第一幕・第九話 散歩という名のデート
魔王城の地下にある書庫室には、魔界と人間界から集められた様々な書物が所蔵されている。難しい魔法書の類から歴史書、辞典、各分野の専門書、童話や料理本まで何でも揃っている。
今日は日頃の読み書き特訓の成果を試すため、ケルと共に簡単な読み物の音読をしていた。二人でお行儀よく隣同士で座り、今は人間界でメジャーな吸血鬼の童話を読んでいる。
「吸血鬼は背後からミリアの口を塞ぐと、大きな口を開けて彼女の首元に噛みついた。…うわぁ!ついに主人公が血を吸われる~!これちゃんと最後はハッピーエンドなんでしょうねぇ。バットエンドは認めないよ私は」
児童書相手に大騒ぎしている私に、ケルはくすくす笑っている。
そもそもこの本は小さい子向けの本なので、大の大人が声を上げて興奮していればそれは温かい目で笑いたくもなるだろう。
「大丈夫だよお姉ちゃん。人間界の本だから、ちゃんと人間向けのハッピーエンドになってるよ」
「人間向けのハッピーエンド?」
「魔族的にはハッピーエンドじゃないから。まぁ、読んでみて」
ケルに促されて先を読み進めていくと、その後聖騎士という男が現れ、主人公は少し血を吸われた程度で助かった。何人もの女性の血を吸い尽くして命を奪った吸血鬼は、最終的に聖騎士に討伐され、主人公のミリアは聖騎士と結婚して幸せになったと締めくくられていた。
「なるほど。人間視点では聖騎士と結ばれ幸せになったけど、魔族視点だと人間に殺されて終わっちゃうわけね」
「人間界の本だから仕方ないけどね。キュリオが言うにはその童話実話が元になっているらしいよ。まだ魔界で領域争いをしている時代に、臆病者の吸血鬼がホールスポットを通って人間界に迷い込んだんだって。それで人間の街に行ってたくさんの若い女性を見て、襲って血をたくさん飲んだらこんな自分でもすごく強くなれるだろうって思ったらしい」
「じゃあ、この連続吸血鬼事件て本当にあったんだ!でも、今の話聞いちゃうとその吸血鬼には同情できないね。何の罪もない女性を殺してたんだから」
人間が考えた作り話だと思い、最後の結末で人間に殺されてしまう魔族を哀れに思ったのだが、実際は同情の余地もない酷い魔族だった。
この城に住むようになってからというもの、根は親切で優しい魔族とばかり接しているため、私の頭の中では魔族善人説が出来上がっていた。しかし、人間にも悪人がいるように、魔族にも危険で凶暴な者がいるのを忘れてはならない。
「そうだね。キュリオも吸血鬼界の恥さらしだって怒ってた。この童話では聖騎士が討伐したところで終わってるけど、実はその話には続きがあるんだ。魔界から迎えに来た吸血鬼の王、つまりはキュリオのお父さんなんだけど、聖騎士に瀕死の重傷を負わされたその吸血鬼の話を聞いた後、怒り狂って彼の頭を蹴り潰しちゃったんだって!」
「け、蹴り潰したぁ!?自分でトドメを刺しちゃったってこと!?迎えに来たんじゃないの?」
予想外の展開に素っ頓狂な声を出す。仲間の頭を蹴り潰すとは、ドラキュリオの父親はなかなか過激な人物のようだ。
「吸血鬼は魔族の中でも誇り高い種族だから、人間に無様にやられた者をそのまま生かしておけなかったんじゃないかな。他種族に知られたらとんだ笑いものだからね」
「だからってそんな殺すこと…。しかも蹴り潰すって、どんな威力の蹴りよ」
「吸血鬼一族はコウモリを使役して戦ったりもするけど、専門は体術だからね。空を飛んで空中から繰り出される蹴りなんかすごい破壊力だよ!」
軽く地面も粉砕するんだ~、とサラッと物騒なことを口にするケルに、私はただただ引きつった笑みを返す。
「それに、誇り高いだけじゃなくて弱者に優しい一族なんだよ。本来なら血を吸っても失血死させるようなことはしないし。由緒正しき強い一族だからこそ、弱き者を守る義務があるって考えを持つ種族だから。…だから王として、弱い人間を何人も殺したことがまず許せなかったんだと思う」
「なるほどね~。そう聞くと根はすごい良い一族なんだね、…血は吸うけど」
私は本を閉じると、右手に積んである読み終わった本の山に加える。
「ねぇねぇ、お姉ちゃんの世界にはどんなお話があるの?」
私の服を引っ張ってケルが興味津々で訊いてくる。私は顎に人差し指を立てると、思いつく限り作品名を列挙してみた。
「う~んとね~、代表的なのは桃太郎でしょ、あと金太郎、浦島太郎…」
「…ナントカタロウ多くない?みんな家族なの?」
知らない者からしたら最もな質問だろう。私は思わず笑ってそれを否定すると、それぞれの物語を大まかに説明してあげる。初めて聞く異世界の物語に、ケルは目をキラキラさせながら聞き入った。
「へぇ~!面白い面白い!お姉ちゃん他には!もっと聞きたい!」
「他には~、竹取物語とか一寸法師とか、女の子向けだったら白雪姫とかシンデレラもあるけど」
「む~、よく分からないけど全部聞きたい!」
椅子に座りながらケルは尻尾をパタパタさせる。
私は彼にせがまれるまま、次々と自分の知っている物語を語り聞かせた。
私とケルが童話トークで盛り上がっていると、書庫室の扉が開いて一人の人物が顔を覗かせた。
「フォッフォッフォ。ずいぶんと楽しそうじゃのう」
「あ、おじいちゃん!珍しいね、お城の中で会うなんて」
私は地面から少しだけ体を浮かして移動しているおじいちゃんに声をかけた。
普段移動しているところをあまり目にしたことがなかったが、もう高齢だからか浮遊魔法を使って移動しているようだ。
「フォッフォッ。儂だっていつもあそこで釣りをしているわけではないからのう。たまには散歩くらいするわい」
おじいちゃんはそのまま私たちの前を通り過ぎると、一つの本棚の前で止まった。そして懐から一冊の本を取り出すと、本棚の上段に開いている一冊分の隙間に魔法を使って押し込んだ。どうやら散歩ついでに本の返却に来たらしい。
「さてと、次はこの本じゃな」
おじいちゃんは今返却した本の隣にある本を魔法で引き抜くと、そのままそれを懐に入れた。
「もしかしておじいちゃん、この書庫にある本を順番ずつ読んでたりする?」
「よくわかったのう。と言っても、もうこの書庫にある本は全部読破済みなんじゃ」
「えぇ!?ここにある本全部!?」
書庫には軽く見積もっても一万冊以上収蔵されているだろう。それ全てに目を通しているとはかなりの読書家だ。
「かれこれ三百年以上生きておるからのう。暇つぶしに読んでてもあっという間じゃよ。この年になるとな、一日に一回は生きるのに飽きたと思うもんじゃ。だから読書は手頃な暇つぶしによくてのう。順番に読んでいって、忘れたころにまた読むんじゃ」
