ぷろろーぐ まだ月は雲に隠れてる
「あんた、明日から葉海学園に転校することになったから」
桜の花もとっくに散って、青々とした葉が風になびく今日この頃。俺こと大神卓郎は、おふくろに衝撃の真実を告白されました。
葉海学園は日本で一・二を争うエリート校である。
まあ、世間一般のイメージはこんなもんだろう。入学試験の倍率は軽く五倍を超え、特に受験者が多かった年なんかは十倍にまで達したそうな。特進科は言わずもがな、芸術やスポーツ方面にも力を入れている学校で、総面積は東京ドーム七個分くらいだとか。この学園OB・OGは、政界や財界でかなりの地位を築いている人たちが多いものだから、人脈だけでも相当なものらしい。
入学できれば将来を約束されたようなもの、ということだ。
そんなすっげぇ学校を受けるのもおこがましい、平平凡凡な中学三年生だった俺は、身の丈にあった地元の高校を受験した。そして、そこそこ刺激のあるハイスクールライフを満喫する、ごくごく普通の高校生になった。
――なった、はずだ。
おかしい。そろそろ高校にも慣れてきて、部活はどうしようかなんて悩んでいたのに。なにゆえ俺はこんなただっぴろい校門の前で立ち尽くしているのか。だれか俺の疑問に答えてくれ。
いくら考えても分からなかった。
いや、おふくろが原因だとはわかってるんだけど、なんで俺が葉海学園に来なきゃならんのか、そこがまったく意味不明。
肩にボストンバッグをひっさげ、俺は巨大な校舎を見上げていた。
事の起こりは昨日の夕方だ。
俺が学校から帰ると、俺の部屋から荷物が綺麗に消えていた。ここからもうすでに滅茶苦茶だが、まだまだ序の口。何事かと思った俺は、当然事情を知っている出会あろう人物を問いただした。そう、おふくろだ。俺が朝出かけてから帰宅するまで、犯行が可能だったのはヤツだけである。キッチンで夕飯の支度をしていたおふくろを、俺は質問攻めにした。もちろん、俺の部屋の荷物がきれいさっぱりなくなっていることについてだ。
そしたらヤツはこう答えたのだ。
「あんた、明日から葉海学園に転校することになったから」
ほら、意味が分からないだろう。
「え、引っ越しでもすんの?」
あんまりな答えに頭が混乱した俺は、マヌケ面でマヌケな質問をした。でも、誰も俺を責められないだろう。
「いいや。あんたには寮に入ってもらうわ」
「……は?」
今思えば、編入試験とか受けてない上に、転校手続きだってしてないにもかかわらず、いきなり翌日から別の学校行けだなんておかしいことだらけだった。しかも、転校先はあの天下の葉海学園だ。何か裏がある。そう思った俺はもちろん全力で抵抗した。が、努力もむなしく俺は怪物に無理やり車に押し込まれてここに至る。
あの怪物が言うには、校門前で待っていれば案内役が来てくれるとのことだ。あまりに敷地が広大であるために、よく校内で行方不明者が出たりするらしい。大抵はすぐに見つかるが、三日間さまよい続けた猛者もいると聞いた。
この話を聞いて、さすがに一人で歩き回る気にはならない。俺は大人しく待っていることにした。
待つこと一時間。
今は五月の半ば。いくら涼しい風が吹くとはいえ、雲一つない青空のもと一時間以上も立ちっぱなしで汗がダラダラと額を伝っていく。ようやく現れた案内役らしき生徒の声に、文句の一つも言ってやろうと勢いよく振り返った。
「どれだけ――!!」
待ったと思ってんだ。そう続くはずの言葉は、最後まで声に出されることはなかった。俺はその姿を捉えた途端、石化の魔法でもかけられたように硬直した。
走りよってきた人影に見覚えがありすぎる。
肩の辺りで切りそろえたふわふわのストレートで、艶やかな黒髪には天使の輪ができている。全体的に華奢な上に幼い顔立ちだ。よく小学生に間違われると愚痴をこぼしていた唇も、記憶にある形そのままだった。
「ごめん! 急に生徒会のお仕事が入っちゃって……待たせちゃったよね?」
顔の前で両手を合わせながら、彼女は眉をハの字にして謝ってきた。その様子に毒気を抜かれて、俺の怒りはすっかり萎んでしまう。
何より、彼女と会えたことの方が重要だった。一時間待たせられたことなど気にならないほどに、俺の視線は彼女に釘づけである。
会えた。彼女に。もう会えないかと思ってた。
胸の中をぐるぐると巡っていく想い。昨日からの憂鬱な気分なんか、彼女の姿がふっ飛ばしてしまった。嬉しい。良かった。今の俺には喜びしかなかった。
「ふふ。……卒業式ぶりだね、大神君」
「うん。久しぶり……千鳥さん」
母親の奇妙な導きのもと、葉海学園の校門前で。
初恋の相手にして現在も片思い中の彼女、千鳥ハルさんと俺は運命の再会を果たしたのであった。