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第二幕・第一話 響く不協和音

 朝から特にすることがなかった今日、たまにはお城の手伝いをしようということで朝食の後片づけをしていた。城の一階にある厨房の流しで、私は鼻歌交じりに食器を洗っている。その隣にはケルが台に乗って、私が洗ったお皿を拭いていた。

 お城での食事は普段メリィと、私がボーンと勝手に名付けた人体模型のような魔族が作っている。食材の調達や雑貨、その他の消耗品の買い出しは全てクロロの配下である不死者が行っている。元人間の不死者ならば、魔界はもちろん人間界で買い物をしてもそこまで怪しまれないからだ。

 普段食事の後片付けはいつもボーンが一人で行っているのだが、今日は私とケルの二人で引き受けていた。

「フフフ~~ン♪フフ~~♪フフフ~ン♪フフ、フ~フ~フ~ン♪」

 皿についた泡を洗い流しながらリズムに乗る私につられ、ケルの尻尾や耳が反応して揺れている。

「お姉ちゃんはお歌を歌うのが好きなの?すごい楽しそう」

「フン~ん?まぁ~、好き、かもね。一人カラオケとかよく行くから。歌うとストレス発散できるし。それに聞くにしても歌うにしても、歌って元気がもらえない?悲しい時も気持ちが不思議と落ち着いて上向くというか。私の世界の曲って良い歌詞とかいっぱいあるから、聞くだけでもジンとくるようなものも結構あるんだよ」

 鼻歌を中断して私は答える。

(今はアニソンもゲームソングもクオリティ高いからなぁ。良い歌詞の曲いっぱいあるし。あぁ~、久しく音楽聞いてない。歌が恋しいよぉ~)

 私は洗ったお皿をケルに手渡しながら心の中で嘆く。

「ふ~ん。カラオケってよく分からないけど、お姉ちゃん歌上手そうだよね!歌って聞かせてよ!この世界じゃ歌なんて全然聞かないし、聞いてみたい!」

「え!?アカペラで?う~ん、でも人前でいきなり歌うと恥ずかしいなぁ。ケルちゃんに音痴だなんて言われた日には立ち直れなさそうだし」

「むぅ?ケル音痴だなんて言わないよ!お姉ちゃんがせっかく歌ってくれるんだもん!上手に決まってる!」

 ケルのおねだり攻撃にうんうん頭を悩ませていると、いつの間にか気配を殺して厨房に入ってきていたメリィが背後に立っていた。

「なに無駄話をしているの。それじゃあいつまで経っても終わらないし、水が勿体無いわ。手伝うどころか足を引っ張る気?やっぱり人間は当てにならないわね」

「メ、メリィ!?いつの間に後ろに…。ていうか、ちょ、今すぐ終わらせますからその殺気をしまって!」

 右手を構えて何か繰り出そうとしている彼女に、私は慌てて泡のついた手で制止する。

 ケルも一緒に謝り、私たちは後ろで目を光らせているメリィの怒りをこれ以上買わないようフルスピードで食器洗いを終わらせていく。五分もかからず片付け終えると、ようやく背後からの殺気がなくなった。

「全く。最初からそのスピードでやってほしいわね。まだまだ仕事はたくさんあるのだから」

「す、すみません。……て、ん?まだまだ仕事がたくさん?」

 私は嫌な予感を感じつつ、メリィの言葉を復唱する。

「次はお城の窓拭きよ。玄関から順に上の階まで全部終わらせなさい。まぁ今日は初めてだから、お昼までに終わらせればいいわ。それで午後は庭園の草むしりね」

 次々断りもなく組まれていく予定に私は絶句する。

 いつもメリィが城の家事全般を取り仕切ってこなしているというのは知っていたので、たまには少しお手伝いでもしてあげようかと思ったのが運の尽きだった。食器洗いを終えたらジークフリートと雑談でもしようかと考えていたのだが、とてもじゃないがそんな余裕はなさそうだ。メリィの頭の中ではもう今日一日手伝うことになっているらしい。

「必要な道具や足場の台はもうエントランスに用意してあるわ。お昼になる前にさっさと始めてちょうだい」

「ちょ、ちょっと待ってメリィ!お城の窓拭きって、かなりの数があるよね!?それをお昼までに!?ケルちゃんと二人でやっても終わらせる自信ないんだけど」

「あらそう?終わらなければいつまで経っても食事にありつけないだけよ。あなたの方から手伝いを申し出たんだから、自分の言った言葉には責任を持つことね」

 そう素っ気なく言うと、メリィは別の仕事をこなすため厨房から出て行った。絶望に打ちひしがれる私に、ケルは大げさに明るい声を出して元気づけてくれる。

「だ、大丈夫だよお姉ちゃん!ケルがお姉ちゃんの倍以上窓拭いてあげるから!二人で頑張ってお昼までに終わらせよう」

 ケルに手を引かれ、私は肩を落としながらエントランスへと向かう。これから始まる窓拭き地獄に必ず終わりが訪れることを願って。




 エントランスへとやって来た私たちは、事前に準備されていた掃除用具を手に取り終わりなき戦いへと挑み始めた。台が二つ用意されていたので、二手に分かれて窓拭きをする。

 城の窓はどれも大きく、廊下に面した窓は全て私の腰の高さから天井付近まである縦長の窓で、窓ガラス一枚拭くのにもそれなりに時間がかかる。それに拭いた後にいちいち踏み台を移動させてセットしなければならず、想像以上に手間がかかることが判明した。しかも私の踏み台はそこまで大きくない踏み台だが、ケルの場合私に比べて身長がかなり低いため、その分踏み台も大型のものが用意されていた。そのため、踏み台を移動させる作業だけでも重労働だった。

