ep2. 騒乱のファーストラブ
飛び散った廊下の砂埃、二人の少女を挟むようにして座り込んでいる一人の少女――周囲の人間は目を丸くするように彼女を見ている。
全裸の少女が目の前にいればこうなるのは仕方のないことかも知れない。しかし、理由はそれだけではなかった。
数秒前まで、彼女は男だった。
それを物語っているのが、周囲にボロボロに飛び散った制服である。原型を留めていないものの、それは男物だというのは明らかだった。
しかし、元少年、桐生蘭は未だにその状況を掴めていなかった。
「蘭くんが女の子になっちゃった……」
その言葉で、ようやく蘭は我に返った。
妙に体がふわふわと柔らかい。視線を下にすると自分の乳房が大きくなっている。蘭には更にその下を見る勇気はなかった。
「そ、そんな……」
蘭の体が小刻みに震えだした。
ありえない、これは夢だ――彼としてはそう思いたかった。
しかし、それは現実だということは彼自身も分かっていた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
蘭の周囲に白い光の粒が集結し始める。正確には白というよりも、無色透明に近い。
その光が乱雑にうごめき、辺りに飛び散っていった。
「きゃあ!!」
三人はそれぞれなんとかその光を避ける。しかし、その光は彼女らが避けた先にある窓ガラスや壁を次々に壊していく。ガラスは粉々に砕け、壁からはサッカーボール大の穴にしゅうっと白い煙が昇っていた。
その光が次々と彼女らの周囲を壊していく。その力は強いなんてものではなかった。
「な、なんですの? あれは……」
白雪も、副会長も、アリスも、蘭本人ですらも、何が起こっているのか分からなかった。
「蘭くん、やめて……やめてよ!!!!」
自我を失いかけていた蘭も少しずつ落ち着きが取り戻せたのか、徐々に光が消えていった。幸い、周囲に他の生徒がいなかったため、怪我人は出ていない。
「はぁ、はぁ……」
止まった後も、蘭は荒い息を抑えることが出来なかった。
しばらくしてその呼吸が止まり、それと同時に蘭はその場にバタッと倒れこんだ。
「ら、蘭くん!!」
瞬時に、白雪は倒れこんだ蘭のもとへ走り寄った。
そこは見覚えのある花畑だった。
決して広いとは言えないけど、とても美しく何色もの花が咲き誇っていた。
大きな壁があるわけでもないのに、まるで外界から遮断されたようなこの場所は、「楽園」とか「天国」とか呼ぶに相応しい。
その花畑の真ん中に、小さな教会が一軒、ぽっつりと佇んでいた。
(ここは、僕が過ごしたあの教会……?)
蘭はその扉を開けてみた。
静まり返ったその中に、一人の女性が立っていた。
顔は良く見えない。こちらに気がつかないのか、奥のほうを向いたままだ。
蘭は更に彼女に近付いていった。
一歩、また一歩と近付いていくにつれて、彼女はこちらに気付いたのか少しずつ振り返ろうとしている。
そして彼女の顔がようやくはっきりと見えそうになってきた――
「やっと起きたかの!?」
目の前に巨大な老婆の顔があった。
もちろんそれは明らかに教会の中にいた女性ではない。それと同時に、蘭が今いる場所が教会の中ではないことに気がついた。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!!!」
蘭は途端に素っ頓狂な叫び声を挙げた。
その場でやっと自分が置かれている状況に気がついた。
真っ白いベッドの上で蘭は寝かされていた。そこが保健室だと気付くのにそれほど時間はかからなかった。
彼の顔を覗き込んでいた老婆はおよそ八十歳を超えているだろうか。背は低く、大きな魔法帽を被り、手にはこれまた自分の背よりはるかに大きな樫の杖を持っていた。その姿はヘンデルとグレーテルに出てくる魔女のようだった。
「その様子じゃと大丈夫そうじゃな」
「が、学園長……?」
その人物については蘭も知っていた。
皆がその老婆のことを「学園長」としか呼ばないために本名は知らないが、蛍神学園の長にして、世界四大魔法使いの一人だ。おそらく、日本で一番魔法に長けた人物だろう。
「どうじゃ? 女子になった気分は」
蘭は自分の体を見てみた。
