表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハーミット・ブルー  作者: 狐宮
1/12

序章 『シアル・ラン防衛戦』

前書き


徐々にカオスな異世界モノのお話であり、

 登場人物それぞれの在り方を大事にする大長編の習作となります。

 タグの敵役トリップとは、主人公はクリアスヴェルの人物ですが、

  敵役になる人物が日本から―――という具合です。


 世界の大まかな設定は、多種多様な種族が住まう地『クリアスヴェル』は

   緑豊かな豊穣の地とその真逆となる地が一つ大陸に収まった世界。

 地図的にはパンゲアのような巨大大陸を想像していただければそのままとなります。

  豊穣の地と死せる地を寸断する大河があり、そこでは争いが常となっています。

掻い摘んだ話は、下手ですが、あらすじをご覧下さい。

 

序章 『シアル・ラン防衛戦』



  第一話 「それが、君の名前」


 青、緑、黄、紫、様々な色彩を持つ鳥達が飛び交い、時に争い、奪い奪われ、時に求愛し、子を授かり種を繋ぐ。

  黒髪を無造作に肩まで伸ばした痩せ型の男が、その光景を木製の室内のその窓から肩肘を付いて覗き、溜息を付く。

 なまじ知恵などあるから、かくも醜く見えるのか、何故、我等はああも美しくなれないのだろうか。

  何に対しての葛藤か、深い闇にも似た瞳はただ物思いにふける。

 動物達の略奪行為とは、生きる為に喰う事である。互いに生死をかける事もあれば、一方的な事もあるのだろう。

  だが、何かが違う。……言葉に出来ないが彼の思う『我等』とは似て非なる何かが存在する。

 やや哲学めいた事を脳内に奔らせ、自問自答を繰り返す。毎日、毎夜、毎朝…何年過ぎた頃だろう、

  今だ答えが見つからないままの彼は、緑深く、おおよそ知恵ある者達が踏み入れないだろう大森林、

  『ノウェル大森林』にて一人、答えを求めるかのように、自室の窓から肩肘をついて覗いていた。

 木々のざわめき、小川のせせらぎ、鳥達の鳴き声に混じる女の悲鳴。…は? と、彼は悲鳴が聞こえたのが自身の居る部屋の窓、

  ちょうどその真上からだった。慌てて覗き込もうとした瞬間、眼前に木の葉を撒き散らしながら、褐色の何かが落下してきた。

 常人ならば、成す術もなく、落ちていく様を見ているしか無い。 だが、彼にはその事態に対応する力があった。

  彼の漆黒の瞳に、悲鳴と木の葉を撒き散らしながら落ちてくるソレが映った瞬間、世界が止まる。

 勿論、彼の肉体も例外にはならないが、精神は別。それが刹那の判断力と行動力を与えるのだ。

  見事に落ちてきた女を抱き止め、「大丈夫かい?」などと言うつもりだったのだろうが、僅か2秒後、二人まとめて地面に落ちる事になる。

 これが漫画なら、ずどぉーん!などという文字が大仰に描かれている事だろう。 

  下手をすれば地面に二人分のマヌケな穴が開いているかもしれない。

 だが、そうはならずただ土煙を上げてもつれる様に地面に転げている二人が居た。

  

 何が起こった? 思わず手を出してしまったが…。 うんにゃー…もうちょっとで鳥を捕まえれていたのに…。


 もつれあう体に反してちぐはぐな事を考えている二人。が、ぷにぷにした感触は二人の思考を一つにする。


 ん? 何か手に柔らかいモノが…。  …何か胸がくすぐった…――――!!!!!!?

