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向日葵にのぼる少女  作者: 沖崎りい
1/14

2匹の猫

 

 

 あの日、僕は二匹の猫を埋めた。車に轢かれて動かなくなってしまった二匹の猫を。


 少女は向日葵を昇ろうとしてた。太陽を追い掛け空へと伸びていく、あの向日葵を。




 壁に掛けてあるシワついたシャツを着てアパートのドアを開けると、そこにはいつも少女がいる。薄暗い廊下の壁にもたれて声を出し、夢中で絵本を読んでいる。消えかけた廊下の古い電気の下、少女は絵本を読んでいる。僕には目もくれず夢中で絵本を読んでいる。


 薄暗い廊下を抜けて外へ出ると、朝を過ぎた陽射しがまぶしく襲い、そして夏も終わりだというのにとても暑くて、手をかざす僕に向けて蝉達が必死に鳴き続けていた。ジージーと頭を刺してくる鳴き声と頭の上で奇妙に蠢く羽から逃げるように、僕は駅へと向かう。

 国道沿いのガード下では歩道をキャンパスにして、ハトのフンが幾重にもこびりついている。完成する事もないだろうに最後の仕上げとばかり、今また僕の目の前にハトがポトリとフンを落とす。

 絵心と社交性の無い僕は感想を聞かれない様にと視線を落として電車に乗る。ハローワークへと向かう電車に乗る。土から蝉が這い出すように、同じ一日が始まる。

 そこで僕は哀れみと羨望が同調した空気を吸い込み、事務的に移動しながら日数を計算し、よく分からないものを吐き出して、事務的にそこを後にする。

 そして運試しに入るパチンコ屋では、サイフの中身がカラッポとなり、ポケットの小銭で切符を買う羽目となる。残った小銭ではタバコは買えず、またATMで下ろさなければいけなくなる。


 やっぱり昨日と同じ一日の針が、チクタクと進んでいく。でも今日はいつもと違い、針の動きがよく見えた。


 帰りの電車は空いていて座ることが出来た。いつもは立って揺られながら見知らぬ人の服の袖やズボンの裾を見ていたり、ボソボソと漂う人いきれを感じていた。けれど今日は座れた。座れた今日は反対側の窓に流れる景色を眺めていたかった。なのに、派手なお姉さんと目が合い、外の景色が見れなくなってしまった。

 仕方なく視線を落とし、座る人達の靴の動きを目で追っていく。色んな靴が並んでいる。

 老若男女という言葉が頭をよぎり、思わず口に出す。上手く言えなかったので、もう一度ゆっくり言ってみる。上手く言おうと頑張ったのに、途中で隣の尖ったお兄さんが睨んできて言えなくなってしまう。


 僕が降りる二つ手前の駅で人が沢山乗り込んできて、いつもの様に座席は見知らぬ人達で埋まってしまった。まるでブラインドを下ろしたように、いくつもの顔が並ぶ。見たかった外の景色は流れる斜線となり、窓を埋めた。

 その分、靴が沢山乱雑に並ぶ。ゴミ屋敷の玄関のように靴が並ぶ。その中の一つ、オジサンの靴が汚れている。特に片方の靴の底だけがえらく汚れている。それを見ていて僕はハトのフンを思い出す。けれどハトのフンの方がずっと綺麗だった気がする。

 駅に着いたら、今朝目の前に落ちたフンをもう一度見てみよう。あんな靴底なんかより、綺麗だったはずだ。オジサンも驚くだろうな。自分の靴底よりハトのフンの方が綺麗だと知ったら。僕は一刻も早くハトのフンを確認したくなってきた。

 駅を降りたらガード下まで知らず知らずに足早になり、オジサンの驚く表情を想像して顔がほころぶ。


 ガード下に着くとすぐに、今朝ハトが落としたフンを僕は探す。けれど誰かが吐き捨てたガムはあるのに、今朝落としたハトのフンが見当たらない。いくら探してみても見当たらない。落ちた場所は覚えているのに、ハトのフンは見当たらなかった。その場でグルグルと回り何度も探してみたけどハトのフンは見つけられなかった。

 なんだか裏切られたようでとても悲しい気分になった。


 それでも明日になれば、またハトはフンをする。きっとまたする。必ずする。そしてガムの上にもハトはフンをする。しかしそのフンはオジサンの靴底よりも汚れている気がした。今朝みたいなフンは、もう描けないだろうな。

 そう考えていると、ガードの鉄骨の隙間にいるハトが笑う。見上げて確認する勇気は僕には無い。きっと真上にハトはいる。僕を見下ろしているに違いない。クックッと、またハトが笑う。睨み返してみたかったが、ハトが僕の頭の上にフンを落としそうで怖くなり、急ぎ足でガード下を後にした。


 それからずっと、僕のほどけそうな靴紐だけを見て歩いていた。

 


