定だという。以前アトリエでレオンの作品を見てその器用さに驚いていた私は、是非とも間近でその腕前を見ようと今日は見学に来たのだ。

 アトリエの前へと辿り着いた私は、先に来て作業を始めているレオンがビックリしないよう、控えめにノックをしながら扉を開けて入った。

「お邪魔しま~す」

「ん?おう!嬢ちゃんとケルか!椅子なら用意しといたぜ!そこ座って見てな」

 私とケルはレオンの向かい側に用意された椅子に座ると、彼の大きな手の中にある木材を覗き込んだ。まだ作業を始めたばかりのため、木材は大部分が円柱で所々削れている部分がある程度だった。さすがにまだこの段階では何を彫ろうとしているのかは分からない。

「レオンさん、それ何を彫ろうとしてるんですか?」

「ん~?いきなり教えたんじゃあ、見てる楽しさ半減しちまうし。どうせなら当ててみな」

 レオンは器用に爪で木材を削りながら答える。

「よ~し。じゃあケルちゃん、どっちが先に当てられるか勝負しよっか」

「む!?わかった!ケル負けないよ~」

 ケルは椅子に座りながら身を乗り出してじ~っとレオンの手元を覗き込む。

 近すぎだケル、と言ってレオンは笑いながら木材に付く木くずをケルの顔目がけて吹きかけた。途端にケルは両手で顔をペチペチ叩き、閉じていた唇についた木くずや周りに舞う木の粉をフーフー息を吐きながら追い払う。

「む~~!ヒドイよレオン様!うぅ~。耳が気持ち悪いよお姉ちゃん」

 耳の中に木くずが侵入したのか、ケルは必死に耳をパタパタさせている。

 私はレオンから前に自作したという木製の耳かきを手渡されると、それでケルの耳掃除をしてあげる。

「む~。気持ちいい~」

 ケルは私の膝に頭を置き、耳掃除をされている間ずっと幸せそうな顔をしていた。すっかり勝負のことを忘れ、耳掃除が終わる頃にはうとうとし始めていた。レオンの作品が完成するまでまだまだ時間がかかりそうだったので、ひとまずケルはそのまま膝の上で寝かせることにした。

 ケルが小さい寝息を立てる中、私はレオンの作業を目の前でじっと見つめていた。

 彼はその大きな手からは想像もつかないほどとても器用で、基本的には人差し指の爪だけでカリカリと木材を削っていっている。時折親指の爪で目印用の線を付けたりしているが、ほとんどは人差し指での作業だ。

 彼が一心不乱に削る中、少しずつだが輪郭が見えてきた。

(う~ん。とりあえず四足歩行の動物だということはわかってきた。またケルちゃんたちの誰かを彫ってるのかな)

 私は膝の上で眠るケルの頭を撫でながら、レオンの作業を静かに見守り続けた。

 作業を開始してから四十分後。輪郭が更に削り込まれ、特徴的なものが現れ始めた。四足歩行の動物の背中に大きな翼のようなものが二つある。それを見た瞬間私はすぐにピンときた。

「わかった!今彫ってるのウィンスでしょ!」

「ヘヘッ、正解だ嬢ちゃん。ケルのやつは寝ちまってるから勝負は嬢ちゃんの勝ちだな」

 ガハハッとレオンは笑う。

「それにしても本当にすごい腕前ですね~。さっきまで普通の木材だったのに、もうこんなに形になってる。頭の中で立体的に捉える力がないとこういうのって作れないですよね」

 私は幼い頃より美術や図工のセンスが皆無なので、感心しながら作りかけの木彫りを眺める。

 レオンは削った木くずを定期的に息で吹き飛ばしながら、徐々に細かい彫り込みを入れていく。

「ずいぶん昔に暇つぶしに始めてみたんだが、いつの間にかこんなに上達しちまったんだよな。最初の頃はそれこそ不格好な犬か熊か見分けのつかないもんを作ってたんだ。でも人間と違って俺は魔族だからな。上達するまでの時間は腐るほどあったから、今じゃこの通り。なかなかのもんだろ?」

 口の端を上げてニヤッと笑うレオンに、私もニコッと頷いた。

 それからレオンはジークフリートの愛馬を彫り続け、もうそろそろで昼食の時間になる頃ようやく完成した。彫っている途中でケルは目を覚ましたので、一緒に完成の瞬間に立ち会うことができた。

「おっし!これで完成だ!」

「わぁ~!すごぉ~い!躍動感溢れてる~!」

「うんうん!ウィンスそっくり!今すぐ飛んで行っちゃいそうだね!さすがレオン様!」

 私とケルはパチパチと手を叩きながら大絶賛した。レオンは自慢げに胸を反らしてペガサスの木彫りを見せびらかした後、自分が作った他の作品たちと共に棚に飾った。

「ずっと見てましたけど、こんなに早く作れちゃうんですね。削って浮き出していくから、私もっと時間がかかるのかと思ってました」

「まぁ~、デカイのだったらかなり時間かかるぞ。今回のは両手に乗るサイズだからな。それぐらいだったら三時間足らずで作れる」

 ケルは棚に飾られた作品をもう一度見ようと背伸びをしているが、残念なことに上の棚に飾られてしまったため身長が足りず見ることができない。悔しそうに唸っているケルに私は笑みをこぼすと、抱っこして目線を上げてあげる。

 二人で棚の作品を見ている間に、レオンはまた次の作品に取り掛かり始めた。

 私とケルはひとしきり木彫り作品を堪能したところで、いい時間になったのでお昼を食べに行くことにした。

「私とケルちゃんはもうお昼食べに行きますけど、レオンさんは?」

「俺はいい。大して動いてないから腹減ってないしな。こいつも適当に切り上げて、今日はもう領域に帰って休むわ」

 レオンは木材から目を外さず削り続けながら答えた。

 私とケルはレオンに一言挨拶をすると、そのままアトリエを後にした。




 食堂へと向かう途中、階段を下りて大広間に来たところで私たちはジャックと出くわした。

「ジャックさん、こんにちは~。今日はどうしたんですか?」

「やや、やぁ、二人とも。今日は領域の定例報告でね。そうだ!えりさんに渡したいものがあったんです」

 ジャックはごそごそと和装の袂を探ると、私に一つの包みを手渡した。包みからはほのかに葉の良い香りがする。

「ま、前に渡した特別配合した茶葉、そろそろ無くなってるかと思って。また作ってきたんだけど、良かったら貰って」

「わぁ~!ありがとうございます!喜んでいただきます!ジャックさんの配合したお茶は本当に美味しくて。それにジャックさんに教わった通りに魔王に淹れてあげたら、よほど美味しかったのかあっという間に飲み干しましたよ。お替わりもしてくれたし」

