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第2章:見えないほころび

昼休みが終わり、教室に戻ると。

黒板にはひっそりと、しかし明確に――


《席替え》


その二文字が書かれていた。


「え、今日って席替えだっけ?」

「まじ?最高じゃん、今の席飽きてた〜」


ざわつく声。

机を引きずる音。

ちょっとした期待と不安が混ざりあった空気。


玲奈の胸は、静かに沈んでいく。


(席替え……また、あの感じになるのかな)


担任が番号札をシャッフルし、生徒を呼んでいく。

呼ばれるたびに、笑い声やちょっとしたため息が飛ぶ。


「はい、17番。佐伯玲奈さん」


「……はい」


玲奈は立ち上がり、呼ばれた席へ歩く。

そこは――


教室のど真ん中より、ほんの少しズレた位置。


「よろしくね、玲奈ちゃん」


その席の隣には、にこっと笑った女の子。

明るい声。悪意はない。

けれど、その笑顔の後ろにある「距離」を、玲奈は感じ取ってしまう。


(嫌われてるわけじゃない。……でも)

(“選ばれた”わけでもない)


椅子にすとんと座った瞬間、

周囲の視線が、ほんの一瞬そっちへ向いた。


ほんの一秒。

けれど、玲奈には十分だった。


(……やっぱり、浮いてる)


誰も言葉にしない。

でも、その沈黙がいちばん残酷だった。


───────────────


午後の授業は英語。

内容はほとんど頭に入らなかった。


先生の声は遠く、教科書のページだけがめくられていく。

その最中――。


ふと、プリントが一枚、玲奈の机の上に落ちた。


「あ、ごめん。それ回して」


隣の子が軽く笑いながら言う。


玲奈は小さくうなずき、そのプリントを後ろへ回す。


ほんの数秒のやり取り。

けれど。それだけで胸がずきりと痛む。


(話しかけられた……けど)


声をかけられた安心よりも、


〝そこに座ってる人間として、ただ処理されただけ〟


――そんな感覚が勝っていた。


───────────────

放課後。


チャイムが鳴り終わると同時に、椅子を引く音と話し声が広がり始める。

それでも玲奈は誰よりも早く、誰にも気づかれずに席を立った。


リュックを肩にかけ、足音を立てないように教室をあとにする。

まるで“透明な影”がすり抜けるように。


(今日も、誰ともちゃんと話せなかった)


自分でそう思った瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。

それは痛みというよりも、もう慣れすぎた“空虚”に近い。


昇降口まで来ると、下駄箱の影に身を寄せた。

誰かが通る音がするたびに、息を潜める。

けれど、それは追われているからではなく――

〝誰にも見つからずにいたい〟という願いだった。


ポケットからスマホを取り出す。

画面の光が、一気に世界を優しく照らし出す。


ゆらゆら:席替え最悪だった


打ち込んだ文字を確認し、送信。

指先が少し震えていた。


ほんの数秒で、通知が返ってくる。


ちゃーん:どうしたの?


(ああ……ちゃんと、見てくれる)


ゆっくり息を吐きながら、言葉を打つ。


ゆらゆら:周りは普通に優しいのに、自分だけ薄い膜で隔てられてるみたい


送った瞬間、胸がざわっとする。

誰にも言えなかった言葉を、ようやく吐き出せた感覚。

吐いたあとで、少しだけ怖くなる。


でも、またすぐに返ってきた。


ちゃーん:膜ってね、「消えたい人」が自分で作ることが多いんだよ


ゆらゆら:……やっぱり、私が悪いの?


ちゃーん:悪いって言葉が好きだね、ゆらゆらは

ちゃーん:正解なんて求めなくていいよ、疲れちゃうでしょう?


その言葉に――

ふっと、心の底に、温かい灯りがともった。


(……私のこと、ちゃんと見てくれる)


教室で聞こえなかった言葉が、ここではすぐ返ってくる。

誰も気づいてくれなかった痛みを、迷わず掬ってくれる。


玲奈は画面を見つめながら、小さな笑みをこぼした。


(やっぱり……ちゃーんは、わかってくれる)


昇降口を出ると、夕暮れの空気が頬に触れた。

オレンジ色の空に、クラブの掛け声とボールの音が遠くに響く。


誰も気づかない帰り道。

けれど、その足取りはほんのわずかに軽かった。


“ここだけが、私の居場所”