「さ、三百年…。ダメだ、私には想像もつかない境地だわ」
想像を遥かに超えて長生きしているおじいちゃんに、自分では絶対に考えられないと目をつむった。
「それで二人は何を盛り上がってたんじゃ」
「お姉ちゃんにね、たくさん異世界の物語を教えてもらってたんだ!」
ケルはたった今聞いたばかりの物語を嬉しそうにおじいちゃんに話す。傍から見ているとおじいちゃんと孫のように見える。
おじいちゃんはケルの頭を撫でながら、ふと目についた机の上の本を指さした。
「それは初心者用の魔法書じゃな。お嬢ちゃんが読むのか?」
まだ読んでない本の山には、おじいちゃんの指摘通り赤い革表紙の魔法書が置いてある。私が興味本位で選んだ本で、読んで魔法が使えるようになったらいいなと思って手に取ったものだ。
「魔力を持たない人間では、いくら魔法書を読んでも魔法は使えんよ」
「………どうしても?」
「フム。そもそも人間は体内で魔力を生成できんからのう。いくら術式を覚えようとも打ち出すエネルギーがないんじゃ。異世界の人間であるお嬢ちゃんも、残念ながらこの世界の人間と同じで魔力を持ってないみたいじゃからな」
最初からあまり期待はしていなかったが、そう簡単に魔法が使えるような上手い手は転がっていない。
私は魔法書を手に取るとむくれた表情で本を開く。中には各属性の初級魔法が書かれているようだった。
諦めきれずに本を睨みつけていると、ふいに良い考えが頭をよぎった。
(そうだ!おじいちゃんに魔法をやって見せてもらえばいいんだ!そうすればいざって時に妄想で魔法を現実化させて戦える!一回見せてもらっただけでちゃんと妄想できるかが不安だけど、見ておくことに越したことはないよね)
私はパタンッと本を閉じると、思い切っておじいちゃんに頼み込む。
「おじいちゃん!私に魔法を見せてほしいんだけど!この本に書いてあるやつでいいから」
急に懇願してきた私におじいちゃんは面食らった様子だ。
「どうしたんじゃ急に。今説明した通り、魔法を使って見せてもお嬢ちゃんには無理じゃよ」
「ん~~~、それはわかってるんだけど~、興味があって、どうしても見てみたいの!」
未だ自分の能力について公言していない私は、苦し紛れの言い訳で食い下がる。
フードが邪魔でおじいちゃんの目は見えないが、私の心を見透かすようにジッと見つめているように感じた。その沈黙が怖くなり、やっぱりいいと私が断ろうとした矢先、おじいちゃんが条件を突き付けてきた。
「わかった。その代わりお嬢ちゃんに条件がある」
「じょ、条件…?」
私はごくんっと唾を飲み込み、次の言葉を待った。
「今日一日、儂の散歩に付き合ってくれるかの」
「……。さ、散歩?」
私は全身を一気に脱力させる。どんな無茶な条件を提示されるのかと身構えたが、まさかの散歩だった。
「そういうわけじゃからケル、ちょっとお嬢ちゃんを借りていくぞ。魔王様にもよろしく伝えておいてくれ」
「へ?ケルちゃんは置いてくの?」
私はおじいちゃんに手を上げて返事をするケルを見て言った。
ドラキュリオの時と違い、おじいちゃんは魔王に信用されているからケルがついていなくても大丈夫なのだと説明される。
「それに、今回はただの散歩じゃないからのう」
おじいちゃんの不穏な一言に、すぐさま私は反応した。
「ただの散歩じゃないって、危険なところにでも行くの?」
おじいちゃんは立派な白鬚を撫でながら含みを持たせて言う。
「そうじゃなぁ。一部危ない気もするし危なくない気もする。…なんての!儂が言いたいのはただの散歩じゃなくてデートじゃデート!デートに関係ない男を連れて行くわけないじゃろ。だからケルは留守番じゃ」
フォッフォッフォ、と楽しそうに笑うおじいちゃんに、ついつい私も頬を緩めて笑ってしまった。
私は本を綺麗に片付けた後、早速おじいちゃんの転移魔法で散歩へと繰り出した。
私とおじいちゃんがまず降り立った場所は、人間界にある見渡す限りの海の上だった。おじいちゃんが前もって私にも浮遊魔法をかけてくれていたため、転移した瞬間海の中へダイブすることはなかった。
「海の上で何にもないけど、もしかしてこのまま海の上を散歩するの?」
私の言葉に、おじいちゃんは声を立てて笑う。
「フォッフォッフォ。ちがうちがう。まずはお嬢ちゃんのお願い事を済ませようと思ってのう。散歩はそれからじゃ」
おじいちゃんは釣り竿兼杖を構えると、身の内に溜めた魔力を開放した。周りの海がおじいちゃんを中心に流れに逆らった波を引き起こす。
「さて、まずは火の魔法から順に行くかの」
おじいちゃんが杖を前方に振ると、呪文もなしに火の玉がいくつも飛び出した。小さい歓声を上げている間に、おじいちゃんは次々と魔法を打ち出す。風の刃、水の玉、氷の刃、石つぶて、稲妻など、休みなく次から次へと魔法が飛び出す。私は何とか吸収してそれを自分の妄想に生かそうと真剣に見つめた。
「ここまでがさっきの魔法書に書かれていた初心者向けの魔法じゃな。どうじゃ、お嬢ちゃんの能力の参考になりそうかの」
「うん!とっても参……っ!?」
おじいちゃんに問われ話の流れでつい口走ってしまったが、今更口を押えても後の祭りだった。
「フォッフォッフォ。そんな顔をせんでも、魔王様をはじめ、何人かの者は大体お嬢ちゃんの能力には当たりをつけ始めておる。だから、今更もう誰も能力を教えろとは言ってこんじゃろうから大丈夫じゃよ」
「………ずいぶん前から気づかれちゃってた?」
いざという時の切り札で隠しておいたのだが、最近では魔王に直接飛んでいるところも見られていたので内心まずいなとは思っていた。
「時折お嬢ちゃんの部屋に見知らぬ物が増えていると報告を受けていたから、魔王様はずいぶん前からどんな能力か絞っていたみたいじゃよ」
心当たりがありすぎて、私は胸に手を当て目を逸らした。
(メリィに頼んで用意してもらえたものは限られていたから、能力を使って化粧水とか乳液とかちょっとずつ増やしてたからなぁ。一応見つからないように隠してたんだけど、いつの間にかバレてたのね…)
「お嬢ちゃんの詳細な能力は知らんが、それでも今回魔法を使って見せたのは、お嬢ちゃんが能力を使って儂らを傷つけるようなことはしないと判断したからじゃ。今までのお嬢ちゃんを見てきて、人を傷つけるようなことはしない優しい子だと分かったからのう」
潮風に髭を揺らしながらおじいちゃんは更に続ける。
「これから近い内に魔族と人間との戦いに巻き込まれるかもしれん。その時に自分の身を守るのに少しでもお嬢ちゃんの助けになればと思ってな…。人質扱いしてるくせに何を言っとるんじゃと思うかもしれんが」
