新しい僕
弟に電話すべきかしないべきかは悩んだ。結局僕は電話することに決めた。失望感と諦めの気持ちからだ。連絡先の紙切れを受け取ってから、弟の涙や、義母の言葉を思い出した。特に弟に対してのあるかないかだった罪悪感は今やはっきりと感じていた。それから彼女の言葉。彼女の言葉は僕の心の傷を深くえぐった。見ないようにしていた傷口は再びじくじく痛み出し、その存在を主張し始めている。僕は日本から逃げられない。
だから電話した。
「景?」
「兄さん!」
弟は嬉しそうな声をあげた。
「兄さん!……久しぶり、元気?」
「うん。お前は?」
「俺も元気だよ。」
「……離婚するって、本当?」
僕は弟の好意を突き放すように聞いた。
「分からない。……母さんが言い出したんだ。」
「そう。」
興味ない。僕はイライラしている。
「兄さんには関係ないよね。はははっ」
弟の空虚な笑いを聞いた時、僕は少し焦った。
優しい言葉をかけるべきだったろうか。いやそもそも僕が弟に優しくする理由って、なんだ?
「…景。」
「何?」
僕は迷った。でも思い切って言ってしまった。
「大丈夫なのか。」
しばらく弟は黙ったままだった。僕は自分の行動が正しいのかずっと考えていた。
「兄さん、俺……」
電話越しに、すすり泣き声が聞こえた。僕は言わなければよかったと後悔した。
「俺、兄さんに会いたいっ。迷惑だった分かってる。でも俺これ以上我慢できないんだ!」
「ど、どうしたんだよ。落ち着け、景!」
僕はお前に会いたいなんて思わない。
「兄さん!俺母さんのことが心配なんだ。母さん、父さんと兄さんのことで喧嘩して。それで、父さんが母さんのこと無視し出して!母さん今すごく寂しそうだ。でも俺兄さんに会いたくて、会いたくてたまらないんだ!」
「母さんに言っといて。僕のことは心配するなって。大丈夫。すぐ仲直りできるよ。」
「違う!」
弟は叫んだ。泣いている。
「兄さん、僕のこと嫌い?」
「……嫌いじゃない。おい、何の話だよ。」
「俺、そっち行っていい?いや、やっぱいい。」
僕は慌てて言った。
「何言ってんだよ。しっかりしろ。お前がこっちに来たら、本当に離婚しちまうぞ。それに母さんのこと心配じゃないのか?大丈夫。すぐに解決するさ。」
「……兄さん、会いたい。……帰って来て。」
弟も僕もそれっきり黙ってしまった。弟はここに来れない。それに来てはいけない。それって、つまり、僕が一度日本に帰らなきゃいけないってことか?僕は動揺した。日本に行って、僕はイギリスに帰ってこれるのだろうか?彼女の言葉や祖父母の顔が思い出された。今度こそ帰ってこれないのではないか?先に口を開いたのは弟だった。
「一度だけでいい。帰ってきて。すぐイギリスに帰れるから大丈夫。俺が、兄さんに会いたいんだ。父さんにも母さんにも言わないよ。来てくれなかったら、俺イギリスまで押しかけちゃうよ。ははは」
笑えない。僕は迷った末に結論した。
「分かった。また連絡する。」
それだけ言って電話を切った。




