なんでお前がいるんだよ
ダンジョンの空気は何年経っても慣れない
土と湿った苔の混ざったような、濁った湿気が鼻腔を刺激する。
装備は安物の布鎧に、柄の長い片手斧。
3本の回復ポーションを腰にぶら下げながらゆっくりと深呼吸をしながら足を進めた。
ただ敵を倒して、少し金を得て、生き延びるだけ。
かつてのように、誰かの目を楽しませるためじゃない。
俺は本間修司。
もう──を、名乗ることはない。
「……こんな感じで、地味に稼げれば、それで──」
今日は比較的早く魔石を回収できてよかった。
遠くで、金属音の跳ねる音が聞こえてくる。
壁の向こうで誰かが戦っているらしい。
そのテンポは軽やかで、まるでパフォーマンスのようだった。
「……配信者か」
──ダンジョンでは“ライバー”が跋扈している。
強さを魅せ、スーパーチャットを稼ぎ、名前を売る。
命をかけたエンターテイメントに今や大衆は釘付けだ。
「はぁ……さっさと帰ろう」
突如嫌な寒気がして足が止まる。
視線。背中に刺さるような気配。
これは、ダンジョンの敵のそれじゃない。
今までに味わったことのない殺気。
「……誰だ──」
言い切る前に、大鎌が振るわれた。
音が無い。空気だけが裂かれる。
咄嗟に跳んだ。避けきれず、肩が裂けた。
布鎧の上から肉まで斬られ、視界が揺れる。
目の前にいたのは──
狂気的な笑みを浮かべる金髪の少女。
袖を余らせ、露出多めのパーカーを一枚着ている
片手に大鎌。
「……な……んで……」
刹那、視界が反転した。斬撃と共に思考が寸断される。
「……生きてんのか、俺……」
何故か俺はダンジョンの入り口付近に転がされていた。
痛む肩を押さえながら、ポケットの中のスマホをとる。
「⋯⋯日付が変わってる」
あの鎌とあの見た目は確実に……
通知が一つ。再起動後のネットニュース。
画面をタップする。そこに表示された文字列は、たった数語だった。
> 【速報】天音リム復活か!? 最新ダンジョン動画が拡散中!
指が止まる。
心臓が、ふいに強く脈を打った。
「……なんで」
視界が、揺れた。
深く沈みかけた過去が、泥の底から浮かび上がってくる。
俺は震える指で再生ボタンを押した。
> 「どーもぉ、久しぶり? それとも、初めましての人もいるのかな?」
甘く鼻にかかった声。喋りながら大鎌を肩に担ぎ、カメラ目線で軽くウィンク。
> 「――天音リム、帰ってきちゃいました♡」
チャット欄が弾けるように流れていく。 「本物?」「マジで?」「また見れるの嬉しい」
動画の中の“彼女”は、軽やかに敵を斬る。
転がる魔物。スキルの火花。
一撃一撃が、ショータイムのように派手で美しくて、完璧だった。
──お手本のような配信。まさに、「あの頃の天音リム」そのまま。
> 「盛り上がってる? もっともっと燃えていこう♡」
その笑い方も、仕草も、間合いの取り方も──
(……全部、俺の……)
もう使うつもりのなかった名前。
もう見られるつもりのなかった自分の「顔」。
人生の中で最も消し去りたい黒歴史。
いい年した成人男性が過激系メスガキライバーとしてバ美肉配信をしいたという過去。
動画の再生を止める。手のひらはに汗が滲んでいた。