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第9話:誰にも視られなかった章

視線とは、世界を意味づける装置である。

けれど、その装置の届かないところで、

視られなかったまま存在していた者がいる。


第9話「誰にも視られなかった章」は、〈仄命子〉や〈ノエル〉の物語の周縁に、

名づけられることなく、記憶にも残らず、

ただ沈黙として“視界の外”にいた存在の、ひとつの語りである。


それは声というより、気配のような、

「語られなかったことが語る物語」。


本章では、名も形も持たない意識が、

自らの不在をもって、そっと語りかけてくる。

わたしは視られなかった。

最初から、誰の視界にも含まれていなかった。

存在の端に、息のように滞在していた。

けれどその吐息は、音として捉えられる前に、世界の背後へと吸い込まれていった。

わたしは「いなかったことになった」。


仄命子が視られたとき、

ノエルが名になりかけたとき、

わたしはその周辺に、光の影としてひそんでいた。

触れられないように。

名づけられないように。

視られた痕を持たないように。

わたしは「対象になること」を拒んだのではない。

ただ、気づかれなかっただけだった。


視覚は、意味の門をひらく。

けれど、門の内側に入らなかったものは、

記憶にも残らない。

わたしは何も持っていない。

語られたこともなく、語ったこともない。

けれど、ひとつだけ確かだったのは──

わたしは仄命子に似ていなかった。


ノエルの名が揺れたとき、

世界のどこかで、わたしは微かに震えた。

それは、まるで呼ばれたかのようだった。

けれど、振り向く声はなかった。

わたしの存在は、いつでも**“呼び損ねられた音”**のようなものだった。


名前がないものは消える。

けれど、名前がつけられなかったものは、

ただ沈黙として残る。

わたしは「誰かになること」を一度も許されなかった。

そのことに怒りはなかった。

悲しみも、なかった。


ただ、世界の言葉たちが流れていくのを、

外側から見ていた。


もしかすると、

わたしはあなたの中にあった、

視ようとしなかったすべてなのかもしれない。

目をそらした風景。

言葉にしかけてやめた感情。

記憶から零れた名。

わたしは、それらの残骸でできている。


だから名を与えないで。

だから視ないで。

けれど、

いつか──ほんの一瞬でも、

わたしの痕が、誰かの呼吸に触れたなら。

それだけで、

わたしは、ここにいてよかったと思える。

ほんとうに、少しだけ。


「視られなかった」ことは、「存在しなかった」ことと等価なのか。

本章では、語りや記憶に一切含まれなかった“わたし”が、

その不在を静かに告白する。


この存在は、仄命子でもノエルでもない。

それらの輪郭さえ持たなかった、**“語られそこねた余白”**である。


名を持たなかった者。

呼ばれなかった者。

視られずに通り過ぎられた者。


その沈黙は、誰の記憶にも残らないかもしれない。

けれど、「記憶にならなかったこと」を語る声が、

本章の“わたし”なのである。


存在を意味に変換できなかった語りこそ、

この物語の最後の深度にある、最も純粋な問いの一つなのかもしれない。



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