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輪郭のない春

作者: sakana

雲雀公園――それは、隼と葵がまだ名前で呼び合うことさえ照れくさかった頃から通い続けた、小さな場所。

木漏れ日と夕焼けが交差するあのベンチは、二人だけの静かな世界だった。


高校生になり、クラスが離れ、時が過ぎるたびに、隼は少しずつ「となりにいた彼女」との距離を感じるようになる。

それでも、何気ない一言、ちょっとした目線の交差に、言葉にできない想いを託し続けていた。


だけど、変わらない風景の中で、変わっていくのはいつも自分たちだった。

新しい人間関係、遠ざかる沈黙、言いそびれた「好き」という言葉。

隼はそれでも“となり”を守ろうとしたが、葵は静かに離れていった。


やがて彼女は、言葉の届かないところへ行ってしまう。

最後に残されたのは、ひとりきりになった雲雀公園と、彫られた名前の跡だけ。


葵がいなくなったあのベンチに、隼は何度も通った。

過去に触れるたび、触れられなかった温もりの記憶が、胸に刺さる。


そしてある春の日、名前の彫られたベンチを前に、隼はようやく気づく。

本当に欲しかったのは、「ずっと隣にいること」ではなく、

「隣にいるときに伝えること」だったのだと。


彼はただ、もう一度だけ言いたかった。

「となりにいてくれて、ありがとう」と――。


【第1章:はじまりの隣り合わせ】


 隼と葵は、幼いころからずっと隣の家だった。

 大沼町の閑静な住宅街、隼の家のすぐ横に葵の家があり、ふたりは保育園の頃から手をつないで登園していた。最初に一緒に遊んだのは雲雀公園。まだ言葉もたどたどしかった頃、錆びたすべり台と小さな砂場の前で、葵が拾った黄色い花を隼に差し出した。


「これ、はやとにあげる」


 それが最初の“約束”だった。子供ながらに「だいじなもの」をもらったと感じた隼は、ポケットにその花をしまい、母に怒られるまで捨てなかった。


 小学校に上がる頃には、一緒に帰るのが日常になっていた。


「おまえんち、きょうカレーだって」

「ほんと?やった」


 母親同士が仲が良く、夕飯もよく一緒に食べた。お風呂だって、布団だって、一緒に入った。誰にとっても微笑ましい“幼なじみ”で、ふたりもそれを疑わなかった。


 小学校高学年のある日。ふたりは雲雀公園の古いベンチに、自分たちの名前を彫った。はやと。あおい。ぎこちないカタカナで、枝でこすっただけの痕だったが、ふたりにとっては“永遠の印”だった。


