07 ただ一人
少女視点です
エレベーターのドアが閉まり、冬十郎の姿は見えなくなり、丸顔の女は私を『ショウコ』と呼んだ。
私の『新しい名前』はショウコで、『新しい親』はこの丸顔の女なのだと分かった。
もう二度と、冬十郎には会えないのだと、私は悟った。
丸顔女は優しそうだし、不満などあるはずがない。
いつもと同じ。
いつもと同じことが起きているだけ。
分かっているのに、私は何度も冬十郎の消えたエレベーターを振り返った。
お父さんでもお母さんでもなく、『親』ではない男の人。
……冬十郎……。
「……もう少し、話してみたかったな」
小さい呟きは、丸顔には聞こえなかったようだった。
「行きましょう、しょうこちゃん」
丸顔にぎゅっと手をつかまれて、私はもう抗わなかった。
次から次へとさらわれても、私を取り戻しに来た『親』は今まで一人もいなかった。
『親』が変わってしまった時点で、私は新しい『親』に向き合わなければならない。
丸顔女がどんな子供を求めているのか。
元気のいい子か、大人しい子か。
話し方は敬語かそれとも……。
丸顔は私の肩に上着をかけて、優しく手を引いて歩いていく。
丸顔は私の足に合わせてゆっくりと歩く。
夕焼け空に、温かい手、穏やかな声。
「しょうこちゃん、ハンバーグ大好物でしょう?」
ニコニコと笑う丸顔を見上げる。
優しそうだし、料理も得意そうだ。
多分、最近では一番当たりの『親』だと思う。
でも……。
私は未練がましくまた振り返る。
そこに、冬十郎が立っていた。
かぁっと体が熱くなった。
そちらへ一歩踏み出し、大きくその名を叫ぼうとした。
「とうじゅ……」
いきなり口をふさがれ、声を出せなかった。
丸顔を硬そうなカバンで殴りつけて、知らない男が私を抱えて走り出す。
また連れ去られる……!
冬十郎の驚く顔が見える。
さらわれるのはいつものことで、私にとっては普通のことで、変わりない日常で……。
でも。
「冬十郎様ぁ!」
私は叫んだ。
初めて新しい『親』を拒んだ。
だって、追いかけてきたのはただ一人。
冬十郎ただ一人。
本当の親でさえも見つけられない私を、冬十郎は追いかけてきて、見つけてくれた。
他の誰とも違う。
冬十郎は違うと確信した。
「冬十郎様……!」
あっという間に他の『親』を排除して、冬十郎は私を腕に抱いていた。
私は生まれて初めて声を出して泣いた。
離されるのがいやで、必死で首にしがみついた。
「怖い思いをさせた」
耳元で優しい声がする。
冬十郎の甘い匂いがする。
まだ嗚咽が止まらない。
「すまない」
私は怖くて泣いているわけではなかった。
『親』が変わる時にはよく暴力沙汰になるから、人が殴られるのを見るのは慣れている。
「もう大丈夫だから」
背中を撫でる手が温かくてすごく優しい。
この涙の理由を、うまく説明できない。
追いかけてきた冬十郎の姿を見たとたんに、針が振り切れたように感情が高ぶった。
よく分からないけれど、ものすごく高揚して、興奮して、何かが溢れ出すようにして涙になった。
それは多分、怖いというのとは逆の感情だ。
「すまない。私の落ち度だ」
だからなんとなく、何度も謝ってくれる冬十郎には私のこの気持ちは言わない方がいい気がした。怖がって泣いているのだと誤解してくれたままの方が、この人の腕に甘えていられる。
嗚咽は少しずつ収まってきたが、まだ抱いていてほしくて、ぎゅっとしがみつく。
「もう大丈夫だ。安心しなさい」
冬十郎の手が私の背をポンポンと優しく叩いてくれる。
その肩に押し付けていた顔を、ゆっくり上げてみる。
私をさらおうとした男が、泡を吹いて倒れている。
丸顔の女も、頭から血を流して倒れている。
もうこの場に、私の『親』候補はいないと分かって、少しほっとした。
周りが少し、ざわざわし始めている。
野次馬はまだ少ないが、誰かが通報したのだろう。
遠くにサイレンの音がする。
「ご当代様!」
2号と3号が一緒に駆け寄ってくるのが見えた。
「これは」
と、倒れている二人を見て2号が絶句している。
「何があったのですか」
3号が冷静に聞く。
冬十郎が私に目線を寄越した。
「また、誘拐されかけた」
「ええ? またですか?」
2号が大げさに驚く。
「さっきの誘拐からまだ二時間も経っていないのに?」
「ああ。だが事実だ。佐藤はマンションから無断でこの子を連れ出そうとしたし、この男は佐藤を殴ってこの子を連れ去ろうとした」
「佐藤さんが……。経歴も為人もきちんと調べたのですが……申し訳ございません」
3号が頭を下げ、2号は困惑したような顔で私の方を見た。
「こんなに次から次へと……何か、この子おかしくないですか?」
「その話は後にしましょう。冬十郎様、いかがいたしますか」
私を抱く冬十郎の手の力が少し強まる。
「そうだな。この場には、私もこの子もいなかった。佐藤が一人で歩いているところを、この男がいきなり殴り掛かった、ようだな」
「かしこまりました。警察へはそのように」
「ごねるようなら、上層部の話の分かる輩に私から……」
「いえ、万事心得ておりますので」
「では、頼む」
3号と2号が恭しく頭を下げ、冬十郎は私を抱いたまま、当然のようにその場を後にした。
読んでくださってありがとうございます。
少女は心の中で人にあだ名をつけます。
キンパツとか丸顔とか、2号とか3号とか、何気に失礼。
冬十郎だけは黒髪美人。特別です。
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