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魔蘭  作者: 泉谷パーム
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ep3. My brother, my hero(ine?)


 五月もいよいよ終わろうとしていた。

 火事の一件からそろそろ一週間になる。日差しは真夏に近付こうと衣替えを始めていく。そんな蒸し暑い太陽の真下にも関わらず、蘭は相変わらず中庭で昼食のパンを頬張っていた。

「なあ、お前生徒会長のこと好きなの?」

 藪から棒に恭治から尋ねられ、蘭はパンを喉に詰まらせた。

 ちなみに蘭が普段昼食を恭治と一緒にとることはないが、今日はたまたま恭治が一緒に食べたいと申し出た(というよりも半ば無理矢理ついてきた)からである。

「なあなあ、どうなんだよ?」

 蘭の様子を見返ることもなく、恭治は執拗に聞いてきた。無駄に真剣な眼差しをする恭治に蘭は戸惑いを隠すことはできなかった。

「な、別に僕は好きってわけじゃ……」

「いーや、絶対違うね」

 尋ねてきた割にあっさりと否定した恭治に対して、蘭は更に戸惑った。

「あの火事の時、蘭は生徒会長の名前を聞いた途端、明らかに眼の色が変わっていた。それに、あの必死で生徒会長を助けに行こうとする姿――あれは恋する者のためとしか思えないな」

「うっ……」

 完璧に図星だった。

 蘭は今まで女嫌いであるがゆえに恋愛など経験したことはない。未だに蘭自身、他人に恋心を持ったのが信じられないくらいだ。更にそれをあっさりと恭治に見抜かれて、蘭にとっては悔しいことこの上なかった。

「だ、大体お前だってあの時眼の色変わっていたじゃないか」

「そうだったっけ? ま、俺の場合は姉貴だし。多少変わっていても不思議じゃないけど」

「ぐっ……ぼ、僕だって友達があそこに巻き込まれたって聞いたから――そうだよ、白雪さんは友達だよ! 僕だって女の子の友達一人くらい……」

「ふーん、友達ねぇ? さすがツンデレ蘭くん、一言一言墓穴を掘っているねぇ」

「誰がツンデレだよ!? だれが!」

 怒りに身を任せながら途端に蘭は恭治の頬をぎゅっとつねる。しかし、恭治も負けじと蘭の頬をつねり返す。

「いへぇな、なひをすふ?」

「ほれはほっひのせひふは!」

 言葉にならない喧嘩が数秒間続いた。

「ひいかへんははせ」

「ほはえこほ」

「お兄ちゃん、何やっているの?」

 脇から突然出た第三者の声に、二人の喧嘩が終了となった。

 二人が横を向くと、弁当を手に持ちながら呆然と立っている中等部の少女がいた。

「椿?」

「お兄ちゃん、珍しく一人じゃないんだね。こちらは?」

「ただの変態」

「失礼な。はじめまして、綾沢恭治と申します。それにしても蘭にこんな可愛い妹がいたなんてなぁ……実は中等部はまだコンプリートしていないんだよ」

「コンプリート?」

 椿は首を傾げた。

「気にしなくていいよ。それより、また?」

「『また?』って、お兄ちゃんはそんなにつばきとお弁当食べるのが嫌なの?」

「別に嫌ってわけじゃないけど……」

「俺だったらいつでもいいぜ。なんなら、毎日でも……」

「あ、そうだ!」

 蘭は恭治を無視して話を転換した。

「椿、今の話聞いていた?」

「今の? ううん、聞いていないよ。なんかお兄ちゃんと恭治さんが喧嘩をしているのは分かったけど……」

 きょとんとした顔で椿は答える。彼女の問いに蘭はほっと胸を撫で下ろした。

「ならいいけど……なんでもないから気にしないで。それよりもさ、最近そっちはどう?」

「う、うん?」

 無理矢理に話題を転換しようとする蘭だったが、かえってそれが椿に疑問を持たせる結果になってしまう。

「まあ、楽しいよ。でもね……」

「どうしたんだよ?」

「また魔法実技で失敗しちゃった。つばきはやっぱり魔法ダメだよ……全然上手く使えないもん。つばき、落ちこぼれだから」

「だ、大丈夫だよ。椿ちゃん! 努力すればきっと夢が生まれる!」

 熱血教師のような眼差しで恭治は熱弁した。

「『夢が叶う』だろ? まぁ言いたいことは分かる。それに、恭治の言っていることは僕も同意だ。椿、頑張れよ」

「うん! なんだか今日のお兄ちゃん優しいね」

 椿の満面の笑顔に蘭は少し照れてしまう。

 そんな中、更に一人の女性が彼らを見つけて走り寄ってきた。

「はぁ、はぁ……蘭くん、やっと見つけた。探したんだよ」

 生徒会長の白雪が切らした息を整えながら話しかけてきた。

「あ、白雪会長! 姉貴の件ではどうもありがとうございました」

 恭治は白雪に礼を言った。

 アリスは禁術で蘭を女にしたばかりか、学園にわざわざ併設させた自身の研究所まで火事を起こした。それ以外にも蘭の知らないところで幾度となくこのような問題を引き起こしており、一時は退学処分まで考えられていた。しかし、白雪の計らいもありなんとか数週間の謹慎処分と学園長の痛い説教のみで済んだ。蘭との和解も白雪のおかげで現在は成立している。蘭としても自分が女にされなければ彼女らを助けることが出来なかったということで、これらの件は全て丸く収まった。

「うん、いいよ。アリスちゃんだって謝ってくれたし。別に恨んではいないよ」

「それでどうしたんですか? 僕を探していたって……」

 挙動不審な様子で蘭は白雪に尋ねた。

「今から生徒会室に来てほしいの。大事な話があるから――ダメ?」

「えっ……?」

 『大事な話』というフレーズに反応して蘭の身体が途端に痙攣したように震えだした。蘭の頭の中で様々な妄想が繰り広げられる。が、それはないと蘭は瞬時にそれを振り切った。

