第二話 威嚇
「普通科の生徒の皆さんはここに残ってください。あとの学科の生徒の皆さんと先生方は食堂へ、指示に従ってください」
クアンシュはそう言うと、周りを一瞥した。
兵士たちは小銃をもって、生徒や教師たちを誘導する。
皆、悲鳴を上げようにも、恐怖のあまりに上げられなかった。それに冷静に努めている。
ゆっくりと、他の学科の生徒たちは動き始めた。
しばらくしてクアンシュが降壇した時、慎也の斜め後ろで物音がした。振り返ると、千草が倒れている。
「居村!」
横にいた正則が駆け寄った。
動くな、近くにいた兵士の一人が叫んだ。小銃を構えている。
正則はそれでも目をつぶったままの千草から離れようとしない。
「おい、正則」
慎也は言った。別の兵士が倒れた千草の所に寄った。
正則はその兵士の顔をみて驚いた。自分と同世代に見えたからだ。ただ目はほかの兵士同様、鋭い。
彼は脈などを測っている。
「中尉」と少年兵は顔を上げ、銃を構えていた男を見る。
「保健室で静養が必要かと思われます」
わかった、中尉は小銃を降ろした。
「あの」
慎也が口を開いた。なんだ、と中尉が言う。
「俺、保健委員なんで、担架持ってきて、運びます」
なんでこんなことを言ってしまったんだろう、慎也は自分の正気を疑った。
「私も」はるかも手を挙げた。
「俺も」正則も同じだった。
中尉が何か言うとした時だった。クアンシュがやってきた。
「倒れたのか」
中尉と少年兵は敬礼をした。
3人は朝鮮語で何か話をしている。
話が終わると、クアンシュは頷いた。そして日本語ではなしかける。
「よし、君たち3人で彼女を保健室まで連れて行ってくれ。彼らの監視はヒソブに任せる」
了解、少年兵は再度敬礼をした。
その時、パトカーのサイレンの音が響いた。
八坂警察署のパトカーが正門にやってきた。
正門は門扉によって封鎖されており、その向こうにはバリケードがわりに1台のトラックが止まっている。
助手席に座る初老の巡査部長が、八坂警察署に無線で状況を伝えた。運転席にいた新米巡査がそれを緊張しながら聞いている。
その際八坂警察署より、その場で待機せよ、増援を待て、と言われた。
「そんなこと言われてもなあ……とりあえず安全ゴム外しておけよ」
巡査部長が言った。彼らは腰のホルスターのなかにあった、ニューナンブM60回転式拳銃を取り出し、引き金の後ろにあるストッパー用の安全ゴムを外した。
新米の巡査は震える手でそれを外す。
「大丈夫か」
「はい」
そういう巡査の顔は強ばっている。
その時、銃声が一帯に轟いた。いや、立て続けにもっと重く響くような音だった。
おもわず二人共、身をかがめた。
校内放送が鳴った。ゆっくりと顔を上げる二人。放送から流れるのは、クアンシュの声だった。
「包囲しているパトカーに伝えます。今、対空機関砲を発砲しました」
巡査部長と巡査は顔を見合わせた。
「これはヘリコプターをも撃墜できる強力な機関砲です。パトカーはただちに周囲2キロの地点まで後退してください。付近の住民の方も同じです、警察は広報などで呼びかけて、住民を退去させてください。以上です」
「け、警察の相手じゃない……」と巡査は震え始めた。
「しっかりしろ、後退だ!」
巡査部長がそういうと、巡査の運転するパトカーは正門を離れた。
「なんだ今のは」
慎也は不安そうな顔で言った。
「機関砲だな、威嚇だ」少年兵はそう言った。
担架で運ばれた千草は、保健室のベッドの上で寝ていた。
保健医は出張で今日は学校にいない。
代わりに少年兵が様子を見ていた。
「お前、診れるのか?」正則が、千草の横で体調を見ていたヒソブに向かっていった。
「一応衛生兵としての勉強はした。その程度だ」
流暢な日本語だな、と慎也は思う。
少年兵は千草から顔を上げ、3人を見た。
「大丈夫だ、緊張によるものだと思うが、ここで安静にしてたほうがいい」
「ありがとう」
慎也は言った。彼は鋭い目を丸くした。
「どうしてそんなこと言うんだ、当然のことをしたまでだ」
慎也は思わず笑った。こんな表情もするのか、と考えたらおかしくなった。
「どうして笑う?」
「いや、君がそんな顔をするとは思わなくて」
はるかと正則もそんな慎也をみて、ほっとしたような表情を浮かべた。
「ペク・ヒソブ」
ヒソブはまた鋭い目をして言う。
「君じゃない、僕の名前はペク・ヒソブだ」
ヒソブか……慎也はつぶやく。
「俺の名前は安藤慎也」
正則も自分を指差した。
「俺は山下正則」
「私は小松はるか」
はるかはポケットからキャラメルを取り出した。
「はい、助けてくれたお礼」
ヒソブはそれを見たが、受け取ろうとはしなかった。
「どうしたの?」
「今、僕の祖国では人々が飢えと戦火に苦しんでいる。自分だけ甘いものは受け取れない」
その時、警報音が響いた。
今まで聞いたことのない、電子音。
「なに、これ」はるかが言った。
「国民保護のサイレンだ。ミサイルやゲリラが侵入した時に鳴る」
ヒソブはそう言うと、苦笑した。
「君達はそんなことも知らなかったのか、平和だな」
「何、対空機関砲? なんだそれは?」
八坂警察署の講堂には、いくつもの電話が置かれ、この地区の大きな地図が中央を陣取り、パトカーの配備状況などを確認していた。
署長の砧は巡査から叩き上げの、ベテラン警察官だった。