「大丈夫ケルちゃん?その踏み台重いでしょ。メリィに頼んでモップみたいなの用意してもらう?そしたらそんな大きな台がなくても届くでしょ」

「むぅ~。前に踏み台じゃなくて雑巾ワイパーを使って窓拭きしたことあるんだ。キュリオと」

 私は向かいの窓を拭いているケルの声を聞きながら休まず手を動かす。ブルーの液体が入っている霧吹きを窓に吹きかけ、拭き残しが無いよう拭いていく。

「なんとなくだけど、キュリオが話に出てきた時点ですごい嫌な予感がするのはなぜだろう……。それで、キュリオとケルちゃんで掃除してて?」

「うん。始めの内はケルが注意しつつ真面目にやってたんだけど、途中で喧嘩しちゃって、いつの間にかワイパーを振り回して戦ってて」

(……いつの間にかチャンバラごっこに。よく学校で掃除の時間に箒でチャンバラし始める男子とかいたなぁ、そういえば。どこの世界でも男の子のやることは同じなのね)

 私は心の中で妙に納得してしまう。

「そこから先はなんとなく分かる。多分振り回した勢いでキュリオが窓割ってメリィを怒らせたんでしょう」

「そう!よく分かったね!それから窓拭きには雑巾ワイパーを使うのは禁止にされて、踏み台を使って雑巾で拭くことになったんだよ」

「はぁぁ~~~。本当にトラブルメーカーだね、キュリオは」

 バケツに入った水で雑巾の汚れを落としながらため息をつく。

「そもそもなんで二人で窓拭きすることになったの?お手伝い?それとも何かの罰?」

 雑巾を絞って水気を落とす私に、ケルは当時のことを思い出したのか、むくれた表情をみせる。

「むぅ~~。元々キュリオが」

「おや。二人してこんなところで何をしているんです」

 大広間の方から聞こえてきた声を受け、私とケルはそちらに首を向けた。そこには先ほどの声の主であるクロロを連れた魔王がいた。

「ほう、掃除か。居候の貴様にはピッタリな仕事だな。手を抜かずにしっかりやれよ。あとでメリィに確認させるからな」

 魔王の上から目線な言葉に、怒りの沸点は一気に達した。魔王にズンズンと歩み寄ると、雑巾片手に私は噛みついた。

「ムッカァ~!ホント人を苛立たせるのは超一流ね!こっちは善意でお城の窓拭きを手伝ってあげてるのに、どうしてそんな偉そうなのよ!むしろ掃除してくれてありがとうでしょ!」

「フン。何故魔王である俺が礼など言わなければならない。以前も言ったが、そもそもお前は衣食住を提供してもらっている立場だろう。自発的に掃除を手伝って当然だ。むしろお前に付き合わされ掃除を手伝っているケルならば礼を言ってやらんでもないがな」

「んぐ~~~!!!だ・か・ら!私も前に言ったけど、好きでこの城に居候してるんじゃないんだから!食費代とかかさむなら全然出て行きますけど!?」

 魔王相手に一歩も引かず、バチバチと睨みの応酬が繰り広げられる。その様子を、少し離れたところからクロロとケルが見守っている。ケルはハラハラオロオロしているが、クロロは楽しそうにニコニコ笑っていた。

「いや~、いくら魔王様が手加減して殺気を纏わずに睨んでいるとはいえ、ずいぶんえりさんも度胸がつきましたね。最初の頃は目を合わすのも怖がっていたのに」

「ク、クロロ。冷静に分析している場合じゃないよ。このままじゃお姉ちゃん魔王様に怒られちゃうよ」

「大丈夫ですよ。人間の女相手に魔王様が本気を出すはずないでしょう。それより、面白いからもう少し観察したいです」

 そっちが本音だな、とケルは呆れてクロロを見る。

 私と魔王の間では無言の睨み合いの攻防が続き、まるで目を逸らしたら負けのような雰囲気だった。もはや意地になって睨みつけていたところ、魔王が鼻を鳴らして口を開いた。

「城から出て行く、か…。今更この城から出てどこに行く気だ。星の戦士と合流する気か。この間じいと戦場を巡ったから分かっているだろうが、今は戦争中だ。お前の意志とは関係なく、星の戦士と合流すればおそらく戦場に駆り出されるだろう。人を傷つけたくないなんて言っている余裕はなくなるぞ。ケルベロスやじいから報告を受け、今は中立のような考えを持っているようだが、星の戦士と合流したが最後、お前は人間たちに祭り上げられ魔族と戦う運命になる」

 睨み合いの戦いから急に真面目な話になり、私は怒りを忘れて魔王の話を真剣に聞いた。

(魔王の言う通り、魔族を敵対視しているこの世界の人間と合流したら、力を持っている私は戦争に駆り出されるはず。私がそれを拒否したら、それはそれで立場が悪くなる可能性がある…。かと言って、戦争に加担したら魔族のみんなと戦うことに…)

 私は頭の中でぐるぐる考えていたが、結局のところ行きついた答えは『今』だった。

「やっぱり、今まで通りここにいたほうが一番安全安心?」

「フン、ようやく己の立場を理解したか。だからさっきから言っているだろう、居候だと。…貴様は異世界の人間だから、よくよく考えれば中立の立場が一番いいのかもしれん。今のまま中立でいたければ、大人しくこの城にいるんだな」

 いつも偉そうな彼だが、最後のほうは少し気遣わし気な声色だった。当初は人質と言っていたが、今はもう戦いに巻き込まないよう考えてくれているのかもしれない。先ほど自分の状況が分かっていない私に真面目に話してくれたことから、彼の本心をそんな風に読み取ってみる。

(ケルちゃんやおじいちゃんも本当は優しいって言ってるもんね。今のところすっっごく分かりにくいけど。それに口が悪くて偉そうで意地悪だけど)

 私は一度治まった怒りを若干再燃させ、居候という結果に落ち着いてしまったことが悔しく新たな選択肢を提示した。

「そうだ!じゃあキュリオのお城に移るのはどうかな。セバスさんは優しい執事だし、キュリオもいるから安全」

 そこまで言ったところで私の言葉は途切れた。何故なら黒いオーラを纏った不機嫌な魔王がこちらを睨みつけてきたからだ。蛇に睨まれた蛙のように体が動かない私の左頬を、容赦なく彼は横に引っ張る。

