僕
弟が僕に懐くようになったのを、父親はよく思わなかった。父親に従順な義母は、弟を僕から遠ざけるようになった。自分の甥、つまりは弟の従兄弟を家に呼んで弟の相手をさせた。彼らははすぐに打ち解け、義母の思惑通りにことが運んだ。僕は弟を嫌ってはいなかったし、好きでもなかった。そういう感情自体を持てなかった。兄としての自覚を持ってはならなかった。
僕は家の話を周りにしたことはないが、それがタブーであることは肌で感じていた。僕の口はこの家族の中でないに等しい。僕は動く人形であった。しかし、素直な弟は口を閉ざすことはできなかったようだ。家のことを学校の教師に話したとかで、家庭訪問が度々あった。家族の扱いはまさに心理的な虐待であったのに間違いないが、僕はそのこと自体に気づくのはずっと後のことだ。
家庭訪問中で、僕は一度大失態を犯したことがある。家庭訪問を行なっていた教師は女性で、長い豊かな黒髪を持っていた。責任感が強く、子供の教育に熱心な彼女に対して僕は密かな憧れを抱いていた。その教師に、彼女に会いたい、と話したのだ。彼女について尋ねられた父親は笑って答えた。義母も微笑んでいた。発言を許されたと誤解した僕は、彼女といて楽しかったこと、優しくされたこと、彼女を懐かしく思うこと、、、、を話した。
教師の優しい笑みがますます僕を饒舌にし、父親の笑みは一層深いものになった。僕は久しぶりに得た解放感に酔っていた。
教師が帰った後、父親は僕の頰を打った。
義母は黙って俯いたままで、僕を見向きもしなかった。ひりつく頰に手を触れた。熱かった。僕は自室へ駆け込んで大声で泣いた。




