超ベタベタなラブコメ ツンデレヒロインが好きな人向け
その日もボーッと授業を聞き流し、真夏の清々しいほど青い空を眺めていた。何ともなしに自分が空の青に溶け出していく感覚は、少し寂しさを含んだものであるが、それと同時に中毒性の高いものでもある。
だからかは知らないが、四時間目の授業が終わって昼休みに入っても、僕はそのボーッとしたのから抜け出せないでいた。
「雨宮、ちょっと」
欠伸をしながら教室を出たところを、担任に呼びつけられる。
「宿題ですか?」
「いや、残念ながら宿題はちゃんとやっているみたいだからいい。ちょっとこれ、体育館倉庫に運んでおいてくれないか?」
そう言って渡されたのはネットのごちゃごちゃが入った段ボールと三角コーンである。眠たい体には重労働だ。
「……えーっ、重いです」
「頼むよ、雨宮。先生これから職員会議があるからさ」
担任が手を合わせてお願いのポーズをする。
「まあ、暇なんでいいですけど」
「悪いな、お前しか頼れる奴がいないんだ」
嘘つけ、という心の声はもちろん口には出さず苦笑いする。軽く礼を言って、担任はそのまま職員室の方に走って行ってしまった。
暇なのは本当なので問題はないのだが、どうも生徒として軽く見られているようで釈然としないものが残る。先生にあたっても仕方ないので、一人でぶつぶついいながら体育館に向かうしかない。
体育館倉庫の鍵は開いていた。曰く、盗んで困るようなものが入って無いので鍵をかける必要がないらしい。
建て付けの悪い扉を足で無理やり開けて中に入ると、埃っぽい空気が舞い、軽く咳き込んだ。築四十年で、恐らく四十年前から倉庫の中身はほとんど変わっていない。跳び箱とか縄跳びとか、いかにも古臭いボロボロの用具ばかりが所狭しと詰め込まれている。
「誰?」
声をかけられた方に目をやると、かわいい女の子と目があった。
「いや、こっちのセリフ」
女の子の言葉を、そのままかえす。
入って真左の台車の上に積み重なった運動マットの上にちょこんと体育座りをして、彼女は怪訝な目でこちらを見ていた。だいぶ高くマットが積み重なっているから、位置としては彼女が僕を天井付近から見下ろす形になる。
お弁当を膝に抱え、白いすらっとした生足を制服のスカートの下から覗かせている。飾りっ気のない表情と、ショートカットのきれいに整えられた前髪が美しかった。
「何してるんですか、先輩?」
彼女の名前は寺内さち。
薄暗い部屋と角度の問題もあり一瞬誰だかわからなかったが、一つ上の先輩だ。容姿端麗、頭脳明晰、男子からの圧倒的な人気を誇る学年一の美少女という評判は、どこからともなく響いてくる。
もっとも、僕が一方的に知っているだけなので、知り合いというわけではない。
「あんた、誰?」
「一年の雨宮そうたです。えっと、先輩の一つ下ですね」
「雨宮か……そういえばそんな奴いたか」
物理的な高さが立場的な高さですとも言いたげな偉そうな口調で、先輩は僕を奴呼ばわりする。名字を微かに覚えていてくれただけでも、ありがたいということなのだろうか。
「ここでお弁当食べてたんですか?」
先輩はマットの上に弁当箱を広げ、米粒のついた箸を握っていた。
倉庫の中に美味しそうな揚げ物の匂いが充満している。
「君には関係ないでしょ」
「まあ、それもそうなんですけど……ここ、飯食うには埃っぽくないですか?」
こんなところでぼっち飯とはずいぶん寂しい風景ですねえ、というのが本意だ。それを感じ取ってか感じ取らずかは知らないが、先輩はぷいっとそっぽを向く。
「余計なお世話……それよりこんなところに何しにきたのよ」
「ああ、これを運んできたんです。先生に言いつけられまして」
顎でダンボールを示すと、先輩は興味なさそうに舌打ちした。
「……点数稼ぎが」
「おいこら、今、何つった?」
「吠えないでよ、社畜の駄犬が……って言っただけでしょ」
「もっとひどくなっているのは、気のせいですか?」
どうやら性格が歪んでいるという噂は本当らしい。先輩は僕の刺々した眼差しを気にすることもなく、平然と唐揚げを頬張ってから口を開く。
「ねえ君、友達いなさそうだよね」
あんたもね、と言いかけてやめる。僕に友達がいないのは事実だ。
「本当に、毎日が寂しくて仕方がないんですよ」
言い訳だが、中学生の時は人気者で友達も結構いた。でも、高校に入ってからは、自ら進んで作ろうと思ったことはない。人が群れることのつまらなさを知ってしまうきっかけがあったからだった。
「寂しいんだったら、私が友達になってあげてもいいわよ」
じっと先輩はこちらを見つめていた。
これがホントの、上から目線というやつだ。
段ボールを木棚の上に押し込みながら、僕はため息をつく。
「……先輩こそ、一人でご飯食べるのが、寂しいんですか?」
「は、はあ? ばかじゃない、そんなことあるわけないでしょ」
「いいですよ」
「えっ?」
「友達になってあげられても、いいって言ってるんです」
そういうと、先輩は目を見開いた。
自分から誘っておいて、何をそんなにびっくりしているのだろう。
「友達って、一緒にご飯食べたり、お話ししたりするのよ?」
「そうでしょうね」
「ど、どうせ私が可愛いから、そうやって仲良くなろうとしているだけでしょっ。わかるんだから、見てれば!」
「その通りですが、何か問題でも?」
「なっ……!」
みるみる、先輩の顔が赤くなる。
逆に、先輩が可愛くなかったとして、こんな性格に難ありの少女と友達になろうなどとは誰も思わないだろう。下心満載で何がいけないんだと僕は開き直る。
「あの、僕が友達でいいんでしたら、弁当ここに持ってきて一緒に食べてもいいですか? もう、ペコペコなんですけど」
お腹をさすると、先輩は面白くなさそうに膨れっ面をした。
「……仕方ない、許可する」
それが、あっさりしてはいるが、さち先輩との出会いであった。
その日から、四時間目が終わるとそそくさと教室を抜け出し、体育館倉庫でさち先輩と一緒に昼飯を食べるというのがルーティーンになっていった。美人の先輩と一緒と言うことで、お昼ご飯の時間が少しだけ楽しくなる。
もともと一緒にご飯を食べる友達などいないから、さして僕の行動を怪しむクラスメイトもいなかった。
ちなみに、体育館倉庫とはいっても、体育館の中に取り付けられているわけではない。プレハブ小屋のように、体育館の裏側に後から取り付けたもので、出入りは外からなのでかなり不便だ。
長年の負担でトタン屋根が錆びてボロボロになっているせいで、雨の日に倉庫に行くとよく雨漏りをしていた。
そういう日は、流石に地面に弁当を広げるわけにもいかないので、先輩の許しをこうてマットの上に招待していただいた。
