帰らないあの子
私たちは放課後、運動公園の東屋で、色々な話をして楽しんでいた。集まるのは大体三人で、私と真波と利佳子。時々、沙彩ちゃんという子が参加することもあった。真波と利佳子は私と同じ中学校の二年生。ただ、沙彩ちゃんだけは私たちの知らない中学校の一年生で、不登校であるということだった。私はその話を真波から聞いた時、反発を覚えた。「私たちとお喋りする前に不登校をどうにかするべきじゃない?」と。私たちは、沙彩ちゃんの来ない日に話し合った。
「まあ、そうは言っても、来ちゃうもんは拒めないでしょうよ」と真波は答えた。彼女が最初に沙彩ちゃんを連れてきた張本人である。運動公園の水道の側で蹲っているところを話しかけて介抱したそうで、すっかり懐かれてしまったので連れてきた、と言っていた。それは沙彩ちゃんの様子からも伺えた。真波と一緒にいたいのだろう。そんなところも、私の癇に障った。私たちは小学生の頃からの仲良しグループなのに。急に部外者が増えた気持ちだった。
「でも、確かにちょっと不思議な子だよね。不登校だからって物怖じしてるかといったら、普通にフレンドリーだしね」利佳子も首を傾げる。
「なんとなく行きたくなくて、なんとなく休めちゃうタイプなんじゃない」
私は吐き捨てるように言った。自分性格悪いなと思いつつも、言わずにはいられなかった。こちとら、いじめに会おうとも先生に拳骨で殴られようとも、歯を食いしばって学校行ってたけどね。まあ、中学生になって風通しの良い校風になったので、それは過去のことだけど。
「だとして、百合花はどうしたいのよ?」
真波は顎を掻きながら呟いた。言葉に反して、もうやめにしよう、この話題、と言っているのが態度で分かる。面倒臭いのだ。
「そりゃ、一番は、とにかく学校に行ってもらうことよ。話はそれからじゃない? あの子の話題って、生活圏が変わらないから堂々巡りしてて聞いてて嫌になってくるのよ」
私は自分で言ってから驚いた。私はこんなふうに感じていたんだ。確かに沙彩ちゃんは同じ話ばかりする。今日の朝ご飯昼ご飯。団地の猫と遊んだ話。人形を手作りした話。そして極めつけなのが……。
「それに、あの子、ちょっとおかしくない? 分かってると思うけど」
「ああ、百合花の言ってるのはあれでしょ」
利佳子が溜息をついた。彼女の指の先には、赤い吊りスカートを穿いた手作りの人形があった。沙彩ちゃんが、自分のいない時はこれを置いて話してほしい、と真波にお願いしてきたのだという。この人形の参加はこれで二度目だ。
「これ、盗聴器でも仕掛けてあるんじゃない?」
私はハッキリ言った。目的はそれ以外に考えられない。
「じゃあ、こうしよ。もうこの人形は持ってこない。私が沙彩ちゃんに人形はいつも置いてるよって嘘をつくよ。それでいいでしょ?」
真波の一声で、私は納得した。そうして貰えるなら有難い。
「とりあえず解決だから、今日の体育のリレー、渋田佑香の恐怖でタイム超縮んだ話聞いてよ〜!」
利佳子が空気を和らげるように声を上げた。私と真波は同時に吹き出した。
次の日も私は東屋に寄った。利佳子がすでに来ていて、文庫本片手にこちらを見た。私たちはクラスが別々で、でも小学生からの仲良しだから、と集まり始め、はや半年が過ぎる。自由参加にしては参加率が高かった。本当にほぼ毎日来ているので、それだけで絆を確かめられる気がした。始めた時はまだ寒い春だったのに、今周囲は夏の気配に包まれており緑が猛々しかった。
「百合花〜美術の課題やった? 自画像さ、あれ、自分の顔をどう見てるかって話だよね。なんか嫌だなぁ」
「私もう終わったよ。画力ない人間にやらせないでほしいな。もう丸と点と棒で表現したからピカソより抽象的なんだけど」
「ピカソって抽象的なの?」
「いや、まあそれはいいけど、今日、真波は?」
利佳子が文庫本をパタンと閉じ、「ああ、帰ったよー」と言った。
「帰ったの? ここには来た?」
「うん。ここに来て、今日ちょっと帰る、って言い残して行ったよ」
「珍しいね」
真波のクラスの板垣先生は帰りの会がめちゃくちゃ短いことで有名なのだ。だから、大体真波が一番乗りでこの東屋に来る。
