向日葵は太陽を探した
少女は向日葵を見ていた。
その向日葵はまだ育ち始めでそれほど大きくは育っておらず、見上げる程ではなかった。だから少女はそれをまっすぐに見つめる。まるで友達とお喋りをしているかのように。
向日葵と向かい合う少女の左手にはジョウロが下がっていて、口からポタポタと水が垂れていた。向日葵の地面が夜目にも分かるくらいに、水で濡れている。まるで蜜をかけ過ぎたかき氷みたいに土が削れている。少女が水を撒いていたのが僕にも想像がつく。少女の靴が随分と濡れていたし、手まで水を被っていたから、何度も水を汲んで何度も往復をしては夜の向日葵に水をあげていたのだろう。
きっと早く育って欲しいんだろうな。あの絵本の木のように、グングン育ち雲まで伸びて、早くその木を登りたいんだろうな。そうすれば絵本と同じで幸せになれるだろうから。
気がつくと少女がこちらを見ていた。僕を見上げるように顔を向けていて、目が合うと少し遅れてから、はにかんだような顔を崩した。
僕は背中がむず痒くなる。
「お水をあげるの?」
少女が聞いてくる。あいにく僕は立派なジョウロを持ってない。
「僕は水をあげないよ。もう十分だと思うし」
「水あげなくても大きくなる?」
「うん」
「豆の木みたいに大きくなる?」
僕はその言葉の返事に困り、パチンコ屋で貰ったラムネを取りだし少女に差し出す。少女はそれを見詰めている。
「君にあげる」
「これ、なに?」
「ラムネ」
「交換する物ないよ」
「いいよ、君にあげる。交換する物が無くても君にあげる」
少女は受け取り、ポケットにしまう。
「食べたらいいのに」
「うん。後でお母さんと食べる」
「じゃあ、もう一つあげる」
「ありがとう」と受け取り、それもポケットにしまう。
別のラムネを僕は取りだし、口に入れる。口の中でシュワッとラムネが溶ける。少女がそれを眺めていた。僕の口をじっと眺めていた。目が合うと、はにかんだような顔を崩す。それからも僕の口をじっと眺めていた。
僕はもう一つラムネを出す。魔法のポケットのようにラムネを取り出す。少女は目を丸くしてそれを見ている。
「これもあげる。今君が食べればいい」
少女は手を出さず、僕とラムネを見ている。
「口を開けて」
袋からラムネを出し、少女の口に入れる。少女は口を閉じ、酸っぱいような顔をしてから笑った。
はにかんだ崩れた顔では無く、目と口で大きな円を作り、少し声を上げて笑った。僕の背中はむず痒くはならない。すぐに少女は大きく口を開け、舌を出す。
「全部食べたよ」と舌を出して見せる。そう言って見せる少女の舌はラムネ色に染まっている。
僕と少女はそれからいくつもラムネを食べた。その度に少女は酸っぱい顔をして、口を大きく開けて舌を出す。時たま、笑いながら足だけをジャンプさせてクルクルとその場を回る。何かの儀式みたいだな、と僕は思った。
ラムネは最後の一個になった。少女はそれを口には入れず、土に埋めた。猫を埋めた場所を少し掘り返し、そこにラムネを埋めた。埋め終わると何かの真似事のように、しゃがんだままお尻を上げて頭を下げる。それからから土を被せていく。真剣な顔のまま黙々と行っていく。
被せ終わると、一度僕の顔を見てから、またあの日の様に少女はバン、バン、と土を叩き出す。
埋めた場所を中心として円を回りながら、向きを変え、靴の位置を変え、何度もバン、バン、と強く叩いていた。
僕はそれを眺めていた。少女はいつまでも土をバン、バン、と叩いていた。
次の日、僕は電車に乗りいつもの駅で降りる。ハローワークへは行かず、そのままパチンコ屋へ向かう。昨日と同じ台に座り、昨日と同じ様に打ち始める。でも昨日と同じ様に玉は増えずに、増えたり減ったりを繰り返す。僕は根気よく打ち続けた。
煙草が無くなる頃には昨日と同じくらいか少し少ないくらいに玉は増えていた。
僕の財布は重くなり、手には袋一杯のラムネがある。商店街で親子とすれ違った時、少女の酸っぱい顔が浮かんだ。
駅に着くまでの短い距離の間で小便がしたくなり、人気の無い場所を探し奥まで進む。さっきまでの煩い音楽は無く、カビとアンモニアの臭いがする。立て掛けられた朽ちた板と割れたゴミ箱がひっそりと置かれていた。その風景は汚れている。
僕みたいだな、と思った。
僕の生まれた場所みたいだな、と思った。
あの朽ちた板にある、黒ずんだ影が僕の父親。意味もなくぬかるんだ土が僕の母親。僕は釘が抜けて剥がれたトタン。風が吹かなければカタカタと音も出せない。屑鉄としてそこに貼り付いているだけ。燃えないごみの日に出されないよう、トタンとして貼り付く毎日。
僕みたいだな、と思った。
でも今の僕の財布は重い。ここに居るべき人間じゃない。
早く出ようと焦る。そのせいか壁に当てた小便が跳ね返り、僕の靴紐に降り注ぐ。
その液体は間違いなくさっきまで自分の体の中にあり、自分の体の一部だったというのに、壁に当たり跳ね返ってきたその液体は汚らわしく醜い。
小便のくせに生意気だと思い、染みが広がる古臭い壁を貧乏のくせにとなじり、向きを変え高さを変え、僕の靴紐にかからないようにその辺り一帯に巻き散らかした。
いい気分になった。僕はここに居るべき人間じゃないんだと優越感が沸いてきた。
「やあ!」
不意に後ろで声がして振り向くと、僕と違う別の人が立っていた。小便をしに来たのだろう。僕は場所を譲る。小便がかかった足が冷たく感じて恥ずかしかったけど、それでも僕は今この場所から出て行くんだと誇らしかった。カビとアンモニアの臭いのする古臭い場所から、僕は出て行くんだと誇らしかった。
「儲かったかい?」
嫌な目をしているなと思った。声も嫌いだと思った。服装も朽ちた板に似ている。
「儲かったんだろ?」
色んな人の顔が浮かぶ。子猫は顔が潰れてる。少女の顔は剥げて分からない。その他はみんな、親も教師もクラスメイトも顔はのっぺらぼうだった。
「ちょっと恵んでくれや。なあ、勝ったんだろ? 見てたぞ」
一緒だな、と思った。変わらないんだ、と思った。僕は一生ここから抜け出せないんだ。カビとアンモニアとアルコールとニコチン。くすんだ影にぬかるんだ土。
「とっとと渡しとけば痛い目に会わずに済んだんだぜ」
空になった僕の財布が捨てられ、男の体から出された尿が壁に跳ね返り、倒れている僕の顔にかかる。アンモニアの臭いはしなかった。鼻から流れる鉄の臭いが古い記憶に色を付けていくだけだった。
ぬかるんだ土が僕の体を沈めてくれる気がした。けれどいつまでたっても僕の体は埋まらないまま、魂が逃げていく事は無かった。
捨て撒かれたラムネを拾い、袋から出してみたけど、少女も土の中の猫も食べないだろうと思いなるべく遠くへ投げた。
壁にもたれ煙草を吸おうとしたけど、ライターしか無かったので僕はそのまま朝が来るのを待った。