「は、はい。僕は大丈夫ですけど……」

 古いロボットのようにぎこちなく答える蘭。白雪はそんな彼の様子に気付く気配もなく、にっこりと微笑んだ。

「あ、あのさ。悪いんだけど、僕はこれで……」

「ああ、いいぜ。ごゆっくり――」

 恭治はにやにやと笑みを浮かべながら手を振った。一方、椿はそんな恭治とは逆にむすっと苦い表情をしている。

「椿? どうしたの?」

「あ、うん。いいよ、ごめんね」

 途端に椿の表情が元に戻った。

 蘭はそんな妹に疑問を浮かべながらもその場を後にした。

「さてと、それじゃあ俺らも教室に戻るか」

「ねえ、恭治さん?」

 椿は低い声色で恭治を呼び止めた。

「ん? どうした?」

 恭治は少し驚いたが、平静を装って返事をした。

「さっき言ってたお兄ちゃんの好きな人って、あの人?」

「はい?」


 生徒会室では、あれよあれよという間に蘭はソファーの上に座らされた。

 蘭は混乱していた。最初蘭は生徒会室には誰もいないかと思っていた。しかし部屋の中には白雪と蘭以外にも、この間見かけた眼鏡の副会長が書類の整理をしている上、気だるそうに床に寝そべって携帯ゲームで遊んでいる少女、ゴシックロリータ風の黒い改造制服に身を包み窓辺で熊のぬいぐるみに何か話しかけている少女、日本刀片手に目を閉じて座っている少女、合計で六人もの人間がいた。

(まぁ、そりゃあそうだよな。だけど、だとしたら白雪さんの用事って……)

「わざわざごめんね。こんなところまで来てもらって」

 白雪は対面のソファーに座った。

「それで、話なんだけど……蘭くん、生徒会の仕事手伝ってくれないかな?」

「生徒会!? なんだ、そんなことですか。生徒会に入るくらいなんて楽勝……って、えぇえぇええぇ――!?」

 蘭の叫びに生徒会室内の人間全てが一斉に彼を見た。

 硬直する蘭にびっくりしながらも白雪は話を進めようとした。

「ほらね、ここの生徒会って男子いないから。いざというときに男手が必要なときもあるの。でもさ、ちょうどいい人なかなか見つからなくて、こうして蘭くんにお願いしているんだよ。でも無理にとは言わないけど……」

「やります!」

 間髪をいれずに蘭は返事をした。

「大丈夫です。僕はちょうど部活もやっていませんから。お力になれるかどうか分かりませんが、よろしくお願いいたします」

 真剣な表情で白雪を見つめる蘭だったが、かえって白雪はなんだか引いてしまった。

「そ、そうなんだ。よろしくね……えっと、それじゃあまずはメンバーの自己紹介でも……」

 白雪がそう言うと、まず眼鏡の副会長が手を止めてやってきた。

「初めまして、でもないわね。蘭くんは一回会ったことあるわね。私は副会長の天道雫。元に戻ってよかったじゃないの。それに、聞いたわよ。会長のこと助けたんだって? 正直言うと、最初は結構無愛想で嫌な奴かと思っていたけどなんだか見直したわ」

「は、はぁ……てんどうしずくさんですね。覚えました」

「そう、もう覚えてくれたの。それじゃあ、ついでだから……」

「はいはい、そこまで」

 お喋りな彼女を押しのけて、先ほどまでゲームをしていた少女がやってきた。

「ごめんね、しずくったら口数多くて。あたしは二年で書記の森原小鈴だよ。こすずって呼んでね」

「あ、はい。こすず先輩ですね」

 下心を見せずに普通に話してくる彼女には蘭もあまり悪い印象を持たなかった。

 しばらくすると、今度は窓の方を向いたまま改造制服の少女が口を止めた。

「……一年会計の黒泉闇子」

「はい?」

 ぼそっと喋ったために、蘭には少女の声が聞きとれなかった。

「くろいずみ、やみこ……」

「あ、はい……」

 こちらには全く顔を見せない彼女に蘭は驚きを隠せなかった。

「私の名は速水桜と申す。一年で役職は会計だ。呼び名は、まぁ好きにするがよい」

 最後に挨拶をしたのは刀を持った少女だった。

「はやみさんですか……」

「うーん、やはりさくらと呼んでくれ。どうも私は苗字で呼ばれるのはしっくりこないな」

(意外に優柔不断な人だ……)

 彼女に対する蘭の感想はそれだけだった。

 全員の挨拶が終わると、白雪が机の上に書類の束を広げた。

「それじゃあ、蘭くんには早速仕事をしてもらうね。とはいっても簡単な呼びかけなんだけど……」

 白雪が広げた書類は一枚一枚綺麗に揃えられてクリップで留められている。一番上には『盗難に関する報告書』と書かれていた。

「最近寮を狙った泥棒さんの被害が多いから、クラスのみんなや友達に気をつけるように言ってほしいんだ」

「泥棒、ですか?」

 蘭はその報告書を手にとって一枚一枚眺めた。

『一件目 五月八日 深夜に高等部の女子寮で下着類合わせて二十点が盗まれる』

『二件目 五月十一日 中等部の教室で、生徒たちが教室移動している最中ブルマが六点紛失していた』

『三件目 五月十八日 水泳部の部室において、部活の最中下着類合計八点盗難された模様。その際、何者かが侵入したとの目撃情報もある』

「蘭くんはこれを見てどう思う?」

「明らかに同一犯の仕業ですね。それだけです」

 蘭は目を泳がせた。

 盗難など蘭だって許せないものがあるが、それが下着泥棒とあっては少々拍子抜けだ。第一、女嫌いな蘭にとってそういった犯罪者の心理はあまり理解しがたいものである。それ故にこの仕事は彼には食指を動かす気になれなかった。