マットの上はそんなに広いわけでもないから、横並びになって天井に頭をぶつけないように屈む格好になる。雨の日に、かび臭いマットの上で二人でご飯を食べているというのは、なんとも奇妙な気分だった。
先輩は、不思議な人だった。
天真爛漫で、捉え所がなくて、いい意味でいうと大胆で魅力的な人だった。
悪い意味で言うと、後先考えずに突っ走る、ただのガキだった。
一緒に昼ごはんを食べていて、会話が弾む時もあればもくもくとただ弁当を食べているだけの時もあった。もともと二人とも教室ではずっと黙っているせいか、会話がない時でも気まずい雰囲気になることはなかった。
放課後にもたまに体育館倉庫に来ているんだと、ある日先輩が言った。
聞いたその日の放課後に倉庫に行ってみると、先輩はいつもの積み重なったマットの上で読書をしていた。膝の上に本を置き、じっと眺めている先輩の姿は、あまりにいつものイメージとはかけ離れていて、不覚にも見惚れてしまったのを覚えている。
それからは時々だが、放課後にも倉庫に顔を出した。
今まで本をあまり読んだことがなかったが、先輩を真似して隣で小説を読んでいるうちに、気づくと読書が趣味になっていた。
月日は流れ、それは体育祭も終わり、何気なくプラプラと暇だったある日の放課後のことである。
————あ、泣いてる。
鼻をすする音が聞こえてそっと倉庫の中を覗くと、すっかり固定ポジションになったマットの上に、さち先輩が蹲っていた。
毎度毎度とりあえず僕を驚かせる先輩だが、泣いているのはそれが初めてだった。
隠れて覗きながら、似合わないな、という感想を持つ。馬鹿にしているのではなく、普段のさち先輩にあまりに似つかわしくないからだ。
一般に女子高生が泣いているといえば、ペットが死んだとか友達と喧嘩しちゃったとか、そんな感じだろう。でも、さち先輩に友達がいるとも思えないし、ペットが死んだくらいで泣き出すようなたまとも思えない。
そっとしておくべきか声をかけるべきかは迷ったが、わざわざいつも二人が来ている場所で泣いているということは、僕には見つかってもいいのだという解釈を勝手にする。
「何、柄にもなく泣いているんですか、先輩」
拒絶されたらその時はすぐ立ち去ろうと決めて、ガラガラがらと扉を開けた。気持ち明るめに声をかけたつもりだが、さち先輩の耳にどう響いたかはわからない。
ズズッと鼻をすすりながらさち先輩が顔を上げる。人をいつも馬鹿にして笑っている不敵な顔が、今日は涙と鼻水でクシャクシャに歪んでいる。
僕を見た途端すぐに口がへの字に曲がり不満の表情が浮かんだ。
「……何で、君なのよ」
「僕以外、こんなとこ来ないでしょ」
「それは、そうだけど……」
すぐに罵倒されて返されるパターンまで想定していたので、予想より温和なさち先輩の口調に少し安心する。
しかし、それは先輩が罵倒する気力もないほど弱っている裏返しでもある。証拠に声からいつもの覇気がほとんど感じられない。
「すいません、ほっとこうとも思ったんですけど、やっぱり無理でした。……邪魔だったら、出ていきますけど」
「そうね……うん、邪魔」
「そこまではっきり言われると傷つきます。でも、やっぱりここにいることにしますね」
「っはあ? 何でそういうことになるのよ」
「そうですねえ、ツンデレのさち先輩が、素直にそばにいて欲しいとか言うわけないですし。本当に出て行って欲しいなら、もっと激しく罵ってくれるはずなので」
「誰がツンッ……! 全く、意味分かんないんですけど!」
だから、そういう口調なんだよなあ、とは思いつつもそれは黙っておく。
「それだけ怒鳴れれば、大丈夫そうですね」
先輩は不服そうに黙り込む。
少々荒れているが先輩は出て行けとは言わないし、邪魔邪魔オーラも感じない。それをいいことにして、堂々と床に持ってきた弁当を広げた。
「何で、今、弁当?」
「昼休み、先生のプリント用意するの手伝ってたんで、食べる時間なかったんですよ」
「……本当、君って、ごまするの上手だよね」
先輩の目はまだ赤いが、口調はもういつもと変わらない。
憎まれ口は、ここで食べてもいいと言うことだろう。最近そういうこともわかってきて、それがまた結構嬉しかったりする。
先輩は、体育座りを崩してぶらりんと足をマットから垂らして座った。
「あのさ、雨宮」
「そうたでいいですよ」
「じゃあ、そうた君」
「何ですか? 急にかしこまって」
卵焼きを飲み込んでから先輩を見やると、さち先輩は少し言いずらそうに視線を泳がせた。
「いじめって、どう思う?」
「哲学ですか?」
「いや、道徳」
お茶を一口飲んでから姿勢を正す。流れ的に、珍しく真面目な部類の話だろう。
先輩は、よっこらせとマットを飛び降り、僕の横に腰を下ろす。
「……僕自身には、あまりいい思い出はないですね。いじめの加担者側も被害者側も、結局得しないですから」
「経験あるの?」
「中学の時に、一回だけ。同じクラスの女子が、いじめられてたんです」
さち先輩がゴクリと唾を飲み込む。実際にリアルにいじめの話をするとなると、やはりそれなりの緊張感は伴う。
「その子は、転校生だったんですけど、最初は可愛くて、結構もてはやされていたんです。隣のクラスの男子が、昼休みに遊びに来たりして、それは大層な人気でした。でも、それが気に食わない女子もいたんです。そのうち、だんだんクラスの女子が結託して、筆箱を隠したりノートに死ねって落書きしたりしました。……まあ、よくある話です」
「それで、どうなったの?」
食いつくように、先輩が続きを催促する。
「どうなったと言われても、これで終わりです。不幸中の幸いですが、いじめられているのは中学三年生の時だったので、すぐに卒業してバラバラになって終わりました」
「ふーん」
先輩は、何となく納得できていないような表情である。
「そのいじめ、間近で見てたの?」
「ええ、結構大袈裟にやってましたからね」
「……そうた君は止めなかったの?」
非難の色を含んだ先輩の声に、ちょっと、イラッとする。
「無茶言わないでくださいよ。僕にだって僕の生活があるんです。最後の一年くらい三年過ごしてきた仲間と一緒に平穏に暮らしたいですし」
僕が出て行ったところで、あのいじめは止まらなかっただろう。でしゃばって一緒にいじめられるくらいなら、一人だけでも助かったほうがいい。
論理的に考えても正しい選択だ。
「……逃げたんだ」
「ええ、逃げましたよ。一緒にいじめられるのが怖かったので」
「最低ね」
「僕がですか?」
「それ以外いないじゃない」
————は?