ローブの上から頭を掻くおじいちゃんに、私はブンブン首を振る。
「そんなことない!おじいちゃんのその気持ち、すごい嬉しいよ。おじいちゃんのおかげで、いざという時は私、今見せてもらった魔法で敵を蹴散らしちゃうから!」
私は人差し指を天に突き上げてニカッと笑う。
おじいちゃんはいつもの調子で笑うと、気分が乗ってきたのか、今日は特別じゃよ、と言って一通りの魔法を次々ぶっ放して見せてくれた。中にはすごい威力の魔法で地形さえ変わってしまうのではないかというものがあり、私は海の上でよかったと心の底から思った。
おじいちゃんの好意で見せてくれたこの魔法が、今後私のピンチを何度も救ってくれることになろうとは、この時の私はまだ知らなかった。
おじいちゃんの魔法レッスンが一段落した後、私は交換条件となっていたお散歩に付き合っていた。今は人間界にあるクロサ草原というところに来ている。
前回クロロと人間界に来た時もそうだったが、道中野良魔族に遭遇しても隣にいるおじいちゃんが強すぎるせいか、誰も襲ってくる素振りを見せない。むしろ大きく迂回して私たちを避けていく。魔法レッスンを受けた直後のため、おじいちゃんを見て逃げ出す魔族の気持ちが痛いほどよくわかった。
「ねぇおじいちゃん、なんかさっきからこの先から不吉な音が聞こえてくるんだけど。気のせいじゃなければ遠目に竜や飛空艇みたいなものも見えるし」
目の前はなだらかな上り坂で、この先の全容を見ることがまだできない。だが、耳に届く竜の咆哮と爆発音、そしてチラチラ視界に映る飛空艇らしき乗り物。今まで聞いた話から推測すると、この先では人間と魔族が戦っているのではないか。
「フム、気のせいじゃないのう。この先では七天魔の一人、サラマンダーが率いる軍と星の戦士、『フォード』が率いる空賊が戦闘中じゃ。今日の散歩は戦場を見て回るのが目的でのう」
「エッ!?初耳なんですけど!戦場を見て回るって、危険なんじゃ…」
私は戦争とは無縁な国で生きてきたが、ふと頭によぎったのは、まだ内戦が激しい中東諸国のことだった。ニュースの映像を通して内戦の凄まじさを何度も目にしたことがある。戦場ジャーナリストという職業もあるが、常に危険と隣り合わせで取材しているのだろう。戦場を見て回るということはそれと同じだと思った。
「大丈夫じゃよ。遠目から観察するだけじゃし、流れ弾が来ても儂の結界があるから安全じゃ」
そう言うと、おじいちゃんは一気に飛んで上り坂の頂上まで行ってしまう。私は耳に届く爆音や咆哮に気圧されながらも、上で待つおじいちゃんを追いかけた。
なだらかな坂の上まで来た私の目に飛び込んできたのは、無数の竜と何機もの飛空艇が繰り広げる激しい戦場だった。
竜は縦横無尽に空を駆け回り、飛空艇の砲撃を翻弄している。竜の上に人が乗っているが、おそらく同じ一族の者なのだろう。飛空艇に近づいた瞬間飛び移り、持っていた矛で次々と人間を攻撃している。そして囲まれぬ間に飛空艇から飛び降り竜化して飛び去った。無駄な動きのない実に効率的な戦い方だ。
対する人間側は、飛空艇に搭載した大砲や機関銃のようなもので竜を砲撃していた。竜の動きが素早く簡単に躱されてしまうが、あまり焦った様子はない。とりあえずどんどん撃ち出しており、数打ちゃ当たる戦法なのだろうか。
私が飛空艇に釘づけになっているのに気づき、おじいちゃんが今の戦況を解説してくれる。
「一見人間側が押されているように見えるじゃろうが、実はなかなか姑息でのう。人間側が撃っている大砲の弾には特別な細工がしてあってな、弾全部に星の戦士の能力、飛行付与が掛けられているんじゃ。飛行付与能力はそのものに飛行能力を付与するだけでなく、能力者自身が飛行操作もできる。だから当たらなくても空中に弾を残すことができ、その弾を障害物として空に置くことも、再利用してもう一度竜に向かって当てることもできる。人間側からしたら当たらなくても全然構わんということじゃ」
おじいちゃんの解説通り空中を見ると、複数の大砲の弾が落ちずに浮かんでいた。執拗に竜を追尾している弾もある。
「じゃあ大砲を撃てば撃つほど人間が有利じゃん。すごい煙上げてる飛空艇もあるけど、飛行付与能力のおかげでアレも絶対落ちないんでしょ?」
「そうじゃな。星の戦士の能力で絶対に墜落しないからのう。でも、墜落しないだけで乗れるかはまた別じゃ」
私が首を傾げていると、空から今までで一際大きな咆哮が響いた。慌てて空を見上げると、遥か上空で真っ赤な竜が翼を大きく広げて仰け反っていた。途端に人間側が騒がしくなり、煙を上げていた飛空艇から船員が大急ぎで脱出していく。
大きく息を吸っていた竜は口を一度引き結ぶと、前のめりになると同時に一気に口から炎を吹き出した。その火炎の咆哮はものすごい火力で、遠くにいる私たちにまで熱風が届いた。
射線に入っていた一部の飛空艇は竜が息を溜め込んでいた間に退避したが、煙を上げて制御不能になっていた飛空艇はあっという間に火だるまになってしまった。そのまま燃料に引火したのか、次々に爆発を起こしている。
「あんなに燃えてしまっては、たとえ墜落しなくてももう乗れんじゃろう。魔族側は如何に早く艇を制御不能にし、焼き払えるかで勝負しておる。大砲を撃ちだす飛空艇がなくなれば、あとはこっちのもんじゃからのう」
「な、なるほど…」
私は自分の世界とは違いすぎるスケールの戦いに、若干思考がついていかなくなってきている。
大爆発を起こした飛空艇は、そのまま下の草原へと墜落していった。使い物にならなくなった艇に能力を割くのはもったいないので能力を解除したようだ。よく見ると、下の草原には何機もの飛空艇の残骸が打ち捨てられていた。
「あの真っ赤な竜ってもしかして、七天魔のサラマンダーっていう人?」
「おぉ、よく知っておるのう。誰かから聞いておったか」
「前にジークから少し。でもこの人たちって二年以上戦い続けてるって聞いたけど、この調子で毎日二年間戦ってたの?」
戦いの喧騒にかき消されないように私は声を張り上げながら尋ねる。
「いやいや、毎日この騒ぎで戦ってたらお互いとても体力が持たないじゃろ。適度に休みながら数日おきにやってるんじゃよ。それに、空賊たちはどうか知らんが、竜人一族は吸血鬼一族と同じく誇り高い一族でな、こと戦闘に関してはかなりのプライドを持っておる。ただでさえ弱い人間と戦っているんじゃ、卑怯な不意打ちや疲れ切っているところを叩くなどはせんじゃろうな。正々堂々真正面から叩き潰すはずじゃ」
「ふ~ん。じゃあサラマンダーたちの方が合わせてくれてるんだ」
大砲の弾に被弾して叫び声を上げている竜を見て、私は顔をしかめる。今のところ戦況は五分五分のようだ。
