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一話 異常迷宮

男の瞳が絶望を映す。


獰猛な狼の頭部を三つ持ち、赫灼(かくしゃく)と燃え盛る四足の魔獣。その姿は神話の世界に登場する"三頭獄犬(ケルベロス)"を彷彿とさせた。


「そんな......ここはB級ダンジョンのはずだろ? なんで......なんでこんな奴が出てくんだよ!!」


身の丈十メートル程の巨躯を炎で滾らせ、紅に染まる鋭い眼光が男を捉える。魔獣の放つ威圧感か、はたまた迫り来る死の気配に圧倒されたのか、腰が抜けた男は地面に尻餅を()く。


「しっかりしろ修也! 死にたいのか!? 前衛の俺たちが手を止めればあっという間に全滅するぞ!」


四方八方から絶え間なく襲いかかる大型犬のような魔獣を必死に斬り払い、最前線で奮闘する男が声を荒げる。


動きやすさを重視した革鎧が仇となったか、魔獣の牙や爪で所々破損し、既に身体は満身創痍となっていた。


男の声を聞いて我に帰ったのか、一瞬狼狽える素振りを見せつつも、修也と呼ばれた男は剣を握り立ち上がる。未だ恐怖に身体を強張らせているが、その目には再び闘志が宿っていた。


「クソ! こんな化け物が出てくるなんて聞いてないぞ......まさか異常迷宮(イレギュラー)か!?」


前方に佇む炎の化身は、獲物を見定めている余裕もあるようで、頻りに(しきり)舌舐り(したなめずり)しては尾を揺らす。咥内からマグマのような涎が溢れ出し、歯茎の隙間をなぞって地面が焼ける。


「楓、サポートを頼む!そろそろ強化魔法(バフ)の効果時間が切れそうだ!」


「ごめんリーダー......私、もう魔力がなくて......」


後方に控えていることから支援職であろう。楓と呼ばれた女は立っているのも辛いようで、肩で息をしながら錫杖(しゃくじょう)を支えにやっとの状態だ。


ここまで来る道中、かなり手強い魔獣たちと戦ってきたのだから無理もない。数多の戦いを乗り越え、ようやく最奥部らしきフロアにたどり着いたと安堵したのも束の間、未確認の強敵と遭遇する不運。


気力でどうにかなる範疇はとっくに超えている。肉体的にも精神的にも限界だろう。


最前線で斬り結ぶリーダーと呼ばれた男の顔が一層険しくなる。満身創痍な身体にバフ無し回復無しでは力尽きるのも時間の問題だ。


何せ奴を取り巻いている魔獣の一体一体が恐ろしく強く、しぶとい。事実、彼らはまだ一体も魔獣を倒せていない。


「こっちは最近A級に上がって調子づいてたってのに、こいつら全員A級以上かよ......」


舌打ちながらぼやいている間にも、正体不明の魔獣の足元を埋め尽くさんと、小型の魔獣が溢れ続けている。


先刻まではこちらの状況を伺っているものだとばかり思っていたが、猛火を身に纏う魔獣は全く攻撃を仕掛けてこない。


状況から察するに、恐らく大広間の四方から伸びているとんでもない太さの鎖に繋がれているのが原因だろう。四足に対し、それぞれ一本ずつ極太の鎖が繋がれている。


あの化け物が動かないのであれば、まだ撤退の余地はあると踏んだ隊長格(リーダー)の男がすぐさま指示を飛ばす。


「直人! これだけ時間を稼いだんだ、一発くらいはデカイのお見舞いしてやれるよな!?」


男が飛ばす視線の先には、最後のパーティーメンバーである魔術師の直人が丁度魔力を溜め終え、術式を発動させんと瞑想状態に入っていた。魔力の気流が風のように舞い、外套がなびく。


直人からの返事はないが、あの様子なら問題ない。

後は好機が訪れるのを待つだけ。


「俺の合図で正面の魔獣が密集してる地帯に特大のやつを頼む、爆発の衝撃と砂塵を利用してそのまま撤退するぞ。殿(しんがり)は俺が務めるからお前らは一目散に来た道を戻れ!」


「了解!」


修也と楓が力強く返事する。

この作戦が上手くいけば全員無事に帰還することができるだろう。


ダンジョンの出入口であるゲートにさえ戻れれば、現実世界へと戻ることは容易い。このダンジョンをどう攻略するかなんてことは後で考えればいい。今は生き残ることが最優先だ。