「そういうわけなんだけど……とりあえず簡単な呼びかけだけでもお願い」

「あ、はい……」

 殻返事の後、蘭は生徒会室を立ち去った。


「えー、というわけなので、皆さん注意するようにお願いいたします」

 帰りのホームルームの蘭は非常に浮いていた。

 普段硬派なイメージを持つ彼が『下着』という単語を口にしただけで、なんだか笑えない冗談としか思えなくなる。もちろん、クラスの皆は彼が生徒会の仕事の一環として呼びかけを行っているだけに過ぎないのは承知しているが、それでもこの教室内の寒い空気を拭うことはできなかった。

(帰りたい……)

 帰りのホームルームにも関わらず、蘭の心情はそんな気持ちで一杯一杯だった。

「それでは起立、礼、さよなら! お疲れ様でした!」

 蘭はそそくさと席を立って、この場を去ろうとしていた。

 しかし、彼が昇降口を出た瞬間、見知った一人の少女が座りこんでいた。

「つ、椿!? どうしたんだよ、なんでこんなところに?」

「お兄ちゃんを待っていたの。一緒に帰ろうと思って」

「一緒に帰るって……寮までそんなに遠くないだろ?」

「うん、でも……どうしてもお兄ちゃんと一緒に帰りたかったから」

「ふーん? 別にいいけど」

 どうも椿の様子がおかしいと蘭は思った。

 昼間とは打って変わって椿の雰囲気が暗い。ほとんど俯き気味に喋り、蘭の目をあまり見ようとはしていない。喋る声も篭ったようだった。

「椿、なんか様子が……」

「お兄ちゃんあのね、ひとつ聞いてもいい?」

 椿ははっと顔を挙げた。

「お兄ちゃんは白雪先輩のこと好きなの!?」

「えっ……!?」

「答えて!」

 充血した目に涙を浮かべて問い詰める椿。蘭もそんな彼女には一歩引くしかなかった。

「べ、別にそんな……」

「あの人、魔法できるんだよね? それに美人だし、優しそうだし……」

「まあ美人だし、優しいけど、白雪さんは回復系以外の魔法は……ていうか好きとかそういう……」

「お兄ちゃん、ズルいよ――」

 ポタポタと椿の目から涙が零れ落ちた。

「つ、椿?」

「目を見れば分かるもん! お兄ちゃん、女の子嫌いじゃなかったの!? 魔法も嫌いじゃなかったの!? なのに、どうして……」

「お、落ち着け椿! 僕にちゃんと話して……」

「もういいよ!」

 必死でなだめる蘭を椿は振り払った。

「ごめんね、やっぱり一人で帰る。じゃあね、お兄ちゃん」

「椿……」

 呆然と立ち尽くす蘭をよそに、椿は泣きながらその場から走り去っていった。

 蘭はそれを黙って見送るしかない自分に、少し腹が立った。

(一体、なんなんだよ!? クソッ!)


「レッド織田氏、応答願います」

 出っ歯の男が手元のトランシーバーに向けて呟いた。

『レッド織田だ。イエロー今川、状況はどうなっている?』

「はっ! 守備は万全です。ただいま、中等部女子寮の手前にある草むらにおります。これよりこのネットオークションで手に入れたジャンピングシューズを使ってベランダに侵入いたします」

『了解、うまくやれよ』

 そう言って通信は途切れた。

 出っ歯の男は草むらから周囲に誰もいないことを確認すると、忍び足で女子寮のベランダに近付いた。

 上を見上げるとベランダにはカラフルな洗濯物が干してある。当然、その中にはこれまたカラフルな下着が目立つように垂れ下がっている。

「よーし! まずはあの三階にあるやつから行くか」

 男は自分の足元を見た。履いているのは一見ごく普通の黒いスニーカーだ。しかし、男は何を考えたのかそれの靴紐を一気に解いた。

 その瞬間、男の足の下から螺旋状の針金が出てくる。それはスニーカーの裏にくっついており歩くたびに全身がボヨンボヨンと音を立てて弾ける。

 その反発力を利用して男はその場から勢いよく飛び跳ねた。

 カエルのように飛び跳ねた男は人間の力を超えるジャンプ力で一気に三階の高さまで飛び上がる。

 シュッと空気を掠める音と共に、怪盗ルパンのように男は三階のベランダへと着地した。

「へへっ、いただき!」

 男はジャンピングシューズのバネをしまうと、吊るされている下着一枚一枚を取り外し、懐へとしまっていった。

 その瞬間、男はふと窓から部屋の中を覗き込んでしまった。

 ――その誰もいない部屋で一人の少女が体育座りのままクッションにうずくまるようにして泣いていた。

 その瞬間、男の人間的な良心が働いた。

 男はいてもたってもいられなくなり、自分が泥棒だということも忘れてそのガラス戸を勢いよく開いた。

「き、君! 大丈夫か!?」

 男と少女はその瞬間、目が合ってしまう。

 自分の懐から盗んだ下着が垣間見えることに気がつかず、男は必死で彼女をなだめた。

 その瞬間、少女は一気に泣き止んだ。

「きゃあぁぁぁあぁぁ――――!」

 少女の泣き声が一瞬にして悲鳴に変わる。

 男はふと我に返り、その場を立ち去ろうと窓へ逃げるが、そのとき既に遅かった。

 少女の周囲に緑色のオーラ、風の魔力が集中する。男は金縛りにあったかのように動くことができず、彼女をただ黙ってみているだけしかなかった。

「か、風の精霊よ、彼の者に嵐の罰を与えん……ウインドフロウ!」

 刹那、少女から男に向けて激しい風が吹き乱れた。

 男はそれに抵抗することも出来ず、ベランダの外まで吹き飛ばされてしまう。そしてガンと大きな音と共にベランダの手すりに身体を打ち付けられた男は、そのまま気を失いベランダにへたれこんでしまった。