「おそらくな。でなければ魔界でも一目置かれている竜人一族が、人間相手に二年もてこずるはずないじゃろ。……しかしのう、サラのやつはただ人間に合わせているだけではないのかもしれん」
突然深いため息をついたおじいちゃんは、戦場に背を向けて坂を下り始めた。私はもう一度だけ戦場を見上げて、その戦争の凄まじさを目に焼き付けてから後を追いかけた。
「合わせているだけじゃないって、どういうこと?」
おじいちゃんに追いついた私は先ほどの続きを促した。
「サラと空賊のリーダーであるフォードは相性が良すぎるのじゃ。どうやら二人とも戦闘狂でのう、この戦が楽しくて仕方がないようじゃな。だからやりすぎて戦争が終わってしまわないように、キリのいいところでお互い撤退している節がある」
「えぇ~!何それ~!?戦争は楽しむものじゃないんですけど~」
私もさっきのおじいちゃんのように困ったため息をついた。戦争で生き死にが出るのに、それでも楽しむという戦闘狂の気持ちは理解しがたい。
「戦闘狂の気持ちは戦闘狂にしか分からんよ。人間側もいつまでも進展しない戦況にしびれを切らし、時折助っ人の星の戦士が来るんじゃが、それでも絶妙にサラが追い詰めて毎回引かせておる。まだ戦闘狂が高じて戦いを長引かせているだけならいいのじゃが、別の理由で故意に戦争を長引かせていた場合、……かなりマズイことになるがの」
おじいちゃんが深刻そうに押し黙るので、私は途端に不安になる。しかし私には、おじいちゃんが言う別の理由というものがまるで分からなかった。
(別の理由って何だろう…。それに、おじいちゃんが言ってるのがサラマンダーだけに対して言ってるのか、フォードという人も含めて、二人して示し合わせて戦争を故意に長引かせているのがマズイって言ってるのか分からない。でも…、あのおじいちゃんがあんな深刻そうになるってことは、この戦争、そう単純なものじゃないのかもしれない)
おじいちゃんの最後の言葉が気になったが、私たちは次の戦場へと散歩を続けた。
空間転移して訪れた次なる場所は、辺り一面が竹林の静かな場所だった。まるでケルに先ほど話して聞かせた竹取物語の世界に入りこんだような感覚。この世界にも竹があるのだなぁ、と私はその和を感じさせるものにほっと胸を和ませた。
「すごい立派な竹林だね~。この世界にも竹があるんだ」
「フォッフォッフォ、お嬢ちゃんは竹を知っておるのか。竹はこの世界ではこの地域でしか見られない貴重なものでのう。ここ『ヤマト』の国では、竹細工が有名なんじゃよ」
風でサワサワ音を鳴らして小さく揺れる竹に耳を澄ましながら、私は目を閉じて相槌を打った。竜の咆哮や大砲の砲撃音で疲れた耳や心が次第に癒されていく。
私が十分竹林を満喫した頃合いを見計らって、おじいちゃんはゆっくりと歩き始めた。
「今からこの竹林を抜けた先にある戦場に向かうが、念のため道中できるだけ静かに移動するぞ。ここには厄介な星の戦士がおるからのう」
「厄介な星の戦士?ていうか、やっぱりこの近くにも戦場があるんだ」
せっかく竹林で癒されたというのに、また戦場を見るのかとうんざりしてしまう。
私の表情が曇っているのに気づいたのか、おじいちゃんが申し訳なさそうに頭を撫でてくる。
「すまないのう、付き合わせて。これも魔王様から与えられた任務の一環でのう。こことあともう一か所じゃから、我慢してくれんか」
「…大丈夫。私のお願いはもう聞いてもらったから、ちゃんと最後まで付き合うよ」
私が気遣って答えると、おじいちゃんは髭を揺らしながらフォッフォッと優しく笑った。
二人で戦場に向けてゆっくり静かに歩く中、おじいちゃんはここにいる星の戦士について教えてくれた。
「ここには二人の星の戦士がおってな、一人はここヤマトの国の殿様で、『凪武之』という者じゃ。この男の能力が厄介でのう。『隠密』という能力なんじゃが、周りから視認されなくなる能力なんじゃ。アレは儂の索敵魔法でも探知できなくてのう。油断してると後ろからブスッと刺されるかもしれん。まぁ、奴は一度攻撃を受けると能力が解除されるんじゃがの」
おじいちゃんはキョロキョロと辺りを観察しながら歩く。
(ナギタケユキ…。クロロが出会った時に言っていた、姓を持つ人間の集落があるって、このヤマトってところのことだったんだ)
私は警戒しながら歩くおじいちゃんに無言でついていく。
「それでもう一人の戦士というのが、お嬢ちゃんと同じ異世界の人間でのう。クロロの情報によると、名は確か『佐久間勇斗』じゃったか。まだ若い小僧という話じゃ。詳しい能力についてはまだ分からんが、『倍返し』というカウンター系の能力者らしいのう」
「私と同じ、異世界の人間……。その佐久間って人は、一番最初にこの国の人に保護されたの?」
「うむ、そうじゃ。儂らが接触を図る前に人間に保護され、そのまま殿様であり星の戦士でもある凪に出会ったのじゃろう。同じ星の戦士じゃ、話も早い。それからはずっとこの国に庇護されておるようじゃの」
おじいちゃんの話を聞きながら、私は同じ異世界の人間という佐久間に思いをはせる。
(私と同じく突然異世界に召喚された人か…。その人は運良くすぐ星の戦士と合流できたみたいね。私なんかかなり歩いた挙句、魔王にとっ捕まって地下牢入りしたっていうのに…)
今更ながら自分の運の悪さを痛感する。私が人知れず落ち込んでいると、少し声を弾ませておじいちゃんは言った。
「今思えば、魔王様が連れてきた星の戦士がお嬢ちゃんで本当によかったのう。でなければ今頃儂の隣にいたのは可愛いお嬢ちゃんじゃなくて、可愛げのない生意気な小僧だったかもしれん」
静かに移動中のため、おじいちゃんはいつもより小さい声でフォッフォッと笑った。私もおじいちゃんにつられて笑顔を作る。
「もう、おじいちゃんたら。でも、私も敵としてじゃなくて普通におじいちゃんと知り合えてよかったよ。最初に出会っていたのが魔王じゃなくて人間だったら、おじいちゃんとこんな風に……、友達になれてなかったかもしれないもの」
「と、トモダチ!?!?」
私の発言に、おじいちゃんは目を白黒させた。
かなり年の離れたおじいちゃんをいきなり友達扱いするのは失礼だっただろうか。上手く今の関係性を現す良い言葉が見つからず少し迷ったのだが、結局友達が一番近いだろうと思ったのだ。
「ご、ごめん。さすがに友達は馴れ馴れしいかな。むしろおじいちゃんが保護者で、私は子供というか孫みたいな関係がしっくりくるよね」
私は立ち止まって気まずそうに顔をそむけたが、すぐに温かく優しい手が伸びて私の頭を撫でた。