何言ってんだ、こいつ。
腹の中からだんだん怒りがこみ上げてくる。
隣を見やると先輩は綺麗な表情で正義ズラをしていた。
「……あの、もうちょっと考えて、そういうこと言ってくれませんか?」
「は? ちょっ、何、キレてんの?」
「怒らせたのは、先輩ですよ」
「いやいや、意味わかんないんだけど」
「……先輩は、自分がそういう状況に陥ったことないから無責任なこと言えるんです。先輩が僕の立場だったとしても、絶対に無視していたはずです」
そういうと、今度は先輩が怒ったように腰を浮かせた。
「無視なんてしないわよ! 私を君なんかと一緒にしないで!」
先輩は僕に聞こえるくらいの大きさで舌打ちをした。
軽蔑の目を向けられている理由が全くわからない。
ブチッと、自分の頭の中で何かが切れた。
「助けないことが賢明な判断だったです。助けようとしてもどうせ一緒にいじめられるだけなんだ。だったら最初から助けない方がいい! 実際に見たこともないくせに、適当な御託を並べないでくださいよ!」
「言い訳でしょ、そんなの。本当は怖いだけのくせに!」
「そうですよ、確かに怖かったです。でも僕が出て行こうと、どっちにしろあの子は助からなかったんだ! 先輩でもどうせ怖くなって逃げ出します!」
先輩は怯まず、僕から目をそらさない。
こうやって言い訳しなければいけない状況が、まず納得いかない。
「……私は、逃げないよ」
「だから、ちゃんともの考えろって言ってんだろ!」
「だから! 逃げなかったのよ!」
僕の怒号にかぶせるように、先輩の金切り声が倉庫に響く。
いつの間にか僕と先輩は立ち上がって、地面の上で睨み合っていた。
「助けようとしたの! だから、こうやっていじめられてるの! こんな薄暗いところで一人で泣いてるのよ!」
歯軋りをして、先輩は憎々しげに僕の胸ぐらを両手で掴んだ。
「その子を助けられなかったのは、君がただ臆病だっただけでしょ! それを隠そうとして、賢明な判断だとか言って、逃げてるんじゃない! 馬鹿みたい!」
顔を真っ赤にして、先輩は肩で息をしている。息がかかるほど近くで、先輩は噛み付くように僕を睨みつけていた。
その顔を見るなり、ドロドロと、冷たいものが心の中を満たしていく。
「……先輩こそ、馬鹿じゃないんですか?」
「何がよ」
「自己犠牲の精神とか、正義面して、結局誰も助けられてないだろうが! 自分に酔って他人に正義感押し付けるのも大概にしろよ!」
言った矢先、先輩の顔が悔しさに歪む。
そうやって、綺麗事をずっと言っていればいい。
自己満足で誰かが救えるなら、誰も苦労しない。
僕は胸ぐらにかかった手をつかんで切り離す。何かいいたそうに歯軋りをする先輩を無視してまだ半分も食べていない弁当をそそくさと片付ける。
乱暴に放り込んだせいで中身がカバンの中に飛び出るが、無視してチャックを閉めた。
「君に相談するんじゃなかった……」
扉を出る直前に、そう言われる。
言い返すのも面倒になって、そのまま扉をしめた。
————何なんだよ、一体。
先輩の耳障りなセリフを思い出し、僕は舌打ちした。
あの時、自分は何も悪いことをしていない。
今になって中学生の頃の話を聞かせただけで怒られるなんて、理不尽にも程がある。
バックの中が米粒でひどいことになっていることを思い出し、そんなことすら、苛立ちの原因になった。やりようのない怒りが、帰り道の途中もずっと頭をもたげていた。
*
その次の日は、散々だった。
授業中も、ずっと昨日のことを思い返しては苛ついていた。思い出すのが嫌で珍しく板書をとっても、全く内容が頭に入ってこなかった。何度試しても、結局シャープペンシルでページの端っこをカリカリと引っ掻くだけで、すぐに授業を聞くことを諦めた。
その日、倉庫に先輩は来なかった。
先輩が来なくなってからも、僕は毎日昼飯をそこで食べていた。なんとなく、義務感のようなものが、昼休みになると僕の足を倉庫に向けさせた。
先輩は、あの日から一度も顔を見せない。もっとも、顔を見せてくれたところで、何を喋ればいいのか僕にはわからないし、先輩だってそれは同じだろう。
だからか、倉庫に誰もいないことを確かめると毎回ホッとした気持ちになる。
しかし、空っぽの倉庫で食べる飯というものはなんとも味気ないものである。
先輩も、僕が来る前はこんふうに縮こまって弁当を食べていたのだろうか。
ポッカリと開いた先輩の席を眺め、お茶をすすりながらそんなことを考えるのである。
中間の定期試験が行われたのは、夏休みを挟んでそれから三ヶ月後のことである。
「三十点以下は追試からな、雨宮」
社会のテストの返却と一緒に、そう言われる。点数は三十点。勉強不足がもろに出る暗記科目とはいえ、赤点を取ったのはこれが初めてだった。
「見間違いですか? これ」
「サボりすぎだ、お前。高一だからってたるんでるなよ、すぐみんなに置いてかれるぞ」
「へーい」
追試組は、放課後物理室だと淡々と告げられる。成績は普通よりは良い方だったので、その状況はかなり悔しい。一緒に追試に行くような友達もいないので、授業が終わった後そそくさと鞄に物を詰めて教室を出る。
————物理室か。
物理室は二階の奥の教室で、そのブースには二年一組の教室と物理室しかない。つまり、どうしても先輩の教室の前を通る。
だからどうというわけではないが、なんとなく、意識をしてしまう。
あれから、先輩とは一度も口を聞いていない。もっとも、出会うこともないのだから、口を聞かないのは当然のことである。
会いたい。
そう思っている自分に気づき、驚く。三ヶ月、先輩の声を聞かないだけで、こんなにも息苦しいものなのだろうか。
最初の方は、怒りの方が先行していて、寂しがることなんて二の次だった。でも、一ヶ月、二ヶ月と立つうちに、どうも先輩の怒鳴り声よりか、楽しく話していた時のことが頭に思い浮かんでくるようになっていった。
『恋の病』というなんとも青臭い単語が頭の中に浮かんできて、ブンブンと首を横に振ってかき消す。
本当にこれが恋かどうかはまだ、自分にもわからない。もう会えないかもしれないという寂しさが、脳を少し麻痺させている可能性があるからだ。
「ふざけんな!」
その甲高い声を聞いたのは、僕が物理室に入ろうとした直前である。刹那、思考が停止する。それは間違いなく、先輩の声だった。
続いてもみ合う音と、鈍く体がぶつかる音がする。
一瞬にして、悪い予感が次々に頭の中に満ちていく。
迷いもせずに二年一組の教室の前に走って行き、息をつくと扉を勢いよく開けた。
————えっ?