「あ、あれ……?」

 少女は何も分からず、伸びている男と散らかった部屋をただ見つめていた。


(やっぱり、さっきの椿は変だ。昼間はあんなんじゃなかったのに……)

 椿の涙が頭の中に過ぎって、蘭は眠れなかった。

(あぁ、クソッ! わけがわからないよ……)

 蘭はベッドの中で横たわりながらクシャクシャと髪をかく。

(そういえば、なんで椿はこの学校に転校したんだろう? 別にあいつはこの学校に来る理由なんて……)

 蘭の中で新しい疑問が生まれた。

 蘭が女嫌い、魔法嫌いなのは大分以前からである。しかし何故そんな彼がこの蛍神学園に入学したのか――それは全て、蘭が自身のことを知るためだった。

(シスター・フリージア……今どこで何をしているんだろう? 突然あの教会から姿を消して、しかも置手紙で『自分の出生のことを知りたければ蛍神学園に入学しなさい』って……それで僕はこの学校に入学した。でも――)

 椿は蘭と同じ教会で育った仲間であり、血はつながっていないが兄妹だ。蘭が物心つく頃には彼はそこで暮らしており、同じように椿もいた。教会には他にも親の顔を知らない、何人もの子どもが暮らしていた。しかし、その状況は息苦しいことほかならなかった。

 教会には蘭を除いて男子はいない。蘭や椿たちの育ての親であり教会の主であるフリージア・キリュウ――皆からはシスター・フリージアと呼ばれている――彼女自身も、彼女が預かる女子も、皆どこかしら魔力が強かった。その中で男であるが故に魔法を使うことすらできない蘭はいつも肩身の狭い思いをしていた。

 女子ばかりに囲まれ、毎日魔法を使う彼女らを蘭は黙ってみているしかない。そうしているうちに蘭は魔法に対する嫌悪感が生まれてきた。そして、それを使う女の子すらも――

(思えばあいつだけだったかな。皆が魔法を使って遊んでいるときも、別の場所に独りで遊んでいる僕の傍に寄ってきて……いつからか僕のことを『お兄ちゃん』なんて呼ぶようになって……)

 蘭の脳裏にその映像が鮮明に蘇った。

 彼女が当時の蘭と親しげに話す唯一の友達でもあった。もちろん他の子どもらも蘭とは仲良くなろうとしていた。しかしそれはあくまで「友達」感覚であり、蘭にとってはあまり必要のない代物だった。だが椿だけは彼のことを本当の兄であるかのように甘えた。最初は蘭も拒んだが、次第に彼女のことを「女」ではなく「妹」として見るようになっていった。

(なんていうか、コバンザメみたいな奴だよな。いつも僕に甘えてばかりで……僕がいなければ、何もできなくて……)

 ――魔法の授業で失敗するといつも蘭の傍に寄って愚痴を言ってくる椿。

 ――昼食はいつも蘭と一緒に食べようと中庭まで来る椿。

 ――いつも蘭に「好きな女の子できた?」と聞いてくる椿。

 そんな彼女を口先では呆れつつも、蘭が本気で鬱陶しいと感じたことは一度もない。女嫌いの蘭でも彼女だけは心を開くことができた。

(とりあえず、明日もう一回会って話をしないと……)