「却下だ!ただでさえ問題行動の多いドラキュリオのところにお前を一緒にしたら、どんな面倒事が起こるか分からん。心労でセバスが逝っても俺は責任取れんからな」

「しゃ、しゃしゅがにしょれは大げさじゃあ。ていうか、いひゃいからいい加減離して!は~な~し~て~フェンリス~!」

 バシバシと魔王の腕を叩いてギブアップを伝える。黒いオーラをしまって手を離した頃には、私の頬は例の如く赤く熱を持っていた。一方魔王はというと、何やら複雑な表情で私を見ていた。

「魔王様~、そろそろイジメるのはそこら辺にして向かいませんと。後の予定が立て込みますよ」

 十分面白さを堪能したクロロがようやく間に割って入る。魔王は一つ息をつくと、目に鋭さを戻して外の扉へと向かう。その場にしゃがみ込んで頬を撫でながら、私は横を通り過ぎるクロロに尋ねた。

「二人ともどっか出かけるの?魔王もお出かけなんて珍しいね」

 私が記憶する限り、魔王が城を空けるのは今まで一度もなかった。おそらく直近で城を空けたのは、私が異世界に召喚されて私を誘拐しに来た時だろう。もしかしたら私の知らぬ間に出かけていることもあるかもしれないが、堂々とした外出は初めて見る。

「今日は領域内の定例視察です。一通り領域内を見て回るので帰りは遅くなると思いますが、くれぐれもトラブルを起こさないようにしてくださいよ。あなたも大概キュリオと同じく問題児ですから」

「ひ、ひどい。まさかのキュリオと同レベルと思われてるなんて。私あそこまでトラブルメーカーじゃないし」

「うんうん。お姉ちゃんはキュリオと全然違うよ」

 ずっと様子を見守っていたケルは私の傍に来ると、真っ赤になった私の頬を撫でてくれた。

 魔王とクロロはそのまま揃って城を出て行くと、領域の視察へと出掛けて行った。

 二人を見送った私とケルは再び窓に向き合うと、一心不乱に窓を拭き始めた。お昼までに全部の窓は無理でも、せめてメリィに言い訳ができるぐらいの成果を出すために。




 窓拭きを開始して数時間、現在の時刻はお昼の十三時過ぎ。城の廊下の窓はもちろん、各部屋の窓拭きも行い、ようやく私たちは二階の窓を制覇し終えたところだ。途中必死になって窓を拭く私たちを見かねて、城勤めの魔族たち数人が手伝ってくれたため、なんとかこの時間に二階まで拭き終わることができた。

「や、やっと二階が終わった…。だけどまだ三階も四階も五階もある~。今日中ですら無理だコレ!」

「む~。五階は部屋数全然ないから大丈夫だけど、四階は造りが入り組んでるからそれだけで大変だね。三階は変わらず部屋数多いし」

 私は疲れて踏み台の上に座る。もういっそのこと妄想の力でどうにかならないか考えたが、疲れと空腹でそもそも頭が回らなかった。

「このお城の掃除ってどれぐらいの頻度でやってるの?もしかして毎日じゃないよね。こんな広いお城大人数で掃除しないと無理だよ~」

 膝の上に両肘を乗せ、私は頭を手で支えてぼやく。ケルは私の隣に立つと、踏み台に寄りかかって話す。

「一応城全体に定期的に綺麗にする魔法がかかってるんだ。でも、みんなが快適に過ごせる様に人の手でも掃除してるんだよ。基本的にはメリィが一人でやってるけど、よく手の空いた魔族が手伝って掃除してる。さっきケルたちを手伝ってくれたみたいにね」

 先ほど率先して手伝ってくれた魔族たちがいたが、そういうことだったのかと合点がいった。

「う~ん。ならこれからもお城にいる以上、時々お手伝いしないとな。さすがにメリィ一人じゃ無茶だもんこの広さ。窓拭き以外にも掃き掃除とかもしてるんでしょ」

 窓拭きだけでも音を上げるぐらいなのに、掃き掃除なども加わったら地獄どころではない。掃除の大変さを痛感していると、隣にいるケルから腹の虫が鳴るのが聞こえた。

「とりあえずメリィに報告して、一旦お昼ご飯食べよ。このまま続けたらケルたち途中で動けなくなると思う」

 私は無言で同意すると、踏み台から立ち上がろうと腰を浮かせた。

「あら、あなたたちまだこんなところにいたの。とっくに昼食を食べているかと思ったわ」

 目の前の三階へと通じる階段から掃除用具片手に下りてきた人物を見て、私は大きな声を上げた。

「メリィ!な、何が昼食よ!こっちは今の今まで必死に窓拭きしてたんだから!もしかしなくてもサボってると思ってたわけ!?」

「………えぇ、そうね。意外にも真面目な人間だったのね。律儀に今まで拭いていたなんて」

 相変わらず表情一つ変えずに言う暗殺人形に、私は口をパクパクさせる。怒りのあまり上手く言葉が出てこない。

 ケルは私の代わりに掃除の進捗具合を報告すると、お昼を取る許可をもらってくれた。

「では、お昼を食べたら午後は庭園の草むしりね。もしやる気があるならだけど。三階から上はすでに私が拭き終えたからもう必要ないわ」

「……ちょっと待って。もしかしてメリィは最初から私たちに期待してなかったってこと?下から拭き始めた私たちとは別に、メリィは上から窓拭きしてたの?」

「そうよ。私は端から人間など信用しない。ケルがついていたとしても、投げ出そうと思えばいくらでも止められる。今日たまたま手伝いを申し出たくらいだし、どうせすぐ飽きると思ったから。まぁでも、人間にしては上出来ね。他の家事をこなしながら窓拭きしていたから三階までしかできなかったけど、それより下はもうあなたたちがやってくれたのなら、私も午後は別の仕事ができるわ」

 メリィのあまりに勝手な物言いに、私は怒りで拳を震わせた。人形の魔族のため、表情も変わらず淡々と話すその態度も私の怒りを逆撫でする原因なのかもしれない。

「いくらなんでも人を馬鹿にし過ぎ!人に物を頼んでおいたくせに何なのその態度!人間とか魔族とか関係ない!あなたに頼まれたからお昼も我慢して必死にやってたのに、それなのに何よその言い草は!労いの言葉をかけるどころか見下すなんて!………メリィがいつも大変な苦労して掃除してるんだなって分かって、これからも掃除手伝ってあげなきゃって思ったのに、せっかくの気持ちが台無しだよもう!」