「大人になってもさ、ここで会おうね」


 葵がそう言ったとき、隼は「うん」と頷いた。


 その頃にはもう、葵は隼にとって“特別”な存在になっていた。


【第2章:高校の席と距離】


 地元の公立高校に進学したふたりは、奇跡的に同じクラスになった。


 しかも、2年の春には隼の右隣に葵が座ることになった。


 制服姿の葵は、隼の知っている子供の頃の“あおい”とはどこか違っていた。

 髪を少し巻いて、リップを薄く塗って、笑い声に艶があった。隼の胸が不自然に早くなるたびに、自分が“恋”をしているのだと認めざるを得なかった。


 だけど、その想いをどう伝えていいのか、分からなかった。


 隣の席で、葵が楽しそうに他の男子と話しているだけで、胸の奥がチクリと痛んだ。


 そんなある日、葵のノートの隅に「K.K」と書かれた文字を見つけてしまう。


 神谷恭介──3年の先輩。長身で、サッカー部の副キャプテンで、誰もが憧れるような存在。


 その日から隼は、何かが壊れていくような感覚を覚え始めた。


【第3章:文化祭と沈黙】


 秋の文化祭。クラスは演劇をやることになり、葵がヒロインを演じ、相手役は神谷先輩に決まった。


 練習を見ていた隼は、ふたりが台本を読み合わせるたびに、心の中に黒いもやが広がっていくのを感じた。


 ある日、帰り道で勇気を出して聞いた。


「おまえ……最近、神谷先輩と仲良いよな」


 葵は少し驚いたように笑って、首をかしげた。


「うん。いい先輩だよ。すごく優しいし」


 その返答に、何も言い返せなかった。


 本当は、「俺の方がずっとお前を見てたのに」と叫びたかった。


【第4章:クリスマスの嘘】


 12月。街にイルミネーションが灯る頃、クラスではクリスマス会の計画が始まった。


 くじ引き形式のプレゼント交換。隼は、「もし葵に当たったら」と想像し、ちょっと高めのリップクリームを用意した。


 しかし、葵には当たらなかった。


 イベントの最後に、神谷先輩が葵に手渡しでプレゼントを渡すのを見てしまった。


 葵は驚いたように笑い、受け取って「ありがとう」と言った。


 その一言が、耳に残って離れなかった。


 その夜、葵に「話したいことがある」とLINEを打ちかけては、消した。


(今、言ったら……全部、終わってしまう)