「そっか、良かったです。最近お疲れのようだから、少しでもリラックスできる手助けができたのなら僕も配合した甲斐がありました」

 私とジャックの話を黙って聞いていたケルは、私の服の袖を引っ張ると疑問を口にする。

「お姉ちゃん、ケルが戦場に行っている間に魔王様とそんなに仲良くなったの?普段魔王様のお茶を出すのってメリィの仕事だけど、よく変わってもらえたね」

「エッ!?えっと~…」

 どうやらケルは魔王の仕事の合間に私がお茶を出したと思っているようだ。本当ならば、魔王のことが大好きなメリィがお茶出しを変わるはずがない。今やメリィの女友達である私にはそれがよく分かる。しかし、正直に事実を説明すると、またもやケルの言いつけを無視して外出禁止令の時に人間の魔王に会ったことがバレるため、私は目を泳がせて言葉を濁すしかなかった。

「そそ、それより二人とも、もしかして食堂に行こうとしてたんじゃない。席がなくなっちゃうから早く行ったほうがいいよ」

 ジャックは困っていた私に目配せすると、魔王に報告に行くため階段を上がっていった。私は空気の読める気遣い屋のジャックに感謝をすると、ケルを促して食堂へと急ぐのだった。




 食堂にてメリィと人体骨格模型似のボーンが作った昼食を食べ終わった私たちは、午後は何をしようかと悩んでいた。ケルが気を利かせて自分と私の分の食器を片すため席を外したところ、ちょうどメリィが用事を言いつけにやって来た。

「いいところにいたわ。えり、ケルと一緒に西の庭園に生っているアマナンを全て収穫してきてちょうだい。道具は用意しておいたから」

「え?アマナンって、あの木に生ってる甘い果物だよね。今が収穫時期なの?」

「実の全体がだいぶ熟してきているから、早く収穫しないと勝手に地面に落ちてしまうのよ。実が熟すとアマナンは重くなって、茎が支えきれずに木から落ちてしまうの。落ちると実が潰れて甘い部分と強い酸味が混ざってしまうし、衛生的にもよくないから捨てることになる。だから落ちる前に早く収穫しないといけないの」

 なるほど、と頷きつつも、私は頭の中で庭園にあるアマナンの木を思い出していた。少なくとも十本は植えられており、一本の木だけでもそこそこの実が生っていたと記憶している。

「えっと、私とケルちゃんとメリィだけでやるの?かなりの量がある気がするんだけど」

「ちがうわ。えりとケルだけでやるのよ。私はこれから買い出しがあるから。それじゃ、頼んだわよ。心配しなくてもケルは慣れているから、そんなに時間はかからないはずよ」

 メリィは一方的に頼むだけ頼むと、さっさと食堂を出て行ってしまった。ケルが食器を片付けて戻ってくると、私はケルに事情を説明して早速西の庭園へと向かった。




 西の庭園の木の下に行くと、そこには大量の籠が用意されていた。どうやらこの籠に収穫したアマナンを入れて運べということらしい。

 アマナンは私がこの城に来た当初より確かに熟しているようだった。あの時は実の全体の上半分が熟して赤く、下半分がまだ熟していない白い部分だった。今は九割方熟しており、白くて固い部分は実の少ししかない。

「うわ~。なんか果てしない作業になりそう…。始める前から心が折れる」

「大丈夫だよお姉ちゃん!ケルがたくさん頑張るから!まず始める前に、実の収穫の仕方を教えるね」

 ケルは用意されていた脚立を上ると、一番近くにあった実を手に取る。

「まず落とさないように実を持ってから茎を捻る。その後実を茎ごと上にクイッと持ち上げれば、自然と茎が枝から取れるよ。簡単でしょ?」

 私はケルに教わった通り、早速アマナンを収穫してみる。実を持って捻り、茎ごと上に持ち上げる。すると、ポキッと簡単に茎が枝から取れて収穫することができた。

「おぉ~!すごい簡単。一個一個取るのは時間かからなそうだね。…数は物凄いあるけど」

「が、頑張ろうお姉ちゃん!集中してやればきっとあっという間だよ!」

 私はケルに励まされながら、アマナン収穫地獄へと立ち向かった。



 収穫を開始して一時間を経過した頃、私たちが三本目の木の収穫に取り掛かっていると、上空から私とケルの名を呼ぶ声が聞こえてきた。声のする方を見上げると、そこにはウィンスに乗ったジークフリートが飛んでいた。

「ジーク!お疲れさま~!見回り?」

「あぁ。えり殿とケルは何を?」

「ケルたちはアマナンの収穫中~。メリィに頼まれたんだ。もう収穫しないと熟しきって落ちちゃうから」

「あぁ、確かに。もう何個か落ちてしまっているな」

 ジークフリートは近くまで下りてくると、庭園に落ちた果物を見つめた。

 その時、ウィンスがジークフリートに何事か訴えるように鳴いた。それを聞いた彼は、すぐさま気持ちを理解したのか、ケルに果物を投げて寄こすよう指示した。ケルは言う通りに収穫したアマナンをジークフリートに投げ、受け取った彼はそのままそれをウィンスに食べさせた。