  「なぎゃぁぁぁぁぁぁあああっ!!!!」

  「おや…」

 温暖なこの地に、突然吹き荒れる極寒の地と思える程の冷気を全身で感じる男。

  極寒な地ですら灼熱の地かと思えるほどに烈火の如く怒りを表す…いや、羞恥心を隠しているのだろう女。

  「あ、いや、すまない。助けようとしたら、力足りず巻き込まれてしまった」

  「さ…さわった?」

  「ん?ああ、しかとこの手に柔らかな感触が残っている。うむ、良いモノをお持ちだ」

  「ふぎゃっ!?」

 いや、そこは嘘でも触っていないと言えないのかこの男は。ついて良い嘘を付くどころか女の胸を賞賛する始末。

  事実、彼女は肉付きも良く、出るところは出て、引っ込んでいる所は引っ込んでいる。

 …。どう怒ればいいのだろう? 胸の事を褒められた、けど触られた。でも褒められたし助けられた。

  暫し、長く紅い蓬髪を褐色の手で弄くりつつ、そこからピョコンと生えた獣の耳を前後に動かして悩んでいる。

  「んむー…」

 男の方も、何か変な事を言ったか? と、次の言葉を考えあぐねていた。

  「む…ぅ」

 互いに次に発する言葉が見つからず、木々のざわめきと小川のせせらぎと共に、僅かに時間がながれ、

  ぐぎゅるぅぅぅぅぅぅぅうううっ…。という低い音が鳴り響く。

  「おや?」

  「はぅっ!?」

 2mほど離れた男の耳にも聞こえた大音量の発生源は、目の前の生地面積の少ない女の露出した腹からだと彼は理解した。

  ふむ…ようやく次に発する言葉が見つかったのか、顔を真っ赤にして慌てる彼女に声をかけた。

  「良ければ、ご飯を食べていくかい?」

 そこも聞こえない振りをしてあげないのか、女性への対応スキルが0なのだろう男と、空腹に負けて何度も大きく頷く何かが足りない女。

  彼女はやはり少し恥ずかしいのか、照れた様子で、彼の家に招かれるが…年頃の娘がほいほいと男の家に入る。

  やはり、彼女には女として何か足りないモノがあるらしい。 そして、招く男も本当に夕食をご馳走する、それだけのようだ。

 良く見れば、彼も、彼女もそれなりに擦り傷などを負ってはいるが、痛みも忘れてしまう程に、衝撃的だったのだろうこの出会いより、

  この世界、クリアスヴェルは大きな争いの渦中へと二人を誘う―――滅世の涙を止めてくれ――と、声ならぬ導きによって。


 [ バスルーム ]


 木製の湯船に並々と注がれたお湯、湯気の量からして人が入るのに適した温度なのだろう。そんな湯船に人影が落ちた。

  ざぶーん、と、子供が水場に飛び込むが如くにお尻から湯船にダイブし、二・三秒後、先ほどの落下で出来た擦り傷の存在を痛みと共に知る。

  「ふ…ぅん…っぐ」

 辛うじて悲鳴を上げず耐え切った彼女は、適温の湯船の中に頭まで潜り、そして、悲鳴を上げた。

  「いぎゃぶぎゅぶぶぶぶふぶぶぶ!!!」

 ぼこぼこぼこ…と湯船から気泡が浮いては破裂し、

  やがて濡れた獣の耳がピョコッと湯面から顔をだし、ゆっくりと出口の方へと

  茶色の瞳、丸く大きな眼でジトーッと見つめた。

 聞こえて無い…そう確信が取れたのか、一つ安堵の息を水中でぼこぼこと漏らした後、

 2m程の木製のバスタブに両腕を広げて伸びをする。暫し、

  何も考えずただ湯船に浸かるという快楽に身を委ねる。

  視線は木製の天井にあったが、ふと、自分の胸元へと…。

  「良いモノなのかー…」

 形よし、大きさ良し、色(?)良し。まさに非の打ち所の無いバストだろうソレを見つつ、

  自分の胸を右手で突っつき、

  再び考える。怒ればいいのか、ありがとうと言えばいいのか。

  間違いなく前者が正しい選択なのだろうが、

  助けてくれた人でもある彼に対して、嫌悪感は抱きたくない、そう思っているようだ。

 結局、たどり着いた答えがポツリ。

  「よし、忘れよっと」

 忘れてどうする!? と、どこからか声が聞こえなくも無い。

  そして彼女は湯船から出て、壁にかけてあった

  タオルで体についた水分を拭い去る。痩せているわけでもなく、太っているワケでも無い。

 肉が付くところはしっかりとついた健康的な褐色の肢体をくまなく拭くと、

  ソレを胸元からふとももまで巻き、バスルームを出た。


 [ キッチン ]