「で、沙彩ちゃんはどうするんだろうね」
私は大きく伸びをして息を吐き出す。
「来たら来たで言っちゃおうかな私。学校行きなよって」
「さすが百合花。強いなー」
「強くない。切実なのよ」
「切実? ん? あれ? 真波?」
私は首を回して公園の外側を見た。真波が立っていた。
「帰ったんじゃなかったの?」
利佳子が聞いた。真波は通学鞄を持っていなかったので、一度帰ったのだろう。しかし、肩にトートバッグを提げていた。
「あのさ……沙彩ちゃん来た?」
私は首を振った。
「あ、じゃあいい……バイバイ」
「え?」
私たちが声を上げたと同時に真波は踵を返して走り去った。私たちは顔を見合わせて唖然とした。
「沙彩ちゃんに会いに来たのかな……」
「何で?」
あまりに真剣な表情だった。私は沙彩ちゃんの名前が出たことより、真波の態度が妙に気になった。
私と利佳子はその後ぶらぶらと運動公園を出た。家が反対方向にあるので、手を振り合って別れる。私はとぼとぼと帰路に着いた。そして気づいたのは、沙彩ちゃん、これで三日連続来てないな、ということだった。まあ別にどうだっていいんだけど。私はふと思った。あのトートバッグ。人形が収まるサイズだった。人形が入っていた? それを、真波は沙彩ちゃんに返そうと思った? もう持って来ないと言った人形だ。返すために持っていたとしか思えない。私は電信柱の下に立ち止まって、少しの間考えていた。真波、何に悩んでいるの? 私たちは大の仲良しじゃない。教えてよ。
その時代、私たちにはスマートフォンなんて便利なものはなく、携帯電話さえほとんどの子は持っていなかった。持っていたとしたら東屋に集まって駄弁るなんてこともなかっただろう。だから、私は真波の様子を探るのに家の電話を使うしかなかった。自宅に帰って真波の家にダイヤルすると、真波のお母さんが出た。
「真波? まだ帰ってないけど。一緒だと思ってたわ」
私は愕然とした。六時半。夏なので辺りはまだ明るいけれど、結構前に別れたのに帰ってないのはさすがに変だ。
「あの、真波さんは何と言って出かけましたか?」
「えっと、ちょっと友達に返すものがある、とか」
私はやっぱりそうか、と思う。でも何で家に帰らないのかが分からない。もしかして、沙彩ちゃんの家に直接返しに行こうとしているのかな? でも、家なんて知っているのだろうか。
私はとりあえず、真波の家に行くことにした。何がそうさせたか、自分にも分からなかったけど、急き立てられるような気持ちだった。夕闇に染まる道路を速足で行く。十五分くらい経って、真波の家が見えてきた。と、その前に立ち竦む影を見つけた。
「真波!!」
「百合花……」
真波は振り返ってこちらを見た。
「何なの? どうしたの!?」
真波は躊躇いがちに口を開いた。
「百合花の言う通りだった。やっぱり沙彩ちゃん、おかしい。盗聴器じゃない、発信機なの。この人形についてるの、多分。沙彩ちゃんがどうしてそんなものを持ってるかもよく分からないんだけど。やばいよね。うちに、昨日来たの。家、ばれちゃった。それで、さすがにこの人形は返して、沙彩ちゃんとは終わりにしよう、って思ったんだけど……」
真波の家の窓越しに賑やかな嬌声が上がる。私はカーテン越しに動く影を見て、数が多い、と思った。すると、窓のカーテンが引かれ、中から真波のお母さんとお父さんが顔を出した。
「あら真波! 帰ってるなら家に入りなさいよ! 沙彩ちゃんもいるわよ!」
それを聞いた瞬間、真波はぶるりと震えた。
「あの子、ただの不登校なんかじゃない。学校に行かず、色々な家を渡り歩いて暮らしてるんだ。誰かに声をかけてもらえるよう、運動公園の水道の側に蹲った。そういう処世術なんだよ。あの子はああして生きてる……寄生虫みたいに」
私は絶句した。真波の悲しそうな目と目がぶつかる。
「私、標的にされた」
私と真波の間を引き裂くように、真波の家の玄関のドアが開いた。そこには満面の笑みを湛えた沙彩ちゃんがいた。沙彩ちゃんは私を無視して「お帰りなさい。真波さん」と言った。唇の端がきいっと上がって、赤い舌がちろちろ動いた。