男が最後の気力を振り絞り、雄叫びを上げ次々に襲いかかる魔獣を斬り伏せる。だが心は冷静に、自分の中で完璧な瞬間が訪れるまで、今か今かとその時を待ち侘び――――





「今だ!」


と声を荒らげ、振り返った男の眼前には信じられない光景が広がっていた。あろう事か敵の密集地帯に落とす予定だった直人の魔術が、リーダーの男がいる範囲一体に目掛けて降り注いでいたのだ。


幾千ともわからぬ光の雨が、男とその周囲の敵を丸呑みするかの如く包み込み、弾け飛ぶ。耐え難い衝撃が体中を駆け巡り、爆発の衝撃と爆風で全身を滅多打ちにされているかのようだ。


疲労困憊した身体では、直人の魔術を防ぐことも躱すこともできなかった。ご丁寧に麻痺属性の効果まで付与されているようで、あまりの痛さに声を上げようにも「あ......が......」と声にならない。


体の四肢や指先に至るまでピク、ピク、と瀕死の魚のように痙攣している。


どうして自分が......と真っ先に疑問を抱き、まさか直人のミスか――と一瞬脳裏を過るがそんな下手を打つ奴ではない。


あいつは馬鹿だが間抜けではないのだ。

任せた仕事はいつもきっちりと果たしてきた。


そこから導き出される答えは一つ。男の疑念が確信に変わるのと、直人が喋り出したのはほぼ同時だった。


「ありがとなリーダー、お前が殿勤めてくれるんだろ? 見ての通り楓は立っているのも限界だ。こんな状態じゃ全員で逃げるのなんて夢のまた夢。誰か一人を犠牲にでもしない限りな」


「ごめん......ごめんね。まさかこんなことになるなんて......でも私、リーダーのことは絶対に忘れないから。ありがとう」


一切悪びれる様子もなく、冷たい声で淡々と話す楓と直人の声が遠くから聞こえた。一体どんな表情で、どの面下げてそんなセリフを言っているのかと一目でも確認したかったが、まだ麻痺が効いているのか

思うように身体を動かすことができない。


まさか長年連れ添ってきたパーティーにこんな仕打ちを受けるとは。


今まで築き上げた友情も、紡いできた絆も、全てまがい物だったのかと。とてもこれが現実だとは思えなかった。


「あ~あ、お前ってほんと可哀想な奴だよな。誰一人としてお前のことを信用してなかったってのに。こんな窮地に立たされても俺たちを信頼して背中を預けてくれるなんて、どこまでもお人好しというか何というか、それでこそ俺たちの"リーダー"だよな。ちょっと気の毒だけどお前のおかげで余裕を持って引き返すことができそうだ。ま、俺たちは"冒険者(ハンター)"なんだから来世ではあまり他人を信じすぎんなよ?」


背中越しに修也の半笑いな声が聞こえる。

最初はあんなに縮こまっていた修也がここまで近づく余裕があるということは、さっきの範囲魔術で周りにいた魔獣はあらかた片付いたか、同じように麻痺しているかのどちらかだろう。


同情にしろ哀れみにしろ、一切手を貸さないところを見るに、奴らと何ら変わらないクズであることには違いない。


――――なんだよそれ。みんなで苦難を共にしたダンジョンでの思い出も、初めての報奨金で朝までバカ騒ぎしてたあの時も。楓......お前があの日してくれた告白も。全部......全部嘘だったってか。そういえばあいつら、いつも俺のことをリーダーリーダーって......ははっ、いつの間にか壁作られてたんだな、俺。所詮ビジネスパートナーだったってわけか。



真っ白な頭の中に過去の思い出が一つ一つシャボン玉のように浮遊しては弾け、水泡となって消えていく。深い深い真っ暗な海の底に沈んでしまったように体は重く、息苦しい。


男は泣いていた。

自分の不甲斐なさに。

悔しさに絶叫し、四肢を踊らせ今すぐにでもあの三人を斬り殺してやりたかった。しかし、どれだけ足掻こうと、反吐が出るような連中に罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせたくとも、今の自分には只々地面を睨みつけることしか叶わない。


鬼の形相でひたすら悔し涙を流し、食いしばった唇からは延々と血が滴り落ちている。怒りにカッと見開いた目は血走り、もはや正気の沙汰ではない。

まるで魔獣そのものだ。

いっそのこと魔獣になって、この大群と共に奴らの喉笛を噛み千切り、臓腑を貪り尽くせればどんなにいいか。


男の殺意に呼応するかの如くドクンドクンと心臓は脈打ち、全身を巡る血液が灼熱のように感じる。単に怒りで頭に血が上っているだけなのか、それとも何か別の要因が働いているのか。