 他人に食事を作るのは、久方ぶりだ。突然の墜落者に少々驚いてはいるものの、

  内心…いやもっと深い場所に存在する何かが、

  喜んでいるのだろうか、いつに無く豪勢な料理を仕上げてゆく。

  中には何日もかけて熟成させた素材まで出して。

 もしかしたら、彼女と出会う事で私は、私の問いの答えを見つけられるのかもしれない。

 何の根拠も無くただ、漠然とそう思えて仕方が無かった。

  まだ出会って一時間も経たない筈の彼女だが…不思議と心が躍る。

  「父も同じ気持ちを経験したのかも知れないな…」

 記憶の片隅に封印した暗い過去が、僅かだが口元から毀れる。今、

  この時点では彼は誰にも語る事は無いだろう。

  そんな暗く、辛く、悲しい過去を思い出しそうになり、不意に怒りがこみ上げて…。

  「駄目だ。私は、もう…」

 軽く首を左右に振ると、再び料理を作る事に没頭したが、やはり思考は止まらない。

  次に脳内に浮かんだのは、あの猫の獣人『センティア』…然し一つの疑問、

  彼等は総じて茶色の髪をしている筈…まさかな。

 自身の過去の一部と、彼女の過去の一部。当然、ただの推測ではあるが、

  それが合致したとして…何故なのだろう。

  「何故、あの子はそれでも明るくいられるのか…」

 ふふ…と言い知れぬ好奇心に駆られ、あの子に対して並々ならぬ関心を抱いた…ああ、

  だから餌で釣ろうとしているのか。

 胃袋を掴めば、暫しの時を共に居られるのかもしれない。

  そんな淡い期待が心躍る要因、そう彼は結論に至る。

 要は天然なのじゃないのか? と、筆者は思うが、

  彼は自分の弱さを理解した上で、その結論に至っている。

  「い~匂い~…ものすごっく良い匂い~」

 バスルームから出た女は、リビングに行かず、

  香辛料の効いた肉の焼ける匂いに釣られてキッチンへと入り込んできた。

 その瞬間、彼女の大きな瞳に入ったのは、色とりどりの山菜に包まれた鳥の丸焼きや、

  川魚の塩焼き等等、見るだけで

  口の中に唾がたまっていく上に、特別なソースでも塗ってあるのか、

  彼女が知る限り嗅いだ事の無い香ばしい匂いが部屋中に充満している。

 それだけで大きく見開いた茶色の眼は、

  まるでマタタビを与えられた猫の如くうっとりと、それでいて酔いしれた様な。

  「ああ、もう少し待ってく…れ?」

 あろうことか、言葉が終わる前に、いや振り返ったら既にこの猫獣人は料理に齧り付いていた。

  それはとても野性味溢れる素手掴みの丸かじりである。

  …もう少し雰囲気のある食事を期待していた彼は、少し思考がフリーズする。

 然し、彼等は元々、自然と共に暮らす種族であり、

  獣に近い習性を持っているのを思いだし「おいしいかい?」

  と、一心不乱に噛り付く獣の娘の紅い蓬髪を、

  悲しみを称えた光の差ささない漆黒の瞳で見つめつつ、優しく撫でた。

 その言葉に反応したかのように、満面の笑みで振り向き「すごくおいしい!」と、

  答えてくれたのに満足したようだが…珍事再び。

  食べる事に必死な彼女が巻いていた白いバスタオルがハラリ…と木製の床に舞い落ちた。

 隠せるモノなど何も無い、一糸纏わぬ状態で鳥の丸焼きを頬張る彼女に対し、彼は再び悩む事になる。


  …タオルが落ちた事を伝えるべきか、いや、タオルを肩からでもかけるべきか…。


 最初は二つの選択肢だったが、彼は結局、黙ってキッチンから出て行くという選択肢を取った。

  