誰かがわざわざ蘭の教室から持ってきてくれたのか、今は自分の体操着を着ている。しかし、大きくなった乳房と長い髪は先ほどのままだった。
蘭はさっきの出来事が夢ではないと再認識し、愕然とした。
「蘭くん、大丈夫?」
彼に声をかけてきたのは、白雪だった。
「白雪、さん……?」
「そやつに感謝するんじゃな。おぬしのことをずっと看病しておったぞい」
「えっ……?」
「蘭くんは友達だもん。当たり前だよ」
白雪のその一言に、蘭は赤面してしまった。
「あ、ありがとうございます」
「ちなみにあの金髪女は逃げるようにしてどこかに行ってしまったぞ。まったく、呆れた奴じゃ」
「はぁ……」
蘭としてはその件に関しては正直どうでも良かった。とにかく、自分の身体を元に戻せるのであれば、彼にとって何一つ不自由はない。元々女嫌いである彼にとって自分が女になるということはかなりの苦痛と羞恥だった。
「僕は、このままなんでしょうか……?」
蘭は少し涙目になりながら言った。
白雪はそんな彼を哀しそうな目で見つめているだけだった。おそらくこれが彼女なりの気の使い方なのだろう。その辺りは蘭にもよく理解できた。
「ふむ、恐らく奴のかけた性転換の術は、一度相手にかけると同じ術では元に戻れなくなるというものじゃ。だが、戻る方法がないと言ったら嘘になる」
「ほ、本当ですか!? お願いします、僕を元に戻してください」
藁にでもすがるように蘭は目で訴えた。
「ま、致し方あるまい。ただし、この術を使うのはワシ自身も久しぶりじゃ。多少不安定さがあることを覚悟しておくんじゃぞ」
脅し文句を交えたような言い方だったが、蘭はそれでも構わなかった。
世界四大魔法使いは、性転換の術を初めとする禁術を場合によっては使用しても良いということになっている。蘭もそのことは知っていた。
学園長なら安心して元に戻してくれると蘭は思った。
「では、そこに立つんじゃ」
蘭はベッドから立ち上がり、壁を背にして直立し、瞼を閉じた。それを合図にするかのように学園長は、複雑な言葉で呪文を唱え始めた。全く自分にとっては未知数の言語が羅列したその呪文を、蘭はどこか聞き入ってしまった。
しばらくして蘭は強大なオーラを感じた。様々な色が絡み合い、それでいて一つ一つの色がただならぬ力を秘めた、そんなオーラだった。おそらく、白雪やアリス以上、それどころかその魔力は蘭が今まで見てきたなかでも最大級のものだった。
「これでよし、と」
先ほどのオーラの余韻が残っていたのか、蘭はしばらく硬直したかのように動かなかった。
そして気がつくと、蘭が感じていたオーラは跡形もなく消えていた。
蘭は恐る恐る目を開けてみた。すると、さきほどまであったはずの乳房は元通りになり、髪も本来の長さに戻っていた。
「も、元に戻ってる!?」
蘭はうれしい気持ちで一杯だったが、同時に自分の性別が変わる瞬間さえも感じさせない学園長の魔法に驚きさえもした。
「あ、ありがとうございます……」
「なに、礼には及ばん。それより、次にあの金髪に会ったら学園長室までなんとしてでも連れてきてくれ。たっぷりと説教してやらねばな」
「良かったね、蘭くん」
にっこりと微笑む白雪に、蘭もにっこりと微笑み返した。
「ほれ、二人とも教室に戻れ。とっくに次の時間は始まっておるぞい」
学園長は閉め出すようにして二人を廊下の外へ追い出した。
「それじゃあね、蘭くん」
「あ、ちょっと待ってください」
蘭は立ち去ろうとする白雪を呼び止めた。
「ん? どうしたの?」
「あ、あの……いろいろすみませんでした。傷を治してもらったり、保健室まで運んでもらったりで――」
「あ、全然構わないよ。だって、蘭くんはもうお友達だもん」
そう言って再び白雪は微笑むが、これで何度目だろうか、白雪の微笑みに何故だか蘭は赤面した。
「それに、私だって蘭くんに助けてもらったんだもん」
「えっ……?」
蘭は一瞬怪訝な顔で彼女を見た。
「ほら、アリスちゃんが魔法をかけてきたとき、蘭くん私のことかばってくれたよね?」
「あ、あれはただ体が勝手に動いたというかなんというか――」
「そういえばまだちゃんとお礼言ってなかったよね? ありがとう、蘭くん」
「え、あ……僕のほうこそ、ありがとうございました。それじゃ!!」
顔から火が出そうになり、蘭はすばやくその場を駆け去って行った。