目の前に広がる光景に、僕は呆然と立ち尽くした。
ドスッ、と言う鈍い音がし、机が倒れる。
取り囲むように集団で女子に蹴られているのがさち先輩で、さち先輩がぶつかって倒したのがその机だった。
「きゃあ!」
女子生徒の叫び声が聞こえる。
さち先輩は蹴られながら、悔しそうに相手を睨んでいた。
血の気が頭に回り、沸点に達する。
「何やってんだお前ら!」
気がつくと、僕はそう叫んでいた。
女子の集団がリンチを一旦やめ、なんだなんだとこちらを向く。周囲の目が一気に集まる。顔をあげたさち先輩と、目が合った。
三ヶ月ぶりに見る先輩の顔は、なんだか随分やつれていた。
その顔は引きつり、助けを求めているようにも、軽蔑しているようにも見えた。
激しいデジャビュを感じる。さち先輩のその顔と同じものを、僕は知っていた。
中学生時代の教室の風景が、頭に蘇る。
転校生の名前は加奈子といった。
栗色の髪で、ポニーテールの可愛らしい女の子だった。
夏くらいにある女子の好きな男の子が加奈子に告白し、それをきっかけにいじめが始まった。
加奈子のせいでふられた女子がかわいそう、と誰かが言っていた。
最初は、グループで無視をしたり、プリントを回さなかったり。
だんだん、ノートや机に落書きしたり、靴を隠したり。
いじめは、徐々にエスカレートして行った。
教壇の上で、無理やり服を脱がされている加奈子を思い出す。
いじめっこの代表格の女が、ヌードショーを企画したのだ。
クラス全員に下着姿を見られながら、加奈子の顔は引きつっていた。
一瞬だけ、加奈子と目が合った。
その顔は、助けてといっているようにも、軽蔑を送っているようにも見えた。
慌てて、僕は、目を逸らした。何事もなかったかのように。
たったそれだけ。
その後は、加奈子の表情を、怖くて見れなかった。
女子は、楽しそうに加奈子を拘束していた。
男子は、自分の席に座ったまま赤面して、チラチラと加奈子の方を眺めていた。
そいつらを全員、ぶん殴りたくなった。
でも自分はそいつらとおんなじところにいると思うと動けなかった。
同じであることが、ただただ悔しかった。
卒業して加奈子とバラバラになってからも、ずっと悔しさは頭の隅に残っていたように思う。
何度も何度も繰り返した後悔が、僕の口をこじ開けた。
「何やっているんだ?」
僕の怒りのこもった声に、周囲がびくんと震えるのがわかった。その怒りは、あの時教室にいた自分にも向けられたものでもある。
二年生の教室ではあるが、『堂々と』を意識して教室に踏み入る。こういうのは一年生らしからぬ威厳が大切なのだ。
クラスの雑草君たちの視線が自分に向いているが、あまり気にはならない。本当に気になっている人は、目の前で倒されている。
「……そうた君」
「久しぶりです、先輩」
息を切らしているさち先輩と目が合う。三ヶ月ぶりに出会ったら最初に自分が何を言うのかと思っていたが、出てきたのは案外平凡な言葉だった。
「あんた、誰?」
さっきまで先輩をボッコボコに殴っていた女子達のボスらしき女が、そういって鋭い目線を送ってくる。ロングヘアーのポニーテール。見た目的にはさち先輩にも引けを取らないが、性格悪そうな分は大幅なマイナスポイントだ。
「……三年の桜木だ。君たち、こんなところで何をしているのかね?」
少々無理をする。
「嘘つけっ、一年だろ!」
が、バレる。
「悪いけど、君に付き合っている余裕はないの。後にしてくれるかな?」
テクテクと歩いてきて声をかけてきたのは中心にいた集団の一人の、背の高い頬にそばかすのついた女だ。年下向けの優しい声だが、扇情的な煽り文句にしか聞こえない。
嫌いなタイプだな、と見た瞬間に思う。
「いま、そこで明らかにさち先輩が殴られてましたよね?」
「君には関係あるのかな?」
「まあ、ないですけどね」
取り巻き女子の何人かを無視して、さち先輩と女子集団の間まで歩いていく。誰かさんを庇っているような立ち位置だ。このポジションまでくると、もう引き返すことはできない。
周囲の視線が一気に自分に集まる。
今更のように心臓がバクバクと波打ち始め、脇から汗が吹き出た。自分より年上の先輩の視線を集めるというのは、こうも圧迫感のつよいものなのだと知る。
「なんできたのよ!」
さち先輩がこういう場面ではお決まりのセリフを叫ぶ。あまりにもお決まりすぎてつまらなかったので、「ちょっと黙っててください」とだけ言って前に向き直る。
視線のやり場に困ったのでとりあえず、ボスと目を合わせた。動物園の猿山でボス猿を倒せば全員を倒したことになる仕組みと同じだ。
背はぴんと伸ばし、できるだけ平然と、動揺を悟られないように。
「先生にでも言いつけんの?」
ボス猿が言った。
「まさか、そんなつまらないことはしませんよ。ただ、僕にも何が起こったのか、教えてくれないですか?」
「ねえ、寺内、こいつさっき言ってたあんたの彼氏?」
あっさりと無視されて、少しイラッとする。どうやら、後輩だからといって舐め切られているようである。
「んなわけないでしょ、部外者よ、部外者」
先輩はつっけんどんに言い返す。喧嘩のことを随分と根に持っているような口調だ。
「あっそ、じゃあやっぱ関係ないわね。はい、出て行って」
そう言ってボス猿は右手のドアを指差す。
あれ、おしまい?
「いやいや、先輩! ちょっと待ってください、部外者って何なんですか? 助けに来たんですよ!」
「はあ? なに勝手に入ってきて出しゃばってんのよ! 言ったよね、君に相談したのが間違いだったって!」
「うっ……!」
かっこつけて助けに来たのに、助けられる相手に拒絶される。よくよく考えると、これは随分と恥ずかしい状況だ。
僕を嘲る内容のひそひそ声が、周囲から聞こえてくる。
「……へえ、そういうことだったんだ」
しかし、なぜか、ボス猿は納得したようにニヤリと笑みを浮かべた。
この会話を夫婦漫才とでも思ってくれたのだろうか。軽蔑した表情を向けてくる。
僕にではなく、先輩に。
「へえ、このインキャっぽいのがねえ。でも、あんたにはお似合いなんじゃない?」
ボス猿はどうやら、僕を先輩の彼氏とでも思ったらしい。
何はともあれ、部外者と思われるよりはこの場にいたたまれる雰囲気になったことに安心する。話をするにしても、相手が話を聞いてくれないんじゃ始まらない。
先輩が恐ろしい顔で僕を睨む視線を背中で感じるが、まあ、これに関しては後で、ゆっくり話せばいい。全ては、この場を乗り切ってからだ。
「あの、それで、あなたたちはさち先輩に何をしたんですか?」
会話を前に進める。
「何、あんた、まだ正義面してんの?」
声をあげたのは、やけに化粧が濃くて面長の背の低い女だ。ギャル、という言葉がよく似合う。
周囲の刺々しい非難の眼差しは、どうやら彼女ではなく僕に向けられているようだった。「何あのかっこつけた態度」「自分が正しいって思い込んじゃってるんだろ」などという、ギャルの言葉に賛同した声が思わせぶりに聞こえる。