「そんなことないぞ。友達、か……。今まで長く生きてきたが、友達ができるのはお嬢ちゃんが初めてかもしれん。とても新鮮な響きじゃな…」
「は、初めて!?え、おじいちゃんて三百年以上生きてるとかさっき言ってなかったっけ。というか、ケルとかジークは友達の内には入らないの?」
「ケルたちは友達ではない。アレは仲間というんじゃ。友達とは全く別物じゃよ」
撫で撫でするのを止めておじいちゃんはまた歩き出す。
「え~。でも、仲間の方が特別って感じするよね。ちょっと羨ましい」
私はおじいちゃんの横に追いつくと、歩く先にようやく竹林の出口が見えてきたのに気がついた。竹林を抜けた先にある戦場の喧騒も耳に聞こえ始めた。
「そうかのう。儂は友達の方がずっとずっと好きじゃがのう。仲間は魔族や種族の括りと同義、延長線上のような感じがする。でも友達は、種族や年齢も関係ないじゃろう。友達の方が特別じゃよ」
おじいちゃんは出会った頃からとても優しい。今もいきなり友達呼ばわりした私に気分を害することなく、友達であることを受け入れてくれた。
私が魔王城で今までやってこれたのは、ケルがいつも傍にいてくれたのもあるが、おじいちゃんの存在も大きいと思う。
「おじいちゃんがそう言ってくれるなら、初めて友達になった私はとても光栄なことだね!じゃあ、これからは何か困ったことがあったら相談してね。友達のためなら色々力になるから!魔法使いのおじいちゃんと違って、私にできることなんて限られてると思うけど」
私はあまりない力こぶを見せてアピールした。
私の純粋な好意が嬉しかったのか、おじいちゃんも私同様困ったことがあったら力になってくれると約束してくれた。ここに、三百歳以上年の離れた友との絆が誕生した。
「さて、無事に敵に見つからずに戦場に着いたな。あのシラナミ海岸が二つ目の戦場じゃよ」
竹林を抜けた先は右手が海に面した崖になっており、正面は数キロ先まで続く海岸になっていた。
おじいちゃんにならって屈んで崖下を覗き込むと、下の砂浜で魔王軍と人間が交戦中だった。人間側は戦国時代の武将のような甲冑姿が多く、ちらほら忍びのような恰好の者もいた。
「魔王軍は七天魔が一人、『死誘の人魚ネプチューン』が率いる魚人中心の軍。対する人間側は、ヤマトの国が誇る人間界最強と言われておるヤマト水軍じゃ。どうやら隠密殿様も今は下の戦場にいるようじゃな」
私はおじいちゃんの言葉を聞き、必死になって殿様らしき人を探すが全然見つからない。近くの沖や海岸に泊まっている船の上も目を凝らしてみるが、特に位の高そうな甲冑を着ている人物は見当たらない。
私が眉根を寄せて遠くの船を見つめていると、おじいちゃんが杖で砂浜のある一点を指した。
「あそこら辺を見ているといい。不思議なものが見られるぞ」
私はクエスチョンマークを浮かべながら、言う通りに魔族の小隊がいる場所を見た。すると次の瞬間、いきなり小隊の最後尾にいた魚人の男が背中から血を噴き出して倒れた。そして私が驚きの声を上げる間に、立て続けに二人がやられた。残った最後の二人が背中合わせになり警戒するが、今度はその隣の小隊が襲われていた。
驚きに口を開けたまま戦場を見つめる私に、おじいちゃんは同意を求めるように話しかけてきた。
「どうじゃ?儂の言った通り厄介な星の戦士じゃろう、隠密殿様は。こうして上から戦場を見るとどこにいるか把握しやすいが、戦場に立っていると隠密殿様以外にも敵はたくさんいるからのう。目の前の敵に気を取られてバッサリ斬られる者が後を絶たんのじゃよ」
「そりゃあそうだろうね。相手は透明人間だもん。反則だよあんなの」
「しかも剣の腕もピカイチでのう。特に奴の居合術は達人級で、今まで多くの魚人が真っ二つにされておる」
「ま、真っ二つ…!」
私は姿の見えない殿様に戦慄した。竹林を抜ける際におじいちゃんが警戒していたのも頷ける。
「私と同じ異世界から来た星の戦士はここには来ていないのかな?」
戦場を見下ろしながら能力者らしき人物を探す。しかし、右から左に隅々まで戦場を見渡すが、それらしい人物は見当たらなかった。
内心がっかりしていると、海の上から崖上まで届くほどの声量で高笑いする女の声が聞こえてきた。
「アーハッハッハ!口ほどにもないなぁ人間どもめ!所詮は陸でしか生きられぬ愚かな生き物よ!この妾が従えし魚人族の敵ではないわ!」
目を爛々と輝かせながら、人工的に作り出した波の上に座っている人魚は自信満々に言い放った。
人魚は三つに穂が分かれているトライデントを持ち、胸元は大きな貝殻で隠されている。腕には鱗が浮き出ており、波打つ水色のロングヘアーから飛び出ている両耳は魚のエラのようだった。頭には魚人族を統べる女王の証として、金でできた小さな王冠をのせていた。
「もしかしなくても、あの見るからに高飛車そうな人魚がネプチューン?」
「フォッフォッフォ!あえて紹介せんでも一目でわかるじゃろ?あれが魚人族の長ネプチューンじゃ。ちなみに獣人のレオンとは犬猿の仲なんじゃよ」
「そ、そうなんだ。レオンさんとは一緒にお茶したことあるけど、確かに相性悪そうかも。ていうか、私もちょっと苦手かも。あのネプチューンって見るからに性格キツそう。仲良くなれそうなイメージが湧かない」
私が苦い顔をすると、おじいちゃんは納得しながら笑った。
魚人族は保守的で、身内である魚人族内の結束は強いが、他種族の魔族とはあまり仲良くないらしい。普段からあまり交流を持たず、必要最低限しか他種族と接触しない。独自の海の文化を愛し、多文化に汚されないようにするためらしい。陸でも海でも生活できる魚人族が一番優れた生き物で、海の中で生きられない者たちは全員下等な生物だというのが魚人の共通認識なのだそうだ。また、魚人族は君主制で、女王であるネプチューンが一族の絶対的存在となっている。
おじいちゃんから一通り魚人の説明を受けると、私の顔はさらに渋みを増した。
「そんなこと言ったら世界はほぼ下等生物で溢れかえってるじゃん。そんな考えの持ち主だからあんなに偉そうなのね~。偉そうな態度で争ったら魔王といい勝負じゃない」
「いや~、魔王様の方が負けるじゃろう。魔王様は根は優しいからのう。ネプチューンは根っからキッツイぞ。見た目は凄い美人なんじゃが、女王様じゃから同じ魚人相手でも容赦なく叱責するしのう」
「うぇ~~。…まぁ魔王はすぐ睨むし偉そうだけど、ちょっと付き合い長くなってきたから、最近は私にも根は悪い人じゃないってことは分かってきたよ」
「そうじゃろうそうじゃろう」
私たち二人が揃ってうんうんと頷いていると、波の上でずっと力を溜めていたネプチューンがトライデントを掲げて力を開放した。