 リビングに移動し、白基調のソファーに腰を下ろし、

  そこに料理が並ぶ筈だったテーブルに視線を移す。

 ふふ、いや、中々難しいものだ。 彼にしてみればこれは、

  種族間の融和的な事柄と捉えているのだろう。

 彼の日常と、彼女の日常の相違からくる知的好奇心、あの場合、この場合等々。

 時間を忘れ、頭の中で色々と妄想していると、

  ふと気づく。いくらなんでももう食べ終わっている筈…と。

 ソファーから腰をあげ、再びキッチンへと赴くと、

  タオルを巻きなおして丸まり、床で寝ている彼女が居た。

 そんな冷たい床で寝ると風邪を引くぞ…と、満足そうに満面の笑みで寝る彼女を抱え上げ、

  寝室へと運ぶ。

 薄暗い寝室には、大きめの本棚が二つ。色々な書物が整頓された状態で並んでいる。

  その本棚を通り過ぎると、大き目の木製のベッドに羽毛と布で作った布団が敷かれている場所へと。

 眠る子猫?をベッドにゆっくりと下ろすと、

  彼は彼女の真紅の髪へと視線を落とし、ゆっくりと撫でる。

  固めなツンツン髪は引っかかる事もなく、指の間をするりと流れる。

 獣の民『センティア』と…炎の民『イフリト』の運河を隔てた混血児…か。

  彼女の髪を撫でながら、視線を天井へと向ける。

  不意に自身の過去が脳裏に浮かび、同時に疑問も浮かぶ。

  どうしてこの子は、こうも明るくいられるのだろう…いや、無理をしているだけなのだろうか…。

 私も、あの時、無理をしてでもそうするべきだったのだろうか。 

  心を彼方に置き去りに、この身だけが此方に生き続ける。

  この木作りの家諸共に、いつか朽ち果て、腐り、土へと帰ろう。そう思っていた。

 悔恨だろう、意図せずして涙が頬を伝う。過去を悔やみ、とめどなく嗚咽が漏れる。

  「…ダメだよ」

 …どうやら彼女を起こしてしまったようだ。右手で涙を拭い、

  精一杯の強がりで彼は平静を装い、手を出すつもりは毛頭無い。

 そう伝えようとした瞬間、起き上がった彼女は両腕を大きく開き、

  彼の頭を優しく包み込むように…いや、全身で包み込んだ。

  「…ダメだからね」

 言動の不一致からくる激しい困惑。起き上がった拍子にまたしてもタオルが外れ、

  一糸纏わぬ女に優しく、慈しむ様に包み込まれた。

 然し、当人は「ダメだよ」しか言わず…だ。彼は涙も忘れ、

  ただ驚き、流れに身を任せるしかなかった。

  「悲しくても、辛くても、涙は流したらダメだよ」

 …。 理解した、慰められているのだ私は。

  それはまるで母が子を慈しむように優しく、その胸に包み込み、温もりを分け与える。

 何とも心地よい、幼少にでも還ったような感覚に囚われる中、少し、

  ほんの少しではあるが慈愛の抱擁が強くなった気がした。

  「涙を流したら、もっと辛くなって、もっともっと悲しくなるってティーシェが言ってる」

 …ティーシェ? 聞き慣れない単語に興味を引かれ、尋ねようとしたが、更に獣の娘は言葉を連ねる。

  「辛いからこそ笑うの。悲しいからこそ笑顔でい続けるんだよ。――ねぇ君」

 それは私に尋ねているのか? それとも諭したのか?