こういう状況では、大抵いじめっ子の方に非難が集まるものだと思っていたので、少し意外に感じる。
「あんた、勘違いしているみたいから教えてあげるけど、先に手を出したのは、寺内なのよ」
そばかすの女がずいっと首を出す。
さっきから、喋り方が馬鹿にしているようにしか聞こえない。
「先輩、本当なんですか?」
さち先輩はそれには答えず、悔しそうな表情をする。
「楽しくお話ししていたら、そいつが勝手にキレて、殴ってきただけ。野蛮人って、本当に喧嘩っ早いからやだ」
それを言ったのは、ボス猿だ。
至極もっともな発言なので、黙ってうなずくしかない。
よく見ると、さっきまで先輩を殴っていた女子の大部分に傷がついていた。おおかた、いじめグループのだれかが最初にさち先輩を煽って、それにキレた先輩が手を出し、殴り返されたと言ったところだろう。それにしても、一人で五、六人を相手にしてこれだけの傷を負わせるとは、本当に頼もしい先輩である。
しかしな、と僕は体育館倉庫でうずくまる先輩を思い出す。
そんな先輩だって、泣く時は泣くのだ。
あんなに彼女を弱らせて、悲しい表情をさせたやつがいるのだ。
大勢で平気な顔をして先輩をフルボッコにしたやつと、それを興味津々な顔で見ている傍観者どもがいるのだ。
舐めたことしてくれんじゃねえか、と思う。
加奈子を見捨てたとき、自分に対して湧いてきた種類の軽蔑が、今更のように蘇った。
僕は、加奈子のことが好きだった。
友達としてでなく、女子として。
正直、今は正義感などどうでもいい。本当に軽蔑するのは、自分が守りたいものを守れなかった、自分に対してだ。
「……まあでも、だからといって、さち先輩をボッコボコにする理由としては、足りない気がしますよね。僕が見た限りでは先輩達は大した怪我してないみたいですけど、さち先輩は相当痛がって倒れ込んでます。過剰防衛、ってやつじゃないんですか?」
「六人分の怪我足したら、そんなもんでしょ」
論破しようと試みるが、すぐにボス猿が反論する。
「ねえ、そろそろ、終わりにしてくれないかな、ボク」
ため息まじりに前に出たのは、さっきのそばかすの先輩だ。
「君が、悲劇のヒロインを救うヒーローに憧れているのはわかった。でもね、君の憧れているようなロマンチックな場面なんて、そうそうあるものじゃないの。君の大好きな先輩は、ちょっとだけ思い込みが激しいところがあるから、理不尽にいじめられてるって勘違いしちゃったのかな。でも、本当は、自業自得なんだよ」
そばかすは、噛んで含めるように、そう言って聞かせた。どうやら、心の底からそう信じているようで、後輩を馬鹿にしている口ぶりではなかった。
「仲間を裏切ったから、裏切られているだけ。殴ったから、殴り返されているだけなの。君はそこで倒れてる先輩と仲いいみたいだから、彼女の都合のいいように解釈した話を聞かされたのかもしれないね。でも、君も高校生なんだから、ちゃんと正しく状況を判断しないとダメだよ」
そう言ってそばかす女は僕にだけ見えるくらいにニヤリと笑った。
彼女が言っていることも、半分くらいは正しいのかもしれない。先輩が思い込みが激しいことも、もちろん折込済みだ。
ただ、彼女を仲間と言うには、この状況はあまりにも殺伐としすぎている気がするが。
「……ヒーローですか。それは僕の嫌いな類の人間ですね。自分を正義と信じて疑わないから、自分に反抗するものは全部悪に見えるし、自分の悪い部分を全部無視しようとする。まるで、そこで寝ている先輩みたいだ!」
倒れている先輩を指差し、不敵に笑って見せる。意識したのは、いつも先輩が僕に向けていたのと同じ笑みだ。
「はあ? あんた何言ってんのよ!」
倒れているさち先輩が怒鳴る。
「私のどこが間違っているっていうの? 私はただ、友達を助けようとしただけ!」
どうやら倉庫での喧嘩を蒸し返しているらしい。
「そういうところが自己満足って言っているんです。まだわからないんですか? その友達を一人助けようとして、先輩は何人傷つけたんです?」
「……っ!」
さち先輩は悔しそうに唇をかむ。
友達を傷つけたというのは出まかせだったが、その様子ではだいぶなりふり構わず自分の正義を執行していたらしい。そばかす女が仲間を裏切ったと言ったのも、事情を知ればあながち嘘ではないのかもしれない。
「……先輩が傷つけた人は、僕が知っている限りでも、少なくとも三人います。その先輩の友達は、自分のせいでさち先輩が傷つけられていると知って、恐らく先輩より傷ついているでしょうね。もちろん先輩も傷ついています。そして、僕です。先輩がこういう状況であることに、僕は心底、傷ついています!」
僕の話を、先輩は黙って悔しそうに聞いている。
「他にも、さち先輩はモテモテだったそうですから、先輩のことが好きだった人だって、きっと今の状況を見たら傷つくでしょうね。まあもっとも、昔好きだった女の子を庇う程度の勇気がある人さえ、この中にはいないみたいですけど」
チラチラと周囲を見渡すと、何人かと目があい、その度慌てて視線をそらされる。
どれだけさち先輩の性格が歪んでいようと、この容姿であれば、ある程度男から興味を持たれることに間違いはないのだ。
今のセリフでこのクラスの大部分の男子の心が傷んでくれたことを願う。
「つまり、僕が言いたいことはですね。先輩がそこで寝そべっているのは、全部自業自得ということです! そして、僕も自己責任でこの場に立っているということなんです!」
自分でもほとんど自暴自棄に近い演説だったが、それなりに説得力のある感じにはできた。こういう場面では喋る内容よりか、堂々としていることの方が大切なのである。
幸いにも罵声を上げて言葉を止める奴はいなかった。
もともと女の子が殴られていても止めに行く勇気もないチキンの集まりだから、誰も演説を止めないことは最初から予想できた。
「そしてこれは僕自身の主観ですが、たとえさち先輩が、その前どれだけひどいことをしたとしても、あなたたちがしたことを僕は許せない!」
そう言ってピンとリンチ集団を指差す。
一人二人だが、そうだそうだと首を縦に振っている生徒を横目に捉える。
「何かっこつけてんの? ばかじゃない!」
そう叫んだのは、さっきまで黙っていたボス猿である。縄張りを荒らされて怒っている様子だが、ちょっと声が震え気味である。
よく知りもしない後輩が、いきなりやって来てこんなふうに喋り始めたら、僕だって引くだろう。
「あいつが間違ってるってわかってんなら、何できたの!」
ボスざるは、甲高い声で叫ぶ。
焦っているのがその声質からもわかる。もともとお山の大将的にいばってたところがあるから、崩れれば案外弱い人なのかもしれない。
気づけば、体が熱を持っていた。自分が、ここに入ってきた時より、ずっと落ち着いて冷静に物事を見ている自分に気づく。
先輩達も自分と同じ子供なんだと気付いてからは、グッと喋りやすかった。
「私と寺内、やってることあんま変わらないでしょ。なんであんた、私にだけ当たってんの?」
