雑記
雑記
女がいる。三人いる。高い声でくっちゃべっている。車両の手すりの近くにたむろして、大きい鞄を背負いながら。若いな、と思う。年の差なんて五歳も満たないくらいだろうけれど、私にはあんな活力はないですね。横目で放つ視線は嘲笑と尊敬のエスプレッソ。かしましい。しっくりくる表現である。聞きたくなくても耳に入る話題はテロに等しい。男、スイーツ、男、女、先生、最後に定期テスト。話題がコロコロ変わるたびに華やかな口元が翻る。とうとうサラリーマンが舌打ちをした。鞄が邪魔で通路を通れなかったのだ。女は瞬発的に鞄を三人の輪の中に引きつけた。咳払いをしながら去るサラリーマンの背中を無言で見つめる三人。次にはニンマリ笑って何、今の!と嗤いだす。幸せな奴らだ、ともう一度チラ見する。
電車が止まった。準急列車なら真っ先に飛ばされてしまうような、閑散とした駅だ。一人の女が他の二人に手を振って、丸出しの寒そうな足を前に出した。ドアが閉まる。切り取られる。動き出す。その一瞬の時の隙間に、私はさっきの女を見た。窓から垣間見える友人に、まだ手を振っている。往生際の悪いやつだ。さっきとは打って変わって少し可愛らしく思えてくる。さよならの振り幅が大きくなってきた。しかし肝心の二人は気づいていないようだった。去っていく電車を、いつまでも、まだ、見つめている。その様子に気づいているのは私だけだ。その姿を知っているのは私だけだ。
「ていうか、まじあいつウザい」「わかる」「いつも付きまとってきてさあ、あたしら以外に友達いないんじゃね?インキャ乙って感じ」「わかる、正直一緒にいて疲れるよね」
戦力を一つ失ったふたり組は、声を少し落として淡々と話し続けている。荒々しい言葉が、車内の空気に溜まって、散らばって、淀んでいく。
「ていうか、明日のカラオケデートほんと楽しみ!ちゃんと学生証持ってこないとおこだよ」「忘れないって!ていうか、ほんとにアミ呼ばなくていいの?」「いいんだって。あいついたら楽しくないんだもん。歌下手だし、暗い曲ばっかだし〜」「言うねえ」「ていうか、もう着くし。じゃあまたLINEするわ!」
何がために、何が楽しくて、何が恐ろしくて、彼女はああも言葉を放つんだろう。痛々しいほどの虚勢に、なんとなく見覚えがあった。息継ぐ間もないほどの溺れそうな会話を、器用にスイスイ泳いで女は帰ってゆく。ようやく平穏が訪れた。静寂というにはあまりに雑音混じりだけれど、人の呼吸音と電車の動く音、輪郭のぼやけた会話が混雑した、いつもの平穏。
女は少し前進して、窓にぐっと近寄った。黒髪のカーテンが白い肌を隠している。一本一本の集まりでは隠しきれない横顔。その素顔に、何故か惹き付けられた。残った女の顔からは、何も読み取れない。つまらなさそうに、曇り空を眺めている。ただ、揺れない焦点。「ぼんやり」なんていう擬態語では生ぬるい鋭い眼光を、私は知っている。
「ーー次は中百舌鳥 次は中百舌鳥です」
はた、と気づくと、降りねばならない駅が差し迫っていた。スカートを軽く叩きながら席を立つ。近いドア、ちょうどさっきの女がいるドアに赴く。
――あ!
声にならない声が、喉の奥で弾む。女が持っているiPodにちらりと映った曲のタイトル。一瞬しか見えなかったけれどたしかに読み取れた。あの頃に、いや未だに、ずっと大好きなあの歌だ。何度も聞きこんだ。人前で歌うにははばかられるような、重量のある歌詞。つい最近までは友達の中で知ってる人はいなかったアーティスト。確かCDのナンバーは6番。あの歌を、この子も聞いていることに得も言われぬ感情が浮かんだ。その歌詞を、この子はどんな気持ちで聞いているんだろう。
ドアが開く。女もこの駅だったようだ。スタスタと、先をゆく背中が遠ざかっていく。どれほど私が憂いたところで、明日もきっと、変わらずかしましい。そう思うとなんだか歯がゆくて、またあの歌を聞き直そう、と思い立つ帰路だった。