ハルとお風呂
どうしてこうなった。
いや、本当にどうしてこうなったのか分からない。
ここがどこかというと自宅である。そして風呂場だ。
どうしてもお風呂を作りたかった俺は、ハルと共に自宅に風呂を作った。昔ながらの五右衛門スタイルである。
といっても浴槽は広くとり、熱伝導の良い素材と耐久性の高い素材を使いつつ、浴槽の内側には檜に似た素材で覆い万が一にも火傷をしないように工夫してある自画自賛出来るほどの逸品だ。
ミシェルやドミニクなどは風呂の良さに感銘を受けて現在は多忙な身ながら合間を縫って公衆浴場、簡易的な銭湯の建築に勤しんでいる。
「ジル……」
せっかく風呂の事を考えて意識を逸らそうと頑張ったのに、ハルの恥じらいを含んだ声で俺はすぐに現実に引き戻された。
今、俺は風呂に入っている。そして、そこにハルが入ってきたのだ。
俺を呼ぶ声に自然と振り返れば、そこには前世で見てきたどのフィギュアよりも造形が整っている綺麗なシルエットのハルが一糸纏わぬ姿でそこに立っていた。二次元にしか存在出来ないようなすらりと伸びる美しい肢体を、ハルが手に持った小さなタオルで隠しきれる訳もなく、本人は恥じらいながらも惜しげもなく晒している。
オレンジ色の髪が湯気に濡れて白い肌にしっとりと張り付いている。いくら神の作った精霊で、魔法人形だったとしても女性を象り、その中に自我があるのであればそりゃあ変な気だって起こるだろう。それに俺は16歳だ、人並以上に性欲だってあるんだ。少しは気を使って欲しいものだ。
畑仕事から帰ってきた俺は風呂に押し込まれ、服を剥がされそうになるもなんとか自分の意思で服を脱ぎ、さっと身体を洗って湯船に浸かった所だった。
「湯加減、ちょうどいいぞ! 冷めないうちに入ったら?」
ハルと視線が合い、その後の目のやり場に困った俺はハルに声を掛けて浴槽から出てもう一度身体を洗う。
石鹸は南方で作られた物がホラント達の手によって仕入れられてきているものがある。そこにレモングラス《ハーブ》を加えてドンレムオリジナルの石鹸を作っている。これもロレーヌの森でレモングラスが育てられたからだ。他にもユグドラシルの神威を利用して色々なものを作り出そうと研究を進めている。
そして木桶と風呂椅子もオリジナルだ。内装も含めてかなり和風なので、ここにいると前世の事を良く思い出す。
「なんでそんなに素っ気ないのさ」
現実逃避していたらいつの間にか隣にハルが来ていた。風呂椅子をとなりに引っ張ってきて俺の隣で身体を洗っている。
これいい匂いだよねと笑顔で石鹸を泡立てている。可愛い。
魔法人形が身体を洗う必要があるのか? なんて野暮なことは言わないし、ここまでされてハルの好意に気付かない程俺は鈍感系男子ではない。
なぜこんなに俺に懐いているのかは分からないが、こんな美少女に好意を寄せられては俺もドキドキするしかない。
「ジル、ごめんね。お風呂まで押しかけちゃって……」
いや、むしろ役得ですが。とは口が裂けても言えなかったので返事に困った俺はそのまま黙ってしまった。
「困るよね? 精霊とは言え人形なんかに、その、好かれるなんて……」
「いや、むしろご褒美です!」
今度は我慢できず、心の声が漏れてしまった。恋愛力のなさが歯がゆい。
こんな俺も、前世ではそれなりに恋愛経験はしたと思う。と思いたい。
それなりに女の子の友達は居たし、お互いいいなと思っていたように思う。けどお互い、付き合おうとか、結婚しようなんて言う機会がないまま俺は死んだ。あの時告白していれば、とか告白してくれていればと思う俺はダメな奴だと思う。後悔先に立たず。傷ついても良いから、自分の思いに正直に居たかったと今更ながらに思う。傷ついていたらへこんでいたとは思うが。
そんな感じでも積極的な女の子とは接点があまり無かったし、ちょっと苦手だった。けれどこの世界に来てから意識しているのもあってか、少しは改善したように思う。