ボスざるの言葉に、すうっと、大きく息を吸い込む。
「あんたよりも、さち先輩の方が可愛いと思ったからだ!」
声が教室に響き、しんと静まり返った。
先輩の方に視線をやると、何言ってんだこいつ、という表情を向けられる。
自分でも何言ってるのかわからなかったので、とりあえず先輩からは目を逸らす。
「先輩を殴っているあんたら六人を全部合計したのより、殴られている先輩一人の方がずっと可愛かったからだ! もし先輩があなた達よりもブスだったら、こんな教室入って助けるわけないじゃないですか!」
「は? キモすぎるんだけど。まじで、死んでくれない?」
「キモくて何がいけないんですか? 要するに僕は、所詮下半身で動いているんです。そして、僕の下半身は、先輩が大好きです!」
一気にまくしたて、耳がキンとなる。
一瞬の静寂の後、何人かの女子が「うわ、最低」「何あれ、変態じゃん」とヒソヒソ話だすが気にしない。正確には気になるが、今更辞めるわけにもいかない。
自分が嫌われるのは許容範囲のうちだ。
重要なのは男子だ。この場をうまく収めるために、そして先輩を救い出すために、これしか方法が思いつかなかった。
男子ども頑張ってくれよ、と心の中で願い、叫ぶ。
「————さち先輩が、このクラスで一番可愛いと思う人、素直に、挙手!」
ピンと右手を天井に掲げる。
ピリッとした空気が流れ、教室が静まり返る。
誰か、頼む。
ここまでお膳立てして誰も手をあげてくれなければ、今までの演説も告白も全部無駄になる。
先輩を見ると、不安そうな目で僕を見上げている。
僕も不安になって、慌てて、僕は目を背ける。
このまま終わったら、先輩になんて言い訳すればいいのだろう。
ごめん、先輩のこと守れなかった。
きっとそれじゃ済まない。
先輩は許しても、僕自身が許せない。
十秒。
誰も、手をあげない。
だんだん教室がガヤガヤとしてくる。
駄目かもしれない。
そう思った時、その声は響いた。
「はい!」
ガヤガヤが止まり、視線が一気に声の主へと集まる。
それは、扉の前に立っていた、栗色の髪をした背の低い少年だった。ピンと右手を高くあげている。
まる眼鏡をかけ、髪はボサボサ、でも、その声ははっきりと教室に響いていた。
「僕も、寺内さんがこのクラスで一番可愛いと思う!」
小さいが、よく通る声で、少年はそう言った。
僕と目が合うと、少年は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
自分の目頭が、熱くなっていることに気がつく。
「でしゃばるな、キモヲタ」
誰かが叫んだ。
でもその声をかき消すように、次の声が響いた。
「俺も!」
背の高い、真面目そうな男だった。叫んでから、遠慮気味に手をあげる。
「寺内のこと、クラスで一番、可愛いと思う。って言うか、好きだ! 付き合ってください!」
真面目そうな男は、そう言って頭を下げる。告白する声は、今度は遠慮がちじゃなかった。
「えっ?」
さち先輩が驚いたように顔を上げる。
「ごめん、むり」
キッパリと、真顔で断る。
真面目そうな男は肩を鎮めた。しかし、声は鳴り止まなかった。
「僕も、寺内さんのこと好きです!」
「あ、僕は、他に好きな人いるんですけど、寺内さんが一番可愛いと思っています!」
最初はパラパラと、しかし、だんだんその声は勢いを増していった。
「あの、守れなくてごめんなさい、僕も好きです。付き合ってください!」
「えっと、私、女子なんですけど、寺内さんが一番可愛いと思います!」
次から次へと芋づる式に声が上がっていく。
あまりの爆発力に、さち先輩は途中から挙動不審で、返事が間に合っていない。
途中から、趣旨が変わっていた気もするが、さち先輩復興の目的とはあまり関係ないので気にしない。先輩の人気は凄まじく、鬼気迫るものがあった。
その人気を邪魔する罵声も、すぐに響かなくなった。
最初は、多くても四、五人くらいだろうと踏んでいたのに、結果的に女子を含め半分以上が告白をしている。
その流れで、僕はこそこそとクラスの中心から身を潜め、端っこまで移動した。目立つのは疲れた。
思わずしゃがみ込む。
「よかった……」
自然と声が漏れる。
ここまでくると、僕も楽しくなってくる。
居心地悪そうにしているボス猿にあっかんべーをしてやると、悔しそうに舌打ちして、目に涙を浮かべて教室を出て行った。
悪いことをしたような気もするが、もともとみんながハッピーエンドなど夢物語を目指していたわけではない。
クラスの人気者をいじめていた奴というレッテルを、きちんと背中に貼ってもらって、あとどうするかはさち先輩次第だ。さち先輩が逆にいじめ返そうとも、許そうとも、僕は知ったことではない。
先輩なら笑って許すように思えるが、いじめられていた時の悔しさを僕が図ることなどできないのだ。
ちょいちょい、と背中を突かれる。
振り返るとさっきの背の低い栗色の髪の少年がいた。
「あ、どうも」
軽く、頭を下げる。
本当に、この少年がいなかったらどうなっていたかわからない。姿勢を正しきちんとお礼をすると、ふふふっ、と少年は照れて笑った。
下手すると女の子だと思ってしまうくらい可愛らしい笑顔だ。めがねと長い前髪のせいで分からなかったが、よく見ると綺麗な顔立ちをしている。
「雨宮君、カッコ良かったよ」
「いえいえ、そんなことはないです」
遠慮して首を横にふるのを、少年に止められた。
「保証するよ。君は、本当にカッコ良かった。僕は君が現れるまで、三浦さん達のことが怖くて一歩も動く勇気がなかったんだから」
「三浦さん?」
「君が泣かせた女の子だよ」
「ああ」
ボス猿の名前は三浦さんというらしい。確かに可愛い女の子だったが、さち先輩ほどの魅力は持ち合わせていなかった。
たったそれだけのことなのに不憫なものだ。
「でも君は、怖がらず彼女に立ち向かっていった。それをみて、僕、感動しちゃったよ。この学校にこんなにすごい人がいるんだなあって思ったら、鳥肌が止まらなかった」
「それは、大袈裟ですよ。僕なんて、怒りに任せて怒鳴っていただけです」
「えーっ、そんなことないと思うけどなあ」
少年はキラキラした目でこちらをみている。
正直、どこにそんなに目を輝かせる要素があったのかは分からない。三浦さんを黙らせたのだって、結局下半身の話だ。
「でもさち先輩、楽しそうでよかった」
そう言って反ベソで笑っているさち先輩に目を向けると、少年が我が子を見守る親のような温かい目をむけてきた。
「本当に、寺内さんと君は、お互いのことが大切なんだね」
少年の言葉に、僕は怪訝な目を向ける。
「先輩、ちゃんと見てました? 僕はともかく、さち先輩は僕のことかなり軽蔑していると思いますよ」
「いやいや、それは違うよ」
少年は真顔で首を横にふる。
「雨宮君は、寺内さんがなんで三浦さんと喧嘩になったのか知ってる?」
「どういうことですか?」
そういえば、三浦さんは楽しいお話の後に喧嘩になったと言っていた。