「蘭くん……」
呆然と立ち尽くす白雪を、学園長は保健室の扉からこっそりと見ていた。
(まったく、初々しいのう……)
半分にやけ顔で学園長は二人を見ていた。
(あ、そういえば、あのこと言うの忘れておった……まあ、ええか。後でもええじゃろ)
時を同じくして、例の金髪少女は白衣を着ながら、一人で研究室に立てこもっていた。
研究室は校舎からあまり離れていない場所に建っている。一見プレハブといった感じの素っ気ない建物だが、中は意外と広く設備も充実している。実はここはアリスが独自に敷地内に造らせた場所であり、他の人間は立ち入り禁止という仕様になっている。
内部では怪しげな薬品が棚に並び、それがどのように調合されているか不明な物質がフラスコの中でコポコポと泡を立てていた。
「このわたくしが、関係のない人に魔法を放つなんて、とんだ失敗ですわ!! そもそもあの天然娘を男にするだなんていう発想が生ぬるかったんですわ!!」
試験管を片手にアリスは高らかに叫んだ。
「次は、カエルかゴキブリにでもしてさしあげますわ!! ふふっ、あなたがこのわたくしに敗北するのももうすぐ目と鼻の先ですわ!! そうすればこの学園一番の魔法使いはわたくし……考えただけでワクワクと反吐がでますわ!! おーほっほっほ!!」
間違った日本語を羅列しながら高笑いするアリスだった。
その背後で薬品がバチバチと火花を挙げているのに気がつかずに――
「魔法にはそれぞれに属性があります。『火』『水』『光』などが一般的ですが、それら以外にも無数に存在します。この属性というものは、女性が生まれついて持っている魔力にも備えられています。例えば、『火』の属性を持つ人は火の魔法を得意としますし、『水』の属性を持つ人は当然水の魔法が得意となります。これら以外にも……」
四時間目という午後一番目のけだるい授業が刻々と過ぎていく。
現在は魔法学の時間である。女子生徒のほとんどは興味津々といった感じでシャープペンシルを片手に真面目に授業を聞いているが、蘭を除きクラスに四名しかいない男子生徒はといえば、一名は真面目に聞き、恭治を含めた三名が居眠りの真っ最中である。
蘭はどうかといえば、話を右から左へ受け流すかのように全く聞いておらず、始終外を眺めていた。
(白雪さん、かぁ……)
蘭の頭の中には男子にとってサインコサインよりどうでも良いような魔法属性の話ではなく、生徒会長の南雲白雪のことで一杯だった。
「ちょっと、男子のみなさん、ちゃんと聞いてください!!でないと……」
教師が男子生徒に向けて一喝した、その瞬間だった。
外から突然どごぉーんと大きな爆発音が聞こえてきた。
「な、なんだなんだ!?」
「ちょっと、あれ!!」
生徒たちが次々と窓のそばに集まり、外を覗いた。
爆発音の原因は明白だった。小さな二階建てのプレハブの建物が轟々と燃えているのが見えた。
「あれ、アリス先輩の研究所じゃん!!」
「アリス先輩って、あの生徒会長といつも喧嘩しているあの!?」
アリスという名前を聞いて、蘭はとっさに先ほどの金髪少女を思い出した。
クラスメイトの女子の名前すら覚えていないような彼は、その少女がそこまで有名だったこと、また以前から窓の外にある謎の建物が彼女の研究所だったことに驚いた。
「ち、畜生……」
いつの間にやら起きている恭治は歯を食いしばるようにして険しい顔をしながら爆発した研究所を眺めていた。
「先生、俺外に行ってきます!!」
「あ、おい待てよ!!」
さっと教室の外へ駆け出していく恭治を追いかけるように、蘭も外に飛び出して行った。
「おい、まだ火は消えないのか!?」
「消防隊が到着するにも時間が掛かります。しかも強力な魔法薬の反応による爆発だと思われるので、消火器や弱い魔法じゃあ全然駄目で……」
二人が到着する頃には現場の周辺にはたくさんの教員と野次馬の生徒がいた。
「中に人は!?」
「ここの管理人である綾沢アリスと、彼女を助けようとして入った生徒会長の南雲白雪が……」
「なんだって!? 魔法科の生徒なら転移魔法とか使えるんじゃないのか!?」
「知らないのか? あの生徒会長は、人の傷を癒す魔法しか使えないんだぞ!!」
どこからともなく聞こえてくる教員の言葉に二人は耳を疑った。
(白雪さんが、中に!?)
