人にうるおい 地にかわき
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふ~、こうも暑いとついつい水分に手が出てしまうな、つぶらやくん。
人間、食べ物を食べなくても十数日は生きられるというが、水分なしだと数日も生きるのが危うくなると聞く。それだけ水というのは命にとって大事だというわけだな。
その「潤い」の反対、「かわき」というのは我々の考えている以上に、重い意味合いを持っているのかもしれない。
かわきは、いわば生きようとする意志に直結している。渇望という言葉は、望みとか願いという言葉とは違う、貪欲な香りを私は感じずにはいられないんだ。
実際に、命にかかわるかわきを経験していない私に、その苦しみは想像してみるよりない。同じ人間でさえそうなのだから、人間以外のかわきを理解するというのは、とても難しいものだと思うな。
……そうそう、かわきで思い出した。
私も以前に、うるおいをおろそかにして少しまずいことになったことがあってね。つぶらやくんのネタになるかもしれないし、聞いてみないかい?
植物の観察日記。宿題などで、つぶらやくんも書いたことがないかい? 夏休みとかにさ。
土地柄、時代柄などなど、経験したことがないという人もいるかもしれないな。しかし、私が子供のときには全員の課題として出されたんだ。
たいてい、どの植物を観察するかは指定されそうなものだけど、あの年の課題として渡されたのはポチ袋に入れられた、名前不詳の植物の種だったな。
形はスイカのそれに似た、黒く小さい水滴を思わせるもの。しかし、硬度ははるかに上をいき、人力ではどうやっても変形させることはできなかった。かといって、課題物を破壊するわけにもいかず、道具を用いた子などが実際にいたかどうかはしらない。
かつてアサガオを育てたときに使ったプランターが再利用されて、学期終わりにみんなが家へ持ち帰ることになる。その土の中へ種を植えて育て、その様子を観察し記録せよという運びだ。
我が家は当時マンション暮らし。ベランダの隅へプランターを置き、育てることになった。
育成に要るのは水やりのみで構わない、というのは良かったのだが、7月中にせっせと世話をしても文字通りに芽が出ないまま。「おかしいのかなあ」と、連絡がつく友達へ電話をしたところ先生の課題が思ったよりくせ者であったことをしったよ。
なんと、個人によって与えられた種が異なるようで、ポピュラーな野菜から珍しい花まで千差万別な育ち具合なのだとか。
――先生め。誰かに聞いたり、うつしたりして楽しようって生徒に思い知らせてやる、というハラかな。怖い、怖い……。
確かめず安直な道を走れば、実は瞭然というわけだ。自分の育てをしっかり行うしかない。
そうして8月に入っても水やりを欠かさずにいた私だったのだが、お盆前に少し事故ってしまってね。命に別状はないものの、数日間を病院で過ごす羽目になってしまった。
急なことだったし、私もいくらか混乱していてプランターのことまで気に掛けるゆとりがなかった。ゆえに、どうにか退院して我が家に着いたとき、ふと思い出してベランダへ寄っていったんだよ。
プランターの土は、すっかりかわいてしまっていた。
いつも見せるこげ茶色の顔はすっかりなりをひそめ、白々しさの中にかすかな黄土色をたたえたその様は、まるで砂浜のようだった。
が、その過酷な環境の中、プランターの中央から芽が出ているのを私は確認する。
長さは10センチ足らず。もやしを思わせる白くて細い茎のような部分が、力なくおじぎしているかのような格好だ。
これが何かは分からないが、観察記録をつけ続けられるというのは幸運だ。さっそく私はかわききったプランターへ水を注ぎ、その日から土を二度とかわかさないよう気をつけながら、芽を見守り続けたんだ。
退院したばかりということもあり、激しい運動などは控えるようにいわれていた手前、家に引きこもっても、うるさく言われることはなかったのは幸いだった。
ただ困ったのが、私がいくら水に気をつかっているつもりでも、そのもやしもどきにはどのような成長も見られなかったこと。
成長記録は絵日記式だったから、入院中で描くことのできなかった数日の空白を経て、ひょっこりとこいつが芽を出している。そこから書くことはいつも同じものが並んで並んで……これでいいのかなあ、と疑問に思っているうちに、とうとう明日から新学期と相成ってしまった。
夏休みの成果を見せるため、プランターは学校へ持っていくことになっている。
が、その芽も朝に起きた時にはすっかりなくなってしまったんだ。もし、ぽっきり折れてしまったのなら、プランターの土へ寝転がっていそうなものなのに、その影さえない。ベランダ中を探しても見当たらず、まるで私の課題がまさに絵空事となってしまったかのようだったよ。
そして、それは学校の先生から聞かされたことによっても判明する。
私に渡されたものはランダムで選ばれた、なんでもない「石」だったのだとか。
夏休み中、どのように世話をしても一切変化がない。それに惑わされることなく、変化のない日記を書き続けられるか……というものだったんだ。いま考えてみると、とんでもない課題だったと思う。
けれども、それがかえって私の絵日記による混乱を招くことになる。芽の実物は私の家族も見ているから、これが真実であることは明白。
私の絵日記とプランターは回収されてしまい、それっきりとなり、今もなおどうなったかは知らない。
もし先生の渡したのが本当に石ならば、あのもやしのようなものは何だったのだろう。数日間のかわきが生み出した、何かだったのかもしれないと、私は思っているんだ。