悪妃
全2話です。
ナテン王国は中原に広大な領土を有し、約300年も続いた大王朝である。15代の君主のうち、後世において『愚王』と酷評された人物は2人ほど居る。
7代目のケンダル王と、彼の息子である8代目のフレデリック王だ。
ケンダルは軍事の才能が乏しいにもかかわらず、それを自覚せず、傲慢で無謀であった。即位してから15年後、強大な勢力を誇る北方民族の国へ攻め込み、大敗を喫する。挙げく、敵の捕虜となる醜態をさらした。
ケンダルが北方民族に捕らわれている間、ナテン王国を維持するのに尽力したのは、ケンダルの実弟であるランガスだ。ランガスは王の代理となって、崩れかける国家を支えた。
けれど北方民族から帰国を許されたケンダルは中原の地に戻ってくるなり、ランガスに感謝するどころか、彼を殺してしまった。
北方民族としては、ランガスの手によってナテン王国が復興するのを阻止すべく、無能なケンダルをわざと生かして送りかえしたわけだが、愚かなケンダルはその意図どおりに踊ったのである。
ケンダルの後継者であるフレデリックは、父のケンダルを上まわる、最悪な愚王であった。国の内外に無用の兵乱を起こし、過酷な刑罰によって貴族も民も苦しめ、贅沢にふけり、秘密警察をしきりに動かして人々を恐怖させた。
フレデリックが特異なのは、彼が王妃のみを愛して、寵姫や愛妾をいっさい持たなかった点であろう。しかも、その王妃は、彼よりも年齢が12歳も上であった。
王妃の名は、アリエットという。
アリエットは、ナテン王国の歴史における代表的な悪女として知られている。
貧しい家の出身であるアリエットは、若いときから狡猾であった。
彼女は罪人の娘でありながら、負い目を感じることもなく、己の美貌を活かして王宮へ入り込み、フレデリックの祖母である王太后の侍女となる。フレデリックが6歳のときに養育係に任命されるや、王太子であったフレデリックの歓心を買うことにつとめ、やがて彼を思うままに操るようになった。
ケンダルの死にともない、フレデリックが16歳で国王に即位すると、彼は祖母や母、家臣たち全ての反対を振り切って、アリエットを王妃にした。辛うじて貴族階級に属していたものの、低い身分の出で、罪人の娘。なにより、王よりも12歳も年上。
まさに、前代未聞の王妃の誕生である。
王妃アリエットは、フレデリックにねだり、自らの縁に連なる者たちを出世させた。アリエットの両親は亡くなっており、兄弟も居なかったが、遠縁の輩が彼女のもとへ集まってきたのだ。
その者たちは揃いもそろって無能かつ悪人であり、将軍となった者はいたずらに兵を損耗し、財務官となった者は苛烈な税の取り立てを行い、秘密警察の長官となった者は無実の人を捕らえては拷問した。
アリエットは豪奢な生活を好み、自らの身を宝石で飾り立て、華美な衣装を着て毎日を過ごした。貪欲な彼女は、それだけでは満足せず、中原全土から珍しい産物をかき集め、人々に見せびらかした。
またアリエットは嫉妬深く、残忍な性格でもあった。フレデリックの側に他の女を近づけず、驚くべきことにフレデリックの母親である前王妃でさえ、フレデリックと疎遠な仲にさせられた。
アリエットより10歳以上も年齢が下で、それに加えてアリエットとならぶ美女のエレーヌは、フレデリックの即位時において最も有力な王妃候補であった。エレーヌの実家は、アリエットのそれとは比較しようもないほどに高い地位にある一族だったのである。
若く高貴なエレーヌの存在は、妃となる前の不安定なアリエットの立場を脅かした。
結局フレデリックの王妃はアリエットになったのであるが、その後もアリエットはエレーヌへの恨みを忘れず、ついには彼女の一族を破滅させ、エレーヌを厳格な修道院へ押し込めて、死ぬまで出られぬようにしてしまった。
その他にも、アリエットがフレデリックの寵愛をいいことに行った悪事は、いちいち数えるのが煩わしいほどである。