そう思った瞬間、胸の奥がほんのり温かくなる。


たったひとつのアカウント。

たった一人の相手。


でも――

それだけで、玲奈は世界に繋がれていると思えた。


誰にも言えない気持ちを、

小さな画面いっぱいに詰め込むように、


玲奈はもう一度スマホを握りしめた。


───────────────

一方で、教室に残っていた人もいる。


由希。


黒髪をゆるく後ろでまとめ、集めたプリントを胸に抱えながら

職員室へ戻ろうとして――


ふと、玲奈の空席を振り返った。


そこには、ただ空っぽの椅子があるだけ。

しかし、まるで “あの子の輪郭だけが残っている” ように感じられた。


(また……誰よりも先に帰った)


まるで影のように。

誰にも気づかれず、気配を残さないまま。


目で追ったのは席ではなく、“空気”。


その空気が、ほんの少しだけ痛かった。

理由は分からない。ただ――胸のどこかがざわついた。


(今日の席替え。あの子、どんな顔してたんだろう)


席替えはただの行事。

だが、あの子の孤立を知っている教師なら、それが“大事件”になることを知っている。


由希は目を閉じ、小さく息を吐いた。


――授業中。


玲奈がずっと、机を「トントン」と指で叩いていたことを、由希は覚えている。


教室の中で、それに気づいた生徒はいなかった。

けれど、授業をする教師の目にははっきり映っていた。


(あれは……癖じゃない)

(なにかを押し留めるときの音。…自分を守ってる音)


その“無音の叫び”みたいな仕草が、由希の胸に引っかかっていた。


けれど、それを言葉にすることはできない。


「大丈夫?」

「何かあった?」


――そんな言葉を簡単にかけられるほど、教師と生徒の距離は近くない。


むしろそれは、“踏み込みすぎ”にもなる。


(生徒に個人的に関わりすぎると、いろいろ言われるし…)


だから何も言えない。


ただ、見ていることしかできない。


でも。


“見ているだけ”でやり過ごすには、もう遅い気がしていた。


(あの子……誰かと、話せてる?)


本当に、どこにも居場所がない子の目だった。


それでも一人でいられるほど、強いタイプにも見えなかった。


――その推測だけが、胸に刺さったまま動かない。


由希は、教卓に手を置いた。

その指先が、かすかに震えていた。


言葉にできないほど、小さな違和感。

けれどそれは――確かに芽を出し始めていた。


───────────────


◆夜。


玲奈の部屋。

薄暗い天井。

誰もいない静けさが、やけに広く響く。


布団に横になりながら、玲奈はスマホを顔の近くに持ち上げた。

暗闇の中で、画面の光だけが浮かび上がる。


ゆらゆら:ねえ、ちゃーん。私って、ここにいても意味ある?


自分で打った文字なのに、胸がきゅっとなる。


すぐに返事が届いた。


ちゃーん:あるよ。ちゃんとある。


ちゃーん:私がこうして返事してる。それが証拠


(証拠……)


人に言われたことのない言葉だった。


ゆらゆら:……消えちゃいたいって思うこと、あるんだ


指先が少し震えた。

それでも送信ボタンを押す。


数秒後。

画面が光る。


ちゃーん:それは、消えたいんじゃなくて


ちゃーん:〝居場所に気づいてほしい〟っていうSOSだよ


(……ああ)


胸の奥が、すとんと落ちた。


ぽろりと、目の端が熱くなる。

涙というほどでもない。

でも確かに“こぼれた”ものがあった。


(私、本当は……誰かに気づいてほしかったんだ)


「居場所」という言葉に、やわらかく刺された。


スマホの画面だけがやけにあたたかい。

そのくせ、布団の中の空気は冷たい。


その温度差に気づかないふりをして、玲奈はそっと目を閉じる。


(ちゃーんがいてくれてよかった)


暗闇の中でも、画面のバックライトは消さなかった。

まるで、それが消えた途端に“世界と繋がる線まで消えてしまう”気がしたから。


――このときはまだ。


彼女の「救い」が、

その日授業をした教師で。


そして


ちゃーんの言葉を打ち込んでいたのが、

誰よりも近くにいた大人だったなんて。


誰も気づいていなかった。


でも。


その“見えない糸”は、確かに――

静かに、ふたりを結び始めていた。


ただ、ほんのわずか。

ほんの少しだけ。


教室の空気に溶けてしまいそうな、

誰にも気づかれない玲奈の孤独に、

静かに触れた人がいた。


目には見えないけれど、確かな存在感として、

その距離感が由希の胸にじわりと残る。


息を殺しているようで、でも確かに、そこに――

すぐ近くに、誰かが座っていた。


その人は声をかけることも、手を伸ばすこともせず、

ただ見守るだけ。


けれどその“静かな存在”が、

玲奈の小さな心に、ほんの少しの光を灯していた。

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