「要は空にいる目標を打つ重火器で、犯人グループがそれをもって威嚇射撃したそうなんです」
「そんなもん、そこらへんの過激派や武装強盗が持つシロモンじゃないぞ。相手は自衛隊か?」
「署長!」
婦警が一本の電話の受話器をあげたまま、署長の方を向いていた。
「や、八坂高校から電話です」
代われ、と署長がその電話を取った。
「八坂警察署ですか?」
「そうだ、私は署長の砧だ。君は?」
署長は毅然とした態度だったが、相手が敬語を使ってきたため、若干拍子抜けした。
「私は朝鮮人民軍偵察総局の教官、イ・クアンシュ大佐です」
砧は朝鮮人民軍という言葉に、動揺を隠しきれなかった。
「砧署長、我々は八坂高校を占拠し、教員とその他職員、さらに生徒たちを人質に取っています。
我々は日本国内閣総理大臣と電話で話がしたい。14時までにまたここに電話します。
それまでに総理と話せるよう、準備してください。それと校内周囲2キロを封鎖、住民はその範囲から避難、また、上空にもヘリを飛ばさないでください」
最後になるが、とクアンシュは言った。
「我々は自動小銃、拳銃、手榴弾、重機関銃、ロケット弾など重火器で武装しています。武力で解決しようとは思わないでください」
そういうと、電話は切られた。
東京、市ヶ谷の大きな電波塔のもとには3つのビルが並んで立っている。
ここは防衛省。正門には自衛官が立ち、警備を行っている。
その一角には、防衛省の情報機関、情報本部がある。
情報本部の分析官、河崎洋介三佐は、いつもより人が右往左往している廊下を歩いていた。
都内西部で武装集団が学校を占拠した、というニュースが入って以来、防衛省内でも動きが慌ただしくなっている。
河崎は、防衛省でもこんな感じなのだから、警察庁や警視庁はもっとすごいことになっているだろうな、と思った。
彼は本部長室に入った。そこには、本部長の家島陸将がいた。
おう、来たな、そういって河崎を招く家島。
「学校を占拠したニュースは知ってるな?」
「はい、さっきまでNHKをみてました」
「うん、これから警察と自治体が主導して、八坂高校付近の住民を避難するそうだ。早速だが、これから官邸で安全保障会議が開かれる。私と一緒にこれに出席してくれ」
突然ですね、河崎がそう言うと、家島は書類を渡した。
「警察庁が珍しく、情報をもってきてくれた。犯人グループのリーダーは朝鮮人民軍偵察総局教官、イ・クアンシュ大佐を名乗っている」
河崎は驚いた。
「で、イ・クアンシュとは何者なのかね?」
総理官邸の地下、官邸危機管理センターで、官房長官が口を開いた。
総理や閣僚といった安全保障会議のメンバーは、ここの巨大なU字テーブルに座っていた。その後ろには、オペレーターたちがコンソールをみて、状況収集に徹している。
河崎は、正面モニターの横、演台に立っていた。さらにその横には家島が座っている。
「イ・クアンシュは、朝鮮人民軍偵察総局と呼ばれる、北朝鮮の諜報機関に所属する、工作員です」
閣僚たちがざわついた。
「彼は20年前から、日本を中心に工作活動を行ってきました。対日工作部門ではやり手です。3年前に工作員の教官となったという情報が入っています」
「それでは、今回の学校占拠は北朝鮮の工作員たちによる犯行ということか?」
外務大臣が言う。
「そこまではわかりませんが、その可能性は高いと思います」
「重火器などで武装しているそうじゃないか」
防衛大臣が言った。
「多分、有事に備え、過去に工作船などで極秘裡に国内に持ちこみ、どこかに隠した武器弾薬を、もってきたのでしょう」
「なんてこった」と防衛大臣はおもわず呟いた。
官房長官が警察庁長官の方を向いた。
「警察はどうなってる?」
「今警視庁の5個機動隊を中心に、近隣の県警からも応援を要請。2000人態勢で事態にあたっています。主に周囲2キロの封鎖や住民の避難などを進めています。
しかし、高校に近づけない関係もあって、情報収集などは困難です。5キロ南方に高層マンションがあって、そこから高校を監視している程度です」
「君たちの特殊部隊はどうなってるんだ?」
外務大臣が言ってきた。
「警視庁特殊部隊、通称SATが現地に到着、待機しています」
しかし、と警察庁長官は続けた。
「はっきり申し上げまして、警察力では対応不能です。機動隊や特殊部隊は、重火器を装備した工作員に対応できません」
「君、そんな弱腰では」外務大臣がおもわず口に出した。
「弱腰ではありません。我々は、確かに自衛隊と合同で国内に侵入した工作員を制圧する訓練などもやってきました。しかし、我々の火力では到底彼らに敵いません」
外務大臣が警察庁長官の毅然とした態度に少し萎縮した。
「仮に警察では対応できないとなると、自衛隊の出動か」
官房長官が独り言を呟いた。
「しかし自衛隊の武力による出動は諸外国の反感を買いかねない」と外務大臣。
「それはどうかな」
防衛大臣が言った。
「警察庁長官だって、警察力での対応は無理だと言っている。それに北朝鮮の国家体制は崩壊している。彼らは北朝鮮の軍人ではない、テロリストだ」
総理は少し考え、口を開いた。
「下手に出動すれば、犯人グループを刺激することにもなりかねん。ただ、自衛隊はいつでも出動できるようにしておこう。まずは、14時に犯人グループから電話がかかってきたとき、どのようなすべきか、考えよう」