最後の1人
(今日で最後か)
私は白い病室のベッドで考えた。寝台の横にはインド系の医師のシン先生が立っている。
「もう一度だけ確認します。今日を最後に尊厳死を選ぶことについて、考えを変える気はないですか?」
シン先生は、流暢な日本語で質問した。
「ないです。もう120年も生きて、全身のあちらこちらがガタガタだ。いい加減寿命です」
私は、答える。思わず目から、涙が流れた。高齢なのと病のために話すのもおぼつかない私だが、脳に埋めこんだ小さなチップが私の思考を読みとって、枕元に置いたスピーカーからしゃべりたい言葉がクリアに流れでる。
「わかりました。それではこちらにサインして、指紋と掌紋を認証させてください」
シン先生が差し出した液晶パネルに私はサインし、それが認証された後、左手の平をべったり押しつけ、指紋と掌紋を認証させた。これで今日、私は薬物注射により、尊厳死を迎えるのだ。
病室には、フィリピン系の看護師であるマリアの姿もあり、半泣きの表情を浮かべている。彼女の私に対する献身的な看護には頭の下がる思いであった。
「今の心境をお答えください」
そう話したのは、中国系のテレビ記者のリーだった。神妙な表情だ。
「大変穏やかな気持ちでいるよ」
私は答える。リーの横には黒人のカメラマンがいた。彼は私にテレビカメラを向けている。確かナイジェリア系だった。
「それにしても最後の日本人が、ついに私1人になるとは感慨深いよ。両親共に日本人の、純粋な日本人がこの島国で、私が最後になるなんてな」
「お言葉ですが、別所さん」
リーが話した。
「ぼくも日本人なんです。両親のルーツは中国ですが、ぼくは日本で生まれ育ちました。一緒にいるカメラマンも両親はナイジェリア出身ですが、やはり日本で生まれ育ったのです。インド系のシン先生もフィリピン系のマリアも、この国で生まれたのです」
「それは無論わかっとるよ」
私は、答えた。『先進国』と呼ばれる国で少子高齢化が始まったのは20世紀後半だ。この状況を解決するためある国々は、自国民が子供を産んで育てやすい制度を作った。
一方そういった建設的な体制を作らず状況がこれ以上どうしようもないぐらい危機的になってから、慌てて大勢の移民を入れた諸国もある。日本は後者の方だった。
世界中から日本にどっと移民が入る。増えすぎた高齢者の介護をする人材が必要だし、それ以外の労働力も必要だった。元々いた日本人の出生率は加速度的に下がったが、海外からの移民はどんどん増え、この国に根を下ろしたのである。
先立たれた私の妻もベトナム系で、今枕元にいる一人息子は、その妻との子供であった。
やがて私の腕に麻酔注射がされる。眠気が徐々に訪れた。次に目が覚めた時には、天国か地獄にいるはずだ。
(今のが生前に記録された、ひいじいちゃんの脳内記憶か)
遠田は母方の曽祖父である別所の記憶を脳内のチップを通じて体感したのだ。 記録の体感が終わり、遠田は現実世界に復帰した。とはいえ、病院のベッドにいるのは同じである。
遠田は今日150歳の誕生日で、尊厳死を迎えるのだ。そして彼は、ある意味最後の1人である。
「遠田さん、尊厳死の気持ちにお変わりないですか」
枕元にいた医師が、遠田に尋ねる。医師はサイボーグであった。脳以外は全て機械でできている。そして今は遠田を除いて、全ての日本人が脳以外は機械でできていた。脳内にチップが埋めこまれたぐらいで、あとは生身の人間は、今やこの国では遠田1人だけだったのだ。