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第1章:孤独と秘密の親友

玲奈はその中心にはいない。

いつものように、窓側の一番後ろ――日差しが机の端だけを照らす席に、ひとり座っていた。


机の中から取り出したのは、ほとんど手をつけていないコンビニパン。

買ったはずなのに、食べる気が起きなかった。

封を切ることすらためらわれ、指先で押して遊ぶようにへこませては戻す。


(今日は食べられるかもって思ったのに)


そう思った瞬間、喉の奥がきゅっと詰まるような感覚がした。

パンをそっと机に戻し、できるだけ音を立てずに引き出しを閉める。


「……また、食べれなかった」


声に出したけれど、それは息と同じくらい弱かった。

誰にも届かないし、届かなくていい。


嫌われているわけじゃない。

それくらい、玲奈にもわかっている。


(でも……輪に入れない自分が、怖い)


誰かに「おいでよ」と言われたら嬉しいはずなのに、

言われたら言われたで、きっと戸惑ってしまう。

そんな自分が面倒で、傷つくのも疲れて――

気づけば、“空気”になることを選んでいた。


だから。


玲奈は、そっとスマホを開く。

この小さな画面の中だけは、誰にも見つからない。

自分を閉じ込めもできるし、解放もできる――唯一の居場所。


画面が明るく点灯し、通知がひとつ。


ちゃーん:今日もお昼一人?



指先が、ほんの少しだけ震えた。

その揺れは、寂しさからではなく――

「自分を気にかけてくれる人がいる」という安堵から生まれたもの。


玲奈はすぐに返信する。


ゆらゆら:うん。悪目立ちはしてないけど、空気みたいな存在って感じ



送信して数秒も経たないうちに、すぐに返信が返ってくる。


――たったそれだけのことで、心の温度が少し上がる。


ちゃーん:空気ってね、実は大事なんだよ。いないと困るでしょ?

玲奈は一度読み返してから、小さく笑った。

本当に、どうしてこの人は――


コードをコピーする

ゆらゆら:…そんなふうに言ってくれるの、あなただけだよ

指を止めると、一拍置かずに返事が来る。


コードをコピーする

ちゃーん:私は本当のことしか言わないよ

たった数行のやりとりなのに、胸の奥にまとわりついていた霧が晴れていくようだった。

さっきまで、教室のざわめきはただの騒音だったのに、今は少しだけ遠く感じる。


(ああ…ここだけは、私でいられる)


無意識に息を吐き出していた。

すると、指先が自然と机を「トン、トン…」と叩いていた。

規則はない。ただ、呼吸と合わせて指を動かしているだけ。

自分でも気づいていない癖。

それは不安を押し込めるための、小さなリズム。


――その様子を、こっそり見ている人がいた。


黒髪をひとつにまとめた女性教師・由希。

教卓の前でプリントを揃えながら、視線だけで玲奈の方を見る。

ふと、玲奈の指の動きが目に入った。


「……また机を叩いてる。何かあるとき、いつも」


誰に聞かせるでもない、小さな独り言。

授業中も、放課後も、あの子は同じ癖を見せる。

怒っているわけでも、焦っているわけでもない――

ただ、心の奥で何かと戦っているような手つき。


(今日も、何かあったのかな)


そう思った瞬間、自分が“教師”としてではなく

“ひとりの大人”として彼女を見ていることに気づき、由希はまばたきをした。


――踏み込んではいけない。


まだ、何も知らない。

ただの観察にすぎない。

手を伸ばす理由も、掴む資格もない。


それでも視線は離せなかった。


玲奈の背中は、教室の光に溶けていくようで、

誰も気づかないうちに消えてしまいそうだったから。


午後の授業が始まると、チャイムの音はすぐに飲み込まれ、教室は再び静まり返った。

窓から入る光が少しだけ傾きはじめ、黒板に白いチョーク粉の影が伸びる。


玲奈の視線は前を向いている。

ノートも開いている。

ただ――中身はほとんど、さっきと変わらないまま。


(早く帰りたい。家に帰って、ちゃーんと話したい)


ページの行間がふわふわと遠くに見える。

どんな文章が書かれているかは目で追っているのに、意味が頭の中に入ってこない。

教科書の文字より、スマホの通知画面が思い浮かぶ。


――今、あの人は何してるかな。

――今日も返事くれるかな。


(…こんなこと考えてるなんて、先生には絶対言えない)


ふと、黒板の前を歩く由希の声が耳に届いた。


「――“寄り添う”というのは、相手に引っ張られすぎず、でも放置もしないことです」


教室全体に響く声なのに、玲奈には自分のためだけのように聞こえた。

黒板に書かれた文字がにじむように見えて、胸の奥がきゅっと締めつけられる。


(そんな人、現実にいるわけ…)


心の中で否定してみる。

けれど同時に、それを言われたかった気持ちも確かにあった。


本当に。

誰かが、距離を間違えず、そっとそばにいてくれたら――。


玲奈は気づかれないよう机の下でスマホを握る。

画面は開いていない。

でも触れているだけで、安心する。


(私は“ここ”でしか、誰かと繋がれないのかな)


もしかしたら、由希の言葉に反応したのは、

心のどこかで「放置されたくない」と願っている証拠なのかもしれない。


呼吸が浅くなったまま、玲奈は視線を黒板に戻す。

でも、字はやっぱり頭に入ってこなかった。


放課後


チャイムが鳴り終わり、ほとんどの生徒が「帰ろう」「部活行こ」と声を上げる中。

玲奈は、誰よりも早く席を立った。


それは、逃げるようでもあり、期待していないようでもあった。


机の横に掛けたリュックを引き寄せ、肩にかける。

椅子を戻す音も、ドアを開ける音も、極力小さく。

まるで自分の存在を薄めるようにして、教室を出た。


廊下はまだ明るく、オレンジ色の夕日が床に伸びる。

靴音を立てずに歩きながら、玲奈は一度だけ振り返った。


――そこには、誰も自分を見ていない。


そう思っていた。


だけど、その背中を見ている人がいた。


由希。


プリントをまとめながら、何気ないふりをして視線を向けている。

声をかけるでもなく、引き止めるでもなく。

ただ――見送るだけ。


肩を掴むほど無神経にはなれない。

大人である自分が踏み込みすぎるべきではないことも、よく分かっている。


けれど、それでも。


(あの子…誰かと話せてるのかな)


誰かに「また明日」と笑って言われているだろうか。

ひとりで帰ったあと、沈黙の中に飲み込まれていないだろうか。


そんなことを考えてしまう自分に、由希自身も戸惑っていた。


職員室へ向かう廊下の途中。

夕焼けが差し込む窓ガラスに映った自分の横顔が、少し寂しそうに見えた。


――そのころ。


玲奈は昇降口を出たところで、すぐにスマホを開いていた。

画面の明るさに、心が少しだけ温まる。


ゆらゆら:今日も疲れた。ちゃーんと話すのだけが救い



送信すると、数秒も待たずに通知が返る。


ちゃーん:私はいつもここにいるよ



たった一言。


けれど、それはクラスの誰からももらえなかった保証だった。

「いなくならないよ」という言葉を、初めてもらった気がした。


玲奈の口元が小さくゆるむ。

その微笑みを、学校で見た者はいない。



――まだ知らない。


その“救い”が、

つい数時間前、自分の前で授業をしていた教師だなんて。


まだ、誰も気づいていない。


だけど。


放課後の教室で、ほんのわずかに玲奈の孤独に触れた人は、

確かにそこで、静かに立ち止まっていたのだ。

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