過去からの記憶
馬車はクーラン城を出発して、北方の僻地ドンレムの村を目指す。
途中いくつかの村々を巡り補給しながら進んでいくはずだ。
「まさか追放されるとは……」
これじゃまるっきりプレイヤー側じゃないか……
15年生きてきたが俺には前世の記憶が残っている。それも約30年分も。
行木久狼、それが前世での名前。独創的な名前は壊滅的に字が汚い父親が提出した芸術的な出生届が原因だ。出生届を受け取った市役所職員の粋な計らいがなければ確認作業が入ったはずだがそれすらも行われなかった。
久狼に気付かず九郎してきた人生最後の瞬間は呆気なかった。
過労からの交通事故、そして目覚めれば赤ん坊。まさにネット小説のテンプレみたいだと思ったものだった。そしてまさかこのジルが追放のテンプレに乗っていたとは……
前世の記憶を辿りながら書き綴った未来日記。
書き始めてかれこれ10年だろうか、文字を覚え自分でわら半紙を作り出し書き溜めている物だ。
俺が目覚めてからもう15年。この世界オルフェウスは前世の俺がプレイしていたゲームの名前でもあり、そのゲームの舞台となる大陸の名前だった。
中世ヨーロッパをモチーフにしたストラテジーゲーム『オルフェウス』
領地から追放されたプレイヤーは新たな領地を作り、群雄割拠するこの大陸を統一するといったゲームで、兵をかき集めなければ戦いで死に、食料をかき集めなければ餓死するといった「死にゲー」と呼ばれるジャンルの難易度の高いゲームだった。
そんな高難易度のゲームであるオルフェウスにおける救済措置であり、神ゲーと呼ばれるに至ったのが理由が加護だった。
加護の種類は12種類、ゲーム開始時にオリンポス十二神の名が付けられた何れかの加護がランダムで付与され、ゲームの攻略の鍵となる。
途轍もないシナリオ分岐数と毎回変化する資源や人材で同じ盤面を再現出来ないゲーム性でプレイを始めたら平均クリア時間である72時間は抜け出せないことから廃人製造ゲームなんて呼ばれ方もしていた。それ故にハマる人と逃げ出す人とで真っ二つに割れた。実況動画、プレイ動画も数多く生み出され動画コンテンツとしても非常に優秀でゲームをプレイしたことのないファンも多かった。
いかん、俺の前世でのオルフェウスの思い出は置いといて、今回の追放は気になる事が多すぎる。
今回俺に付与されたのは農耕神、俺の知っている十二神の中には無かった。十二神の豊穣神の加護の間違いだろうか。ゲームと違って能力の確認も出来ないので確かめようがない。この人生においては詰んでいるとしか言いようがない。
そして決定的な詰みはまだあった。このオルフェウスで最凶・災厄な存在、そして多くのプレイヤーを絶望の底に落としてきたラスボスの名前はジル・ド・クーラン。追放される前の俺と同姓同名だ。このオルフェウスの世界では珍しく黒髪に黒い瞳、ニヒルな笑みの似合うシュッとした悪役だった。姿形はあと数年、ちょうどオルフェウスの中で戦争が始まる頃になると俺はゲームの中ジル・ド・クーランと同じような背格好になるだろうか。今は俺の知っているジルを幼く縮めたミニジルって感じだ。
数多くの分岐の中で最難関と呼ばれる敵キャラクター、この世界に生まれた俺がラスボスのはずだった。
ふいに馬車が止まった。
「ひゃっはー、ちょろい仕事がのこのこやってきたぜぇ」
「兄貴、カモがネギネギですぜぇ」
「今日は大量だなぁ、さっきの奴はその辺に転がしとけ! いくぞ野郎ども!」
馬車の外からはドスの聞いた意味不明な声が聞こえてくる。
「何かトラブルか?」
御者に声をかけるため馬車を降りると汚い身なりの錆びたショートソードを握った男たちが馬車を取り囲むところだった。
「15人ですか……」
聞き覚えのある声に驚き、御者台の方をみると俺の近侍で教育係だったミシェルが御者台から降りるところだった。
え? ミシェル?