どうせさち先輩が馬鹿にされたんだろうと思って、内容は詳しく聞かなかったことを思い出す。先輩のことを、後先考えずに突っ走る子供みたいにしか考えなかったからだ。
「寺内さんはね、君のことをばかにされたから、怒ったんだよ。昼休みさちさんが、後輩と一緒にご飯食べてたことを三浦さんが知って、その後輩を寺内さんの前でからかった。ちょっと君にはいえないような、ひどいことも結構言ってた。だから、寺内さんは怒ったんだ。その時はよくわからなかったけど、さっきやっと、それが君のことだってわかったよ」
少年の話を聞き終わった時、ストンと胸の中の何かがおちだ。
そういうことか。
さっきの会話での違和感が、やっと繋がる。
三浦さんは、僕の存在を知っていても、顔や名前までは知らなかった。さち先輩と僕が喧嘩しているのをみて、やっと僕がその後輩であることを把握したのだ。
だとしたら、と急に焦りがこみ上げてくる。
僕は先輩にひどいことを言ってしまったかもしれない。
「どうしたの? そんな青白い顔して」
心配そうに、少年が顔を覗き込む。
「ごめん先輩、ちょっとさち先輩に用事ができた」
「青春だね」
「それはどうも」
先輩はもう教室を出て行ってしまっていたので、僕も慌てて教室を飛び出す。
「あ、みっけたぞ、雨宮!」
教室を出たところで、ちょうど歩いてきた担任に捕まる。そう言えば追試をサボってきたのを思い出す。
「あの、先生、急いでるんであとにしてもらってもいいですか?」
「駄目だ。先生も暇じゃないんだから、今日のうちに追試やっちゃいたいんだよ」
「僕の青春がかかってるんです!」
「嘘つけ」
一も二もなく腕を掴まれて連行される。もちろん、抵抗する術はない。
結局、追試が終わったのは五時過ぎだった。テストは集中できなかったが、ただ覚えたことを書くだけの科目だったのでまだ良かった。数学とかだったら死んでたな、と一人苦笑いする。
一通り先生のお説教を聞き流してから外に出ると、もうほとんどの生徒が帰っているようだった。
運動系の部活もほとんど終わっていたから、渡り廊下はシンとしている。さっきまで何やかんや盛り上がっていたのが夢だったんじゃないかと、そんなふうにすら思えてくる。
「やっと終わったんだ」
玄関で靴を履き替えていると横から声をかけられる。
「あっ、先輩。待っててくれたんですか?」
僕を見ると、さち先輩ははにかんで笑った。額に大きめの絆創膏を貼っていた。
「当たり前でしょ」
「意外と優しかったんですね」
「普通だよ、普通。誰だって待ってるから、こんなの」
手をブンブン横にふりながら、それでも先輩は嬉しそうである。先輩が右手の指にグルグルに包帯を巻いていることに気づく。
「その怪我、大丈夫ですか?」
「ああ、心配しないで、ちょっとした捻挫だから。骨も折れてないみたいだし、保健室でちょっと休んだら治ったし」
ちょっと休んで治る捻挫などないような気もするが、先輩が気にしないでというなら追求しない。
先輩は途中まで一緒に帰ってあげると言ってきたので、お言葉に甘えて一緒に帰ってあげられることにする。
学校一の美人の先輩と下校など、クラスメートが知ったらよだれを垂らして妬まれるシチュエーションだ。もちろん、僕自身も満更ではない。
歩きながら、会話はなかった。
気のせいか、先輩はいつもよりもおしとやかだ。
「あのさ、そうた君」
しばらくすると、先輩が遠慮がちにそう切り出した。
「……ごめんね、あんなこと言って」
明るくしたつもりなのだろうが、よほど謝ることに慣れていないのか語尾が少し震えた。
あんなこと、というのは体育館倉庫で先輩が怒鳴った内容のことだろう。
「君が臆病者だなんて、私、全く思ってないよ。いじめられている人がいるからって、自分まで一緒に犠牲になろうとするのって、やっぱり馬鹿だと思うし」
「先輩は、馬鹿じゃないですよ」
「違うの」
庇われるのを嫌がるように、先輩は首を横にふった。
「ただ、あの時、私は、何で自分だけなんだろうって思ったの。何で自分は勇気出して犠牲になったのに、いじめはそのまま続いて、勇気を出さない人がのうのうと暮らしてるんだろうって。ほんとに、嫌になった。理不尽だと思ったから、君にもあたっちゃった……だから、ごめん」
そう言って、先輩は頭を下げる。
肩からカバンがだらんと垂れ下がって、先輩の頭が僕の胸に当たった。
頭がプルプルと、小刻みに震えていた。
「……わかりました、許します。……あの、僕も、ごめんなさいっていいたいんですけど、頭上げてもらっていいですか?」
先輩が頭を上げると、少しだけ目が潤んでいた。
一つ呼吸を置いて、話始める。
「……僕は、先輩が真剣なこと知りませんでした。何も考えず正義ぶっているだけだって思って、だからつい、ひどいこと言っちゃっいました。ごめんなさい」
「うん、いいよ」
頭を下げる前に、あっさりと先輩が許す。
でも、本当に謝りたいのはこの先のことだ。
「先輩、僕のこと庇って喧嘩してくれたんですよね」
「……それ、どこで聞いたの?」
「先輩のクラスの人から」
「……そっか。うん、そうだね。でも、庇ったっていうより、君が馬鹿にされることが悔しかった」
少し照れて視線をずらしながら、でも本当に悔しそうに先輩が言う。
先輩が、僕のことで怒ってくれたことが、心底嬉しかった。
先輩を子供扱いし、無意識のうちにばかにしていた自分の薄情さに、歯軋りする。
「……それなのに、僕、先輩はどうせ自分のことしか考えられない人間だって、思ってました。後先考えないで行動する、ばかな人だと思ってました。だから、僕が守ってあげないと駄目なんだとか、偉そうなこと考えてました。……本当に、ごめんなさい」
頭を下げる。
先輩に嫌われたくない。自分が先輩のことが好きなんだと、今更のように気づく。
何でこのタイミングなのかは、自分にもわからなかった。
ぽんぽんと頭を上から先輩に撫でられる。
「うん、わかった、君を許すよ……あと、お礼言わせて。ありがとう、助けてくれて」
先輩の手が、髪と髪の間をすり抜けて、気持ちよかった。
そうしているうちに、目頭が、だんだん熱を帯びてくる。
「あの、そろそろ顔を上げてくれると嬉しいなあ。……胸に、当たってるし……ちょっと、そうた君? ……えっ、何、泣いてんの?」
無理やり顔を挙げさせられ、先輩と目が合う。ポロポロと、涙が頬を伝っていく。
「どうしたの、急に」
「何なんでしょう」
「こっちのセリフよ」
自分がなんで泣いているのか、全くわからなかった。
緊張の糸が緩んだからなのか、先輩に許してもらえて安心したからなのか。堰を切ったように流れ出した涙が、ポタポタ地面にこぼれ落ちる。
先輩に慌てて差し出されたハンカチで、遠慮なく涙を拭う。鼻水も、ちょっと出た。
「ほら、しばらくここ、座ろ」
先輩は坂になっている草はらに、僕を無理やり腰掛けさせた。
目の前で泣き出すとか、ずいぶんとみっともないことをしてしまったとは思いながらも、先輩の言葉に甘えさせてもらう。