「妾の力の前にひれ伏し、海の藻屑となるがいい!臆病者の星の戦士も大人しく姿を現すのじゃ!」
ネプチューンは高さ十メートルほどの大波を生み出すと、一気に海岸に向けて解き放った。人間側はこの攻撃が初めてではないのか、ネプチューンが力を溜め始めた段階で沖に出ていた船はすでに避難を開始していた。海岸で戦っていた兵たちもいち早く海から離れていた。着ていた甲冑も簡単に着脱が可能なものらしく、逃げる際に脱ぎ捨てていっている。
私は自分の世界で見たことがある津波を思い出しながら両軍の攻防を見ていた。
「あんな波に飲み込まれたら大変だよ!大丈夫なの!?」
「まぁ少しは溺れるかもしれんが、一応アレも魔法じゃからの。ひとしきり波が流れたらそのまま消えるから大丈夫じゃよ。本物の海の波と違って引き潮とかはないからの。それにもう何度かやり合っているから人間たちも勝手はわかっているはずじゃ」
ハラハラしながら逃げ損ねた人々を見ていると、彼らは一瞬にして大波に飲み込まれてしまった。私は短い悲鳴を上げ、時が止まったようにその波に釘付けになった。地を這うように波は海岸一帯を埋め尽くすと、おじいちゃんが言ったとおり魔法の効力が切れてパッと消えてなくなった。後には溺れかけて咳き込む兵や気を失ってぐったりしている兵が残された。
私は想像していたより軽い被害に安堵の息を漏らしたが、倒れている兵たち目がけて魚人たちが一斉に攻め込んできたのを見て息を呑んだ。
「ちょっと!無防備な相手に追い打ちかけるの!?」
「ネプチューンの常套手段じゃな。これも立派な戦略だから卑怯とは言えんよ。…儂らは戦争をしてるんじゃからな」
「戦、争……」
今まで戦争など全く無縁だったため、私はその非日常を受け入れられず言葉を失った。何の躊躇もなく手に持った矛やカトラスで無抵抗な人間を傷つける魚人たち。その残虐な行いに私はたまらず目をそらした。
「おじいちゃん、もう」
「お!本気を出しおったな殿様は。五人いっぺんに真っ二つじゃ」
もう帰ろうと口にしようとしたが、おじいちゃんの声にちょうど遮られた。どこか楽し気に笑いながら戦場を眺めるおじいちゃんにつられ、もう一度戦場に視線を戻す。
崖下は目をそらしていた間にずいぶん状況が変わっており、魚人たちが複数人いっぺんに胴体が真っ二つになる現象が次々と発生していた。まるで手品でも見ているのではないかと疑うほどに、恐ろしいほど綺麗な切り口で胴体から上下に体がわかれていく。まるで赤い花でも咲いたようにパッと血が噴き出し戦場に舞う。あっという間に魚人の死体が増え、私の目は点になっていた。
「フム。優位に立ったと思ったらすぐに戦況が五分に戻されてしまったのう。さすがは隠密殿様じゃ。もはや魔法と遜色ない威力の居合術じゃの」
「え、強すぎない!?相変わらず姿は見えないけど、一気に五、六人斬ってるでしょ!人間技じゃないよアノ居合!」
「そうじゃろう。風の魔法と同等の威力じゃよ。ヤマトの軍の恐ろしさは、その居合が殿様だけでなく、他の兵も一部扱えるところなんじゃ。もちろん威力は殿様より遥かに劣るがの」
「………私の世界の人間とは、ちょっと根本的に違う気がする」
私は魔族相手に一歩も怯まず対等に戦う人間たちを、数分前とは打って変わって複雑な表情で見つめた。
「いくら剣術を磨いても、さすがに私の世界の人間は居合で複数人一度に斬り殺すのは無理だと思う。殿様じゃない人も居合で二、三人いっぺんに斬ってるよね。同じ人間だけど実は体の作りが違うとか?」
異世界人である私の体を調べたいと言っていたクロロの気持ちがなんとなく分かってしまった。私も今この世界の人間はどうなっているのか調べたい気持ちだ。
「フォッフォッフォ。あんな化け物級は一部の人間だけじゃよ。ヤマトの兵や『ユグリナ王国』の騎士団とかな。人間は魔力がない分、体内にある氣というエネルギーを扱うのに長けておるそうじゃ。修行を積みそれを鍛えると、剣の斬撃を飛ばすことだってできるからのう。居合はそれと同じようなもんじゃ」
(け、剣の斬撃を飛ばす…。それはもうRPGの技だね。私の世界の人間は絶対にできない。やっぱり異世界だから普通の人間でもスペックに違いがあるのね)
私が自分の中で納得していると、おじいちゃんは竹林へと方向転換し歩き始めた。
「そろそろ最後の戦場へ行くかの。すまんがもう少し付き合ってくれ」
私はコクンと頷くと、転移魔法で最後の戦場へと移動した。
最後の戦場は、戦場というにはあまりにも人気がないところだった。遠くには堅固な城壁に囲まれた街があり、街の中央には城が建っているのが見える。私たちがいるのはその街の外に広がる平原で、左右を見回しても人っ子一人いない。だが地面を見ると、あちらこちらに武器やら鎧やらが打ち捨てられており、戦場の名残りは残っていた。
「ここってもしかして、戦場跡ってやつ?あっちこっちに武器が落っこちてるけど」
私はしゃがんで一番近くにあった手斧を手に取った。
「いや、ここは今なお戦場じゃよ。ただ今日は敵側に動きがないからレオンも出てきてないんじゃろう。ここは獣人を率いるレオンが任されておる戦場でな、あそこに見える『シャドニクス』という王都にいる星の戦士『ガイゼル』と戦っておる。ガイゼルはここ『アレキミルドレア国』の王で、『強制武装解除』という能力を持っておる」
「強制武装解除?何それ」
私は手斧を捨てると、立ち上がって聞く態勢を取った。
「その能力名の通り、指定した場所に特殊なフィールドを形成し、そのフィールド内にいる敵は一切武装ができなくなる能力じゃ。魔力はゼロになり、武器や鎧は自分の意識とは関係なく手放してしまうんじゃ。だからフィールドの外に出ない限り武器は持てないし、魔法も使えない反則能力なんじゃよ」
おじいちゃんは本当に困った様子でそう教えてくれた。
戦う際必ず魔力を使う魔法使いのおじいちゃんにとって、相当相性の悪い相手である。
(強制的に魔力をゼロにして装備も取り上げちゃう能力って、ゲームだったら確実にチートキャラでしょ。魔法・特技なしのすっぴんで戦えっての?そのくせ敵は武器使いたい放題なのに?)
私はラズベイルが授けた星の戦士たちの特殊能力が、あまりに偏った強さを持ちすぎている気がしてならなかった。
(私の妄想を現実にする力もなかなかだけど、強制武装解除と透明人間能力、謎の倍返し能力にサイコロの出目で変わる能力、あとは飛行付与能力に死んでなければ何でも治しちゃう能力と~、魅了の能力者もいたっけ。あと何か聞いた気がするんだけど~…、忘れちゃった。何だっけ。まぁとにかく色々反則的に強すぎる能力ばかりじゃない?)