「もしかして、お腹が空いたって鳴いてたの?」

「あぁ。今からちょうど休憩に入ろうとしていたところだったんだが、アマナンを見たら待ちきれなくなったんだろう。アマナンは果汁も多いし、いい水分補給になる」

 ジークフリートはもう二つばかりアマナンを貰うと、東の訓練場に向かって飛んで行った。



 私たちはジークフリートを見送った後も、黙々と収穫作業を続けた。そしてついに三時間余り経った頃、ようやく全ての収穫が完了した。

 私は反復作業に疲れ、噴水の縁に腰掛けながら収穫したアマナンを食べて糖分摂取をしていた。

「つ~か~れ~た~。相変わらずメリィのこき使いは半端ないわぁ」

「体力あるほうだけど、ケルもちょっと疲れた」

 ケルも口の中にアマナンを頬張ると、シャリシャリと音を立てて食べた。

 私は大量の籠に満杯になったアマナンを見ながら口を開く。

「それで、この大量の果物どうするの。あんまり放っておくと腐っちゃうよね」

「とりあえず食材の保管庫に運ばないと。厨房の隣の。そこに入れておけば特別な魔法がかかってるから腐らないよ。…そうだ!ジャックにお願いすれば美味しいジャムを作ってくれるよ!前に収穫した時も作ってもらったんだ!すっごく美味しいの」

「へぇ~!それじゃあいくつか持っていって作ってもらおう!ちょうど今日はお城に来てたしね。他のは保管庫に運ぼうか。何往復もしなくちゃいけないけど」

 私はうんざりした表情で大量の籠を見やる。



 休憩を終わりにして二人で果物の詰まった籠を背に背負った。小さくてもやはり魔族だからか、見かけによらずケルは軽々と籠を持っている。私はというと、中身を調整して何とか背負うことには成功したが、右に左にとフラフラ安定しない。

 ケルに心配されながらも私は歩き出したが、すぐにバランスを崩して後ろにひっくり返りそうになってしまう。

「危ないえりちゃん!」

 前方から警告する声が聞こえたかと思ったら、次の瞬間には腕を掴まれ籠ごと支えられていた。あまりの早業に、私は目をパチクリさせた。

「あ、ありがとうキュリオ」

「全く危ないなぁもう。えりちゃんみたいなか弱い人間がこんな重いの持てるわけないでしょ。別の奴にやらせなよ」

 咄嗟に助けてくれたドラキュリオはそう言うと、私の背から籠を没収した。

「フォッフォッフォ。そうじゃな。別の奴、例えばキュリオ、お前さんとかじゃな」

 ドラキュリオが来た大広間に続く廊下から、今度はおじいちゃんがやって来た。おじいちゃんは一昨日から魔王に仕事を頼まれ城を空けていたのだが、どうやら無事仕事は終えたようだ。

「うげ。…ボクは吸血鬼の王子だから、こういう雑用はやらないも~ん。ていうか、じーちゃんの魔法ならこんなの運ぶのちょちょいのちょいでしょ。手伝ってあげてヨ」

「自分は手を貸さないくせに儂には頼むとは良い性格してるのう。まぁ、お嬢ちゃんやケルが困ってるなら最初から手を貸すつもりじゃが」

 おじいちゃんは杖を籠に向けると、浮遊魔法をかけて一気に宙へと浮かす。

「それで、どこに運べばいいんじゃ。食材の保管庫か」

「うんうん!保管庫に運ぶの。いくつかはジャックに頼んでジャムにしてもらうつもりだから、ケルの持ってるやつだけは運ばなくていいよ」

 ケルの言葉を聞いて、おじいちゃんは籠を保管庫に向かって魔法で飛ばしながら答える。

「フム。言いにくい話じゃが、ジャックならつい先ほど魔法陣で領域に帰ってしまったぞ。さっき玄関ですれ違ったからのう」

「えぇ~、そうなんだぁ。ガッカリ~。じゃあジャムはまた今度だね、ケルちゃん」

「む~~」

 ケルは尻尾を垂らしてしょんぼりすると、背負っていた籠を下ろしておじいちゃんへと預けた。おじいちゃんはそれにも魔法を掛けると保管庫へと飛ばす。おじいちゃんの手によって、あっという間に運搬作業は終わってしまった。

「ありがとうおじいちゃん!おじいちゃんのおかげで重いの運ばなくて済んだよ!やっぱりおじいちゃんは頼りになるね~!」

「うんうん!おじいちゃんは優しくて強くてケルたちの味方!」

 私とケルがおじいちゃんを囲んで大絶賛していると、ドラキュリオがすぐさま割って入って来た。

「ちょっとえりちゃん!ボクだって颯爽と駆け付けてえりちゃんのこと助けたんだけど!それにじーちゃんに魔法で運ぶよう頼んだのだってボクだし」

「頼んだだけで結局お前さんは何もしてないじゃろう。確かにお嬢ちゃんを助けたのは立派じゃが、それについてはもうお礼を言われていたじゃろ」

「確かに言われたけど!なんかじーちゃんと比べて感謝の度合いに差がありすぎ!不公平だ~!」

 ドラキュリオの叫びに、私は苦笑いしケルは呆れた目をする。私はドラキュリオを落ち着けるため、ひとまず話を振ることにした。

「ごめんキュリオ!さっき倒れそうになったところを助けてくれたんだから、もちろんちゃんとキュリオにも感謝してるよ!」

「ホントに~?」

「ホントホント。私のピンチに駆け付けてくれるとは、さすがは王子様だね!」

「!?でしょでしょ~!えりちゃんのピンチとあらば、どこにでもすぐ駆け付けちゃうんだからネ☆」

 ドラキュリオはすっかり機嫌を良くし、今日は何をしていたのかと私の話を聞いてくる。

「ビックリするほどちょろいね~、キュリオは」

「フォッフォッフォ。好きな女に煽てられれば、誰しも男はそうなるんじゃよ」

 おじいちゃんはケルの頭を一撫ですると、そのままどこかに行ってしまった。おじいちゃんを見送ったケルは、私とドラキュリオの会話に無理矢理入ってきた。

「それで、どうしてキュリオは城にいるの?また魔王様をからかいに来たの?」

 私との雑談を中断させられドラキュリオはムッとした様子だったが、私も気になっていたので答えを促した。

「からかいにきたんじゃなくて、魔王様の方からボクを呼んだんだよ。何か話があるみたいで」

「だったらこんなところで寄り道してないで早く魔王様のところに行きなよ!なに魔王様待たせてるの!」

 ケルは可愛い顔を真っ赤にして怒る。それでもドラキュリオは何処吹く風で、いたってマイペースだ。

「べっつに大丈夫だよ。特に時間とか指定されてないし。魔王様に会って話を済ませたら、また戦場にとんぼ返りだからね。そうなる前にえりちゃんの顔を見ておこうと思って探してたんだ。そしたらさっきの現場に遭遇したという訳」