  どっちなのだ? にしてもこんな子がそれを実行しているというのか…。

  ティーシェという人物、相当に大きな存在と見た。深く深く、

  まるで眠るように静かに思考を駆け巡らせる中、諭しているのかもしれない。

  そう思い、彼は暫しの間が空いたものの、ようやく返事をした。

  「強いな…君は」

  「えへへー、だってティーシェの血も流れてるし当然だよ。

 と、尋ねてるのに無視とかいやだなー、ボクは」

  「た、尋ねていたのか。諭しているのかと思っていたよ、私は。

  で、私みたいな弱い男に何を尋ねるのかな」

 その言葉が終わるや否や、軽く頭を小突かれた。成程、

  ティーシェとは父か母のどちらかの意味なのだろう。

  彼女の目を見て話をしたい、切実に思うが私は相変わらず大きな胸にうずまっている。

 この男の名誉の為、書き記す。情欲というモノは今の彼には存在しない…と。

  「あのね、辛くても悲しくても笑顔で居続ける」

  「ああ。素晴らしい事だと思う。その背中はとても頼り甲斐のある広さだろうね…」

  「それそれそれ!ティーシェの背中、すっごくすっごくすーっごく大きく見えるの!!」

 突然、心地よい圧迫感から開放されたかと思うと、更に事態が悪化したようだ。

  「…な」

 数ミリでも動けば鼻と鼻がくっつく超至近距離へと移行した。

  一体なんなのだ、この子は…あれほど見て話したいと思った茶色の瞳。

  獣独特の鋭い瞳孔が余すところ無くハッキリと視認出来てしまう。

   表情も見たいわけなのだが、今度は瞳しか見えない。

  「『笑い続けるその背中は、決して傷つく事の無い背中になる』って何何何!?」

  「謎かけでもされたのかな? …ふむ」

 考える必要も無し。彼はそう思ったが、少しわざとらしく考えた。

  どれ程に辛くとも、笑え…。多分、父方だろう、

  その謎かけを彼女に与えたのは、おそらく多くの人を束ねる英傑なのだろう。

  さて、答えを言う事は容易いが…果たしてそれが彼女の為になるのだろうか。

  「…その答えは」

  「うんうんうん」

  「すまない。言葉にするのは容易い、が、答えれば君のティーシェに私が怒られそうだ」

 その瞬間、「みんなみんなそう言って逃げるんだー!」と、

  ようやく顔が離れたかと思った矢先、更に更に事態が悪化した。

  顔が離れた、というのは正確では無い。

 真向かいに座り込む彼女が仰向けに両手を振り上げ倒れこんだ――両足を天井に向けながら。

  「…」

 ついに獣の娘の全てを見てしまった。ああ、どう言い逃れすればいいのだ? 年頃の娘のあんな所…。

  視線を外す事も忘れ、ひたすらに逃れる術を考えあぐね、硬直した。

  「――はにゃっ!?」

  「…すまない」

 流石に私も男だ。ナニがアレになっても致し方ない。堪え難き静寂の中、

  夜行性の鳥の鳴き声だけが静かに響く。

  顔を真っ赤にしながら起き上がり、下腹部から下を両手で隠し、

  少し悲しそうな目で俯いている彼女から背を向けた。

  「き、君は此処で寝るといい、私は外で頭を冷やしてくるよ」

  「う、うん…あ、あのさぁ」

  「ん? 何かな…?」

 何かに気づいたのだろう獣人の娘は、ゆっくりと口を開く。

  大きくも柔らかな胸に右手を当て、出来得る限りの笑顔を一つ。

  「自己紹介してなかったね? ボクはグランディアーネ、アーネって呼ばれてるよ」

  「ん? ああ。そういえばまだだったね。だけど、残念だが、私は名前を持たない」

 彼女にとって、男の口から毀れた言葉に「名前無いの!?」と、驚愕した表情で口を丸くしている。

  無いワケでは無い。彼は全てを捨ててこの地に流れ着いた、世捨て人なのだ。

 そんな意味合いを知る由もなく、アーネは彼に対してまたトンデモな言動に出た。

  「んー…んじゃ、君の名前は…」

  「私の名前?」

  「うん。ハーミットブルー。これからボクは君の事をブルーって呼ぶ!」

  「そ、その心は?」

 まるで犬猫にでも名前を付けるが如くに、

  速攻で名前を挙げられたブルーは少し戸惑いつつも、その意味を尋ねてみた。

  だが、アーネにはその言葉の意味が理解出来なかったのか、

  改めて、名前の意味は?と言葉を改めた。

 深く考えるように、幾度もうんうんと頷きつつ、ほんのり桜色の小さく、

  可愛らしい口元から意味が伝えられる。

  「こんな森の奥深くに隠れ潜んでいるし、ものすっごく冷めてるから!!

