凋落の足音 -クーラン領にて-
フラン王国
オルフェウス大陸の中央に位置するその国は、その中央にフラン城を含む王都があり王都を囲むように各領主がそれぞれに土地を治める封建制が敷かれた国である。
数多くの封建領主達はフラン王国の庇護を受けているものの、次第に封建領主たちの力が強まってきていた。それぞれの領主は自らの領地を好き勝手に治めている為、国は荒れ、領主間で大小さまざまな争いが起きていた。
そして、それら争いの渦中には必ずと言っていいほどクーランがいた。
オルフェウス大陸の東に位置するクーラン領は北東部をまとめていたラヴル領を調略によって併呑しその軍事力をゆるぎないものとした。
自らの娘を調略の道具としてラヴルへ送り込み。ラヴルの領主ギースとの間に子を作らせ、そしてラヴル家を娘共々潰してしまった。
これが悪名轟く逆賊の英雄ピエール・ド・クーラン。噂では王家に替わってオルフェウス大陸を掌握せんとしているという。
フラン王国最強の盾、連戦連勝防衛戦では無敗のクーラン領主ピエールが率いる重装騎士団。
ラヴルを飲み込んだ今では最強の剣と呼ばれる剣鬼ミシェル・ド・アンテュールが率いる騎馬兵団もがクーランの手中だ。
そしてそれらの武力はオルフェウス全土に派遣され、盗賊や魔物の撃退からフラン王国に謀反を企てる領主達の粛清を行っていた。
「あの忌々しいジルの加護がよりによって豊穣神の加護とは……」
クーランの版図が広がるたびに書き加えられていくクーラン領の地図を眺めながらクーラン領主ピエール・ド・クーランは先日の一件を思い出したようにつぶやいた。
「あやつは剣技には優れていたが、戦場にはよらず儂の領地の村々をまわるようなうつけじゃった。剣技では劣るが弟のルネは軍神の加護だ、これでブルターユの平定は完璧なものとなった」
今日もフラン王国に仇をなす領主を一族郎党すべてを誅殺出来た。
眺めていた地図に滅ぼした貴族の領地をクーランに加えた。
粛清され領主が居なくなった領地はフラン王国に返還され、後に管理しきれなくなった王家から褒章として与えられるのだ。
純粋な力を与えられる軍神の加護はこの世界において他の加護を圧倒する強さを誇る。
跡継ぎとして軍神の加護を持つルネがいればクーランはより勢力を拡大しいずれはフラン王国全土を覆うであろう。
今や飛ぶ鳥を落とす勢いのクーランしか知らない現世代の領主達は吹けば飛ぶ弱小国家だった頃のクーランのことなど想像出来やしないだろう。
執務室のドアを叩く音で儂の意識は目の前の書類に戻ってきた。
戦が片付きクーラン領に戻ってくれば事務仕事が溜まっていた。
「決済の手続きありがとうございます。申し訳ございませんが追加の書類となります」
今片付けた書類の束の3倍の量の書類の山が机の上に積み上げられた。
「おい、ジャドよ。儂の決済が必要な案件が急増したが、領内で何かトラブルが起きておるのか? この書類の量は異常だ。以前は片手で数えるほどしか儂迄まわってくる書類なぞなかったというのに」
「は、私の方でも決済可能なものは処理しているのですが、これまでルネ様とあの追放者が決済していた案件がピエール様まで来るようになってしまったのです」
「なるほど、ルネか、くだらん加護のガキは領内を巡回していてこの城にも居なかった。ということはルネが内政に関する判断や決済をしていたのか」
ピエールは内政の基本しかせずにジャドや他の文官に任せきりだった。
「そうか、ルネはこれほどまで内政の能力があったのか、素晴らしいぞ!」
「おっしゃる通りでございます。流石はルネ様、あの追放者など剣を振り回して領内を歩き回っているだけの厄介者でした。これでクーラン領も正しく機能していくことでしょう」
「ジャドはとりわけジルを贔屓にしていなかったか? まあよい、我がクーラン領も新たな軍神の加護を得てより拡大するだろう。まったく笑いが止まらんな。ぐははは」
笑い声に反応したのか書類の山が崩れ、それらが盛大に宙を舞った。
「しかし、この書類の量は如何ともし難いな。ジャドよ、何か良案はないか」
「私の部下に王宮で財務官として仕えていた者がおりますので、そのものに下準備をさせましょう」
「なに? 王宮の財務官を引き抜くとはやはりジャドは頼りになるな」
「お褒めに与り光栄でございます」
筆頭執事は笑みを堪えて主人に一礼し、領主の執務室を颯爽と退出し自室に戻った。
自室に戻った筆頭執事の男は先ほど浮かべていた笑みなどなかったような険しい顔つきになっており、付き合ってられないとばかりに書類の束を机にたたきつけた。
「老害が。首刈公などと恐れられていたのは名前だけか」
誰もいない自室に声の大きさだけを抑えた罵声が響くがそれを諫める人間はここには居ない。
「しかし、本当に書類が増えたな、各都市、村、からの嘆願書と計画書がこんなに。それもほとんどが食料についてではないか、今は西方と南方の侵攻を進めているのだぞ! 兵糧が最優先に決まっているだろうが! わざわざこんなものを送りつけるとはこれだから地方の役人は使えないのだ」
荒くなった呼吸を整えていると執事の恰好をしたクーランの諜報工作員が封書を持って飛び込んでくる。
「ジャド様、失礼いたします。火急の封書でございます。」
諜報員は封書をジャドが封書を開く前にその場から逃げるように出ていった。
封書の封蝋を解き書面を見るとジャドの表情が一気に曇る。
「謀反の可能性だと?!」
封書はオルフェウス大陸南方を攻めていたクーラン騎士団団長のライルからだった。
前線まで補給物資が届いていない事とその原因が補給路に当たる複数の都市で横領があるのではないかと書かれていた。
そして打開策として戦線が維持できなくなる前に、現在仕掛けている南方か西方の侵攻を引き上げ、十分な物資を持って順次侵略すべしと騎士団長の署名と共に書いてある。
現在、南方への侵攻を騎士団長ライルが率い、西方への侵攻をルネに率いさせている。
いずれも重要な領地拡大政策であり、かなりの資金が費やされている。
「戦線を下げるなど、力の無い領地がやる事ではないか、こんな事をあの老害に知られたら……」
首が飛ぶ。
先ほど彼の言ったクーラン領当主の別の忌み名が頭をよぎったのだろう。額からは冷や汗をにじませている。
「くそ!」
忌々し気に投げつけた封書は壁にぶつかり、床に転がる。
「どうすれば……」
誰もいない彼の自室には彼の問いに答える者はもちろん居なかったのだ。