ラスボスは追放される。
「お前は追放じゃ」
祖父ピエール・ド・クーランは教会から帰ったばかりの俺に言い放った。
「えっ、そんな、俺がこの領地を継ぐんじゃないのか」
「馬鹿め、理由が分からないと言った様子じゃな。いいじゃろう、その不出来な頭でも分かるように教えてやろう。それはお前の加護のせいじゃ」
加護、この国では貴族の子女が成人となる15歳の年の初めに聖典教会から与えられるもので、神代の英雄達の力を宿す儀式だった。
今日はその儀式の行われる日であり俺は農耕神の加護を手に入れた。
いや、そもそもこれがおかしい。農耕神の加護なんてこの世界に存在しないはずだ。
俺、ジル・ド・クーランに与えられるはずの加護は軍神の加護のはずで、決して農耕神の加護なんて聞いたこともない加護ではなかった。少なくとも、前世の記憶にはなかった事だ。
俺が黙って考え込んでいると祖父はこの状況を楽しむように語り始めた。
「なんじゃ、言葉も出てこぬか! さっさと荷物をまとめてこのクーラン領を出ていけ! なに、心配せんでもお前の双子の弟ルネがクーラン領の次期領主じゃ! 軍神の加護持ちのな!」
あの心優しい弟が次期領主だって? 最凶最悪のはずのジル・ド・クーランがオルフェウスの表舞台から消えるなんて、そんなシナリオ聞いたこともない。
呆然とする俺に祖父が追い打ちをかける。
「そうじゃな、単なる追放では外聞が悪い。北方のドンレムの防衛……いや死んだお前の父ギースの家督を再興させ、ラヴル家としてドンレム及び湿地帯以北の領主にしてやろう。何たる寛大な処置じゃ」
逆賊の英雄という凄まじい二つ名を持つ祖父ピエール・ド・クーランはすでに前世でいう還暦を超えているが筋骨隆々で精悍な偉丈夫が豪快に笑っている。
「流石はピエール様、ドンレムの荒れ果てた土地を農耕神の加護持ちのジル様に与えて蛮族の森の盾になさるとは!」
筆頭執事のジャドはニヤニヤとこちらを見ている。
こいつは何かにつけて俺に媚びを売ってきたが華麗とまで感じる程の掌返しだ。正直すり寄る感じが鬱陶しかったからこの態度は助かる。
「そうと決まれば行動は早い方が良いだろう。表に馬車を用意しておる。ドンレムまでならば十日掛からぬだろう。行け、ジル・ド・ラヴル男爵!」
あまりにも用意周到な追放劇に背筋が凍った。
もし俺が軍神の加護を持っていたらおそらくはルネがこの馬車に乗っていたのだろう。
忌み嫌われるはずの双子をわざわざ生かしておいたのだ、これくらいの処置は仕方がない。
これはこれで俺が追放となった方がルネの為には良かったのかもしれない。
そう強がってみたが、俺の心の中はざわめきが収まらず、足元が崩れていくような感覚が襲い掛かり身動きが取れなくなっていた。
立ち尽くす俺をクーラン家の近衛兵が俺の腕を引っ張って表に止めてある馬車に叩きこんだ。
馬車に叩きこまれる寸前に見えた祖父は撫でつけた髪を手櫛で整えている所だった。それが一番重要だと言わんばかりに無視を決め込んで。
馬車の扉が豪快に閉まりようやく俺の視線に気付くと、あざ笑い軽蔑する表情となりそのままクーラン城へと戻っていった。
祖父はことある毎にルネが跡取りならば良かったのにと言っていたが、念願叶ったといったところだろうか。
さて、これからどうしたものだろうか。
どこで間違ったんだろう。
前世の記憶、オルフェウスの中のジルに近づくように俺は努力した。
剣術を磨き、軍略や必要な知識を学んだ。
そして前世の記憶を頼りに、幾通りもある分岐の先にある平和を掴み取るために努力は惜しまなかった。
なのにこれはどういうことだ。
これじゃまるで前世で散々やりこんだオルフェウスのプロローグじゃないか。
「お待ちください! ジル様はクーラン領に必ず必要となるお方、ここで縁を切るのは得策ではありません!」
「そうです、僕より兄さんの方が優れているんです! 追放するなら僕を追放してください、おじい様!」
馬車に叩きこまれ呆然としていると外で俺の近侍のミシェルと弟のルネが筆頭執事のジャドやピエールに詰め寄り言い争いをしているようだがもう俺には関係ない事だ。
俺はこれから僻地で一人で生きていく為の計画を頭の中で組み立て始めた。
「ルネ坊ちゃんもミシェルも離れてください。」
ピエールに追いすがるルネとの間に身体を滑り込ませたジャドがオーバーに騒ぎ立てる。
「あー怖い怖い。剣鬼と呼ばれた貴方に詰め寄られては寿命が縮む。 そうですね、ジル様は僅かな路銀と馬車一台で十日もの旅路です。いくらクーラン領が平和な場所とは言え、魔物や野盗に一度も遭わないという保障はありません。」
悪い笑みのお手本のような顔のジャドはもったいぶる様に説明を続ける。
「護衛も無しでドンレムまでたどり着くのは困難でしょう。どうです、ミシェル。貴方がジル様の護衛に就くのは。元ラヴル騎士団長で軍神の加護持ちである貴方が欠けるのは非常に惜しいですが、次期領主のルネ様も貴方と同じ軍神の加護持ちです。貴方が居なくとも、若く才能のあるルネ様がクーランを牽引するでしょう。」
「ジャド……貴様、ジル坊ちゃんだけでなく私もついでに厄介払いという事か……」
「元騎士団長殿を厄介などとんでもない。確かに貴方はラヴル家に仕えていた方ですし、クーラン家においてはやり方も違うので不便な事もあるでしょうが……」
「そうだな、ルネ様を置いていくのは忍びないがジル様おひとりでラヴル家を再興するのは難しいだろう……」
「ミシェル! 僕のことは気にせずに兄さんを助けてあげて! 僕は……きっと何とかなるよ! 兄さんには及ばないかもしれないけど、僕だってミシェルから教えてもらった剣技も軍略もあるんだ! だから、僕の代わりに兄さんを助けて欲しい」
「泣かせるではありませんか! 二つの家に引き裂かれる兄弟とその兄弟愛。不肖ながらこのジャドがお二人の物語を後世に語り継ごうではありませんか」
「ルネ様……分かりました。何かあれば騎士団のライルにお申し付けください。必ずルネ様の力になるでしょう。私はジル様について行きます。何卒、お元気で」
周囲の騒ぎが落ち着いたと思ったら馬車が動き始めた。荷馬車の幌から弟のルネが顔を覗かせた。
「兄さん、僕は兄さんみたいになんでも上手くできないけど、どうにか兄さんを迎えに行けるようにするから! 必ず助けて見せるから!」
「すまない、不甲斐ない兄で……」
俺は前世の記憶で、これからこの家が戦の中心になる事を知っていた。知っていたのに俺はルネに言えなかった。俺が帰る場所を護ると言った弟の覚悟に水を差すわけには行かなかったから。
「それじゃあ兄さん、元気で……」
「ルネも元気でな……」
俺はどうすることも出来ないまま走り出した馬車に揺られるだけだった。