鐘が鳴る
朝早く、携帯が鳴った。僕は寝ぼけたまま電話に出た。
「景?」
「私だ。」
一気に眠気が去った。父親からの電話だ。
「はい。」
「夏帰ってきなさい。21日から25日だ。いいな。」
僕は息を呑んだ。
「あの…」
「なんだ。」
「いや、何でもないよ。」
「じゃあな。」
電話は切れた。
朝食をとっている時に祖父母に切り出した。
「21日から25日に日本へ行きます。」
祖父はうなずいた。
「うん、君の父親から聞いてるよ。」
「まだ少し先の話だわ。」
無表情の祖父に対し、心配顔の祖母を見て、僕は少し落ち着いた。
「あの、僕、いきなりでびっくりして。」
「そんなに気を張らなくていいのよ。」
祖母が僕を宥めた。祖父の表情は硬い。僕はパンを口に押し込んだ。よく噛んでなかったので、飲み込むのに一苦労した。祖父が忌々しそうに鼻を鳴らしてから言った。
「すぐに帰ってきなさい。」
祖母が目で祖父をいなした。祖父は祖母を無視して、僕を見つめた。僕は祖父を頼もしく思った。
学校につくとメイが教室にいて、アレクとチャールズと話をしている。彼女は僕の姿を見ると駆け寄ってきた。
「遅いじゃない!ねえ、夏に旅行行きましょうよ。」
「え?」
アレクとチャールズが揃うと、メイは楽しそうに話し出した。
「ママやパパと一緒にね、アレクとチャールズも来ればいいわ、皆で楽しみましょう!」
僕はすぐに乗った。大丈夫、僕はイギリスに残るんだ、そう言い聞かせた。その日はメイとアレクとチャールズとで旅行計画について色々と話し合った。
「いきなりね。どうしてかしら。」
僕はメアリーに日本に帰らなくてはならないことを話した。
「どうしよう。」
「どうなるか分からないわ。でも、日本に閉じ込められる訳ではないわよ。」
「そうだけど……」
僕は肩を落とした。メアリーが僕を支えるようにして腕を回した。辺りは夕暮れ時で、僕らは人の少ない道を歩いていた。
「宗一郎、ついてきて。」
メアリーに従って僕は黙って彼女についていった。家々の前を通り過ぎ、豪奢な立派な家にたどり着いた。メアリーは鍵を使って扉を開き、僕を招き入れた。ここがメアリーの家だというのが分かった。
「いらっしゃい、宗。」
メアリーは僕にお茶とお菓子を出してくれた。人の気配がなく、とても静かだ。部屋の隅に埃が溜まっていた。室内には重い空気が垂れている。壁にかかっている時計はとうの昔にこわれてしまっているようで、正しい時刻を示してはいなかった。ベルが鳴り、誰かやってきた。メアリーは黙って立ち上がり、玄関で誰かと応対している。しばらくして戻ってきた彼女は一言言った。
「私のおじさんよ。様子を見にきたの。」
「メアリー、君一人なの?」
「多分父親は帰ってこないと思うわ。母さんは今病院、入院してるの。」
メアリーはお茶とお菓子を片付け出した。僕も手伝ってあげた。
「寂しいの?」
「どうかしらね。」
僕はメアリーを後ろから抱きしめた。メアリーはじっとしていた。僕らはメアリーの部屋に移動した。メアリーはベッドに腰掛けて僕を呼び寄せた。メアリーと見つめあった。僕は彼女の意図が分かり、驚いたと同時にドキドキし始めた。彼女を傷つけることにならないかどうか考えた。メアリーは黙って僕の顔を撫でた。それを合図に僕は優しくメアリーに口付けた。僕らはベッドに沈んだ……
「大丈夫?」
僕は恐る恐る聞いてみた。メアリーの額には汗が浮かんでいた。
「いいの。これでいいのよ。」
メアリーはうわごとのように呟いた。それから僕の方を見て言った。
「宗一郎、帰らないとね。ごめんね、ちょっと立てないわ。ふふ。」
「ごめん。」
僕は申し訳なかった。彼女に無理をさせてしまった。
メアリーは苦笑した。僕は服を着た。僕はメアリーのために水を取りに行った。僕からコップを受け取り、水を飲み干すとメアリーはゆっくりと立ち上がり、服を着はじめた。僕は黙って手伝った。携帯が鳴った。
弟からだ。メアリーと僕は携帯の画面を見つめていた。
「何回目?」
「うーん、多分3回目かな。」
「出たら?」
「え?」
「ほら」
メアリーは通話ボタンを押した。
「うわあ!何して……」
彼女は面白そうに笑っていた。僕はメアリーの頰を軽くつねてから、携帯を耳に当てた。
「兄さん?」
「うん。」
メアリーは僕を階下に案内してくれた。
「誰かいるの?」
「まあね。友達がいる。」
弟は黙り込んだ。その間に僕は外に出た。玄関前に立つメアリーに手を振った。メアリーも手を振ってくれた。僕は彼女に背を向けて歩き出した。辺りは薄暗かなっている。急ぎ足で歩いた。
「何か用?」
「……嘘ついたな。」
「は?」
「女といたんだろ!」
弟が怒鳴った。
「何言ってんだよ。」
「あんたは嘘ばっかりだ!俺がそんなに嫌いかよ!どうでもいいってか?ああ、知ってたさ!知ってたとも!」
「落ち着けよ。」
僕は冷静だった。自分でも不思議なくらいに。メアリーがいる。僕には味方がいるんだ。すっきりとした気分で何も怖くなかった。電話越しに喚く弟を僕は宥めた。
「寝たのか?やったのかよ!」
下劣な質問に驚いた。
「おい、どうしたんだよ。お前らしくないぞ。」
「僕は!僕の気持ちを知ってて!」
弟はむせび泣きながら怒っていた。僕は溜息をついた。1ミリとも心が動かない。
「落ち着いて話してくれないと、困るんだが。」
強気に出た。電話越しに何か破壊する音が聞こえた。
「………僕のことどう思ってるの。」
さっきの怒鳴り声と打って変わって、か細い弱々しい声だった。僕は正直に答えた。
「そういう風に思うことはない。」
「ふふふふ、うっ、ふっ」
電話が切れた。
家々の明かりがそこかしこに灯っている。暖かくなって、もう寒くない。自分の家が見えて、玄関にリジーの車が見えた時、僕は揚々と駆けた。扉の前に立つと、中から楽しそうな声が聞こえる。メイやウィリアムが来てるらしい。扉の隙間から光が漏れている気がした。僕は扉を開けて家の中に入った。




