血まみれの平穏
「ジル……ジル……ジル!!」
遠くの方から聞こえていた声が近づいて来たので目を開けると、ハルが俺の身体をゆすり起こそうと一生懸命になっていた。
「ハル……」
ハルが近づいてきたんじゃなくて俺の意識が戻ってきたのか。
ぼんやりとしていた視界が徐々にはっきりしていく。正面には大粒の涙を流しながら一生懸命に、俺を起こそうとしているハルの顔が目に入った。
「ジル!! ジル!! よかった。 よかった」
ハルの柔らかい胸が俺の顔に押し付けられた。不思議なほど落ち着くその感触とハルの少し甘い優しい花のような匂いに生き返ったんだという実感が湧いてくる。
「ハル、心配かけてごめん……」
全身がやけに重い。
思う様には動かせないし、意識は身体を起こそうとしているのに、全身が筋肉痛で身体がまったく付いてこないような感覚だ。
「ジル、今は動こうとしないようにして、魂がまだ身体に戻り切っていないから。このまま、ゆっくり、身体をなじませなきゃ。」
なるほど、通りで身体が動かないわけだ。
こんなことならクロノスにもっと説明を受けておけばよかった。
身体を起こすのを諦め、全身の力を抜く。ハルの柔らかな膝の感触が頭の下に感じる。
こうして生きているのが不思議だ。死ぬ瞬間も、死の感触も感じた。それなのにまだ生きている。
俺は恵まれている。
クロノス様にも縁があって、ハルにも出会えた。この世界の亡くなった両親もとても俺によくしてくれた。
俺はこの世界を守りたい。まだ前世のゲーマーとしての性分で天下統一してやるという無謀な気持ちも多少入っているかもしれないが、俺をここまで引っ張ってきてくれたこの世界に感謝しているのだ。
「俺は本当に幸せ者だな」
「とてもついさっき死にかけた人間の言葉とは思えないよ」
ハルは微妙な苦笑いで俺のつぶやきに返事をくれた。
「クロノス様は勿論だけど、ハルにも出逢えて、こうして俺の事を心配してくれているハルにはいつも助けられているよ。あまり記憶に残っていないけど、きっと俺の両親も俺の事を愛してくれていたんだと思う。」
「どうしたのさ、急に! そんなお別れみたいな話はやめてよ」
「いままでが上手くいきすぎていたんだ。俺だけが知っている知識で、この世界の人たちに喜んでもらえた。戦っても、勝つのが当たり前、よくよく考えれば、剣鬼ミシェルもいるし、いつの間にかエルフのみんなも力になってくれていた。何よりも神の剣であるハルもいるしね。順調すぎたんだ。ルネのことだけは今も心配だけど……それでも俺はうまくいきすぎていた」
俺の呟きは止まらない。
「でも気付いたんだ。俺だけの知識で俺だけが頑張ってきた訳じゃない。みんながいてくれたから、皆の力でやってきていたんだ。だから……死にかけて分かったよ。俺はまだまだ弱い。強くならなくちゃいけない。」
橋の下には馬とそれに騎乗していた敵兵が血を流している。敵兵は鎧の中でつぶれているのだろう。血だまりは堀の一角を真っ赤に染め上げている。
「それに今回人死にを出してしまった。敵とはいえ、殺したくはなかった。」
「それは甘えです。甘すぎます」
さっきまで子供をあやすように微笑んでいたハルが表情を硬くして俺の事を叱っている。
「え」
「クロノス様を見てください。実の親を殺して、未来予知で自分の子供に殺される事を知って逃げているんですよ。神の立場や能力で人の死とまったく同じではないかもしれません。それでも死という未来を打ち破ろうと努力されているんです。それはそんなに悪いことなんですか」
「人が人を殺すのに理由はありません。殺さなければいけないから殺すのです。人間が糧を得るために、草木を手折る事も、獣を狩る事も、魚を獲る事も、命を摘み取る事に代わりありません。」
「そこに、自我があるから? そこに意思があるから? そんなあやふやな事で、殺さない理由にはなりません。快楽を得るためでなければ、大体の場合が殺さなければ殺される状況です。そんな甘い考えで神の眷属なんて出来るわけがないですよ。」
「いいですか、人間は簡単に死にます。そして神界で魂を漂泊して生まれかわります。延々とそれの繰り返しですよ。つまらない事で争い、戦い、死んでいくのです」
「けどジルは違う、クロノス様に選ばれた。私に選ばれたの! だから、勝手に死なないで。せめて私がこっちにいる間だけでもずっとそばに居て欲しい。我が侭なのは知ってる。けど、私はそう思ってしまったの」
突然の告白で驚くが、まだ全身の自由が聞かず、動けない。
「本当はもう少し、雰囲気が良いところが良かったんですけど、いつもあぶなっかしいジルのことだから、これだけ言っても危険なところに行くし、厄介事に巻き込まれていくんだろうね。次はないかもしれないので、我慢します。」
そういうと、ハルは、俺の唇に自分の唇を重ねた。
柔らかい唇の感触が伝わる。それはとても作り物とは思えない程の感触であり、熱を帯びていた。
「なんだか不思議な気分だね」
俺も驚いたが、ハルも自分のしたことに驚いているように見えた。
「そんなこというなよ。俺が変な奴みたいじゃないか」
ハルも俺もきっとこれから何度も危険に晒されるだろう。
きっと俺がこの世界では、普通の恋愛や普通の人間になれないことを知っているからこそこんな風にしてくれたのだろう。
だから俺はもう一度ハルの唇に自分の唇を重ねた。
言い訳をしながら、俺の存在を確かめる為に。
ここまでで、一区切りとなります。
ここから内政パートに入りつつ、戦争をしたりしなかったり、果たしてジルくんはちゃんと生き残って平和な世界にできるのでしょうか。
楽しみにしていただけたら幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。




