さようなら
「行ってらっしゃい。」
義母の力ない声が背中に届いた。外は雨だ。雨とはいえ気温はそれほど下がっていなかった。じめじめとしていて忌々しい。僕は傘をさした。褐色色の傘だ。自然とため息をついた。背中の荷物を背負い直すと、急ぎ足で歩き始めた。
「行っちゃうわけか。」
「やっとお前から解放されるよ。」
「はは、俺の愛は伝わらなかったのかな?」
「じゃあな。」
「好きだよ。俺ずっと兄さんが好きだった。兄さんを好きになって、怒ったり、泣いたり、喜んだり、忙しくなったよ。」
僕は黙って聞いていた。
「でも、兄さんは俺のこと無視してた。ほんと辛かった、特に母さんと父さんが仲悪い時とか、兄さんに相談したくても出来なくて俺ずっと荒んでた。そんなこと今となってはいいんだけどさ。……兄さんがイギリスに行っちゃって、父さんが浮気して、母さんがあんなんになって、やっと兄さんが帰ってきた、これでやり直せるって思ったけど、うん、うまくいかないな、俺には兄さんを引き止めるだけの力はないや。正直兄さんが分からない…一生懸命考えたけどわからなかったよ。俺が何も知らない子供だからかもね…はは。」
弟は自嘲気味に笑ってみせた。僕は何も言わない。
「イギリスが好きな訳じゃないんだろう?…え?だって青い顔して帰ってきたからさ、それに一緒に生活してればわかるよ…僕ほど兄さんを想ってる人間なんていないから、根拠ないんだけどね。」
弟は俯いた。
「これからどうするのさ、僕を選ばないで、兄さんはどこへ行こうとしてるんだい?………」
僕にだって分からないさ。行けるとこまで行く。お前達が手出し出来なくなるところまでな。僕は口を開いた。
「僕はお前が鬱陶しかった。初めから気に食わなかったよ。父親の次に嫌いかもね。」
言葉をひねり出すようにして話す。
「父親もお前も、僕にとっては同じなんだよ。僕は穏やかに生活がしたいんだ。僕なりに地に足をつけて生きていかなきゃいけない。それをお前たちが邪魔してるんだ。煩わしいんだよ。もうほっといて欲しいんだ。」
「僕のこと最後まで信用してくれなかったね。」
弟は顔を上げた。怒っているようにも、悲しんでいるようにも、喜んでいるようにもみえた。
僕は弟に背を向けた。何も残さなかった。