 私は怒りと悲しさが入り交じった目でメリィを睨みつける。それでも彼女のエメラルドグリーンの瞳には何の感情も宿らなかった。感情のこもらない言葉を私にただただぶつけてくる。

「…捕虜の分際で私に怒りをぶつけてくるとは言い度胸ね。いいわ。魔王様に部屋を与えられて調子に乗っているみたいだし、私が現実というものを分からせてあげる。人間は私たち魔族の敵でしかないということを」

 メリィは殺気を露わにすると、持っていたデッキブラシを構える。私たちの間に流れる険悪な空気を察知し、ケルがサッと間に割り込んだ。

「ダメだよメリィ!お姉ちゃんを傷つけるつもりならケルも黙ってないよ!」

「ケル、そこをどきなさい。その女はリアナ姫とは違う。あなたはその女の上っ面だけの優しさに惑わされているだけよ。魔王様も…。私がその女の本性を引きずり出してやるわ!」



 メリィが攻撃に移ろうとした直後、轟音と激しい横揺れが私たちを襲った。私はバランスを崩すとそのまま廊下へと倒れ込んだ。設置されていた踏み台が私の上に倒れてきたが、いち早く態勢を立て直したケルが踏み台を蹴り飛ばして事なきを得た。

「あ、ありがとうケルちゃん。一体何なの今の!?すごい音と揺れだったけど。何かが爆発したような」

 私はケルに助け起こされると、軽く衣服を払った。音の方角と振動からして、下の階の城の正面付近で何かがあったようだった。

『皆の者、敵襲じゃ!見たところ異常気象地帯に住む一族が多そうじゃが、他にも他種族が混じっておる。油断するな。全兵迎撃態勢を取るのじゃ!』

 突如頭の中でおじいちゃんの声が響く。どうやら魔王城にいる全員に魔法でテレパシーを送ったようだ。

 状況を把握したケルとメリィは、すぐさま下に降りる階段を目指して走り始めた。私も数歩遅れて二人の後を追って走り始める。

「ケル!時は一刻を争うわ!今この城にいる戦力で頼りになるのはおじい様とジーク殿とケロスだけよ!先ほどの攻撃で城内に敵が侵入したかもしれない。城内の敵は私が対応するから、あなたは先に窓を破って外に出て敵を迎撃してちょうだい」

「わかった!ケロスと交代する!」

 廊下を駆け抜けて城の正面側まで来たところで、ケルは一度立ち止まって人格を交代した。黒い毛並みからみるみる紫色の毛並みへと変わっていく。ついに最後の人格者である『狂気のケロス』と初めての対面だ。

「よっしゃ!久々に暴れられるぜ!それじゃあオレは窓をぶち破って参戦するぜ!」

 目をギラギラさせたケロスは、軽く助走をつけるため壁際まで下がる。ふと視界の端に私を捉えると、ケロスは鋭い八重歯を見せてニッと笑った。

「おいねーちゃん!あんたは大人しく自分の部屋にでも立てこもってな。外も中も戦場になるからなぁ。緊急事態だからねーちゃんを守るのにも手が回らないと思うし」

 ケロスはそこまで言うと、助走をつけて一気に窓を蹴破った。そして空中で一回転をすると、獣化して地上へと急降下していった。

 割れた窓からは外の激しい戦闘音が聞こえてくる。私はこの間見た戦場の光景を思い出すと、恐怖で体を強張らせた。その恐怖は人から害される恐怖ももちろんあるが、見知った人が傷つくことへの恐怖もあった。

「ケロスの言う通り、あなたは自室にでも退避してなさい。まぁ私は、仮にあなたが殺されても全然構わないけど」

 メリィは余計な一言を付け加えると、私を置いて敵の掃討へと走っていった。

 私は窓に近づくと外の状況を窺った。おじいちゃんの言う通り、外ではそれなりの規模の魔族が暴れていた。見たところ機械系やスライム系の魔族が多かったが、他にも悪魔や獣人の姿もある。おじいちゃんの魔法やジークフリートの剣技、そして今加勢したケロスによって外は大乱戦になっていた。お城に詰めていた他の兵は城の入り口を固めているようだ。

 何故同じ魔族が魔王の城を攻め込んでいるのか事情は全く分からなかったが、わざわざ魔王がいないこのタイミングを狙って攻め込んできたところを見ると、誰かが予め計画を企てたとしか思えなかった。

 私は迷った末、ケロスやメリィに言われた通り自室へと立て籠もることにするのだった。




 自室へと避難してから三十分ほど経った頃、私は時折体に感じる振動に怯えながら今の状況について考えを巡らせていた。

(何で同じ魔族が魔族の王である魔王の城を襲っているんだろう。ケルベロスから聞いた話だと、魔界では昔領域争いで魔族同士戦争をしていたっていうけど、でもそれは先代魔王の時代の話だし。今はもう魔界は統一されて魔族同士で戦争なんてしていないよね。それに人間との戦争でそれどころじゃないはず……っ!?まさか、だから今攻め込まれてるのかな!?人間との戦争に意識が逸れている今だからこそ、同じ魔族に警戒心など抱くはずがない!)