 その時だった。

 視界の先に何かが横切った。

 それは視界の中をまるでロケットの様に飛んで行き、あっという間に消えて行った。僕はそれだけで嬉しくなり、靴紐の事など忘れてしまい慌てて視線でそれを追った。遠くまで飛んで行ってしまったかと思ったそれは意外と近くにあって、歩道の端でちょこんと座り、後ろ足で首を掻いていた。ロケットは首を掻かないから、僕にもそれが猫だと判った。色の黒い野良猫だ。


 黒い猫は座って車の流れを見ている。その姿は綺麗だけど少し痩せすぎていた。きっと貧乏なんだろう。僕と一緒で株をやっていないのかも知れない。仕事はしているのだろうか、ハローワークへは行っているのだろうか。もしかしたら僕の隣でパチンコを打っていたかも知れない。そうだとしたらきっと負けている。あの店で勝てる訳がないのだし。だから僕と、この黒い痩せた猫は貧乏なんだ。

 僕はこの猫と友達になれそうな気がした。どうやって声を掛けようか。猫を見ながら考えた。

 すると突然、黒い猫はまた飛び立った。何の前触れも無く、カウントダウンも告げず、国道へと飛び出した。

 僕の気持ちが分かっているのか、いないのか、猫は器用に国道を横切っていく。車は構わずに走っている。その中を器用に横切っていく。

 中央分離帯にたどり着いた猫は当然のように立ち止まり、後ろ足で首を掻いてから、振り向き尖った歯を見せてシャアーと鳴いた。お前と違って俺は忙がしいんだと、まるで僕をあざ笑うかのように猫は鳴いた。

 僕は羨ましく思う。あの猫は僕と違って、これからもたくましく生きて行くんだろう。

 僕に構ってる暇など無い。猫は忙がしいんだ。


 車は構わずに走っている。


 中央分離帯でまた猫が鳴いた。それに答えるようにして、僕の足元でも猫の鳴き声が聞こえた。それは弱々しく幼い鳴き声。まだ子猫。


 車は構わずに走っている。


 子猫は車に脅えていた。けれど、一つだけ鳴いて親元へと飛び出していった。

 国道に出てすぐに、子猫は向かって来る車から逃れようと大きく跳ねた。それは子猫にとっては決死のジャンプ。生きる為の跳躍。親の元へと駆け寄る本能。

 子猫はまだ小さ過ぎたのだろう。生きる術を知らなかった。


 車は構わずに走っている。



 道路の端で子猫は血を流していた。体は動かないのに足だけをピクピクと震わしている。

 無謀だった。ただ親元へ駆け寄りたかっただけの事が。


 車は構わずに走っている。


 二度と子猫は鳴かないのに、中央分離帯の猫は二度鳴いた。


 車は構わずに走っている。


 猫は子猫の元へ駆けていく。向かって来る車に立ち止まり、隙をみてまた走り、動かない子猫の元へと駆けていく。


 車は構わずに走っている。


 たどり着いた猫は子猫を喰わえて、分かっているのか、いないのか、また中央分離帯へと走り出した。

 あと少しだった。あと少しで中央分離帯へと行き着けたのに。


 車は構わず走っていた。



 猫の親子は幸せだったのだろうか。

 ガードの下では、笑ったハトがフンをして、地面に落ちる音をさせていた。


 車の中では運転手が呟いている。


「かわいそうに」

「誰が轢いたのかしら」

「猫が死んでるよ。ちゃんと避けて」

「気を付けないと、車が汚れるね」


 車は構わずに走っている。動かなくなった猫の親子を避けながら、いつもと変わらず走っている。

 僕は子猫と違い、車を避けて行けるだろうか。それともやっぱり轢かれてしまうのだろうか。

 僕は一度鳴いてから、ガードレールを跨ぎ、国道へと歩み寄った。車は構わずに走っている。友達になれなかった猫の元へ、僕は国道を歩いていった。

 国道のどこかでブレーキが鳴り、クラクションと怒鳴り声が聴こえてきて、僕の靴紐がほどけ出した。




 腕の中には鳴かない猫が二匹いる。親の元へと走り出さなければ、子猫の顔もこんなに潰れることも無かったろうに。親の顔はとても綺麗なまま。それでも、やはり動かない。どんなに揺すってみても、二匹の猫は動くことはなかった。

 アパートへの帰り道、腕の中の動かない猫をどう処分しようか考えていた。


 角を曲がった時、僕は名案を思い付いた。

「そうだ。公園に埋めてあげよう」


 地中に埋まっていれば、車に轢かれる事も子供達にいじめられる事もないだろう。夜になれば這い出して遊ぶ事も出来る。猫も喜ぶだろう。


 もうだいぶ日も暮れたことだし、公園には誰も居ないだろうし邪魔される事は無いだろう。

 僕は動かない猫を抱き、公園へと向かった。



 そこに少女が立っていた。たった一人で、枯れた向日葵を、じっと見上げている。

 太陽は街中を照らしていた。けれど、公園はオレンジ色に眩しく染まっていた。




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