クーラン騎士団 第六番隊 隊長 ジャンヌ
あの日の夜。何があったのかは分からない。
それでもあの人は変わってしまった。
ルネ・ド・クーラン。
あの人との出会いは私が11歳、彼はまだ10歳の頃、父であるライルに連れられて剣術の指導へと行った先にいらっしゃった。
その時は継承権など関係なく領主様のお孫さんの相手をさせられたという印象だった。それは次第に変わっていく。珍しい事に双子の兄弟で、兄のジル様は大人顔負けの剣閃をすでに習得されており、筋も良かったため私では相手が勤まらず、父かミシェル様が相手をされていた。一方でルネ様は筋は良いが身体が付いてきておらず年相応という事で私が相手をさせてもらっていた。
互いに剣術に励み、互いに高め合う。そんな日々はとても充実していて、ずっとこんな日々が続けばいいと思っていた。
私が加護を受けてからは指導に行くことは無くなった。私は戦場の前線で剣を振るっていた。戦場ではみな平等だ。
平等に死が訪れる。弱ければ死ぬ。
そんな戦場で必死に剣を振るい続け、功績を認められ隊長を任されるようになった。
事務仕事も増え、領主の城に訪れると時々顔を合わせた。
戦場で血に塗れた私とは違って、あの人は一年前と変わらずクーラン家のお坊っちゃんだった。
性格は温厚で公明正大。
真面目を人の形にしたら、きっとあの人になるだろう。
そのくらい真面目で、まっすぐで、私には眩しく、輝いて見えた。
あの日までは。
何処からか帰ってきたあの人の瞳からは輝きは一切消えていた。あんなにキラキラと輝いていたのに、暗く冷たい、氷のような瞳になってしまっていた。
あたし達騎士団は本来、ネルン湿地帯に留まり周辺調査をしなければならなかった。でも、それらの工程を全て役人に任せてあの人は翌日に騎士団を引き上げさせた。
あたしの率いる六番隊を親衛隊として召し上げて私たちはあの人直属の特殊工作部隊となった。
それからあの人はこれまで以上に執務室に籠り、クーラン領の全てを把握し、すべてを差配するかのように働き続けた。
自分一人で淡々と、鬼気迫る勢いで、事務処理を徹底的に突き詰めていった。
過去の決済済みの書類を引っ張り出し、どのように解決したのかを調査し、その方法をアレンジして私たちを現場に派遣して改善させる手法を取った。
嘆願書を送ってきた現場の人間も、あたし達が訪れるとなぜ騎士団が? と疑問に思っていただろう。しかしあの人の施策を説明し、実際に土地の農地改革や農民の徴兵訓練などを行いはじめると彼らの意識が変わった事があたしたちにも分かる様になった。
あたしたちが訪れた土地は豊かになるそんな噂が囁かれるようになるほど、私たちへの期待が日に日に大きくなっていくのが分かった。
反対に、あたちたちがあの人と共に行動する時間はほとんど無くなっていった。
あの人は執務室に籠っては過去の資料を読み漁り、執事や領主がやっていた仕事も全て取り上げ、自らが行っていた。
飢饉に、人の流出、経済の停滞、あれ程迄疲弊していたクーラン領は徐々に回復し、遂には見事に立ち直った。領民は清貧を好み、領に貢献した証である領民階級という階級を上げるために進んで税を納めるようになり、貴族はそんな農民たちをしっかりまとめ上げ、武力を伸ばすことを最優先として動くようになった。
まるで一つの生き物のようにクーラン領という巨大な力が動き始めたのである。
徐々に領内であたしたちが活躍する機会が減ってきた。
それはあたしたちが出張しなければ解決できない事が発生しなくなった。
そして今、あたしは二年振りにあの人と剣を交えていた。
自慢じゃないけど、個の力としてあたしは強い方に入ると思う。これまでも前線で戦い続けたし、幼い頃から騎士団長であるライル《とうさん》に他の兄弟と同じように剣術や体術を徹底的に叩きこまれた。