二人の顔がいっそう険しくなっていった。
「姉貴!! おい!!」
「きみ、入っちゃ駄目だ!!」
涙目になりながら研究所に入ろうとする恭治の必死で近くの教員が抑えるが、恭治もそれを振りほどこうと必死でもがいた。
乱闘をしている二人をよそに、蘭は愕然と燃え盛る炎を見つめていた。
(なんで、あんないい人が……)
蘭は今にも泣き出しそうだった。
正直、恭治の姿は見ていられなかった。普段おちゃらけてはいるが明るく、女好きだが義理堅い彼は、憎まれ口を叩くものの尊敬に値する存在だった。蘭は彼が今までにここまで女性のために泣いたことなど見たことがなかった。
一方蘭自身は、何度も助けてくれた白雪に対して自分は何も出来ないことが腹立たしかった。
『ほら、アリスちゃんが魔法をかけてきたとき、蘭くん私のことかばってくれたよね?』
蘭の脳裏にその一言がフラッシュバックした。
(さっきはあれで納得したけど、結局あのあと白雪さんに迷惑かけちゃったんだよな……)
その刹那、蘭は研究所の入り口に向かって一目散に走り出した。
「お、おい君!!」
「蘭!! 無茶なことするな!!!!」
恭治や教員たちが彼を止めようとするが、その頃には既に彼は燃え盛る研究所の中に入ってしまった。
(僕はまだ白雪さんに恩を返しきれてないじゃないか!! 今度はちゃんと僕が彼女を助けてあげないと……)
(くっ、勢いで入っちゃったけど、何にも見えないな……)
火の気は、研究所全体を焦土にでもしようかというぐらいに回っていった。
それでもなんとかして、蘭は火の気のないところを一歩一歩探して踏み歩いていった。
「白雪さーーーん!!」
勢いをつけて呼ぶが、全くといっていいほど返事がない。
(まさか、もう手遅れじゃあ……)
一瞬蘭は不安になったが、すぐさま考えを切り替えた。
(いけないいけない、弱気になっちゃダメだ!!)
口元を手で押さえながら蘭は奥へと進んで行った。
「白雪さーーーん、どこに……」
「ら、蘭くん――」
「その声は……白雪さん!? どこにいますか!?」
蘭は周囲を見回した。すると、角のあたりに二人の少女が倒れていた。白雪らしき長い髪の少女が金髪の少女を抱え込むようにして倒れているところを見ると、どうやらアリスを助けて脱出しようかという最中に倒れたのだろう。
蘭は、すぐさま彼女たちのもとへ駆け寄った。
「白雪さん、大丈夫ですか!?」
彼女を抱きかかえてみるものの返事はない。息をほとんどしていないがどうやら死んでいるわけではない。金髪の少女も同様のようだ。いそいで出ればなんとか間に合うだろう。
(よし、今のうちに……)
そう思った瞬間、入り口付近がガラガラと音を立てて崩れ始めた。とても人間二人を抱えて脱出できるスペースはない。
(クソ、こうなったら二階から出るしかないか……)
彼はふと目の前にある大きな台車とスロープ状になっている2階までの道に気がついた。
(よし、これを使って……)
台車に倒れている二人を乗せ、それを押しながら精一杯スロープを登って二階まで駆けていった。
(な、なんとか助かった……けど、ここからどうしよう?)