 私は頭の中で得た仮説にうんうん頷く。

「でも、どうして同じ魔族が…。城にいるみんなに聞くと、魔王は根は優しい良い王様だって評判なのに。実は魔界全体では認められていないのかな。……フェンリスが、人間と魔族のハーフだから?」

 私は月が美しい夜、人間の彼に出会った時のことを思い出した。あの日だけは、全員に外出禁止令を出して誰とも顔を合わそうとしなかったフェンリス。もしかしたら彼自身、自分が魔族のみんなに受け入れられていないことを知っていたのかもしれない。だからこそ、人間に戻ってしまう日は仲間でさえも遠ざけていたのだろう。もし受け入れられていれば、わざわざ外出禁止にする必要もないはずだ。

(魔族も一枚岩じゃない。魔王派と、反魔王派に分かれてるんだ)

 大体状況が呑み込めてきたところで、一際大きな振動が私を襲った。ベッドに座っていた私は、嫌な予感がして慌てて部屋を飛び出した。



 全速力で外を目指していた私は、一階へと降りる階段にさしかかったところで急ブレーキをかけた。階段の手すりからそっと顔を出して一階を覗き込むと、メリィが大勢の魔族に囲まれながら一人で戦っていた。周りにはやられてしまった顔見知りの魔族が倒れている。どうやら味方が全員やられ、もうメリィ一人で敵と戦っているようだ。

「さすがはアサシンドール。我々の攻めを受けてもまだ壊れないとは。だが、それもそろそろ限界か」

 黒いローブに身を包んだ悪魔の羽を持った魔族がケタケタと笑う。機械の魔族や大きなスライムの魔族が間合いを測りつつメリィを追い詰める。

 メリィはメイド服のあちこちがボロボロで、手に持ったデッキブラシも柄が少し折れていた。足や手の一部も斬られて欠損しており、中の管が剥き出しになっている部分がある。よく見ると城の床や壁が大きく抉れたり粉砕されており、敵がかなり強力な攻撃をしてくることが窺えた。

「私の限界を勝手に決めつけないでくれる。あなたたちを殲滅するまで私は戦い続ける。たとえこの身がバラバラに砕かれようとも、魔王様のため、敵を貫き殺す!」

 メリィはその場でバク宙をするように上へ飛び上がると、空中で無数のワイヤーのようなものを体から吐き出した。ワイヤーはメリィの意志で自由自在に動き、宣言通り敵を貫いていく。

「すごい!時々貫くとは聞いてたけど、こういうことだったんだ!」

 私は度々耳にしたことがある貫く発言の意味をようやく理解した。

「馬鹿の一つ覚えだなアサシンドール。お前のその攻撃はもう我々には効かん」

 悪魔の魔族はメリィをせせら笑う。

 メリィのワイヤーはスライム系の魔族を貫いていたが、さしてダメージは与えられていないように見える。一番数多くいる機械系の魔族も、盾で防がれて本体の装甲までワイヤーは届いていなかった。相手の陣形を見る限り、メリィのワイヤー攻撃が効く魔族はスライムを盾にして攻撃を防いでいるようだ。

「ならば、直接叩き込むまでよ」

 メリィは着地するとデッキブラシを構え直して一番近い機械の魔族に殴りかかる。当然敵は盾で防いできたが、その隙を狙ってメリィは体からワイヤーを出して装甲のつなぎ目を狙って攻撃する。つなぎ目を破壊された機械の魔族は、ドリルになっていた片腕をそのまま失った。

「くっ!往生際の悪い人形め!お望み通りバラバラにしてやろう!」

 悪魔の魔族の号令により、一斉に機械の魔族たちがメリィに襲い掛かった。一体は胸からレーザービームを発射し、別の者は巨大な鉄球を振り上げた。メリィの真後ろに回り込んだ者は体を回転させながら両手の剣を振り回して細切れにしようと近づく。少し離れたところでは弓矢を引き絞る魔族もいた。逃げ場がないよう大きなスライムたちが周りを取り囲み、指示を出している悪魔は安全なスライムの影に隠れている。

(い、いくらなんでもメリィ一人相手にこれは酷すぎる!メリィもなかなか強いみたいだけど、さすがにあれ全部を凌ぎ切るなんて無理だよ!このままじゃメリィがやられちゃう!何とかしないと…!)

 開け放たれた扉から玄関に通じる廊下を見たが、味方が現れる気配はなかった。

 私は覚悟を決めると、音をたてないよう注意しながら素早く階段の踊り場へと向かった。その間にもメリィは魔族たちの猛攻を何とか紙一重で防いでいる。

(よし、集中して。おじいちゃんに見せてもらった魔法を頭の中でイメージする。そして今まで培ってきたゲームや漫画の知識を生かして妄想を膨らませる…。悪い敵キャラを一網打尽にする強い魔法を…!私なら、できる…!!)

 悪魔の魔族が階段の踊り場で全身から青白い光を発する私にいち早く気づいたが、攻めに転じる前に私の準備は整っていた。カッと目を見開くと、私は大広間にいる魔族たちに妄想を解き放った。

『氷塊よ、穿て!!』

 私の周囲の空間から無数の巨大な氷塊が出現すると、予め私が敵と認識していた魔族たち目がけて鋭利な氷はものすごいスピードで飛んでいった。氷塊は全員にもれなく命中し、悪魔や機械の魔族は氷に貫かれ、スライムは氷漬けで動けなくなった。

「クソッ!おのれ星の戦士か!あともう少しというところで邪魔をしおって!不意打ちとは卑怯な!」

 口から血を吐きながら吠える悪魔に、私は負けじと怒鳴り返す。

「どの口が卑怯とかほざいてんのよ!女の子一人相手によってたかって嬲ろうとしてたくせに!言っておくけど、今更謝ったって遅いんだからね!居候させてもらってる身だから、私は魔王たちの味方をする!悪いけど無力化させてもらうよ」

 私は再び意識を集中すると、頭の中で魔法のイメージを膨らませる。また全身から青白い光を発する私を見て、敵の魔族は逃げようともがいた。しかし体の一部が地面に氷漬けにされているため身動きが取れない。私は右手を天高く上げると、本日二度目の妄想を解き放つ。

『雷よ、駆け抜けろ!!』

 私の声に呼応し魔族の頭上が光ったかと思ったら、一瞬のうちに雷が魔族の全身を駆け抜け黒こげにした。機械の魔族はショートしたのか、白い煙を出して動かなくなった。

「エヘヘ。氷と雷の相性は最高ね!」

 私は無事大広間の敵を制圧し、ほっとしながらメリィの傍に駆け寄った。メリィは最後の敵の猛攻を受け、左腕が切断されて無くなっていた。肩の辺りもレーザービームを受けて焼け焦げ、全体的にかなり損傷が激しい。

