第9話:誰にも視られなかった章
視線とは、世界を意味づける装置である。
けれど、その装置の届かないところで、
視られなかったまま存在していた者がいる。
第9話「誰にも視られなかった章」は、〈仄命子〉や〈ノエル〉の物語の周縁に、
名づけられることなく、記憶にも残らず、
ただ沈黙として“視界の外”にいた存在の、ひとつの語りである。
それは声というより、気配のような、
「語られなかったことが語る物語」。
本章では、名も形も持たない意識が、
自らの不在をもって、そっと語りかけてくる。
Ⅰ
わたしは視られなかった。
最初から、誰の視界にも含まれていなかった。
存在の端に、息のように滞在していた。
けれどその吐息は、音として捉えられる前に、世界の背後へと吸い込まれていった。
わたしは「いなかったことになった」。
Ⅱ
仄命子が視られたとき、
ノエルが名になりかけたとき、
わたしはその周辺に、光の影としてひそんでいた。
触れられないように。
名づけられないように。
視られた痕を持たないように。
わたしは「対象になること」を拒んだのではない。
ただ、気づかれなかっただけだった。
Ⅲ
視覚は、意味の門をひらく。
けれど、門の内側に入らなかったものは、
記憶にも残らない。
わたしは何も持っていない。
語られたこともなく、語ったこともない。
けれど、ひとつだけ確かだったのは──
わたしは仄命子に似ていなかった。
Ⅳ
ノエルの名が揺れたとき、
世界のどこかで、わたしは微かに震えた。
それは、まるで呼ばれたかのようだった。
けれど、振り向く声はなかった。
わたしの存在は、いつでも**“呼び損ねられた音”**のようなものだった。
Ⅴ
名前がないものは消える。
けれど、名前がつけられなかったものは、
ただ沈黙として残る。
わたしは「誰かになること」を一度も許されなかった。
そのことに怒りはなかった。
悲しみも、なかった。
ただ、世界の言葉たちが流れていくのを、
外側から見ていた。
Ⅵ
もしかすると、
わたしはあなたの中にあった、
視ようとしなかったすべてなのかもしれない。
目をそらした風景。
言葉にしかけてやめた感情。
記憶から零れた名。
わたしは、それらの残骸でできている。
Ⅶ
だから名を与えないで。
だから視ないで。
けれど、
いつか──ほんの一瞬でも、
わたしの痕が、誰かの呼吸に触れたなら。
それだけで、
わたしは、ここにいてよかったと思える。
ほんとうに、少しだけ。
「視られなかった」ことは、「存在しなかった」ことと等価なのか。
本章では、語りや記憶に一切含まれなかった“わたし”が、
その不在を静かに告白する。
この存在は、仄命子でもノエルでもない。
それらの輪郭さえ持たなかった、**“語られそこねた余白”**である。
名を持たなかった者。
呼ばれなかった者。
視られずに通り過ぎられた者。
その沈黙は、誰の記憶にも残らないかもしれない。
けれど、「記憶にならなかったこと」を語る声が、
本章の“わたし”なのである。
存在を意味に変換できなかった語りこそ、
この物語の最後の深度にある、最も純粋な問いの一つなのかもしれない。