 蘭が気を取り直してベッドから起き上がった、そのときだった。蘭の携帯電話が突然鳴り出したので、急いでそれを手に取った。

「はい、もしもし?」

『蘭くん? ちょっといいかな?』

 声の主は白雪だった。

 突然の彼女からの電話に驚きつつも、蘭は平常心を保ちながら「はい、大丈夫です」と応答した。

『ついさっき例の下着泥棒から予告状が届いたの。今夜零時、中等部女子寮の下着を根こそぎ奪いに行きます、って……』

「ね、根こそぎ!? 零時って、あと三十分じゃないですか!」

 蘭が時計を見ると、時刻は十一時半を回ろうとしていた。

『それでね、どうやら犯人は一人じゃないみたい。さっき中等部の女子寮で犯人の一味かと思われる男を捕まえた子がいるんだけど……』

「どうかしたんですか?」

 白雪は奥歯に物が詰まったように話した。

『あのね、その子、蘭くんの妹の……椿ちゃんなの』

「椿が!? 下着泥棒を!?」

 目を丸くするなんてものではなかった。

 魔法もろくに扱えず、一人では何もできないと思っていた椿が下着泥棒を捕まえたのだ。蘭はどのような事情があったか知らないが、驚かずにはいられなかった。

『椿ちゃんに話を聞こうと思ったんだけど、私には口も聞いてくれなくて……蘭くんなら喋ってくれるんじゃないかな? って思って電話したんだけど……』

 白雪の話を最後まで聞く間もなく、蘭は中等部女子寮に向けて走っていった。

『あれ? もしもし、もしもし?』

 ツーツーと電話の切れた音だけが白雪の耳に届いていた。


「つ、椿!?」

 蘭は荒い呼吸と共に女子寮に到着した。

 そこの前には白雪のほか、生徒会の一味と何故かいる恭治、アリスが椿と犯人かと思われる出っ歯の男を囲んでいた。

「お、お兄ちゃん……? どうして……」

「それはこっちの台詞だよ! なんでこんなことになっているんだよ!」

「まぁまぁ蘭、とにかく落ち着け」

 興奮する蘭だったが、少し我に返ってみてみると椿の瞳は真っ赤に充血している。恭治が蘭をなだめ、更に落ち着かせる。

「……あの、つばきにもよくわからなくて……そこにいる男の人が、いきなりやってきて、びっくりして、魔法使っちゃって……」

「そうか……」

 半泣きの椿に対してなんとか蘭は冷静に対応する。

「へっ、てめーらおめでてーな!」

 すっかり皆から存在を忘れられていた出っ歯の男が悪態をついた。

「どうやら俺一人を捕まえていい気になっているみたいだが、このままだと仲間が黙っちゃいないぜ。俺のほかにあと四人、今から一斉に突入する予定だからな」

「はい、情報ありがとうね。もういいからしばらく眠っていてもらえる?」

 雫が指先を男に向けると、一気に水色の魔力が男に向かって一直線に伸びる。その線が男の額を直撃したかと思うと、男は瞬時に糸が切れたように眠ってしまった。

「わっ、雫先輩さすがです。その調子で変態たちを捕まえちゃいましょうね!」

 小鈴は遠足にでも行くかのようにはしゃいでいる。

「くだらない連中だ。こいつらごとき私の剣の錆にしてやる」

「闇子の『や』は『八つ裂き』の『や』……」

 桜と闇子は狂気じみたように怒りを露にしている。

 ちなみに闇子は生徒会室とは違いこちらに顔を見せてはいるが、前髪が異常に長く、目が隠れてしまっているために皆からは正確な表情が読み取れない。

「それじゃあ、みんなで捕まえよう!」

「えっ!? 僕たちで捕まえるんですか!?」

 蘭は目を丸くして尋ねた。

「うん、私はあまり気が進まないけど、これも生徒会の仕事だからね。アリスちゃんと恭治くんも手伝ってくれるよね?」

 白雪は二人に尋ねた。

「と、当然ですわ! こんな女の敵を見逃すわけにはいきませんし、第一あなただけに手柄を独り占めにさせるわけにはいきませんもの!」

「とかなんとか言っちゃって、どうせ姉貴は謹慎中で暇だったから来ただけだろ? ま、俺も似たようなもんだけど」

 余裕な表情をしている二人に「さっさと帰れ」と睨みつける蘭だった。

「それじゃあ、アリスさんたちを入れて八人だから、二人ずつに分かれて行動することにしましょう」

「賛成! それじゃあくじで決めよう」

「あなたたちね、少しは真面目に考えなさい!」

「あ、あの……」

 突然割り込んできた椿に一同はきょとんと彼女を見た。

「つばきも、手伝ってもいいですか? ううん、手伝わせてください!」

「お、おい! 何言ってるんだ? そんな危ないこと……」

 ダメだ、と言い返そうとする蘭。

「いいよ」

 あっさりと了承する白雪。彼女の態度には蘭も驚きを隠せなかった。

「じゃあ椿ちゃんは誰と一緒がいい? やっぱりお兄ちゃん?」

「えっと、つばきは……」椿は一瞬だけ口をつぐんだ。「白雪会長と一緒のほうがいいです」

「うん、分かった」

「し、白雪さん!?」

 慌てふためく蘭だが、白雪はまったく彼のことを気にする気配を見せなかった。寧ろ椿の心境をどこか察している様子だった。しかし、椿は緊張しているのかやや物憂げな表情を浮かべていた。

「まあいいわ。一つだけ三人のグループができるけど仕方ないわね」

 蘭以外の皆は納得した顔だった。

 しばらくして「くじできたよー!」と言いながら小鈴はくじを取り出す。そしてそれを白雪と椿以外の皆が一斉に引いた。


 椿はとまどっていた。

 彼女のことを知るために衝動的に頼んでしまったとはいえ、ライバルとも言える女性と二人きりになってしまったのだから。もちろん、相手はそんなことは微塵も思っていない。それに蘭は自分の気持ちに気付いてはいない。

 椿はふと白雪の顔を見た。なるほど、こうしてみると綺麗な顔立ちをしている。笑えばもっと輝くだろう。これなら兄が彼女のことを好きになるのがなんとなく理解できた。

「ん? どうしたの?」

「あ、いえ……なんでもないです」

 彼女の聞き返し方も上手な微笑み方を駆使していたので、思わず赤面して俯いてしまう。

「ねえねえ、蘭くんって椿ちゃんから見てどんな感じなの?」

「えっ、どんな感じ、ですか?」

「うん。私、蘭くんと知り合って間もないから、色々と知りたくて……」

「そうですね……」椿は少し考え込んだ。「お兄ちゃんが女嫌いなのは知っていますか?」

「ええっ!? 信じられない……」

 白雪は少し驚いた顔をした。

「あ、でも会長さんのことは嫌いじゃないと思います。だけど他の女の子に優しくしたことなんて今までになかったんです。いつからか分からないんですけど、お兄ちゃんはあんな風になっちゃって……」椿の声が少し上ずった。「かいちょう、さん……お、お兄ちゃんが、会長さんだけに、優しくするのには、理由が、あって……」

 椿の声に時々「ヒック、ヒック」としゃっくりのような音が混じって聞こえる。何度目だろうか、目には涙が浮かんでいる。白雪は彼女が今日だけでどれだけ泣いたかなんとなく想像が付いた。