 ドラキュリオの話を聞いて私は納得したが、メリィと同じく魔王大好きのケルは怒りの表情のままだ。ドラキュリオの背中に回ると、グイグイと彼の背を押し始める。

「だったらお姉ちゃんの顔も見れたし満足でしょ!早く魔王様のところに行って!きっと待ってるんだから!」

「もう!わかったよ!押すなって!…お前はいいよな~。えりちゃんの護衛だからしょっちゅう傍にいられて」

「ケルだってこの間まで戦場にいたもん。ずっとお姉ちゃんと一緒なわけじゃないよ」

 その後もケルとドラキュリオは歩きながら二人で言い合いをしていたが、私はその後ろをついて行きながら仲が良いなと思うのだった。




 ドラキュリオと別れた私は、労働の疲れを癒すため大浴場で汗を流した。その後ケルと合流した私は、部屋でくつろいだ後夕食を取りに食堂へと向かった。

 食堂へと向かう道中、魔王の執務室のある方角から不吉な騒音が聞こえてきた。その音は震動を伴うもので、私とケルは引きつった表情で顔を見合わせた。

「まさかこの音って、魔王とキュリオじゃないよね?」

「そのまさかの可能性が高いと思う…。本当に魔王様に迷惑しかかけないんだからキュリオは」

 頭を抱えるケルに、私も心底同情した。

 仲裁に向かおうかと迷っていると、そこにタイミングよく参謀が現れた。

「よくもまぁ懲りずに毎度毎度やり合いますねぇ、あのお二人は」

「クロロ!外から戻って来てたんだ。ちょうど良かった。仲裁してきてよ。このままじゃまたお城に穴開いちゃうよ」

「分かってます。各種報告を終えたらまた戦場に戻らなければなりませんし、さっさと仲裁して報告を聞いてもらわなければ」

 疲れたため息をつきながらクロロは執務室へと歩いて行った。

 私とケルはクロロの疲れた後ろ姿を見送ってから再び食堂へと歩き出した。




 夕食を取り終えた私とケルは、食堂で他の城勤めの魔族と雑談をひとしきり楽しんだ後、私の自室へと戻って来た。

 明日はついに以前魔王とロイド王で取り決めた、表立って魔族と人間が協力をし合う作戦決行日だった。私も中立の仲介役として色々力になる予定だ。明日に備えて今日は早く休もうと早めにケルと別れようとしていたところ、何者かが部屋の扉をノックした。

「はいは~い!どなたですか~?」

 私が急いで扉を開けると、そこには一段と疲れた様子の魔王が立っていた。

「こんな時間にどうしたの?珍しいね。…ていうか、すごい疲れた顔してるけど大丈夫?もしかしてキュリオとやり合ったせい?」

「知っていたか。もしかしなくてもそのせいだ。ただでさえ疲れているというのに、アイツのせいで更に余計な体力を使った。万が一にもあり得ないが、アイツが敵なのではないかと錯覚してしまったぐらいだ」

「確かに敵なら大いに作戦成功だね。魔王様の体力すっごい削れてるもん」

 ケルは魔王の傍に行くと、身長的にあまり効果はないが、魔王を支えるように横に立った。

「身内に体力削られるとか……。まるで爆弾抱えてるのと一緒だね」

 私は腕組みをしながら呆れて言う。

 魔王は一つ咳払いをすると、気を取り直して口を開いた。

「明日はいよいよ我が魔王軍にとって大事な日だ。もう分かっているとは思うが、お前にも色々動いてもらわなければならない。ケル、お前たち三人にもだ。明日に備え、今日は早めに休めよ」

「了解!言われなくてもそのつもりだったよ。明日はついに、敵にぎゃふんと言わせる第一歩だからね!」

「ケルたちも魔王様のために精一杯頑張るから!」

 私とケルは揃って魔王に答えた。疲れた顔をしていた魔王が、少しだけ頬を緩めてフッと笑う。

 私は魔王とケルにおやすみの挨拶をすると、そのまま二人を部屋の外に見送った。

 それから私は寝間着へと着替えると、部屋の灯りを消してベッドへと潜り込んだ。




 ベッドで眠りについて一時間もしない内に、私は突如耳に届いた轟音で目を覚ました。

 私は慌ててベッドから飛び起きると、外の様子を窺うために廊下に出ようとした。すると、それより早く部屋の扉が開かれてケルベロスが血相を変えて入って来た。

「お姉さん!起きてますか!」

「ケルベロス!一体何があったの!?物凄い音がしたけど」

「襲撃です!詳しい兵力は分かりませんが、先ほどの攻撃の魔力から察するに、サラ殿が率いる竜人族が攻めてきたようです」

「竜人族が!?」

 私が驚きの声を上げる間にも城は小刻みに揺れ、あちらこちらから爆発音が聞えてくる。幸いおじいちゃんの防御結界が張ってあるため、城にはまだ直接的なダメージは出ていないと思われる。

「やっぱりサラマンダーは味方じゃなくて、反魔王派だったってこと?それともクロウリーに洗脳されてるとか」

「いえ、後者はあり得ないかと。サラ殿ほどの実力者を洗脳するのは容易ではありません。それに竜人族は魔族の中でも精神力は断トツですからね。十中八九、自分の意志で魔王様に反抗しているのでしょう。サラ殿は先代様のお力は認めて大変敬意を払っておられましたが、魔王様の実力を認めていたようには見えませんでしたから」