男の内に眠っていた全ての細胞が生きようともがいている。この窮地を脱しようと、やられっぱなしでは死んでも死にきれないと身体が訴えている。


「ぉ......ォォ......グオォ」


獣のような唸り声を上げ、四肢にありったけの力を込め這い(つくば)る。筋肉がはち切れんとばかりに悲鳴をあげている。動け、動けと念じ、男は無理やり体を動かす。


まるで壊れた人形のように、不規則に男は立ち上がった。


――――だが、そこまでだった。


二足で立ちはしているものの、両腕は垂れ下がり、剣を握る力はおろか一歩も動くことすら出来ない。既に三人の姿はなく、代わりに男の周りにはさっきの倍はあろう魔獣たちがギャアギャアと騒がしく円陣を組んで取り囲んでいた。


だが、こんな状況だというのに「ここまでか」というお決まりの台詞も、魔獣相手に平伏し命乞いをするのでもなく、わんわんと涙を流し泣き言を漏らすわけでもない。走馬灯も、辞世の句も、絶望に打ち拉がれることもなく、男は告げた。


「......殺してやる。例え俺がここで死に力尽きようとも、必ず生まれ変わってお前らに......奴らに復讐してやる。どこにいようが関係ねえ、地獄の果てまで追い掛け回して皆殺しにしてやる。必ず......必ずだ」


至って冷静に、淡々と男は言葉を綴った。

往生際が良いわけでも、諦観しているわけでもない。

ただ何か言い知れぬ余裕が男にはあった。


その異様な気配を察してか、魔獣たちも先刻からその場を動けずにいる。もはや事切れる寸前にある血塗れの男など、魔獣たちからすれば極上で餌であることには違いない。


長い沈黙が訪れる。


果たして、その静寂を破ったのは――――






「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」


天地を揺るがすような咆哮が沈黙を突き破った。フロア全体に木霊し、ビリビリと空気が肌を叩くように刺激する。


大気を穿つ衝撃波は岩壁を削り取り、いくつかの破片が男の頬を裂く。声の主は全身に纏う業火をより一層激しくしたかと思うと、渾身の力で拘束具を破壊した――というよりも力尽くで四方から伸びる鎖の根本を引っこ抜いたのだ。


轟音。おおよそ聞いたことのない破砕音と地鳴りが四回。鎖の数と同じだけ反響する。


魔獣は最奥から真っ直ぐ男に向かって、悠々たる足取りで歩を進める。歩を進めるごとに地面が割れ、あるいは魔獣を踏み潰し、獄炎に巻き込まれたものは灰と化していく。


男はその間、逃げることも、ただの一歩も退くことなくその場に踏み留まっていた。覚悟を決めていると言ってもいい。


男と魔獣が向かい合う。

一歩でも魔獣が踏み込んでしまえば、男は跡形もなく焼け焦げ灰と化す距離。


永遠とも続くような両者の睨み合い。


――――ややあって、魔獣の纏う炎が消えた。


(み............だ......に............ん......よ)


男の脳内に謎の声が響き渡る。

これには毅然(きぜん)とした態度を取っていた男も驚いたのか、動揺を隠せずにいる。


(じ......かん......い......また.....あう...たの......し......に)


途切れ途切れだが、確かに声が聞こえる。

男は頭を激しく左右に振り、幻聴ではないかと疑っているようだったが、まさか......という疑惑を宿した目で魔獣を凝視した。


魔獣は一頻(ひとしき)り男の様子を伺っていたように思えたが、再びその巨躯に業火を燈す。噴き出す爆炎が男の軽装を焼き焦がし、やがて消し炭となって空を舞う。



男はこれから訪れる死を確信していたが、不思議と恐怖は感じていなかった。今にも身を焼き尽くすような火片の一つ一つが暖かい。


こんなボロボロの人間一人にわざわざ長が出向き、自ら手を下してくれるのだ。こんなに光栄なことはない。


男は気でも触れたのかニヤリと笑う。


「今回はお前の勝ちだ......が、いつか絶対俺が殺してやる。そん時までその首三つとも長くして待ってろよ」


男の言葉は通じない――――だが、その気概は伝わったのか、魔獣の口角も若干上がったように見えた。


次の瞬間、男の視界は暗闇に飲まれ、その視界に二度と光が差すことはない。


訪れる死を目前に、男の脳裏には確かに刻み込まれていた。


『強くなれ!』と。



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