「ミシェルがなぜここに?」
「ジル様、やはり気付いていらっしゃらなかったようですね。どうやら私もジル様のついでに厄介払いされたようです」
驚いた、現役を退いたとはいえ、オルフェウス最強と呼ばれた事のある剣鬼ミシェルを追放するなんて、でもそうか、ゲームの中ではジルを倒すためのフラグとしてミシェルを仲間に出来るイベントがあったはずだ。
「剣鬼ミシェルが追放される世の中じゃ、俺如きが追放されてもおかしくない世界だな」
悲哀に満ちた表情で俺を見た初老の忠臣は剣を抜き放ち臨戦態勢だ。
「ジル坊ちゃん」
止めてー。ミシェルが時々言うそれめちゃくちゃ恥ずかしいから止めてー。前世含めたら同じくらいの年齢だから!
「すぐに片付けますのでジル坊ちゃんは馬車の中でお待ちください」
「ひゃは、おっさん! この状況がわからねえのか? こっちは15人もいるんだぜぇ!」
「数など関係ない」
底冷えする言葉の残したミシェルは残像を残し、野盗の手元を狙って斬りつけていく。
「ひぃ、なんだこいつ」
ミシェルが剣を一振りするたびに野盗は剣を腕ごと落としていく。
「構うな、ガキだけでもやっちまえ!全員でかかれ!」
頭のようである野盗が声を上げた。
「くっ」
いくらミシェルでも複数から同時に打ち込まれ、離れた場所にいる僕を守るのは厳しかったようだ。
僕を狙って盗賊の一人が剣を振り下ろさんと踏み込み振りかぶった。
時が止まったかのようにゆっくりと世界が流れていく。
ゆっくりと刃が迫る中、俺はいっその事オルフェウスのラスボスであるジルが死ねばこの世界にも平和が訪れるかもしれないなどとあほみたいな事を考えていた。
クーランに残してきた弟のルネの事は心配だけどあいつは軍神の加護持ちだ。きっとすぐ死ぬことは無いだろう。
短い人生だったがこの世界の暮らしも悪くなかったな。
俺は瞼を下し、次に来る痛みに耐えるべく心を落ち着かせる。
そしてボロボロのショートソードが僕の首を捉えた。
ガキン!
まるで金属同士が打ち鳴らされたような音が首元から発せられた。
「なんだそりゃあ!」
全然痛みが来ないし野盗が焦った声を出している。
薄っすらと目を開けると
驚愕する野盗がもう一度振りかぶるところだった。
キーンと甲高い音が鳴り響き、野盗は弾かれたショートソードを抱えて後ずさる。
「ジル坊ちゃん……」
ミシェルまで感嘆の声を上げている。
目を開けると地面から岩が槍のように生えていた。
俺には生まれつき魔術の適性など無かった。
まだ俺が動き回れるようになったよちよち歩きの頃、思う様に身体を動かせるようになって一番初めにしたことは魔法の確認だった。
このオルフェウスには一万人に一人、大きな都市に1人いるかいないか、それぐらいの割合で魔法を行使出来るものが居る設定だった。『オルフェウス』では一人でも部下に魔法使いがいると戦いが一気に楽になるのだが、残念ながら俺自身に魔法の適性はなかった。
それがどうしたことだろう、死に至る攻撃を魔法で迎撃したじゃないか! まさかこれも加護の力か?! 農耕神様本当にありがとうございます。
「ミシェル、なんだか大丈夫みたいだ。俺に構わず制圧は頼んだ」
「委細承知!」
俺の命を奪えないと分かるや否や蜘蛛の子を散らすがごとく野盗は逃げ出した。
「いや、ジル坊ちゃんが魔法を使えるようになるとは。クーラン領は本当に惜しい人物を手放したようですな」
魔法使いは存在自体が希少だ。平民でも適性があればそこから成り上がりが可能だ。
ミシェルは俺の頭に手を置いてなでなでしている。止めろ! 恥ずかしい!
俺はやんわりとミシェルの手を払い、馬車の被害状況を確認した。
馬は無事だったが、襲われた時に暴れて荷台は横に倒れ、車輪が軸から外れ、車輪自体も破損してしまっている
「これはどうにもならないですね」
「この先は湿地帯でそもそも馬車は通れません。坊ちゃんには申し訳ございませんがここから先は徒歩で向かいましょう」
「分かった。ネルン湿地帯に入る前に集落があったはずだ。そこで一度足を休めよう」
最低限の荷物を馬に乗せ替えているとくぐもった、うめき声が聞こえてきた。