「……。う~ん、でも何でよりにもよって今日攻めてくるかなぁ。タイミング悪すぎ!どうせ攻めるなら明日以降にしてよ!」

 私がそう言って両手で頭を掻きむしると、ケルベロスが何かに気づいたように目を見開いた。

「お姉さんの言う通りタイミングが良すぎます。まさか、どこかから情報が洩れてクロウリー側に伝わった?それでサラ殿をけしかけられたんじゃ…」

 考えこんで俯いていたケルベロスは、弾かれたように顔を上げると、急いで部屋の外へと向かう。廊下へと飛び出すのと同時に、彼の毛並みはグレーから紫色へと変わっていた。

「いいかねーちゃん!外は危ねぇから部屋ん中にいろ!この部屋は特別に魔王様の結界が張ってあるから一番安全だ!オレたちがサラの姉貴たちを追っ払うまで絶対外に出るなよ!」

「あ、待ってケロス!私も」

 私が最後まで言葉を紡ぐ前に、ケロスはあっという間に走り去ってしまった。このまま彼を追いかけるにしても、ひとまず寝間着のままではどうしようもない。私はもしもの時の戦闘に備え、一度部屋に戻って身支度を整えた。



 動きやすい服装に着替えた私は、まず廊下に出て窓から外の戦況を確認した。そこで私は初めてこの異常な事態に気づく。

「どういうこと…。何で飛空艇までこんなにいっぱいいるの…?」

 窓の外には、空を飛び回るドラゴンの群れだけでなく、いつか戦場で見たことのある飛空艇が魔王城を取り囲むように飛んでいた。機体に描かれているマークには見覚えがあり、星の戦士フォードが率いる空賊のものだった。夜だというのに、飛空艇が発するライトとドラゴンが吹く炎で昼間のように外は明るかった。

「待って。全然状況についていけない。ここにフォード軍がいてサラマンダー軍がいるということは、あの二人の戦場が何故か丸々ここに移動してきたってこと?……意味わかんない!やっぱりサラマンダーは敵じゃなくて、フォード軍から魔王城を守ってるだけなのかな」

 私が悩んでいると、突然全身にブワッと鳥肌が立った。直感的に窓の外を見ると、上空にいる赤い大きなドラゴンが口を開けて魔王城に狙いを定めていた。見間違いようがない。炎帝のサラマンダーだ。この世界に来てから何度も身近で体験しているため、そのドラゴンが内で急激に魔力を高めているのが分かった。

「あんな魔力を解き放ったら、お城が壊れちゃう!」

 その絶大な魔力に、私は遠くにいるというのに体が震えて一歩も動けなかった。

 サラマンダーの魔力が高まっていく中、それに呼応して二つの魔力が膨れ上がっていくのが感じられた。その魔力の高まりを目で追うと、一人は夜の闇に同化している黒いオーラを纏った魔王と、魔王軍最強の魔法使いのおじいちゃんだった。

 魔力を溜め切ったサラマンダーは、魔王の攻撃を喰らう覚悟で渾身の炎の息吹を吐き出す。その炎は魔力を濃縮させたもので、外に一切熱や炎を漏らさず、標的のみに全炎が集中するようにできていた。まるで炎のレーザービームだ。

 魔王はサラマンダーに重い一撃を喰らわせて城に直撃するのを防いだようだが、それでも敷地内に射線が入っていた。

 すかさずおじいちゃんが結界を強化して渾身の一撃を受け止めたが、どうやら敵の狙いは始めから『そこ』だったらしい。一斉に配下の竜人がおじいちゃんに襲い掛かった。

 魔王が加勢に行こうとするが、竜化を解いたサラマンダーが立ちはだかり防がれてしまう。ケロスとジークフリート、メリィが対処に当たるが、竜人族は基本的に身体能力が高く圧倒することができない。とてもおじいちゃんを守り切ることはできなかった。

 おじいちゃんはサラマンダーの一撃を魔法で周囲に散らして威力を弱めつつ、群がる竜人にも手頃な魔法で対処していたが、ついに綻びが出て槍で貫かれてしまう。その瞬間、サラマンダーの一撃を防いでいた結界が壊れ、おじいちゃんがいた周辺一帯が炎と爆発に見舞われた。その衝撃はかなりのもので、離れた魔王城の窓ガラスをも吹っ飛ばすほどだった。私は咄嗟に窓の下に伏せて隠れ、割れた窓ガラスが降ってきたが、幸い頭を守った手を軽く切る程度で済んだ。

(危なかった~。長袖着てなかったら、危うく血ぃダラダラだよ)

 私は服に付いたガラス片を注意深く払いながら、窓の外の戦況を確認した。

「嘘……。みんなが……!!!」

 外には、あちこちローブが焼けて倒れて動かないおじいちゃんと、同じく爆発に巻き込まれてダメージを負ってしゃがみ込むジークフリートたちの姿があった。

 爆発があった周囲はクレーターになっており、威力の凄まじさが窺える。その割にジークフリートたちが致命傷を負っていないのは、もしかしたらおじいちゃんが咄嗟に魔法で守ったのかもしれない。そのおじいちゃん自身は倒れてしまっているので真相は定かではないが。

 周りにいた竜人族はというと、直前に竜化してドラゴンの皮膚で炎を防いだようで、軽い火傷程度で済んだようだった。ボロボロの魔王軍とは違い、すぐに戦闘を再開する気満々だ。

「このままじゃみんなが危な、キャアァァッ!!」

 外に向かって走り出そうとしたところ、城が大きく横に揺れた。何とか壁に手をつき状況を確認すると、あちこちから爆発音が聞えてきた。先ほどまでとは違い、明らかに城が被弾している震動だった。

「もしかして、おじいちゃんの結界が消えてる!?マズイ!このままじゃお城が!」

 私は無我夢中で外に向かって走り出した。



 私は下の階を目指しながら今の状況を整理した。

(当初反魔王派であるサラマンダー軍が攻めてきたと思っていたけど、実は星の戦士フォードの軍も何故か攻めてきていた。だけど、フォードたち人間の軍はおじいちゃんの結界がある限り魔王城には傷一つつけられない。対人間用の結界が張ってあるから。この結界内にはおじいちゃんが認めた人間しか入れないし、攻撃は一切受け付けないもの。だからきっとフォードたちの対処は後回しにしていたはず。そしてサラマンダーは何故かフォードと戦うんじゃなくて、魔王軍を攻撃してきた。おじいちゃんの結界が解けたこの状況を考えると、サラマンダーの狙いは始めから結界。結界が解けた今、人間たちの攻撃も魔王城に届いてしまう)