「ご、ごめんなさい……」

 椿が泣きながら謝った、そのときだった。

 彼女の体を暖かい腕が包んだ。気がつくと、椿をそっと抱え込むようにして白雪が抱きしめていた。椿は次第に泣き止んでいった。

「こっちこそ、いきなり変なこと聞いてごめんね。でも椿ちゃん、大丈夫。蘭くんは椿ちゃんのこと嫌いになったりしないよ。だって、椿ちゃんは妹でしょ?」

「妹でも、本当の妹じゃないんです……それにつばき、落ちこぼれだし、お兄ちゃんに甘えてばかりだし……」

「ううん、そんなの関係ないよ。蘭くんは、椿ちゃんのこと嫌いになったりしないよ。だって蘭くんはヒーローだもん!」

「ひー、ろー?」

 椿が不思議そうな顔をしたその時だった。

 白雪は背後に何者かの気配を感じた。同時に、椿は白雪の背後に一人の男が立っているのに気がついた。

「少し大人しくしてもらうぜ」


「なんでわたくしがあなたと一緒なんですの?」

「それはこっちの台詞よ! 前々から言おうと思っていたんだけど、あんたいつも会長に攻撃を仕掛けてきて鬱陶しいのよ! あんたのせいでとばっちり受けるの私なんだからね! いい加減にしてよ、全く。大体ね……」

「きぃぃぃぃい! やかましいですわ! そんな焼け石に水で話さないで欲しいですわ!」

 アリスと雫は廊下を歩きながらお互いに口げんかをしていた。

 くじ引きで決まったペアとはいえ、お互いに面白くないと感じていた。アリスにとって雫は口やかましい小姑、雫にとっては鬱陶しい存在にしか思っていない。

「それを言うなら立て板に水でしょ? 私、あんたのそういう日本語間違ったところもね……」

「きゃあぁぁぁぁ!!」

 突如、部屋の中から悲鳴が聞こえてきた。

 同時に二人は口げんかを止め、バンッとその部屋のドアを勢いよく開いた。彼女らの目の前にはうずくまっている女子生徒と、大量の下着を抱えた魚顔の男がベランダにいた。

「ちっ、見つかっちまったか。仕方がない、このグリーン徳川、ネットオークションで手に入れたこのパラシュートで逃げる!」

 男は背中のパラシュートを広げようと背中のスイッチを押した。

「そうはいきませんわ!」

 アリスの指から火の球が放たれ、一瞬にしてパラシュートは燃える。

「ここは一時休戦ですわ、雫さん」

「ええ、まずはあの男を料理しないとね」

 二人は戸惑う男を鋭い形相でにらみつけた。

「ひ、ひえぇぇぇぇ――」


 桜と恭治の会話は皆無だった。

「何か話せよ」

「お前こそ、何か言うことはないのか?」

 ただ、それだけ。おおよそ会話のない状態が十分近く続いた。

「まさかお前とペアになるとは思わなかったよ」

「ふんっ、私はお前など眼中になかったがな」

「もしかして、まだ怒っている?」

「怒る? なんのことだ? 私がお前ごときを気にするなどと思ったか?」

「あっ、やっぱり怒っているんだ」

 次第に桜のこめかみに力が入っていく。以前のことを思い出すと彼女自身怒りしか沸いてこない。

 そんな状態が続いていると、前方から一人の人間が歩いてきた。

「なあ、あれ……」

 恭治が指差したのはあからさまに怪しい男だった。女子寮の中にも関わらず小太りでタンクトップに半ズボン姿、大量に汗をかきながら下着を脇に抱えている男など怪しいこと他ならなかった。

「おい、お前!」

 男は呼び止められると、一瞬何が起こったか分からない表情をした。しかし、自らが置かれている立場に気がつくとすぐに慌てだした。

「ち、バレたか。こうしてさりげなく通り過ぎれば逆に怪しまれないと思ったんだけどな」

 馬鹿だこいつは、と二人は思わずにいられなかった。

「とにかく、ちょっと番所にまで来てもらおうか」

「い、いやだ! き、き、君たち! ボ、ボクの野望の邪魔はさせないよ! しょうがない。このネットオークションで手に入れたマジカルステッキでブルー豊臣はマジカル・ソランちゃんにへーんし……」

 ハートマークをあしらったその棒を振りかざす間もなく、男の喉下に剣先が突きつけられた。直後、今度は額に銃口が突きつけられる。

「気持ち悪いもの見せるな、愚か者」

 桜は剣をギラつかせながら睨みつける。

「ホント、勘弁してくれよ。オッサン」

 恭治は大型の銃をギュッと握った。

「き、君たち! それは銃刀法違反といって、立派な犯罪なんだよ!」

「お前に言われる筋合いはない!」

 二人は同時に叫んだ。

「え? んぎゃあぁぁぁぁぁぁ――」

 瞬時に男の悲鳴が廊下内をこだましていった。


 蘭は不安な気持ちで一杯だった。

 別に小鈴や闇子と歩いているからとかの問題ではない。二人は全く様子を変えることもなく黙々と周りを見渡している。

「蘭くん、どうかしたの? すっごく難しい顔しているよ」

「あ、いえ。なんか色々話が進んじゃってびっくりしているだけですよ。それにしてもこういう事件解決をするのも生徒会の仕事なんですね」

「うん。この学校、こういった問題を自分たちの力でできるだけ解決させるようにしているからね。椿ちゃんみたいに協力したいっていう生徒にも遠慮なく参加させるようにするっていうのが学園長の教えだから」

「だからみんなあっさりと了承したんですね。でも、白雪さんは回復しか使えないし、椿は……」

「大丈夫だよ!」

 小鈴が余裕を含んださわやかな笑みで答えた。

「椿ちゃんは強いよ。それに、いざというときは蘭くんがいるもんね」

「ぼ、僕?」

 蘭が眉をひそめていると、急に闇子の足がピタッと止まった。

「ど、どうしたんですか? いきなり……」

「来る……」

 その言葉に一同は息を呑んだ。

 足音はしない。しかし、着実に何かが近付いているのが段々と分かってくる。しばらくしていると、今度はバサッと何かが羽ばたく音が聞こえてくる。

 その音は次第に三人に近寄ってきた。

「あ、あれは……」

 目の前から来たのは、人間ではなかった。大福一個分の真っ白な生き物、背中には鳥のような白い羽が生えている。耳はうさぎのように長い。その生き物がわっせわっせとせわしく羽ばたいていた。