  ……私のあんなとこ見ても無反応だし」

 少し、色気を見せようと、手で隠した胸元を僅かに下げてみたが…。

  「さ…冷めているのか、私は。それに、い…良い名前―――なの…か?」

  「冷め過ぎ…分かった!宜しくね!」

  「あ、いや。まぁ…うん、こちらこそ、宜しく」 

 そのままブルーは脇目も振らず、おやすみ。と言い残し暗い部屋を出て、野外へと。

  先ほどの梟だろう鳴き声が更に大きく、不気味に聞こえる。昼間は美しい木々も、

  夜間はまるで今にも動きそうな不気味さを漂わせている。

 彼は木作りの家の壁に背中を預けずるずると、力なく座り込む。

  「私は…どうすれば良いのだろうか」

 アーネと知り合った私は、あさましくも生きたいと思ってしまった。

  もう何年も前に死を覚悟した、何時この身が朽ち果てても良いと思っていた、

  諦めていた――いや、絶望していた。

 暗く深い闇の底、一切光の届かぬ筈の深淵に、あろうことか落ちてきた暖かい光。

  今、その光が彼の手の届く距離に在る。 その温もりに触れたい、知りたい―――生きたい。

 心は彼方に在る筈なのに、彼は胸の奥に新たな心の鼓動を感じ、またしても涙が頬を伝う。

  涙がこれ以上ながれぬよう、満天の星空なのだろうぼやけた夜空を仰ぎつつ笑顔を作りながら、

  彼の意識は深い深い闇へと静かに落ちていった。


 朝、朝日が木々の隙間から、さながら光の矢の如く射し込み、

  ブルーは目を覚ました。…外であのまま寝てしまったのか。

  意識が朦朧とする中、立ち上がり、ふらふらと小川へ行き、顔を洗い、意識を覚醒させる。

 冷たく清らかな川の流れを暫し覗き込み、ふと思う。

  私はそこまで冷たいように見られているのか…と。

  ハーミットブルー、蒼の隠者…か。ただの世捨て人には勿体無い名前だ。…ん?

 はっきりと覚醒した意識が気づく、何か焦げ臭いと。

  慌てて焦げた匂いの元を辿ろうとするが、それはあの家からだった。

  慌てて火の元だろうそこへと駆け込む。

  「アーネ? 君は何をしているのかな?」

  「あ、おはよ! 何って…朝ごはん?」

  「フライパンから狼煙が上がっているのは、気のせいかな?」

  「う…」

  「お鍋の蓋がドロリとした泡を吹いて踊っているのは、私の目の錯覚だろうか…?」

  「うぅぅ…」

 何をどうしたらいいものか、考えあぐねている私は、

  無理矢理キッチンから押し出される事になったのだが、

  朝食を作ってくれていると言う事は理解し、機会があれば料理の作り方の一つも教えよう。

  そう思いつつリビングのソファーに腰をかけ、時を待つ。完全失敗作のソレが並ぶその時を。

 30分程経ち、ついにソレが運ばれてくるが…やはり、料理と呼べる代物では無く、

  何かの暗黒物質染みたソレが皿の上にのっている。

  スープらしいソレは、酷く濁り、何を入れたのか妙に酸っぱい匂いが湯気から嗅ぎとれる。

 おそるおそる、ナイフとフォークで黒い物体を切り分けると、

  中まで火がきっちりと通っている。食中毒にはなるまい…。

  ソレを口に運ぶと…苦味しか無い。旨みも辛味も甘みも全てが焦げたソレであった。

 続いてスープを口にすると、強烈な酸味が私の口の中を槍で刺しまわり、

  喉の奥を貫き、胃に到るまでを蹂躙していくインフェルノ。

  こ、これは…まさか…。

  「アーネ…」

  「うー…失敗しちゃった?」

  「いや、酸味の極めて強いラキシャの果実をまるまる鍋にいれただろう…」

  「う、うん」

  「あれは本来、ソースに使う調味料の一つなんだよ。間違ってもスープにしては…だめだ」

 塩と砂糖を間違えるレベルでは無い。僅かな量で舌を刺激して、

  素材の旨味を強く引き出すラキシャの果実。

  火を通すと、酸味が強くなる特徴があり、通さないと甘酸っぱい果物としても食べられる。

  そんな果実を皮ごとすり潰してそのまま煮込んでしまったのだ。

  なんてワイルドな発想をする子なんだろう。

 