そしてハルは可愛いし、俺の側に居てくれる。そんなハルが俺も好きなんだと思う。
「あはは、なにそれ。でも良かった……」
ハルは俺の反応が面白かったのか笑ってくれた。そして、少し恥ずかしくなったのか急にうつむいてしまった。
「あたしね、ずっとあの短剣の中に居たんだ。鍛冶神様が私を作って、そこからクロノス様が私を使ってくれていたんだけど。こんなに長時間身体を与えられて、自由にさせてくれたのはジルが初めてなんだ」
急に真面目な話になって驚いている俺をそのままにハルは続ける。
「ジルって不思議だよね。与えられた神具に自由を与えたり、こんな戦争ばかりの世界で一人だけ戦わない為に戦っているなんてさ」
「不思議、か」
精霊であるハルから見たらきっと人間なんか理解出来ないんだろうな、
「そうだよ、変だよ。こんな魔法人形の事を他の人間と同じように扱うなんてさ」
「それはクロノス様ともそう変わらないだろ?」
「全然違うよ、クロノス様が悪いわけじゃないけどね……一番の理由はジルが優しいから、かな……なんか恥ずかしいね、背中洗ってあげる!」
急に話が飛んで気付けばハルに背中をタオルでこすられている。
多分俺の顔は真っ赤だろう。きっとハルの顔も。
ごしごしと背中をハルの細い指とごわごわなタオルが往復する。
無言のままこそばゆい時間が続く。
何度か話題を振ろうと思い、口を開くが声が出ない。
ためらっているうちに長く続いた摩擦音がぴたりと止まった。
「ネル君の事なんだけどさ……」
さっきまで熱かった身体からネルの名前を聞いた途端、すっと熱が引いたように感じた。かなり時間が経ったし、もう大丈夫だと思っていてもこの様だ。俺は弱い人間だ。
「ジルと同じで優しいから、あんな結果になったんだと思う。でも、きっとジルはネル君もクーラン領の人たちも救うんでしょ?」
ガツンと頭を殴られたように感じた。
「ドンレムで数百年争いつづけた2つの種族をまとめ上げたように、この大陸全部から争いも不幸も全部取り上げて救い出すんでしょ?」
そうだ、俺はこの世界に平和をもたらす為にここにいるんだ。ネルと話していた時に付いた心のシミが薄くなっていく。
「私の心を救ってくれたように、きっとネル君の心も救えるよ」
俺の背中にハルの柔らかな身体が重ねられた。どうしようもないくらい心地いい。ハルの温度が俺に伝わっていく。
時が止まったように長く長く感じる。心臓が飛び出るのではないかと思うほど心音が大きく激しくなる。
「ご、ごめん、なんか適当な事言って! こ、こんな、抱きつくなんて、あたしおかしいね。あれれ? お湯冷めないうちに入ってくるね」
急いで浴槽に向かうハルに平静を装って声をかける。
「あ、泡は流した方がいいぞ!」
「うん!」
返事と共にハルはバシャンとお湯を木桶からかぶり、そのまま浴槽へ飛び込んだ。
「ありがとう。ハルのおかげで頭の中のモヤモヤが取れてすっきりしたよ」
一か月何をうじうじしていたのかと思うほどさっぱりとした気持ちになっている。それは自分でも驚くほどに。
「そ、そうかな? よかった。うん、良かったよ! これからもあたしと仲良くしてね!」
「お、おう」
それはどんな風に? とは聞けなかった俺はやっぱり前世から少しも成長していないようだった。
それから、二人で湯船に浸かり、いろんなことを話した。
これまで出逢う前はどんな所に住んでいたかとか、食べ物はどんなものが好きだとか、どんなものが好きだとか、一年間そばに居て俺はあまりハルのことを知ろうとしていなかったことに驚いた。
そして、ハルのことも、ミシェルのことも、俺に関わる人たち皆のことをもっと知ろうと思うきっかけになった。
俺は一人じゃない。
よし、明日から忙しくなるぞ。