二階まで上がりきった蘭は、目の前にある資料室に駆け込んだ。
研究所の資料室は、例え火事になっても貴重な資料が燃えないように火に対する結界が張られていると聞いたことがある。とっさの判断だったが、蘭はひとまずそこに駆け込んだ。
しかし、脱出しようにも窓から下手に降りると真っ逆さまに落ちるかもしれない。しかも部屋の中にはロープのようなものは見当たらない。
さらに彼を不安にさせるのは、二人とも相変わらず息をしておらず、意識が戻っていないことだった。
(仕方がない、ここで出来る限りの応急処置をしておくしかないか……魔法なんかに頼らなくても、人は生きていける――)
そう考えながら白雪を見た途端、彼は赤面してしまった。
(応急処置……人工呼吸とか、やっちゃっていいのかな?)
蘭の葛藤は秒単位で激しくなっていった。しかし、それに伴って外が燃える音が聞こえると、彼自身も決心せざるを得なくなった。
(仕方がない、白雪さんの命を助けるためだ!! ごめん、白雪さん!!)
思い切って、蘭が自分の唇に白雪の唇を重ねた、その時だった。
彼の周りに白い光の粒が終結し、そして彼を包み込んだ。それは次第に彼の髪を伸ばし、大きな乳房を形成していった。身体の変形が終わったかと思うと、着ているものが真っ白く長いドレスのように変化していった。そして、いつの間にか額に金色のティアラを装着し、背中に真っ白い大きな羽のようなものが形成された。
「な、これは一体……」
偶然にも室内に大きな鏡があったので、蘭はそれを覗いてみた。
「嘘、また女の子に!? しかもなんだか……」
天使みたいだ、と思ったが口には出さなかった。
さきほど女性化したときは訳が分からず不安定な魔力を放出してしまったが、今回は慣れたのか意外にも落ち着いていた。
(なんだか、変な気分……自分がこんな風になるなんて)
先ほど女になったときは鏡を見ていなかったため女性化した自分を見るのははじめてだったが、こうして見てみると元々女っぽい顔立ちの蘭が女性化したために見た目にそれほど違和感はなかった。しかし、気恥ずかしさと違和感のなさに対する驚きで彼自身も少し鏡の中の自分に魅入ってしまった。
(いけない、こんなことしている場合じゃ……)
部屋の外からガラガラと一層強い音が聞こえてきた。
(なかった……このままじゃこの部屋から一生出られなくなる)
蘭はふと、自分の背中についている羽に気がついた。
(うん、一か八かだ!!)