  「ま、まぁ、初めて作ると誰でも失敗はする。それを次に活かせれば何も問題ない」

  「う、うん…」

 この男、やはり疎い、鈍い。例えそれが猛毒であったとしても、女の子の手作り…それも初めて作ったかも知れない料理。

  皿まで喰らうのが礼儀じゃないだろうか…と筆者は思う。

  肩をガクリと落として残された料理の片付けをするアーネ。

 そんな彼女を相変わらずの鉄仮面で見ていると、

  彼女は一度ブルーの方を向き、残った失敗作に視線を移し、キッチンへ。

  「ふぅ…なんとも賑やかしてくれる子だ」

 とても明るくて良い子だ。それは分かる、

  一緒にいると安らぎを覚えるのは確かだが――それが返って辛い。

  早い所…と、ここで彼の思考は止められる事になる。アーネの悲鳴によって。

 何事かと、ブルーはキッチンへと行くと、舌を出して涙目になっているあの子が居た。

  恐らく、いや確実にラキシャの煮込みスープを

  飲んだのだろう。余りの酸っぱさに…あああ。

  「うぷ…」

  「そのまま少し横になっていなさい。じきに良くなるよ」

  「むー…」

 塩やら酸味の強いモノをそのまま大量に取ると、強烈な吐き気に襲われる。

  間違いなくソレだろう状態のアーネに水の入ったコップを

  手渡し、水で湿らせたタオルを額に当てながら、早く家に帰って欲しいのだが、

  タイミングが中々と考えていたが…。

  「そろそろ、帰らないとティーシェが心配するのに…」

 成程、一晩泊めて貰ったお礼に料理…か、律儀な子だ。

 ならばこのまま手ぶらで帰すワケにもいかないか…。

  戸棚にある赤色のやや粘り気のある液体が入った小瓶を取り出し、近くにある皮袋に詰める。

 そのまま床に寝転がるアーネに差し出す。

  「これは・・・?」

  「ラキシャの果実の正しい使い方、ジャムだよ」

  「くれるの?」

  「ご家族のお土産に持って帰ると良い」

 …。少し露骨過ぎたか、ようするに早く帰れと言う意味合いを込めた行動であった。

  流石の彼女も悟ったのか、獣耳が少し垂れてションボリしたような…。

  …。

  「気分が良くなったら、君の村まで送ろう。流石にこの森を女の子だけで帰せない」

 そう言うと獣耳がピンと立つどころか、フワリと飛び上がるように彼女は起き上がった。

  「やったー! お客さんだー!!」

  「いや、送るというのは、君の村まで同行するだけで…」

  「無理無理! 夜までかかるし、夜には、竜刃種が出るんだもんあそこ」

  「り…竜刃種…よくそんな所で暮らしているね」

 竜刃種、主に武器の高級素材として、稀に市場に出回る。ちなみにこんな諺がある。

  『竜を倒したければ竜刃種を狩れ』 ちなみに彼等も手強い竜族であり、本末転倒な諺である。

  「ティーシェが怖くて村によってこないっぽいよー」

  「…一度、お会いしてみたく思えたよ」

 竜をすらも恐れさせる獣の民…あるいは火の民の父。一体どれ程の豪傑なのだろうか…。

  短いだろう、けれど僅かな時間に楽しみを抱きつつ、私は彼女の体調が快復したのを確認し、パンと先ほどのジャムを皮袋に入れ、

  アーネの案内の元、その英傑か豪傑か、あるいはその両方か…いるであろう村へ向かい、何年も過ごした二階建ての家を出た。

  

 ****


  「ハーミットブルー…ふむ。良き名を頂いたものじゃな―――それに」

 彼らの去った後、暫くして家の影からみすぼらしいボロを纏った老人が現れた。大きいフードを被っている所為だろう、

  肌の色が薄黒くも見え、元よりその色なのだろうか。 年相応の白髪も水分を感じさせない乾燥した髪がチラリと覗いている。

 薄汚いボロを覆う右手を家に翳し、一言。

  「最早、お前の帰る場所はここに在らず」

 すると、やや大きめの二階建ての木作りの家が、霧散し、その近場にあった畑も消え、

  残ったのは小川だけとなる。

 その小川の傍に老人は歩み寄り、彼等の往く方角へと視線を向け、

 ポツリと呟くと、霧の如く消え去った。


―――お前が世を捨てるにはまだ早い。 

 ワシのようになっては…いかんぞ。愛しい我が娘の――可愛い孫よ。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