今まで耳にした能力を頭の中で思い浮かべてそのチートさに思わず唸る。
「いくら人間より頑丈な魔族だからって、武器も魔法も使えない状態で戦うのはキツイんじゃないの?人間は武器持って戦うのに」
「ウム。だからここの戦場はもう力自慢たちの獣人一族に任せておるのじゃ。元々力のポテンシャルが高く、自前の鋭い爪で攻撃もできるしの」
「なるほど。さすがに爪は体の一部だから能力には引っかからないんだね」
私は答えながら、かつてガイゼル王の能力で手放されてしまった武器たちを眺めた。戦場から撤退する時に持ち帰られた武器もあるはずだが、この平原にはまだ多くの武器や鎧が放置されたままだ。
私が平原を少し歩いて回っている間、おじいちゃんはずっと何かを窺うように街の方を見つめていた。
私が傍に戻ってくると、警戒を解いて街から目を外して言った。
「それじゃあ、あともう一か所寄ったら城に帰るかの」
「あれ。ここで終わりじゃなかったの?」
私の問いかけに、おじいちゃんは実に愉快そうに笑ってこう答えた。
「最初に言ったじゃろ。今日はデートじゃと。せっかくのお嬢ちゃんとのデートが戦場巡りだけではあんまりじゃろう。だから最後に一か所、面白いところに連れて行ってやるぞ」
年甲斐もなくデートだとはしゃぐおじいちゃんが可愛くて、私は戦場にいることも忘れて笑顔を浮かべた。
私たちは戦場散歩を終え、最後におじいちゃんのおすすめスポットへと空間転移した。
空間転移で最後に連れてきてもらったところは、周りが森に囲まれた、水面が透き通っている大きな泉だった。どこからか鳥のさえずりも聞こえ、とてものどかないい雰囲気のところだ。戦場を見て荒れた心がみるみる癒されていくように感じる。
私は両手を広げて澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み大きく伸びをする。
「んぅ~!なんかとってもいいところだね!空気は美味しいし、目の前の泉は凄い綺麗だし!」
私は息を吐きながら泉の縁に近づいた。
泉の底を覗き込むと、意外に泉は深かった。大体底まで二メートルちょっとあるのではないだろうか。水が透き通っているので泉の中までよく見える。底には水中だというのに黄色い花が咲き、いくつもの白い砂利みたいなものが落ちていた。そして一際目を引くのが、泉の底に鎮座している大きな木製でできた十字の棺のようなものだ。一般的な棺とは違い、両腕が伸ばせるように十字の形をしている。見たことのないものに目を奪われている私に、おじいちゃんが横に立ってこの場所の説明をしてくれる。
「ここは星の加護を受けた聖域でな、『流星の泉』と呼ばれておる。かつて何もない場所だったんじゃが、ある夜流れ星がここに落ち、一夜にしてこの透き通った泉ができたと人間たちの間で伝えられておる。ここは聖域じゃから空気も澄んでひんやりしておるし、弱い魔族は居心地が悪くて入ってこれん。だから人間たちにとっては安全地帯でな、少し前までは有名な観光スポットだったんじゃよ」
「へぇ~、観光スポット。確かに綺麗なところだもんね。でも今はあんまり人来ないんだ?」
せっかくの名所なのにもったいない、と私は泉を見ながら漏らす。
「戦争が始まってからは人間界にいる野良魔族が格段に増えたからの。ここから一番近い村まで人間の足で三時間ちょっとかかる。道中魔族に襲われる危険性があるから、観光で訪れる者がめっきり減ってしまったんじゃよ。なかなか面白い言い伝えのあるところなんじゃがのう」
「面白い言い伝え?」
私は首を傾げると、おじいちゃんは底にある例の棺を杖で示して言った。
「あそこに変わった棺があるじゃろ。実はこの泉は服を着たまま潜り、一番底から外を見上げて願い事を祈ると、星が願いを叶えてくれると言い伝えられておるんじゃ。だから底で願い事をしている間に体が浮かないよう、あの棺が置いてあるんじゃよ」
「えぇ!じゃああの棺は泉の中で踏ん張るようのものってこと?まぁ浮力があるからああいうので体を支えないと底に留まるのは無理か」
私は棺の思わぬ使い道に驚いた。一体昔に誰が棺を置こうと思いついたのか気になるところだ。
「でもこの泉かなり深いよね。潜るだけでも大変そうなのに、底でお願い事してから水面に戻ってくるなんて相当息止めてないといけないでしょ。男の人はできそうだけど、女の人は厳しいんじゃない」
「フォッフォッフォ。これは女性専用の祈り方じゃよ。この泉は性別で祈り方が違うんじゃ。男は泉に真珠を投げ入れて祈るんじゃ」
「エェッ!?男の人簡単すぎじゃない!?男女差別!」
私が抗議の声を上げると、おじいちゃんは指に髭を絡ませて笑う。
「フォッフォッ、そんなことないぞ。お嬢ちゃんの世界ではどうか知らんが、この世界では真珠は別名『星のナミダ』と言われ、とても貴重で高価なものなんじゃ。手に入れるにはそれなりの金がかかるし、大粒のものなら下手したら家すら建てられると聞く。悪質なところじゃと偽物の真珠を売りつける店もあるくらいじゃ。だから願い事を祈るためには、男は苦労して貴重な真珠を手に入れなければならないというわけじゃ」
「ふ~ん。男女ともに願いを叶えるためには、それなりの努力と対価を支払わなければならないということね。じゃあ、この底に落ちている真珠は今まで男の人が願い事して投げ込んだものなんだ。結構な数あるね」
私は砂利のように見えていた底の真珠に目を凝らす。
(私の世界だったら非常識な人間が拾って集めちゃいそうだな…。まさかこの世界では真珠がそんなに高価なものだなんて。真珠一粒で家が建っちゃうなら、私の世界から真珠持って来たらあっという間に億万長者だな)
私は心の中で邪なことを考えるが、おじいちゃんの一言で一気に現実に戻された。
「それじゃあせっかくだから、お嬢ちゃんも挑戦してみるか。濡れても儂の魔法で一瞬で乾かせるしの。女性は挑戦するのはタダじゃから」
「え!?私水泳習ってたから泳ぎは苦手じゃないけど、服着たまま潜るのって相当大変だよ!それにすごい深いし息続く自信ないんだけど……」
乗り気なおじいちゃんとは対照的に、私は首を左右に振って申し出を辞退する。
今日は魔王が用意した服の中でも薄手のもので、シンプルな白のスカートと上も白のシフォンブラウスを着ていた。そこまで重くならないだろうが、それでも水の中で泳ぐにはかなりの抵抗がありそうだ。
「失敗してもいいから何事も挑戦してみるのが大事じゃよ。途中で苦しくなったら儂が魔法で一気に水面まで引き上げてやるし、もし成功したら本当に願い事が叶うかもしれんぞ」
「…願い事……」
私は願い事という言葉につい心が奪われる。
(もし本当に不思議な力を持った泉で願ったことが叶うとしたら、元の世界に戻ることも可能だったりして…)
考える素振りを見せる私に、おじいちゃんはしきりに挑戦することを勧めてきた。結局悩んだ末、もしもの時はおじいちゃんが助けてくれることを条件に私は泉の言い伝えに挑戦することにした。
私が潜るのに一応準備体操している間、おじいちゃんが底に咲く花について教えてくれた。人間界のここだけに咲く水光花というもので、穢れのない綺麗な水でしか咲かない希少な花だそうだ。元は水色の花で、昼間日光を浴びている間だけ花弁が黄色に変わるらしい。せっかくなので、潜った時に余裕があったら花もよく見てみるのもいいかもしれない。
「よっし!それじゃあ行ってくるね!」
私が意気込んで泉の縁に立つと、おじいちゃんが私の肩に手を置いて耳元に顔を寄せてきた。
「棺まで行ったら、目を閉じてお祈りする前に底から水中を見上げてみるんじゃ。この時間帯なら陽光が綺麗に差し込んですごい光景が見られるはずじゃよ」
「っ!?」
吐息がかかりそうな距離で耳元で囁かれ、不意打ち過ぎて私の心臓はビクッと跳ねた。いくら三次元の男の免疫がないからと言って、おじいちゃん相手に動揺している自分に私は呆れてしまった。
(あはは。どんだけ耐性ないんだ自分…。なんだか悲しくなってきた…)
私は動揺していることを悟られないよう、さっさと泉へ両足から飛び込んだ。服が濡れて途端に水の抵抗が増す。
私はまず泉の中央まで泳ぐと、大きく息を吸ってからためらわず泉へと潜った。前もっておじいちゃんから水中でも目が痛くならないよう、目を保護する膜を魔法で施してもらっているため水中でも視界は良好だ。
子供の時に入ったプールとは深さが全然違い、服のせいで水の抵抗もあるためなかなか底に行きつかない。必死に潜り、息が苦しくなってきたところでようやく棺へとたどり着いた。
私は棺に手をかけて体が浮かび上がらないように足をかけると、必死に潜ってきた泉を水底から見上げた。するとそこには、おじいちゃんが言った通りすごい世界が広がっていた。
(……すごい!上から見た時は透明だったのに、水中から見ると日の光に照らされて水がキラキラ輝いてる!水の中なのに虹が広がってるみたいに色んな色が溢れて……っ!?)