「メリィ、ひどい怪我…。ごめん、私がもう少し早く力を発動できればよかったんだけど。発動するまでに時間がかかる能力で…」

 申し訳なさからメリィを直視できない私は、頭を垂れて小さく呟いた。

「……何故、助けたあなたが謝ってるの?いや、そもそも何故私を助けた?先ほどあれだけ私に対して怒っていたのに、助ける義理などあなたにはないでしょう。むしろ私がやられた方があなたには都合が良かったんじゃないかしら。それとも、私に恩を売って何か見返りを受けるつもり?」

 大怪我をしつつも淡々といつもの調子で話す彼女に、かえって私は安心してしまった。随分と失礼なことを言われた気がするが、もうこの際気にしないことにした。

「それだけ憎まれ口が叩けるなら大丈夫だね。……確かにさっき喧嘩したけど、それとこれとは話が違うでしょ。一緒にこのお城に住む仲間が襲われていたら助けるに決まってるじゃない。メリィはこだわっているみたいだけど、私の中では人間も魔族も関係ない。一緒に過ごしてる人が傷つけられてたら、助けて当然!守って当然!だよ」

 今度はちゃんとメリィの目を見て私は言った。

 暗殺人形である彼女は表情が乏しく、しばらく押し黙り何を考えているのか分からなかったが、やがて不愛想ながら礼の言葉を口にしてくれた。

「助けられたのは事実だから一応礼を言っておくわ。ありがとう。…本当はとても不本意だけれど」

「ちょっと!一言多い!ただ素直にありがとうの一言でいいのに!」

「人間に助けられる日がくるとは、一生の不覚だわ」

 メリィは私から視線を外しそっぽを向く。



 人間だからと差別しブツブツ言ってくるメリィに、私がその度ギャーギャー言い返していると、玄関に通じる廊下から無数の足音が聞こえてきた。

 私とメリィはすぐに口をつぐむと、警戒して戦闘態勢を取る。そして軽い足音を響かせて最初に現れたのは、全身血まみれのケロスだった。

「お~い!外は無事に片付いたぞ~!そっちは大丈夫か~?」

「ケ、ケロス!?こっちは大丈夫だけど、むしろケロスが大丈夫!?あちこち血まみれじゃない!」

 合流したケロスの血を私はハンカチで拭ってやる。

 ケロスの後からおじいちゃんとジークフリート、他の城勤めの兵士たちも大広間にやってきた。皆あちこち負傷しており、今回の戦闘でかなりの被害を受けたようだ。

「だ~いじょうぶだって!これほとんど返り血だから。オレ自身はそんな怪我してないよ。それより、オレたっくさん敵をぶっ倒したんだぜ!オレの働きのおかげで今回城が守られたと言っても過言ではない!」

 腰に手を当て胸を張るケロスに、私は引きつった笑みを浮かべる。

「そ、そりゃあこんだけ返り血を浴びてるならさぞ大活躍だったでしょうね」

 ケロスの無邪気な笑顔とあっという間に血に染まったハンカチを見比べて私は内心恐怖した。

(通り名に違わぬ戦いっぷり。さすが狂気のケロス…。三人の中でも戦闘に特化していると言うだけあるね。機嫌を損ねると手がつけられないってケルベロスが言ってたし、注意しないと……ん?)

 刺さるような視線を感じ、その時初めてずっとケロスが私を睨みつけていることに気が付いた。先ほどまで無邪気な笑顔を浮かべていたのに、いつの間にかかなりご機嫌斜めになっている。

「どど、どうしたのケロス?何だか機嫌が悪いというか~、怒ってる?」

 動揺して話し方がぎこちなくなる私を、ケロスは更に睨みつけてくる。

「…どうしてケル坊の時はすぐに褒めて頭撫でたりすんのに、オレの時は何もナシなんだよ!不公平だろ!オレの方が活躍してんのに!」

 喉の奥で低い唸り声を上げるケロスに、私は目をパチクリさせる。血に濡れた髪の毛をハンカチで拭いてあげてから、遠慮がちに頭を撫でてあげるとケロスの機嫌はまたたく間に元に戻った。

(…あれ、意外に単純なのかもしれない。ちょっと凶暴だけど、根はケルちゃんと同じで良い子なのかも。褒められたいお年頃なのかな)

 恐怖が和らぎ子供らしい一面に苦笑していると、メリィから報告を受けたおじいちゃんが近寄ってきた。

「すまないのうお嬢ちゃん。儂ら魔族のごたごたに巻き込んでしまって」

「ううん、私なら大丈夫。おじいちゃんが見せてくれた魔法のおかげでメリィも助けることができたし。一応加減したから殺してはいないと思うんだけど。ごめんね、同じ魔族なのに攻撃しちゃって」

「フォッフォッ、お嬢ちゃんが気にすることはないわい。こやつらは同じ魔族でも魔王様の敵じゃからの。即ち儂らの敵じゃ。手加減なんぞ必要ない」

 おじいちゃんは何やら呪文を唱えると、魔法で大広間にいた敵全てを拘束し、そのまま全員をどこかに消してしまった。ケロスに聞くと、拘束した敵は全員特殊な空間に集めているのだという。

「それにしても、一体何でこんなことに?絶対今日襲ってきた奴ら、魔王がいないことを見越して攻めてきたでしょ。計画的犯行だよね」

 私は自室で思い至った仮説を思い出す。おじいちゃんが先ほどした発言から、やはり今日攻めてきた魔族たちは魔王の敵のようだ。魔王軍は今、内部分裂をしている。

「こんな騒ぎになっては隠し通せんか。お嬢ちゃんの言う通り、今回の襲撃は反魔王派の計画的犯行じゃろう。…実は随分前からきな臭い動きはあったから警戒はしていたんじゃが、直接武力に訴えてきたのは今回が初めてじゃな」