 そう思った。


【第5章:すれ違いと受験】


 年が明け、受験シーズンが始まると、隼と葵の距離は自然と遠ざかっていった。


 葵は都内の有名私大を目指していた。隼は地元の国立一本。


 放課後も、会話の数も、徐々に減っていった。


 そして卒業式の日。葵が神谷先輩にフラれたという噂が流れた。


 それを聞いて、隼は胸の奥で微かに火が灯るのを感じた。


 夜、雲雀公園に呼び出した。


「今日……卒業、おめでとう」


「ありがとう。……ねえ、覚えてる? このベンチ」


 葵は笑って、指先で古びた木の表面を撫でた。


「ここに、名前彫ったよね。昔。……もう見えないけど」


「うん。でも、俺はちゃんと覚えてる」


 言うべきだった。「好きだ」って。全部、言えばよかった。


 でも、葵の瞳に宿った寂しげな微笑みが、それを止めた。


 彼女は、もう前を向いていた。


【第6章:消えない面影】


 大学生活。カメラサークルに入った隼は、風景や人の笑顔を撮り続けていた。


 ある日、雲雀公園で、小さな女の子が母親に手を引かれて歩いていた。


 その後ろ姿に、幼い頃の葵の面影が重なった。


 その夜、隼は押し入れの奥から、卒業前に書いたまま出せなかった手紙を見つけた。


『葵へ。卒業おめでとう。これまで、ありがとう。

 本当はずっと前から、伝えたいことがありました。

 でも、怖くて言えなかった。……好きです。』


 読み返すたびに、胸が締めつけられた。


【第7章:知らせ】


 それから数年後。


 葵の親友・真希と街で偶然出会った。


「ねえ、知ってる?葵、来月結婚するんだって」


 その言葉は、突然、世界の音をすべて奪った。


「……そっか。おめでたいな」


 笑ったつもりだったが、喉の奥で言葉が割れた。


 真希は、何かを察したように、小さく言った。


「高校のとき、あんたが告白してたら……違ったかもね」


 何も答えられなかった。


【最終章:輪郭のない春】


 雪の舞うある日、雲雀

公園のベンチに隼はひとりで座っていた。


 葵は、今頃ドレスを着て、知らない誰かと手を取り合っている。


 ふたりで彫った名前は、もうどこにもなかった。


 ポケットから、あの日の手紙を取り出す。


 手紙は、風に乗って遠くへ飛んでいく。


「……幸せになれよ」


 それが、最後に伝えられる言葉だった。


 春はまだ遠く、ベンチは冷たく、空は静かだった。


__________________________



― 葵視点より―


【第一章:名前を彫った日】


あの日、雲雀公園のベンチに名前を彫ったのは、ほんの気まぐれだった。


「名前、彫ると呪われるって知ってた?」 「うそ。じゃあ二人で呪われよっか」


隼は笑いながら、木の枝をベンチの木目に押し付けた。


「アオイとハヤト」――ぎこちなく彫られたその文字を見て、私は胸の奥が温かくなったのを覚えている。


中学の頃は、放課後になると二人でこの公園に来て、ベンチに座って他愛ない話をした。


高校に入ってからも、きっと変わらないと思っていた。


だけど、そんなものはすぐに変わってしまった。


【第二章:遠くなる距離】


高校に入ってから、私たちは同じクラスになった。


教室の隅にいる私と違って、隼は人付き合いも悪くない。


自然と彼の周りには、笑い声が集まりはじめた。


「おい、葵。今日一緒に帰る?」 「……ごめん、部活」


そんなふうに断るのが、日課みたいになっていた。


写真部に逃げていたのは、隼と一緒に帰る勇気がなくなったからだ。


「好き」って言えないまま、ただ「隣にいること」にすがっていた。


【第三章:彼女の名前は、凛】


秋の中間テストが終わった頃だった。


隼がよく話すようになった女の子がいると、クラスの噂になった。


凛――橘 凛。明るくて社交的で、誰にでも分け隔てなく笑う女の子。


見た目は可愛くて、頭も良くて、何より「素直」だった。


隼と並んで歩く凛の姿を、下駄箱の角から見かけた瞬間、

心のどこかで「終わったかも」と思った。


その日、私は一人で雲雀公園のベンチに座った。


名前は、まだ残っていた。


でも、私の「となり」は、もう空いていない気がして、どうしようもなく泣きたくなった。


【第四章:笑う声と沈黙】


「葵ちゃん、写真部やってるんだってね!」


凛が声をかけてきたのは、冬の終わりのことだった。


「あ…うん。カメラが好きで」


「そっか!今度、撮ってもらってもいい?」


笑顔で頼まれて、私は断れなかった。


撮影の間、凛は自然体だった。


でも私は、ファインダー越しに彼女のことを直視できなかった。


彼女の無邪気な笑顔が、何よりも隼に似合ってしまっていたから。


【第五章:雪が降る日】


2月、珍しく雪が降った日の放課後。


隼と凛が一緒に帰る姿を、雲雀公園で見かけてしまった。


手袋を交換しながら笑い合う二人。


私がそのベンチにいた時間を、何の躊躇もなく塗り替えていく彼女。


隼の笑顔が、私に向けられるものじゃなくなったことを思い知らされて、

足元の雪に指を突っ込んでみた。冷たさで麻痺すれば、心も感じなくなると思ったから。


「なんで私じゃなかったんだろう」


答えのない問いが、吐く息と一緒に空に溶けていった。


【第六章:写真に写るもの】


卒業アルバム用の写真を撮るため、私たち写真部はクラスを回っていた。


「はい、橘さん、ちょっと前に出て。…うん、もう少し左」


ファインダー越しの凛は、やっぱり綺麗だった。


その横に隼が立ったとき、私は手が震えた。


「二人、仲いいよね」って誰かが言った。凛は笑って、隼はちょっと照れくさそうだった。


その瞬間、私はシャッターを押せなかった。


「ごめん、ちょっと設定ミス」


本当は、目をそらしただけだった。


【第七章:卒業の日、名前は消えた】


卒業式の日、雲雀公園に立ち寄った。


ベンチの「アオイとハヤト」は、綺麗に削られていた。


誰かが消したのか、時間がそうさせたのかはわからない。


ポケットには、隼からの手紙があった。


私が部室の机に残していたフィルムに、何気なく添えられていたものだった。


「写真、ありがとう。君のレンズは、きっと優しい」それだけだった。


だけど、何度読み返しても、名前はなかった。


私の想いも、名前も、写真の中にだけ残っていくんだと思った。


【第八章:そして、となりにいたかった】


春。


雲雀公園に再び咲いた桜の下で、私はひとりでベンチに座った。


隣に誰もいないこの時間だけが、やっと私のものになった気がした。


凛が憎かったわけじゃない。


彼女はただ、まっすぐだっただけ。


私は、まっすぐになれなかった。


ずっと、言えなかった。


「まだ、となりにいたかった」


桜の花びらが、掌に落ちて、すぐに風にさらわれた。


私の想いも、きっとこんなふうに消えていくのかもしれない。


でも、心のどこかにだけ――


たしかに、あの人がいたことは残っている。



sakanaです。初めて長めのものを作りました。少しでも面白いと感じてくれたら幸いです。

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