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石焼き芋

作者: 唐橋史

 2004年11月23日、植村奈津子は、彼にふられた。

 雪が今にも降り出しそうな、白く重たい雲の垂れこめた放課後だった。

 奈津子は高校の体育館の裏、外に置かれっぱなしのマットの上に座り込んでいた。湿った固いマットのせいでお尻が冷たかった。

 奈津子は制服の襟を立てると、身震いひとつして、膝を抱えた。膝の頭にはちくちくした短い毛が生えていて、まるで子象の頭みたい、と奈津子は思う。紺のハイソックスを思い切って太ももまで引っ張りあげてみた。すぐにずるずると落ちていって、かさぶただらけの膝がひょこっと顔を出す。

 奈津子はくしゃみをした。

 あたりを見回しても誰もいない。体育館の中からも、遠く、微かに、バスケットボールをつく音がひとつ、聞こえただけだ。

 奈津子は立ち上がった。石ころをひとつ、爪先で蹴った。乾いた音を立てたが、さして遠くまで飛んで行かなかった。

 奈津子は駈け出していた。前髪のピンが落ちたけれど気にしなかった。誰もいないグラウンドを突っ切って、裏門から道路へ出た。

 自転車とぶつかりそうになった。ブレーキの音が響き渡って、奈津子は身を強張らせた。黄色い自転車は奈津子の横をかすめて、ふらふらと右へ左へ蛇行してから、止まった。

 おにぎりのような坊主頭がこちらを振り向いた。

「なんだ、奈津子か」

 坊主頭は自転車を降りるとそう言った。田畑勇次だった。ピンク色のタオルをマフラー代わりに学ランの上に巻いていた。

「中学卒業以来じゃね?」

 勇次は鼻を思い切りすすって、笑う。

「なんだ、どうした?」

「何が?」

「泣いてら」

「泣いてなんかない!」

 奈津子は顔を背けるけれど、勇次はお構いなしにその顔を覗き込もうと追いかけてくる。鼻先同士がくっつきそうな距離で、勇次は笑いながらこう言う。

「鼻水出てっぞ」

「出てない!」

 奈津子は勇次の顔を平手で押しのけた。勇次は大げさにのけぞってみせる。

 そのとき、石焼き芋屋のメロディが聞こえてきた。見ればちょうど交差点の角を車が折れていくところだった。

 勇次はやおら自転車にまたがると、奈津子の制服の袖を引いて「乗れ!」と言った。

 奈津子が荷台にまたがると自転車は軽やかに滑り出した。冬の風を切って凍結した歩道を走る。

 奈津子のところからは勇次の背中しか見えなかった。中学校で同じクラスだったころは、こんなに広くはなかったと奈津子は思う。風は冷たいけれど、勇次の背中は汗ばんで暖かかった。

 公園の手前で二人は石焼き芋屋のトラックに追いついた。勇次は焼き芋を二つ買って、そのうちの一つを奈津子に寄こした。熱くないようにと、勇次は自分が首に巻いていたピンク色のタオルを焼き芋に巻きつけてくれたのだが、そのタオルは勇次の汗を吸って湯気が立っていた。奈津子は思わず眉をひそめたが、勇次に見られないように下を向いた。

 二人は公園のベンチの端と端に座った。奈津子のほうはお尻の片方が落ちてしまいそうなくらい端に座った。勇次も反対側の端にかがんで熱々の焼き芋に息を吹きかけていた。二人とも何も言わないで食べ始めた。

 奈津子はずっと地面を見ていた。乾いて白くぱさついた地面だった。でも口の中は甘くてねっとりとして、とろけそうで、視界はずっと暖かい湯気が覆っていた。

 勇次はずっと空を見ていた。ところどころ雲が切れ、夕日が梯子のように差し込んでいた。

 奈津子は鼻をすすった。すると勇次は焼き芋を頬張ったままで「やっぱり泣いてたんだべ」と言った。

「泣いてません」

 奈津子は答えた。

「ま、彼氏は東京の大学に行ってから探したほうがいいんじゃね?」

 勇次はそう言ってまた大きな口を開けて焼き芋を頬張った。

 奈津子もそれを真似して思いっきり焼き芋にかぶりついた。口の中が甘い湯気でいっぱいになって息ができなかった。胸が苦しくなった。

「私、小さい頃から、あんたのこと嫌いよ」

 奈津子がそう言うと、勇次は、

「うん」

と言った。

 雲が切れた。背後から夕日が差した。二人の影は瞬く間に伸びていった。



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