蘭は無理矢理二人を両腕に抱え込んだ。
女性化した分、腕も細くなり女性二人を抱えるのは至難の業だった。しかし、文字通り火事場の馬鹿力で二人を抱えることに成功した蘭は、そのままの状態で大きな窓から身を乗りだした。
「いっけぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!」
可憐な姿には似つかわしくない大きな声で叫びながら、蘭は飛び去った。
ふわっ、ふわっと蘭の羽は弧を描くように羽ばたき、空を舞った。その下には白い羽根が落ち、二人の人間を背負っていることを除けば童話に出てくる天使が舞う姿そのものだった。
「おい、あれは……」
「天使!? ウソ、夢でも見ているの?」
「ちょっとまって!! あの天使が抱えているの、生徒会長と綾沢先輩じゃない!?」
彼、いや彼女が飛ぶ様を遠くから見かけた生徒たちが次々と近くに寄ってくる。
(いけない、あまりこの姿見られないようにしないと……)
そう焦った蘭は、焦りが出始め羽を先ほどより大きく羽ばたかせた。
しかしその焦りは自分自身の羽をイカロスの翼に変えたに過ぎず、結果身体のバランスが不安定になり……
「わっ、ちょっと、飛べない――」
蘭は必死でもがくように羽をバタつかせた。
人に見られているため、都合の良い場所に降りることが出来ず、現在は学校付近の海の上空を飛んでいる。つまり、ここで落ちるということは……
「わあーーーーーーーーーーーーーっ!!!! 落ちる~~~~~~~~~!!!!!!!」
必死でもがくのも虚しく、三人は海に向かって真っ逆さまに落ちようとしていた。
そのときだった。
蘭の視界が一瞬にしてぐるっと回ったかと思うと、瞬きをする瞬間も与えずに見ている光景が学校の裏山へと変化した。
「えっ、ここは……?」
「ふう、危ないところじゃった」
森の中で座り込んでいる蘭の目の前に、いきなり学園長が現れた。
「が、学園長?」
「まったく、おぬしは何度も無茶するのう。ま、こいつらもこいつらじゃが」
学園長は横に寝かせた白雪とアリスを見て呟いた。
「学園長、どうしてここに? それに、僕また女になったんですけど……」
「いっぺんに質問するな!! まったく……しかし、ここまで反応が顕著に出るとはのう。おそらく、おぬしは――」
「学園長? どうかしたんですか?」
「いや、なんでもないわい」
蘭の呼びかけに学園長は独り言をやめた。
「とりあえず一つ聞くが、おぬしそこの生徒会長に何かしたじゃろ?」
「な、何かって……」
蘭は冷や汗を垂らしながら学園長から目をそらした。
「おそらく、キス、とか……」
「え、いえ、あれは人工呼吸をしようとしたら、そうなったわけで、別に深い意味は……」
分かりやすい反応に学園長は呆れつつも、話を続けた。
「ま、おぬしがそうなったのもワシの責任じゃ」
「え? どういう意味でしょうか?」
「実はな、種類の異なる性転換の術をかけてもとの性別に戻すと、ちょっとしたことで再び女になることがあるんじゃ。スマン、さっき言うの忘れておった。ま、どうせすぐには女に戻ったりしないじゃろと思ったしの。ま、心配するな。しばらくすればおぬしも元に戻る」
その一言に蘭は目が点になり、同時に言葉を失った。
(しかし、こやつの魔力……さきほどの校舎を壊したときといい、人間とは思えないほど強いものを持っておる)
学園長がいきなり真摯な態度になり、蘭もとまどった。
「どうやらおぬしの場合、魔力の強い女性とキスをすることにより、女性化する体質になってしまったようじゃ」
「ええっ!? じゃあ、これは白雪さんと――」
「うむ。格好や外見はおそらくキスをした相手の属性を受け継ぐのじゃろう。今回は光属性の白雪とキスをしたことにより、見た目もそれに合わせて光属性となっておる。天使みたいな姿になったのはそのためじゃろう」
「そ、そんな――」
蘭は泣きたい気持ちになったが、ふとそこで白雪とアリスを見た。
二人とも気絶しているだけの様子だったが、ところどころ火傷を負っている。
(光属性? さっき白雪先輩が僕を治したのも光の魔法だよな? 今の僕は光属性の女性……ということは、僕はこの傷を治すことができるんじゃ……)
蘭はさっと立ち上がり、見よう見まねだったが魔力を集中させた。