 私は二階に降りて一階に降りる大広間を目指したが、大広間に近づくにつれて竜人族と思われる声が聞こえてきたため、慌てて踵を返した。

(危ない危ない。私一人で竜人族と戦うのは危険すぎる。ただでさえ一日三回しか使えない能力なのに。今回ばかりは本当に考えて使わないと、選択を誤るとみんなを助けられないどころか私自身がゲームオーバーだよ)

 私は一階に下りる正面階段は諦め、真逆に位置する裏階段から下りることにした。城内を走る間、私は自身にまで届く強烈な怒りの魔力を感じ取って恐怖していた。

(間違いない。この魔力の高まりはフェンリスだ。すごく怒ってる…。無理もないけど。多分フェンリスはサラマンダーたちの相手をするはず。それなら今のうちに私はフォードに接触して撤退するよう交渉する!タイミングが良すぎるから、フォードとサラマンダーはグルなのかもしれない。二人で協力して魔王城を落とすつもりなんだ。……せっかく明日になったら人間と魔王軍が協力するはずだったのに、邪魔をするつもりなら星の戦士でも許さない!)

 飛空艇から発射される砲撃の被弾を受け、城の外壁は崩れ、あちこちで火の手も上がり始める。私は揺れる城のせいで度々転びながらも、口元を押さえながら必死に一階へと駆け下りた。

 裏階段から一階へと下りた私は、飛空艇からもまだ気付きやすそうな東の訓練場へと向かった。訓練場は遮蔽物が特になく、合図を送れば気づきやすい。また、そこそこの広さがあるので、近くまで飛空艇を接近させることも可能そうだった。



「クソッ!ここから先へは通さない!グワァッ!」

 廊下を左に曲がって訓練場に面した廊下に出ると、味方兵士が竜人族に討たれたところに出くわした。竜人族は私を視界に捉えると、見下したような目をして私に近づいてきた。

「こんなところに人間の女がいるとは。そうか、お前が魔王に目をかけられている星の戦士だな」

「聞いたところによると、魔王だけでなくあの吸血鬼の王子や魔界の番犬まで手懐けているそうじゃないか。星の戦士の力なのか、それとも女の武器でも使ってたらし込んだのかぁ」

 ジリジリと三人の竜人が私との間合いを詰めてくる。

(戦うにしてもこんな狭い通路じゃ思いっきり戦えない。訓練場に出て、いざという時は浮遊魔法で逃げても…)

 私は広さを求めて訓練場に向かって駆け出す。すぐに竜人の三人は私を追って訓練場に出てきた。

「お前を捕まえたら、魔王の目の前で存分にいたぶってやるよ!止めてくれと魔王の懇願する姿を見て、きっとサラ様もお喜びになる」

「残念だけど、そう簡単に私は捕まらない。私にはおじいちゃん直伝の魔法があるんだから。それに、もし捕まったとしても、魔王はあなたたちにそんな情けない姿は見せない。私がいたぶられる前に、あんたたちなんか瞬殺して助けてくれるんだから!」

 私は集中して頭の中で攻撃魔法の妄想を固めていく。私の全身が蒼白の光を放つのを見て、竜人たちは一斉に襲い掛かってきた。

 私が両手を前に突き出して能力を発動させようとした直前、突如無数の砲撃が竜人たちを襲った。私は目の前で起こった爆風から身を守るため、両腕で顔を庇った。辺りを覆っていた白い煙が晴れると、竜人たちは氷漬けになって身動きが取れなくなっていた。

「な、何が起こったの一体……」

「よう!無事だったかアンタ!」

 呼びかけられた声に振り返ると、そこには自分より少し年上に見える少し軽そうな男が見たこともない乗り物に乗って浮いていた。男は背中にグレネードランチャーのようなものを背負い、腰にはカトラスを差している。頭には銀縁のゴーグルを乗せ、緑色の短い髪は少し癖っ毛なのか外側にはねていた。乗り物の見た目はセグウェイに近く、セグウェイに空飛ぶ機能をつけて少し機体が大きくなった小型飛空艇のようだった。

「もしかして、あなたが星の戦士で空賊のリーダーのフォード?」

「なんだ、俺様のこと知ってたのか。そういうアンタは来て早々魔王にとっ捕まった間抜けな星の戦士だろ。仕方ないからこの機に乗じて俺様が救出してやるぜ」

 フォードはそういうと、一緒に小型飛空艇に乗るよう指示してきた。

 私は信じられないような気持ちでフォードを見つめると、恐る恐る口を開いた。

「えっ、もしかして、あなた何にもこっちの事情知らないの?嘘でしょ…」

「アァ?何だよこっちの事情って」

「私はもう別に魔王に捕まってるわけじゃない。自分の意志でここにいるの。ていうか、あなたは何で魔王城を攻めてるの!?私たちが戦うべきなのは魔王じゃない!戦争の原因は他にいるのよ!カイトたちから何も聞いてないの?」

 私が責めるようにまくし立てると、フォードは勢いに押されて小型飛空艇ごとバックする。

「リーダー気取りからは何も聞いてねぇよ。……いや、そういやここに来る前に通信が入ってたっけか。サラマンダーを追っかけるのに必死で後回しにしてたわ。もしかしてそれか?」

 悪びれもなく言うフォードに、私の怒りは一気に沸点に達した。私は鬼の形相で彼の胸倉を掴む。

「あんたねぇ~!もしかしたらサラマンダーとグルなんじゃないかと思ったけど、考えなしの単独行動だったとはね!あんたのせいでお城はメチャクチャよ!どうしてくれるの!とにかく今すぐ砲撃を止めさせなさい!そして竜人族を追っ払うのを手伝って!!」

「わ、わわ、わかったわかった!とりあえず胸倉放せ!…女のくせになんておっかねぇんだ。サラマンダーとはまた違う意味で強気で怖い女だな」

「なんか言った!?」

 何でもねぇよ、とフォードは叫ぶと、すぐに子分たちに無線で指示を出した。しばらくすると城への砲撃が止み、代わりに上空を旋回していたドラゴンたちに攻撃を開始した。ひとまず城への被害が止まり、私はホッと胸を撫で下ろした。