 私以外は反魔王派がいることはもちろん知っていたようで、驚くものは誰もいない。私もある程度は予想していたのですんなりと受け止めることができた。

「私、自室に避難している間に考えてたんだけど、魔王軍は今魔王を支持する者と支持しない者で分かれてるんだよね。ずっと目立った動きはなかったけど、人間との戦いが激化してきた今、魔王は人間との戦争で意識が内部ではなく外部に向くようになった。そこで反魔王派は、人間との戦争に気を取られてる内に魔王派の戦力低下を狙って襲撃してきた。魔王がいたら勝ち目はないから、魔王が領域視察で不在の今日を狙って作戦を決行した。…どう?私の仮説合ってるかな」

 ジークフリートを筆頭に、城の兵士からおぉという声が上がる。どうやら私の考えは当たっていたようだ。

「ねーちゃんて、実は頭良かったんだな。すっげー意外」

「ちょっとケロス!さりげなくヒドイこと言ってるよ!」

「いいえ、私もケロスに激しく同意するわ」

「いや、同意しないでいいから!見直したって言って!」

 ケロスとメリィに抗議する私を横目に、ジークフリートはおじいちゃんに問いかける。

「まだ魔王様と参謀殿が戻るまで時間がかかる。第二陣に備えて急ぎ準備をしなければ。俺とおじい殿やケロスはまだ戦えるが、他の者はかなり負傷している。何か作戦を立てなければ防ぎきれないのでは」

「フム。城の一階部分も派手に壊されておるしのう。これ以上壊されたら修復するのも面倒じゃ。仕方ない、少し手間じゃが結界を対魔族用に張り替えるかのう。この残された戦力じゃ、そもそも敵を中に入れない方が楽じゃろうて」

 疲れるのう、とぼやきながらまたおじいちゃんは外へと出て行った。

 ジークフリートは動ける兵たちに怪我人の手当てを指示すると、通行の妨げとなる瓦礫の撤去に取り掛かった。

「じっちゃんの魔力はえげつないなぁ。さっきあれだけバンバン魔法をぶっ放してたのに結界の張り直しって。かなり魔力消費するはずなのに、化けもんかよ」

「ケロス!口が悪いわよ。ほら、あなたも瓦礫の撤去を手伝いなさい。いつまた襲撃されるか分からないのだから。万全の準備を整えておかなければ」

「オレパ~ス!面倒な事はケル坊に任せるわ。つか、じっちゃんが結界張り直すならもう大丈夫だろ」

 ケロスは首根っこを捕まえようと右手を伸ばしてきたメリィをひらりと躱すと、そのままケルと交代した。毛並みが紫から黒に変わり、人懐っこい笑みを浮かべたケルに戻った。

 ケルは自分の身体を見回すと、血でべとべとになった服や毛並みを嫌がり尻尾や体をブンブン振り回す。よほど気持ちが悪いのか、やだやだと駄々をこねてケルは騒ぎ始める。

「あ~もう。だからケルに戻らないよう用事を言いつけたのに。ケロスめ、今度会ったらお仕置きが必要ね」

 そう言うと、メリィは目に殺気を込めて微かに微笑んだ。

「しょうがない。手が空いているならケルを綺麗にしてあげてちょうだい。ケロスからケルに戻ると、大抵この癇癪を起すのよ。ほぼほぼケロスは返り血を浴びていつもあの状態になるから」

 私は半泣き状態のケルを見て納得する。

「まぁ、あんな血まみれの状態で交代させられたらたまったもんじゃないよね」

 私はメリィの頼みを快く引き受けると、ケルちゃんの手を引いて大浴場へと向かうのだった。




 魔王城襲撃事件から三日後。城はいつもの落ち着きを取り戻していた。

 あの後結局敵の襲撃はなく、日が落ちた頃魔王とクロロは城に戻ってきた。破壊された城の一部はおじいちゃんの魔法で元通りになり、負傷した兵たちもジャックの手当てで快方に向かっている。残念ながら手遅れだった兵も数人いたが、昨日無事魔界式の埋葬が済んだそうだ。種族によって埋葬方法や私の世界でいうお葬式方法が違うらしく、私は人間でもあるため立ち会うことはできなかった。せめて安らかに眠れるようにと、同じ時間に部屋で黙祷だけは捧げた。

 そして今日はこの間できなかった庭園の草むしりを朝からせっせとこなしていた。あの日以来城内は少しピリついており、なんとなく居心地が悪い。気軽におじいちゃんやジークフリートと世間話する空気でもなく、何かみんなのためにできることをしなければと思ったのだ。

「うぅ~。窓拭きもそうだったけど、庭園も広くてきりがない!むしってもむしっても終わら~ん!」

 私は万歳してお手上げポーズを取る。ケルも困ったように笑った。

「手作業じゃ時間かかるよね。前は小っちゃな草刈機があったんだけど、それもキュリオが調子に乗って刈りすぎちゃったことがあって、それ以来使用禁止になっちゃったんだ」

「ちょっと、ホント余計な事しかしないなキュリオは。問題児すぎでしょ。わんぱくが過ぎるよ」

 仮にも王子なのだからもっとしっかりしてほしい、と私は切に願った。

 終わりなき草むしりの戦いを続けていると、廊下から聞き慣れた女性の声が聞こえてきた。

「えり、ケル!草むしりは順調?」

 振り返ると、いつものメイド服に身を包んだメリィがデッキブラシ片手に立っていた。三日前にかなりの損傷を受けていたはずだが、今はもうすっかり元通りのようだ。

「メリィ!良かった!左腕ちゃんと治ったんだね!」

 私は草むしりを切り上げて彼女に駆け寄る。

 あの日以来心境の変化があったのか、キツイ言葉と不愛想なのは変わらないが、メリィは一応私を名前で呼んでくれるようになった。些細な変化だが、少しだけ心を開いてくれたようで嬉しかった。

「腕を切断されるぐらいなんてことないわ。あなたみたいなか弱い人間と一緒にしないでくれる」

「も~、メリィはいつも一言多い~。そこは心配してくれてありがとうって言うんだよ」

「あなたが勝手に心配してるんでしょう。私は頼んだ覚えはないわ」

「も~!ツンの割合多すぎメリィ!もう少しデレ増やして!」

 私とメリィの会話をケルは楽しそうに聞いている。

 差別的発言はそのままだが、私に言い返すメリィの言葉にはもう冷たい悪意は込められていなかった。最近ふと思ったのだが、もしかしたらメリィは血の通わぬ人形だから、人間を羨ましく思って差別的発言をするのかもしれない。確信はないが、その可能性は十分あると思う。