思い通り、白い光属性の粒が蘭の周囲に集まり始めた。そして、それが次第に大きな球へと変化していった。その光景はさきほど白雪が使ったのと全く同じものだった。
「な、何をする気じゃ?」
「光の聖者よ、癒しの力を我に授けよ……」
蘭は小声で呪文を唱え始めた。もちろんこれも白雪が言っていたのを覚えていたに過ぎないものである。
「キュアライト!!」
蘭がそう唱え終わった瞬間、あたり一面に光の粒がばら撒かれた。
その光は白雪、アリスを包み次第に二人の傷を癒していった。それだけでなく、周囲の枯れ草や萎れた花も徐々に生気を取り戻していく。
「こ、これは……」
学園長が驚くのも無理はない。キュアライトは傷を癒す術の中でも最下級のものであり、せいぜい軽い傷を治すことしかできないからだ。それをここまで治すというのはよほどの魔力がなければできないからである。
光の粒は癒しの力を与えると徐々に消え始めた。
その光が消えかかると同時に、白雪のまぶたがピクピクと動いた。
「ん、んんっ……」
「白雪さん!?」
徐々に彼女の瞳が開いていき、意識を取り戻していった。
「あれ? ここは……」
「大丈夫ですか? 白雪さん!!」
「て、天使……?」
その言葉に蘭はまだ自分が女性化したままだということを思い出した。
「あ、これは、その……」
蘭が慌てていると、突然身体が淡い光を放った。
そして、長かった髪も短くなり乳房も元通りになり、着ているものも元の体操服に戻っていった。
そして、光が消えるとそこには男子に戻った蘭の姿があった。
「蘭くん!? 今の姿は……」
「それはそやつの能力じゃよ。どうやらワシがさっきかけた魔法のせいで、そやつはキスをすると女性になる体質になったんじゃ。ま、そのおかげでおぬしらを助けることができたんじゃからそやつに感謝するんじゃな」
間髪をいれず、学園長は重要な部分を全て打ち明けた。その間、蘭の顔は非常に青ざめていた。
「ちょっと、学園長!!」
蘭は明らかに怒ったような目で学園長を睨みつけた。
「なんじゃ? 別に隠すこともないじゃろ。こういうのは打ち明けとくのが正解じゃよ」
「そうじゃなくて、なんで僕が白雪さんにキスをしたこととか一番知られたくないところまで喋るんですか!? 白雪さんが傷ついたらどうするんですか!?」
「ほほう、ワシはそんなこと一言も言ってはおらぬが?」
「!! しまった……」
蘭はそこで墓穴を掘ったのに気がついた。
ふとそこで再び白雪を見ると、彼女は自分の唇を抑えながら呆然としていた。
「そっか……蘭くん、私を助けるためにキス、したんだ――」
「いえ、そうじゃなくて、最初は人工呼吸のつもりで……」
必死で言い訳するが、蘭はもう白雪に嫌われるだろうと確信していた。
(もう、ダメだ……)
彼女は唇をパクパクと動かしている。彼女が傷ついていると思った蘭は俯いた。とりあえず彼女に謝りたいと彼は考えた。
「ごめんなさい……白雪さんを傷つけたみたいで――」
「え? どうして私が傷つくの?」
「はい?」
蘭が目を戻すと、彼女はにっこりと微笑んで彼の手を握った。
「私本当に蘭くんに感謝しているんだよ。ありがとう、蘭くん。何度も助けてもらって……」
「そ、そんなことないです。僕だって何度も助けてもらいましたし……それに、キス、しちゃいましたから――」
「別に良いよ。だって、蘭くんは、私の、私の大切な――」
「え……」
白雪の柔らかそうな唇が波打つように言葉を発しようとしていた。
(大切な、なんだろう? まさか、好きな人とか――)
「大切な――」
白雪はその言葉を言いづらそうに何度も繰り返している。
(大切な、好きな人……)
続きを期待している蘭だったが、次の瞬間――
「大親友だもん!!」
「へ!?」
蘭は一瞬にして目が点になった。
「もう、蘭くんは私を守ってくれた、大事な親友だから!! これからも大切な親友でいてね!! 私も蘭くんをもっと守れるように強くなるよ!! 白雪ファイト、オ~~~~!!!!」
蘭にしてみれば彼女の気持ちはうれしかったが、鈍いのかそれとも気持ちが伝わっていないのか、少しずつ彼女への恋心が複雑になっていった。
しかし、これは同時に蘭の初恋が始まったということを意味していた。
「まったく、こやつらはこれから前途多難じゃな」
「ん、んんっ……あら、わたくしどうしてこんなところに? しかも学園長まで……」
「忘れておった。とりあえずお前は後で説教じゃ」