それに私には守護神様の加護だってある。
神様への信仰心と引き換えにどんな攻撃をも跳ね返す加護は強力だ。
それらを搔い潜るようにあの人の攻撃は何度も私を追い詰める。
互いに訓練用の木剣を振るい致命傷となるような攻撃を繰り出すのだがどうしてもあたしの攻撃は届かない。
一体、この人は何時訓練をしているのか。全然分からないし、ちゃんと食事や睡眠を取っているのかすらあたしには分からない。
気が付けばあたしの木剣は彼方へ吹き飛び、私は降参するポーズを取るしかなかった。
あたしの他にも多くの団員が地面に転がされている。
「ルネ様、本当にお強くなられましたね。もうクーランにはルネ様以上の剣の使い手は居ないのではないでしょうか」
「ようやくジャンヌに認めてもらうことができた。嬉しいな。」
私の中ではとっくに素晴らしい方だと思い慕っていたのに、ルネ様の目には私が映っていないのかと思い、少し寂しくなった。
瞳は氷のように冷たいまま、言葉のように嬉しそうにしているのは口元のあたりだけだろうか。そんな会話をしているとピエール様直属の連絡員がこちらへ走ってきた。
「訓練中失礼いたします。軍事演習の日程調整が完了いたしました」
「そうか……」
あの人、ルネ様の顔つきが変わった。先ほどまでの冷たい微笑みが、獰猛な獣が浮かべる
本能のままの歓喜の表情となっていた。
その笑顔をみたものは背筋が凍り付いたように動けなかった。
「戦争の始まりだ」
クククと笑うルネ様を私たち家臣は誰一人諫め、止めることができなかった。
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「なんだこれは?!」
クーラン家筆頭執事のジャドはネルン湿地帯から送られてきた米を見て驚いた。ジャドの知っている米とは籾殻を取り除けば細く食べる部分など無いに等しい作物であり、製粉しても使い勝手の悪い物。そして農民が口寂しさを紛らわせる卑しい食べ物だと思っていた。
しかし目の前のそれは一粒一粒がふくよかで大きさも揃っている。試しに炊かせた白米は何とも言えない甘みを持ったジャドの固定観念を吹き飛ばすには十分なものだった。
「こんな米が?! こんなにたくさんあるのか?!」
米の入った頭陀袋が送った馬車全てに詰まれていたのだ。驚かない方がおかしいだろう。米を届けに来た密偵が
「ネルン湿地帯の開拓民達は新たに活動場所を広げて居るため、徐々に減っていくとは思いますが、数年間はこの質の高い米が手に入る見込みとのことです」
これはさらなる領土拡張の基盤となるだろう。
「それで、周辺には敵対勢力はもういないのだな?」
筆頭執事はこんな美味しい領地がよそにとられたらたまらないといった様子で確認した。
「実は……申し上げにくいのですが、ルネ様が周辺調査を1日で打ち切られてすでにこちらに戻られているのです」
「なぁにぃ?!」
筆頭執事は顔面を真っ赤にして怒っている。
「ルネ様は周辺に脅威はないとして、クーランでの執務を優先され飢饉、食料不足の報告が上がっている地域へ米の輸送を開始されました。さらにクーラン騎士団の第六番隊を独立した親衛隊として申請、ピエール様より許可が出て第六番隊がクーラン領内各地へ派遣が決まっております」
「まさか?!」
苦々しい顔をした密偵はジャドに頷き返し、言葉をつづけた。
「ピエール様が正式にルネ様を世継ぎに選ばれました。これからはルネ様がご自身の権限で動かれます」
「クソ! あのガキが居なくなったのが始まりだ! 私の夢が……わたしの……」
こうして、クーラン家筆頭執事の薄っぺらい野望は誰に知られる事もなく、静かな終わりを迎えようとしていた。
「諦めん、まだ機会があるはずだ……絶対に諦めない……」
彼の怨嗟は慌ただしく働きまわるクーラン家の執事と侍女たちによってかき消された。