「これで後はサラマンダーたちを追っ払えれば」

「今、誰を追っ払うって言ったのかしら」

 空から女性の声が降って来たかと思ったら、すぐ近くを飛んでいたフォードの飛空艇がもの凄い音を立てて破壊された。甲板が大きく破損し、あと少し力を加えたら甲板の前方が真っ二つに折れそうだった。甲板周辺からは火の手が上がり、煙がモクモクと立ち上る。

 下から飛空艇を眺めていると、その煙を掻き分け一人の女性が甲板から姿を現した。深紅の炎を思わせるような鎧を身につけ、その手には大きくて立派な矛が握られている。

「サラマンダー!?いつの間に!ていうかよくもまた俺様の飛空艇をその矛でぶっ壊してくれたなぁ!」

 フォードは赤い鎧の女性に向かって吠えると、小型飛空艇を操作して壊れた飛空艇に向かう。

『お頭ぁ~!ヤバイッスよ~!すぐ戻ってください!動力部がやられた~!近くで火の手も上がってるし激ヤバです!』

 飛空艇には外部に向けて発信するスピーカーまで内臓されているようで、中にいる子分たちの鬼気迫る現状が実によくわかった。

「今ソッコーで戻ってるからちょっと待ってろお前ら!」

「ここまで私を追いかけてきたのに、全然構ってあげられなくて悪かったわね坊や。また今度ゆっくり遊びましょう」

 フォードが飛空艇に戻るのを見届けたサラマンダーは、彼と入れ替わりに訓練場に飛び降りてきた。




 私は目の前に現れたサラマンダーを見て驚いた。彼女の鎧はあちらこちら破損しており、壊れた鎧の下からは赤い血が滲んでいた。それでも彼女のルビー色の瞳は強い力を秘めており、全身から生気が漲っているようにさえ見えた。さすがは竜人族を束ねる長だけあり、一目でただ者ではないことがわかった。

「あなたがサラマンダーね。竜化したところしか見たことなかったけど、こんなに美人な人だとは知らなかったわ」

「あら。敵を褒めるなんてずいぶん余裕じゃない。可愛い星の戦士さん」

 サラマンダーは欠けた兜を脱ぎ捨てると、赤い長髪を風になびかせた。

「ずいぶんボロボロじゃない。魔王にやられたの?」

「えぇ。良い機会だから実力を図ってあげようかと思ったんだけど、想像以上に怒っているみたいでこの有り様よ。坊やがこれ以上好き勝手暴れないように、一旦お相手は腹心に任せてきちゃったけど」

 私は対峙するサラマンダーから目を逸らさずに考えを巡らせる。

(落ち着いて。さっきのフォードの会話を信じるならば、フォードとサラマンダーは無関係。フォードが勝手に魔王城までサラマンダーたちを追いかけてきただけ。だからサラマンダーたち竜人族を押さえればこの戦いはひとまず収束する。今のところクロウリーの増援もないし)

「怖い顔をして何を考えているのかしら。…さて、選ばせてあげるわ可愛いお嬢さん。今すぐ空賊の坊やと撤退するなら命までは取らないわ。でも、もしこの場に残るというのなら、……その命、このサラマンダーが貰い受ける!!」

「!?!?本気で、やる気ね…!」

 殺気を漲らせるサラマンダーに、途端に私の背中から冷や汗が流れ出した。手足も自然と震え出す。

「あなた、どうやら魔王様に気に入られてるみたいだし、あなたの死体でも見せればもっと本気の魔王様が見れるかしら。今の彼じゃ、私を満足させるには全然足りないから。今のあの子じゃ…、先代様の足元にも及ばないわ」

「やっぱり、あなたは反魔王派なのね。でも、今の魔王の実力が認められないからって、クロウリーの味方をするなんて」

「クロウリー?ウフフ。面白いことを言うのね。別に私はクロウリーの味方なんかしないわ。どちらかと言えば嫌いだもの」

 サラマンダーは赤い唇に人差し指を当てると、大人の色香を纏いながら美しく笑った。

「ただ、有益な情報だけは頂いているわ。その情報を基にどう動くかは私の勝手よ。それでクロウリーが得をしようが、今の私には関係のないことだわ。私は私の信念によって動くだけ」

「な、何よそれ……。クロウリーのせいで魔界がメチャクチャになったらどうするのよ!」

「そんなの答えは簡単よ。また魔界が戦争に突入するだけ。ただ昔に戻るだけよ。種族同士で領域をめぐって争う。そうなったら次に魔王になるのは誰かしらね」

 楽し気に語るサラマンダーに、私はとても話にならないと首を振った。私は覚悟を決めるように大きく息を吸って腹から息を吐き出すと、キッとサラマンダーを睨みつけた。彼女は私の覚悟を受け取ったのか、持っていた矛を一度ブンブン振り回してから構えを取った。

「どうやら死ぬ覚悟は決まったみたいね。最後に魔王様に伝えておく言葉はあるかしら」

 サラマンダーの問いに、私は妄想に集中しながら、心が挫けないよう強気に答えた。

「悪いけど、私はそう簡単に死んでやらない!むしろ、おじいちゃんを傷つけたあなたにはおじいちゃんの魔法で仕返ししてあげる!!」

 私は先ほどの竜人たちに発動させようと思っていた妄想より、もっと規模の大きい魔法を妄想した。いつか海の上でおじいちゃんに見せてもらった強力な氷魔法だ。

 サラマンダーは本能的に危険を察知したのか、上空に逃れようと竜化しようとする。私は彼女を逃がさないよう、素早く能力を発動させた。

『氷柱よ、全てを貫き壊せ!!!』

 妄想を解き放った瞬間、辺り一面に無数の氷の柱が現れ、私が敵と認識しているサラマンダー目がけて氷柱は一斉に襲い掛かった。サラマンダーは竜化して逃げようと考えていたようだが、竜化すればかえって的が大きくなりダメージが増えると判断したようだ。矛で致命傷を防ぎながらなんとか私の攻撃をやり過ごした。それでも彼女にとっては予想以上のダメージを負わせられたようだ。