「ぴゅ、ぴゅう!」

「あれは、生徒会長の使い魔のぴゅうちゃん!」

よほど慌ててきたのか白い生き物は小鈴の手のひらに停まると汗を垂らしながら「ぴゅ、ぴゅぴゅ、ぴゅう!」としきりに鳴き始めた。

「うんうん……ええっ!?」

「小鈴さん、こいつの言葉が分かるんですか?」

「詳しくは分からないけど、どうやら白雪会長がピンチみたい……」

「なんだって!?」

 蘭は唇を噛んだ。

「ぴゅ、ぴゅぴゅう!」

「下の階で、白雪会長は男に襲われて……助けを求めるためにぴゅうちゃんはここまで来た、と?」

「ぴゅう!」

 蘭の我慢が限界に達した。

「すみません、僕行きます! ぴゅう、場所教えて!」

「ぴゅう!」

 蘭は彼女らに気を使うこともなくその場から走り去って行った。

「うん、しっかりね! さてと……」

 蘭とぴゅうを見送った後、二人はくるりと方向転換をした。その目線の先にある観葉植物の陰には何者かが隠れていた。

「ふっ、さすが蛍神学園高等部生徒会。よくぞ我に気がついた」

「バレバレだよ。隙間からはみ出ていたもん」

 男が陰から恐る恐る出てくる。二人の目の前に現れたその男は、異常なまでに筋肉質で柔道着を着こなしている、いかにも体育会系な男だった。柔道着の隙間からはカラフルな女性用の下着類がはみ出ている。

「褒めて遣わそう。しかしこのブラック毛利、ここで捕まるわけにはいかんのだよ。このネットオークションで手に入れた――」

「闇子の『み』は『微塵切り』の『み』……」

 闇子が言い放った直後、有無を言わさず男の視界は真っ暗になった――


「ぴゅう、ぴゅう!」

 蘭は走っている最中、ぴゅうが前足で指し示す方向を見た。

「あれは……」

 そこには白雪と椿がいた。しかし、更に一人の男がいた。金髪のいかにも柄の悪そうな長身で、片腕には刺青が彫ってある。耳と鼻には大きなピアスを見せ付けるかのように装着していた。

 男は白雪の首を、右腕を駆使してしっかりと絞めつけていた。更には左手に持った小型ナイフを白雪に突きつけていた。

「やめろ! 白雪さんを放せ!」

 蘭が叫ぶと白雪と男は顔を挙げた。

「ふんっ、邪魔者がまた来たか」

「ら、蘭くん、逃げて!」

 白雪は半泣き状態で必死に訴え続けた。

「ま、男は関係ないか。魔法使えない野郎なんぞ怖くはない。言っておくがこのレッド織田は他の奴より甘くないぜ。こいつの命が惜しかったらそこから一歩も動くな! さもないとそこにいる女のようになっちまうぜ!」

「えっ……」

 蘭は慌てて男の前でうずくまっている椿を見た。椿は怯えていた。それも、危ない男を目の前にしたわけでもなく、ただ幽霊を見たように眉をひそめ、両手で頭を押さえつけながらその場から全く微動だにしなかった。

「つ、椿?」

「だ、ダメ……つばきは、だめ……」

 椿はしきりにそう呟くばかりだった。

「あーはっはっは! このネットオークションで手に入れた小型ナイフはな、特殊な音波を発生させて特定の相手に悪夢を見せることができるんだよ! その小娘は今頃深い夢の中だ!」

「な、なんだって!? おい、椿、しっかりしろ!」

「ううっ……つばきは、だめ……」

 蘭は椿を揺さぶるが、彼に気付く気配もなく状況は変化しなかった。

「さて、生徒会長さんには夢見ていてもらっちゃ困るんでね。ふぅん、なかなか可愛いじゃねーか。予告状出して下着泥棒して終わるだけの予定だったが、変更だ。ちょっくら味見でもさせてもらうぜ。そのあと下着貰って、あとはネットオークションで売りさばけば……」

「いやあぁぁぁぁぁぁあ!」

「や、やめろ!」

「黙ってろ、ボケ! てめぇはそこで指くわえて見てろ!」

 男の凄みに圧倒され、蘭は「クソッ!」と吐き捨てた。同時に、自分自身に腹が立った。

「ダメ、お兄ちゃん、つばきのこと、きらいに、ならないで……」

「椿……僕の夢を見ているのか?」

「いや、いかないで、お兄ちゃん……」

 椿は相変わらずと言っていいほど眉をひそめて震えていた。そんな彼女の様子に、蘭自身もとうとう我慢ができなくなっていた。

「あー、もうこうするしかないか! 椿、ごめん!」

 蘭は無理矢理椿の顔を持ち上げた。彼女は死んだようにこちらに気がつく気配もない。

 しかし、そんなことは蘭にはお構いなしだった。そのまま彼女に顔を近づけ、そして一気に彼女と自分の唇を重ね合わせた。

(お前は落ちこぼれなんかじゃない! それに、僕は……)

 蘭の体が緑色の光に包まれていった。しばらくすると彼の身体が少しずつ小さくなっていき、同時に胸と腰を徐々に膨らませ女性へと変身させていった。そして髪の毛が首のあたりまで伸びると、今度は背中から蜻蛉に近い羽が生え出した。彼の着ている服を緑色のレオタード状に変化させ、額にピンクのヘアバンドを装着させて変身は完了した。