「でもメリィと友達になれて良かった!たまには女同士で話したいもんね」

「全然。私は興味ないわ。それにあなたと友達になった覚えもない」

 バッサリ切ってくるメリィに私は構わず話し続けた。彼女と会話して学習したことは、素直に言葉を受け取って反応していたらキリがないということだ。漫画でよくあるツンデレキャラで、メリィは九割ツンだからだ。

「実はずっと前からメリィの恋バナを聞きたかったんだよね!相手が魔王だからすごい興味があって」

「……恋花?何それ」

「あれ、知らない?恋バナと言えば恋の話だよ~。メリィは魔王が好きなんでしょ。どこが好きなのか、きっかけは何だったのか色々教えてよ~」

 メリィに言い寄ると、彼女は珍しく動揺したようで顔に赤みがさしていた。メリィはデッキブラシをデタラメに振り回すと私を遠くへと追い払う。

「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに~。女子と言えば恋バナだよ!私は専ら二次元専門だけどね!」

「わ、訳の分からないことを言っていないで草むしりをしなさい!」

 私は照れてその場から逃げようとするメリィを逃すまいと、しばらく女同士の戦いを繰り広げるのだった。



 時を同じくして、魔王城の会議室では魔王、参謀、老魔法使いの三人が顔を突き合わせていた。皆一様に険しい顔つきをしている。話題はもちろん先日の城襲撃事件の話だった。

「被害は出たが、とにかく最悪の事態は免れたな。恐らく敵の目的は魔王城の無力化だろう」

「でしょうね。代々の魔王が魔石に込めたエネルギーを動力源としてこの城は飛んでいますからね。それを破壊されたらいくらおじいさんの膨大な魔力を持ってしても、一人で城を維持するのは無理ですからね」

 老魔法使いは笑いながら髭を一撫ですると、大げさに肩を杖で叩いて見せた。

「動力源を破壊されていないにしても、今回はかなり骨が折れたのう。結界を対人間用ではなく魔族用に張り直したり、あちこち破壊された城を魔法で直したりと引っ張りだこじゃった。さぞかしこれから儂にはすごい褒美が待っているんじゃろうなぁ。あ~、肩が凝ったわい」

「おい、わざとらしすぎるぞじい。言っておくが、これからじいはどんどんこき使うつもりだから覚悟しておけよ。敵がいよいよ動くのなら、この間のような予期せぬ襲撃は増えるからな」

 盛大なため息をつく老魔法使いに、仕方なく参謀は肩揉みを買って出る。ローブ越しに揉む肩は、案の定全然凝っていなかった。

「しかし、えりさんが敵を撃退してくれて助かりましたね。メリィはかなりの損傷でした。えりさんが助けに入らなければメリィは長期離脱するところでしたよ」

「フォッフォッフォ。儂が教えた魔法で撃退したんじゃぞ。明確な能力は分からんが、お嬢ちゃんはなかなか筋がいい。いや、それとも儂の教え方が良かったのかもしれんの~」

 自分自慢を始める老魔法使いを無視し、魔王はクロロに報告を求めた。

「それで、捕らえた奴とクロウリーへの尋問はどうだった」

「予想した通り、たいした情報は得られませんでした。捕らえた者たちは白を切るばかりで。許しを請って白状しようとした者はもれなく情報を漏らす前に死にました。予め魔法をかけられていたのでしょうね」

 肩揉みを終えると、クロロはうんざりした表情でため息をついた。魔王も予想通りの結果で苛立たし気に舌打ちをした。

「魔力の断片を読み取れば誰がかけた魔法か分かるじゃろう。まぁ、わざわざ調べんでもクロウリーしかおらんじゃろうが。クロウリーは何てとぼけてたんじゃ。自分の管轄する領域内の者や眷属たちがこぞって反乱を起こしたんじゃ。普通のとぼけかたじゃ言い逃れできんじゃろう」

 老魔法使いは念話を使って尋問を行ったクロロに問いただす。七天魔の一人、『禁魔機士クロウリー』は異常気象地帯の領域を治める者だ。そこには機械系やスライム系などの魔族が住んでいる。今回城を襲撃した魔族たちもそこに住んでいた者たちだ。そのためクロロは事情説明を求めてクロウリーに登城するよう要請したのだが、彼はその求めに応じず今回は念話『テレパシー』での尋問を行ったのだ。

「あくまで自分は無関係だと。そもそもその時人間の軍と交戦中で、それどころではなかったと説明されました。確かにクロウリーの軍は前日から『神の子』と『アレキミルドレア国の王』と交戦しています。本隊は神の子と、あとレオンの軍の補佐として別動隊を出しています。反乱を企てたのは行軍に参加しなかった者たちで、自分は何も知らなかったととぼけられました。監督不行き届きの罰ならば取るとのことです」

「いよいよ言い訳が白々しくなってきたな。同じジジイでもじいの方が百倍マシだ」

 魔王は悪気なく言ったが、老魔法使いは少しムッとしたようだった。

「いくらなんでも奴と同じ括りにされるのは心外じゃなぁ。儂は奴と違ってイケメンで紳士なジジイじゃからのう。…それで、罰として謹慎にでもするのか」

 問われた魔王はすぐさま首を横に振る。

「いや。今更奴の動きを制限してもどうせ魔法で好き勝手されるだろう。奴の魔法はじいに劣るにしても、禁術に関してはだけはじいの上を行くからな。……登城にも応じず真面目に弁明してこないところをみると、仕掛ける準備はほぼほぼ整っているということか」

 魔王は一度目を閉じ、静かに己の中で覚悟を決める。

「ならば、こちらも大きく動くか。どう転ぶかはアイツ次第だが、向こうに対抗する手段はそれしかあるまい」

 魔王の決心に、参謀と老魔法使いは同時に頷く。魔王軍内に生じる不協和音は、これから多くの者を巻き込み響き渡ろうとしていた―――。


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