 能力の発動が終わって氷柱が消えると、所々血を流しながらサラマンダーは訓練場に膝をついて不敵に笑っていた。

「フフフッ。これは想像以上の能力ね。魔族最強の魔法使いを無力化したかと思ったら、まさか星の戦士に同じ力を持った者がいるとは。私相手に逃げなかったのも頷けるわ」

「うっ……。さすがは七天魔。かなりの大技喰らわせたのにまだ余裕ありそう」

 私は肩で息をしながらサラマンダーの動きに警戒する。

 どんな妄想を現実化するかによって体への負担は変わってくるが、今回の氷魔法の現実化はかなり疲れる部類に入るようだ。能力を使う前と比べてすごい体が重くだるくなっている。

「今度は私の番ね。あなたに敬意を表して、とっておきの攻撃をお見舞いしてあげるわ!」

 サラマンダーは怪しく微笑むと、竜化して上空高く舞った。そして、つい先ほど城の中から目にした攻撃の構えを見せる。口を開け、その奥に濃縮した魔力を溜め込んでいく。

「ま、まさか…。あのおじいちゃんに向けて放った攻撃をするつもりじゃ……!!」

 私が絶望の表情を浮かべる中、竜化したサラマンダーは楽しそうに呟く。

「さぁ!あの魔法使い最強のおじい様のように、私の攻撃に耐えられるかしら!?」

 とにかく時間がなかった。私は疲労感を無理矢理忘れて、死ぬ気で頭の中を妄想で満たした。

(おじいちゃんに教わった通りの結界のイメージ。そこから色々な付加能力をつけて、様々な攻撃に対応する結界に仕上げていく。熱と炎、爆発に耐性があるのはもちろん、強度も壊れない、割れない、衝撃に耐えうるイメージを)

 妄想を膨らます中、先にサラマンダーの準備が整った。

 深紅のドラゴンは訓練場に佇む私に狙いを定めると、先ほどおじいちゃんに放った攻撃よりかはいくらか劣る炎のレーザービームを放ってきた。魔王との戦闘もあったため、残っている魔力が少なくなっているのだろう。それでも私を殺すには十分すぎるほどの威力ではあった。

 私はギリギリまで妄想を固めると、直撃する少し前に妄想を解き放った。

「お願い!『結界よ、防いで!!!』」

 瞬間、蒼白の光を放つ結界とサラマンダーの攻撃がぶつかり合う。私は両手を上空に掲げてなんとか結界を維持し、歯を食いしばって必死に堪える。おそらくそれは五秒にも満たない間だったが、私には今までの人生で一番長い数秒だったと思う。結局結界は攻撃を受け流し切れず、訓練場一帯は大きな爆発に見舞われた。



 私は結界の効果のおかげで攻撃の直撃自体は免れたが、爆発の衝撃に巻き込まれ体全身を強打していた。熱や炎からは守られたようだが、爆風で服はボロボロだった。

(やっぱり、おじいちゃんみたいな強固な結界を張るには時間が足りなすぎたか……。中途半端だったから周りもボロボロだ…)

 元々おじいちゃんの防護魔法が掛けられていたはずの訓練場の舞台も大破し、サラマンダーの攻撃の威力の凄まじさを物語っていた。先ほどから私が倒れている地面は、ビキビキと嫌な音を立てながらヒビを増やしていっている。もうここ一帯の地面は限界に達しているようだった。

「跡形もなく消し飛んじゃうかと思ったら、人間にしてはやるじゃない。気に入ったわ。お遊びなしに、せめて苦痛なく一撃であの世に送ってあげる」

 サラマンダーは人型に戻ると、矛を構えて私の心臓に狙いをつける。

 私は逃げれるものなら逃げたかったが、とても体が言うことを聞かなかった。あと一回分の妄想も残っていたが、妄想をするほどの集中力も体力も残っていない。さっき発動させた妄想の影響で体への負担も増大しており、眩暈と吐き気がすごかった。

 私がいよいよ後がないと覚悟を決めたのと、サラマンダーが不意打ちを喰らったのは同時だった。

『サラマンダー!そいつはやらせねぇぜ!今度は俺様と遊ぶ番だ!』

「クッ!もう立て直したの坊や!相変わらず機械に関してだけは神業な腕を持っているわね」

 サラマンダーは飛空艇からの砲撃を喰らってよろめく。どうやらフォードが飛空艇を操縦して艇内から助けてくれたようだった。目線だけ動かすと、驚くことについさっきまで煙を上げていた飛空艇はすっかり通常運転に戻っていた。甲板は破損したままだが、低下していたエンジン出力などは回復している。サラマンダーの言う通り、フォードの技術者としての腕はかなりのもののようだ。

(フォードのおかげでトドメは刺されずに済んだけど、どっちにしろゲームオーバーみたいだね……)

 サラマンダーに向けて撃った砲撃の衝撃を喰らい、ついに訓練場の地面に寿命が訪れた。バキバキと大きな音を立てて地面が崩壊し始める。

 サラマンダーはいち早く竜化して空へと逃れたが、私は起き上がることもできずに崩壊に巻き込まれる。背中を支えていた地面が崩れ、魔力によって浮いていた足場は浮力を失って遥か下へと落下していく。

 飛空艇からスピーカーでフォードの声が聞こえたが、もう内容は頭に入ってこなかった。




 瓦礫と共に落下しながら、私は走馬燈を見るのではなく、今の状況についての疑問ばかりが頭に浮かんでいた。

(明日になれば、きっと色々なことが上手くいったはずなのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう。作戦決行の前日に、なんでこんなタイミングよく襲撃が……。サラマンダーが言ってた情報…。クロウリーからもらった、情報…。作戦決行の情報が漏れていたとしか思えない。一体、誰が……)

 私はゆっくり瞳を閉じ、重力に身を任せ落ちていく。次第に空気抵抗の風が私を包み始めた。

 意識が遠のき始めた頃、遠くで私を呼ぶ声が聞こえた。しかし私にはもう、声を上げることも、目を開いてその人物を確認することもできなかった。私が暗い闇に意識を手放す直前、誰かが私の体を受け止めてくれたような気がした―――。


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