「これは……」

 変身は自発的だったが、その姿は蘭の予想をはるかに超えていた。目の前の景色が全て巨大化していたのである。いや、恐らくは自分の身体が小さくなったのであろう。

 少しすると身体がふわりと軽いことに気がついた。しかも地面よりはるかに離れた場所に浮いている。一瞬自分が虫にでもなった気分だった。

「蘭くんが、妖精に……?」

 白雪に言われて蘭はようやく自分がどうなっているのか気がついた。なるほど、風の魔力と反応させると妖精のような姿になるのかと蘭は少しばかり感心していた。

(って、そんな場合じゃない! 勢いで女の子になっちゃったけど、こう小さいと動きづらいな)

「な、なんだよ、てめぇは! クソッ!」

 男のナイフがシュッと蘭に向けて振り下ろされる。しかし蘭はすばやく右に避けた。

 再び男はナイフを振り下ろすが、今度は左に避ける。それを更に右、左、右と反復横跳びのように蘭は避けていった。

(なるほど、結構身軽に動けるな。よぉし、このまま……)

 蘭は同じようにナイフを避け続け、男の右腕まで近付きそこにしがみついた。

「白雪さんを放せ!」

 そう叫ぶと蘭は男の腕を一気に噛み付いた。

「いってえぇ!」

 痛みと共に男の腕が緩み、ドンッと押されながら白雪は解放された。「キャッ!」と白雪は尻餅をつくが、外傷はなかった。

「チクショー、こうなったら容赦しないぜ……てめぇら全員あの世に逝きな!」

 血のにじみ出た腕を押さえながら男は睨み付けた。

 しかし、その場か既に離れた蘭はすぐに次の段階に移っていった。

「風の精霊よ、彼の者に嵐の罰を与えん……」

 蘭は目を閉じて意識を集中させた。そして緑色の魔力を自らの周囲に集めた。

「お、お兄ちゃん……」

 朦朧とする意識の中で、椿は兄の姿を見た。今は女になっている上、身体も小さくなっている。しかし、彼女の瞳には誰よりも大きく、誰よりも格好いい兄としか感じられなかった。

「僕はね、女の子が嫌いだけど、お前らみたいな男はそれ以上に大嫌いなんだよ! 椿にも、白雪さんにも酷いことして、僕はお前を絶対に許さない!」

 魔力の粒が次第に大きくなっていく。そしてそれが大きなボールへと変化していくと、蘭の指先に集まっていった。

「ウインドフロウ!」

 緑色の魔力は途端に暴風へと変化し、男を一気に吹き飛ばしていった。

「うわあぁぁぁぁぁぁあ!」

 男の身体はみるみるうちに遠くへ飛ばされていく。そして、廊下の突き当たりの壁へ突き飛ばしゴンッと鈍い音を鳴らした。

 男は意識を失い、そのままずるずると下へとうなだれていった。

「ふぅ……」

 蘭はため息をついた。そして彼の身体が元に戻っていくと、その場に座り込んでしまった。


 警察が到着したのはそれから数分後だった。

 男たちはそれぞれ手錠をはめられながらパトカーへと連行されていく。彼らの情けない姿を生徒会メンバーたちは見送っていた。

「これにて一件落着、と。あたし疲れちゃった」

「どうやらあいつらはインターネットで知り合った仲間らしいわね。違法の魔法アイテムをネットオークションで手に入れたり、盗んだ女学生の下着をオークションで売りさばいたりしていたらしいわ」

「ふん、しょうのない連中だ」

「あれ? 蘭と椿ちゃんは?」

「白雪会長もいないわね」

 その場にいた皆は辺りを見渡すが、三人の姿はどこにもなかった。


「そうなんですか、お兄ちゃんにはそんな力が……」

 寮から離れた広場で、三人はベンチに腰掛けながら話をしていた。ぴゅうは白雪から離れて辺りを飛び回って遊んでいた。

「ごめん、椿。今まで黙っていて……それに、お前にキスしたわけだし……」

「うん、いいよ。それにつばきも謝る。お兄ちゃんにいきなり怒っちゃって……」

 二人はお互いにはにかみながら顔を見合わせて、くすっと微笑んだ。

「椿ちゃんの力だよ! 椿ちゃんが強い魔力を持っていなければ蘭くんだって変身できなかったもん」

「それに、椿は最初一人目の男を捕まえたわけだしね。椿は落ちこぼれじゃないよ。もっと自信持って!」

「う、うん! ありがとう……」

 椿の目に少しだけ暖かい涙が滲み出た。

「白雪会長、兄のことよろしくお願いします」

「うん! 大親友の蘭くんの妹だから、椿ちゃんも大親友だよ!」

「は、はい!」

 今度は椿と白雪がお互いに微笑み合った。

「あ、そうだ。お兄ちゃん、少し席外してもらえる? 白雪会長と二人きりで話がしたいから」

「うん? いいけど……」

 蘭は不思議そうな顔をしながらその場を去っていった。

「つばき、今まで自分が一番お兄ちゃんのこと分かっているって思っていたけど、まだまだ自分の知らないお兄ちゃんがいるんですね。白雪会長の言っていたことの意味が分かりました」

「私の言ったこと?」

 ぴゅうの「ぴゅう?」という鳴き声と共に白雪は訝しげな表情をした。

「ほら、さっき会長は、『お兄ちゃんはヒーロー』だって言ってくれましたよね?」

「あ、うん。確かに言ったけど……」

「あれを言ってくれなかったらつばき、自分にとってのお兄ちゃんに気がつかなかったんです。だからつばき思ったんです」

 椿は口に人差し指を当てながらウインクした。

「いつか、つばきもお兄ちゃんにとっての『ヒーロー』になろうって!」


 そう言って微笑む椿の顔が、白雪にはどこかしら強く感じた。




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