アリエットが52歳で亡くなると、その半年後にフレデリックも40歳の若さで世を去った。当時「悪女のアリエットがあの世へ、フレデリックを引きずり込んだのではないか?」と噂されたという。
ともあれ『悪妃と愚王』の時代が終わったことに、人々は安心し、息をついた。
フレデリックの死後に9代目の王となったのは、フレデリックとアリエットとの間に生まれたローガンである。
ナテン王国の『中興の祖』と称えられるローガンは、特に内政の手腕に優れ、ケンダルとフレデリックという2人の愚王の暴政によって衰えていた王国を見事に建て直してみせた。
悪妃と愚王の一人息子が、これほどまでの名君であった事実こそが、ナテン王国最大の謎であると、後世の歴史家たちは口々に語っている。
♢
私が宮中に入ったのは、12歳のときだ。私の父は、父の実兄が犯した罪に連座する形で、死刑になった。私の母は既に亡くなっており、頼ることができる親戚は誰一人として居なかった。途方に暮れていた私は、偶然にも王宮の人材募集官の目にとまり、下働きとして採用された。
王宮も、よほどの人手不足だったに違いない。
命があっただけ、儲けものだ。職に就くことも、出来た。
私は身の不幸を嘆く暇も無く、ひたむきに働いた。すると私の頑張りを認めてくださったのか、王太后様が女官として取り立ててくださった。ありがたい。
心を込めて王太后様にお仕えしていると、今度は6年後になんと、王太子様の侍女に任命された。
どうして、私が? と驚きはしたものの、私は王太子様の周りに大勢いる側仕えの1人に過ぎず、養育係とは名目ばかりで、結局は雑用を担当することになった。
……まぁ、妥当なところだろう。
それでも王太子様と出会う機会は、かなりある。王太子様は、こんな私を気にかけてくださり「アリエット、アリエット」と何度も声をかけてくださった。
王太子のフレデリック様は6歳である。私よりも、12歳も若い。
率直に言って、フレデリック様は可愛い。
不敬ではあるが、フレデリック様のことを弟のように、あるいは、わが子のように感じるときもある。私に弟は居なかったし、当然ながら子供を生んだこともないけれど。
フレデリック様の侍女になって2年後に、大事件が起こった。王のケンダル様が北方民族との戦闘に負け、敵の捕虜となってしまったのだ。
王宮の実権は、ケンダル様の弟君であるランガス様が握った。
フレデリック様の周りから、人が居なくなった。……私? 私は留まった。
「アリエット。お前は、どうする?」と悲しそうなお顔で訴えてくるフレデリック様の側を離れることなんて、出来なかった。
「フレデリック様の側に居ると、貴女の命も危うくなるわよ」と忠告してくれる人も居たが……。
別に、良いかな? としか思えなかった。
どうせ、私にはもう家族も居ない。フレデリック様が今の私にとっては、たった1人の家族みたいなものだ。
王太后様も王妃様も、フレデリック様から距離を取っておられる。それどころか、王妃様はランガス様と男女の仲になっているとの噂もある。酷い話だ。
この広い王宮で、私もフレデリック様も1人ぼっちだ。
私は、フレデリック様をギュッと抱きしめた。
――そして、言う。「アリエットは、いつまでもお側に居ます。決して離れません」
寒い宮中でも、2人で居れば暖かい。
事態は急変した。王のケンダル様が帰国されたのだ。ランガス様は処刑されてしまった。
王太子としてのフレデリック様の地位は、盤石になった。フレデリック様の周りに再び、人が集まってきた。
王太子のフレデリック様は人気者で、私は一介の侍女。
何もかも、もとに戻った。それだけだ。
でも、少し寂しい。
私がなすべき役割は、無くなった……。
そう思ったのだけど。
16歳で王となられたフレデリック様は、私に王妃になるように頼んできた。
えええええ!?
身分で考えても、年齢で考えても、現在の王宮での立場で考えても……いくらなんでも、それは無茶でしょう!?