私は目の前の景色に夢中になり、自分が酸素不足だということをすっかり忘れていた。
残っていた酸素を使い切った私は、願い事を祈る間もなく水面を目指して大急ぎで水をかき分けた。水の中でバタバタする私を見て、おじいちゃんは魚釣りでもするかのように杖を振り上げて私を魔法で引き上げてくれた。
「プハッ!ハァ、ハァ……。あ、危なかった…。溺れるかと思った…」
おじいちゃんは肩で息をしている私を地面に下ろすと、テキパキと魔法で私の服や髪を乾かした。
「フォッフォッフォ、どうじゃったお嬢ちゃん。綺麗な眺めだったじゃろう」
私は息を十分に整えてからおじいちゃんに答えた。
「うん!すごい景色だったよ!上から見ると透明なのに、水中から見るとあんな虹みたいな色になってるなんて!」
「ここは聖域じゃから、泉の水には特別な魔力が含まれているみたいでな、日の光を通してみると水の色が角度によって変化するんじゃ。綺麗だからお嬢ちゃんにぜひ見てもらいたくてのう。今日は始めからここに連れてくるつもりで、実は時間調整もしながら来たんじゃよ。日が高い時が一番綺麗に見えるでのう」
おじいちゃんが嬉しそうに話すのを聞いて、私は胸の中がじんわりと温かくなった。
(最初から考えてくれてたんだ!魔王からの任務で戦場を見て回らなくちゃいけなかったのは本当だったのかもしれないけど、それでもあの景色を見せるために時間調整しながらここに連れてきてくれたんだ。やけに泉の中に入って挑戦するように勧めてきたのも、あれを見せたかったから…。ヤバイ、すごい嬉しい!おじいちゃんが私の世界の同年代の人間だったら確実に落ちてる!こんな優しくて気遣いができて、色々段取り立ててサプライズしてくれる人はそうはいない!)
今まで三次元の異性になど興味がなかったが、三次元も捨てたものではないと少し思った。
「景色に見とれて、願い事をする暇はなかったようじゃな」
「うん、底についた時にすでに息苦しかったから。願い事もできなかったしお花を見る余裕もなかったよ」
私が残念がるのを見て、おじいちゃんはまた優しく頭を撫でてくれる。
「それじゃあまたいつかリベンジじゃな。……さて、今日はもう城に帰るかの」
「うん!今日は連れてきてくれてありがとう、おじいちゃん!」
私がにっこりお礼を言うと、おじいちゃんは髭を揺らして優しく笑った。
魔王城に戻ってくると、大広間にはちょうど魔王とケルがいた。私はケルに駆け寄ると、早速先ほど見た泉の光景を話して聞かせる。
「ただいまケルちゃ~ん!聞いて聞いて~!おじいちゃんにすごいところ連れてってもらったんだよ~!」
興奮して話し始めた私に、魔王は騒がしいからと部屋に行くよう命令してきた。私は少しむくれた顔を作ったが、大人しくケルちゃんを連れて自分の部屋へと退散した。
「それでどうだったんだ、じい」
魔王はその場に残った老魔法使いを見やる。
「もちろんデートは大成功じゃったぞ。お嬢ちゃんすごく喜んでくれてのう」
「誰がデートの報告をしろと言った!俺が聞きたいのは各地の戦況報告だ!」
怒りで血管を浮き上がらせる魔王に、老魔法使いはマイペースに笑う。
「フォッフォッフォ。そんな本気で怒鳴らんでも、ちゃあんと分かっておるわい。お嬢ちゃんに名前を教えたと聞いたから少しは心に余裕ができたと思ったんじゃが、まだまだじゃのう」
「アレはただの気まぐれだ。それより、サラマンダーとネプチューンはどうだった」
「フム。戦況的にはどっちも変わりなしじゃな。ただ、サラの方はかなり余裕があるように見える。人間側ももちろんやり手ではあるが、あそこまで戦が長引くのはおかしいじゃろう」
落ち着いた声の調子になり、老魔法使いは真面目に戦況報告をする。魔王は聞きながら目を鋭くさせ、表情も険しくする。
「やはりサラマンダーはグレーか…。奴の実力で空賊相手にここまで苦戦するとは思えんしな」
「まぁただ、どっちも似たような性格で戦闘狂であることは確かじゃ。たまたま気が合って喧嘩し続けたい可能性もなきにしもあらずじゃ」
「…なんだそのはた迷惑な話は。竜人族は血の気が多くて困る。獣人族といい勝負だな」
頭を押さえて首を振る魔王に、老魔法使いは気遣うように軽く背を叩いた。
「引き続きそちらは警戒するとして、ネプチューンはおそらく白じゃな。特に怪しいところは見られなかった。ただただ隠密殿様が絶好調じゃったな」
「…相変わらず好き勝手暴れてくれるな。それで、あいつと同じ異世界の戦士はいたのか」
「いや、残念ながら今日は戦場に来ていなかったようじゃな。できれば詳しく能力を観察したかったのじゃが」
魔王は小さくため息をつく。なかなか思うような結果が得られず、ここ最近ずっと張り詰めた状態が続いている。あまり表には出さないようにしているが、精神的にもかなり疲労してきていた。
「アレキミルドレア国にも行って来たのだろう。何か動きはあったか」
「いや…、不気味なほど何もなかったのう。あそこの戦場はいつも突然動き出すからレオンも気が抜けんじゃろ。魔法で城を探ってみたが、短時間ではそんな奥まで潜れんかった。時間をかければ何か掴めるかもしれんが、あの王様に気づかれて能力を発動されたら厄介じゃからな。下手すれば情報を得られる機会を失うかもしれん」
「チッ!厄介なことになったものだ。敵に感づかれぬよう動くのは想像以上にストレスだ。いっそのこと俺が暴れ回って全てを終わらしたいくらいだ。かえってその方が話が早いのではないか」
疲労がピークに達しているのか、魔王は不穏なことを口走り始める。
「それじゃあ何の解決にもならんじゃろう。人間との戦争も無駄に長引くだけじゃ。それにそんなことをしたら、せっかく気を許したお嬢ちゃんにも嫌われてしまうぞ」
老魔法使いの余計な一言に、魔王はすぐさま反論した。
「だからあの女は今関係ないだろう!これ以上俺を苛立たせるなじい」
魔王はマントを翻すと、参謀と情報共有するため大広間を後にした。
「全く。昔はもっと可愛げのある優しい子だったんじゃが。ハーフである己と先代から引き継いだ魔王軍に日に日に追い詰められておるのう。何とか支えてやりたいが……」
老魔法使いは魔王が消えていった階段を見上げながら、まだ若き王の行く末を心配するのだった―――。