フレデリック様は「私の妃になるのは、そなたしか居ない。他の女性に興味は無い。そなたと結婚できないのなら、私は独身で一生を過ごす」と仰る。
それは、困る。ナテン王国に住まう者として、王様がずっと独身というのは……。
私は、悩んだ。
あと私は、28歳だ。いつの間にか、この年齢になっていた。
フレデリック様と結婚しなかったら、私こそ一生独身だ。
フレデリック様は、今では凜々しい若者になっている。もう弟とか、子供とか……そんな風には思えない。
「結婚して欲しい。王妃になって欲しい」と、フレデリック様は、命令という形ではなくて、あくまで懇願してくる。……私の意思を、尊重してくれている。
その一途な姿勢に、涙が出た。
頭から熱が出そうなほどに、考える。私にとって、フレデリック様は――
フレデリック様からの結婚の申し込みを、承諾した。私は王妃になった。
フレデリック様は、大喜びしてくださった。
私も、嬉しい。
嬉しいが…………フレデリック様の愛が、重い!
王妃になった私に突っかかってきた、エレーヌという名のお嬢様が居た。彼女の実家は、大貴族のスリチフ家である。私はなんとか穏便に事を済ませようとしたが、フレデリック様は激怒して、エレーヌ様を死刑にしようとした。とんでもない暴君だ。
私は慌てて止めて、エレーヌ様が修道院へ送られるように手配した。彼女の命を助けるには、この方法しか無かった。それでも、スリチフ家は取りつぶされてしまった。
フレデリック様、私よりも12歳も年下なのに……怖いよ! 愛が重いよ!
それから。
フレデリック様は、どこをどのように探されたのか、私の遠縁にあたる男性を3人も見つけ出し、私の前に連れてきた。
私の実家は、もう無くて……だから親戚が3人も現れたのは、嬉しかった。3人とも、従兄弟の従兄弟の従兄弟ぐらいの血のつながりしか無いらしいけど。あまりにも遠縁すぎない? とも思ったけど。
フレデリック様が私のためにしてくださったことだから、やっぱり胸の中が温かくなった。
でも、フレデリック様。あの3人を高官に出世させるのだけは、やめて欲しかった……。
そう私が諫めると、フレデリック様が「そなたが喜ぶと思って――」と悲しげな顔をされるので、何も言えなくなった。
他にも、問題はあった。
フレデリック様が、私に宝石やら装飾品やら豪華な衣装やら、贈り物を沢山くださるのだ。遠慮していると「着飾るのも、贅沢するのも、王妃の立派な務めだ。貰ってくれ」と仰る。
納得した。言いくるめられてしまった気がしないでも無いけど。
王妃になって4年目に、私は男児を生んだ。フレデリック様は喜んで、その子に『ローガン』という名前をつけてくださった。
嬉しい。そして改めて理解した。私はフレデリック様を、庇護すべき子供や、あたかも弟であるように感じていた時もあった。
しかし、今は違う。1人の男性として、フレデリック様を愛している。
月日は流れて――
私は52歳。このところ、体調が優れない。病気になった。
分かる。私の先は、もう長くない。
私が死んだら……フレデリック様は再婚するだろう。しなくてはならない。フレデリック様は、まだ40歳の男ざかりなのだ。
ローガンは20歳。立派に成長してくれた。すごい秀才で、自慢の息子だ。
けれど王様の子供がローガンだけなのは、王国の存続という観点から考えても、良くない。それは私も認識している。
最期のとき。
私はフレデリック様に少しだけ、わがままを言った。
「私が死んだら、出来れば、すぐには再婚しないでください。1年は喪に服して。1年経ったら……新しい王妃を迎えてください」
フレデリック様は怒った顔をして「私は再婚しない」と言ってくださった。
嬉しい……。私は幸せ者だ。宮中に初めて足を踏み入れた12歳のとき、こんなに幸せな人生を歩めるとは思っていなかった。
フレデリック様、本当にありがとう。
愛しています。