体一つ分ぐらい左上に、先輩も腰を下ろした。体育館倉庫じゃなくてもそう言う立ち位置になるんだと、僕は苦笑いする。
夕陽の差し込む草はらに二人っきりとか、ずいぶんロマンティックな場面だなあ、と人ごとのように考える。
ちょうどいい冷たさの風が、シャツの間をくぐり抜けた。
「……突然泣くからびっくりしたよ。そんなに私に許されたことが嬉しかったの?」
しばらくして落ち着いてくると、先輩がニヤニヤ顔でこずいてきた。
「そうなんですかねえ。先輩には、嫌われたと思ってたんで」
ちょっと意地悪に返答してみる。嫌われていると感じていた時の三ヶ月の絶望感と言ったら、もう笑い事じゃないのだ。
「馬鹿ねえ。嫌いなるわけないでしょ」
「そう言ってもらえると、安心します」
正直に白状すると、先輩は照れたように笑った。
なんだか、今日の先輩はやけにおしとやかだなと不審に思う。普段なら、ここへきて皮肉の一つや二つを入れてきてもおかしくないはずなのだ。
でも今日の先輩は、なんと言うか、常識人じみている。案外、こっちが素の先輩なのかもな、と僕は先輩を見上げた。
「……私の前にいじめられていた子さ、かなりひ弱な奴だったのよ」
黙って先輩の綺麗な横顔を鑑賞していると、先輩がポツリポツリと語り出した。
「男の子だったんだけど、あんたより、ずっと細かった。体育の時もしょっちゅうさぼってるような奴で、でも、私の親友だった。控えめな性格だけど、優しい奴だったから」
「真っ先にいじめっ子に目つけられそうな奴ですね」
そういうと先輩はおかしそうに笑った。
「そう、そうなのよ。そして、案の定、そいつは三浦さん達に目をつけられてしまった。最初の頃はまだからかってるだけで、そいつも仕方ないなあって笑ってられたんだけど、途中からそれはないだろってことをされ始めてね。ギリギリまで耐えたんだけど、その子が牛乳パックの中身をぶっかけられた時、我慢できなくなっちゃった」
その場面は、簡単に思い浮かべることができた。先輩の怒り狂った表情までありありと浮かんでくる。
「それで、三浦さんや、他のそれを見て笑ってる子達までぶん殴って、何人かに、結構ひどい怪我を負わせちゃった……親まで呼び出されて結構な問題になったんだよ。私は、二週間くらい停学になって、でも、戻ってきたらその子は転校してた」
僕は、黙ってその話を聞いていた。なんで今、この話を先輩が話しているのか、なんとなくわかる気がした。
「と、私があそこに至るまでには、そういう顛末があったのでした」
暗い雰囲気をかき消すように、先輩は明るい声を出す。
あまり無理しているようには見えない。
「……そいつとは、連絡、とってるんですか?」
「いや、さっぱり。もしかしたら、私に申し訳なくて合わせる顔がないのかもしれないね」
先輩は笑い流した。
なぜか、僕は、加奈子のことを考えていた。例えば街中なんかでばったり加奈子と出会うことがあったなら、僕はなんと声をかけるのだろうか。
無視して通り過ぎるような気もするし、頑張って呼び止めるような気もする。もし呼び止めたら、加奈子はどんな顔をするのだろう。それを想像すると、少し怖かった。
「先輩から、連絡とろうとは思わないんですか?」
「そうだね、久しぶりに連絡ぐらいしてみようかねえ」
先輩は遠い目をしてすっかり赤く染まった空を見上げる。
遠くの方にいる、その親友のことを思い浮かべているのかもしれない。
「……あのさ、そうた君」
しばらくして、先輩の視点が空から戻ってくる。
「はい、なんでしょう」
「別に、答えたくなかったらいいんだけど……私と私以外の全人類で、選ぶとしたらどっち?」
「……急に何言ってるんですか?」
親友との思い出にふけってからのこの話題は、落差がありすぎてついていけない。いや、たとえ落差がなかったとしても、そうとう頭のおかしい質問である。
「だって、そうた君……その、私のこと可愛いって言ってたじゃない?」
「そうですね。可愛いですね、僕の知りうる限りでは一番」
「だったら言ってる意味わかるでしょ」
「……上目遣いされても、わからないものはわからないですよ。正確に言うと意味は理解しています。しかし何と言うんですかね、常識がついていかないんです!」
「いいから、早く答えなさいよ」
「答えなくていいんじゃなかったんですか?」
「そんな権利君にあるわけないでしょ、バカ」
「……」
反論するのも面倒なので、とりあえずスターウォーズの世界観を諸々当てはめて考えてみる。
しかし、当てはめるまでもなく答えは決まっていた。
「……まあ、私以外の全人類ですかね」
極めて常識的な返答をしたつもりだったが、先輩はあからさまにいじけた様子で頬を膨らませる。
「あ、そう。……へえ、全人類か……はあ」
「何と自分を比べて落ち込んでるんですか……まあでも、そうですねえ。全人類の五分の一くらいだったら、わからないですけど」
「え、五分の一!?」
「少なかったですか?」
「……いや、えっと……うん、でもそうね。私の魅力から言っても、そのくらいが妥当じゃないかしら」
ふふんと鼻を鳴らしてチラチラと上目遣いをむけてくる先輩の相変わらずのちょろさに、僕はため息をつく。
「言っときますけど、人類の五分の一を舐めないでくださいよ。先輩一人と同じとか、普通ならありえないくらいの破格の値段ですからね」
「値段て……今、約十四億人の命をお金ではかったでしょ! 人としてどうなのそれ!」
七十億を五で割ると十四億になるという、頭のおかしい高校生には少し難しい計算を先輩は一瞬でこなす。そういうところは、やっぱり、ちゃんとした人なのかもしれない。
「ふふふ、甘いですよ先輩。世の中の最外殻を統べる僕に人としての道徳を期待しても無駄です。人の命なんて金ですぜ、金、ふひひひひ」
「キャラ変わってない?」
「……ノリ悪いですね。せっかく異世界転生ものに出てきそうな役人第一位を演じてみたというのに」
「あら、それは気づかなかったわ」
落ち込む僕の背中を、まあドンマイ、とでも言いたげに先輩がぶっ叩く。背中に衝撃的な衝撃を受け悶絶して僕はその場にうずくまる。
「…………っ!」
おそらく、先輩は加減という言葉の『加』の方しか勉強していない。
「あ、ごめんごめん、加減間違えた」
ぺろっと舌を出して先輩は自分の頭を叩く仕草をする。かわいい。
「……どうやら言葉自体は知ってたようですね。でも殺す」
「殺すって言葉も知ってるよ」
「ほう、それにしては随分と涼しい顔をしていらっしゃる」
「だってねえ。そうた君、私を殺せそうにないもの」
余裕しゃくしゃくの表情で先輩はニヤリと笑って見せる。先輩の風格というのだろうか、それにしてもセリフがシビアすぎると思うのだが。
「……あのですねえ、先輩。仮にも僕は男子ですよ。幾ら先輩が運動部だからって、喧嘩では負けません」
筋肉もりもりポーズをしてみるが、僕の上腕二頭筋はあまり目立ちたがり屋ではないようだ。おっぱいの表現を筋肉でも使っていいのなら、まな板というやつだ。
「強そうね」
「先輩、バカにしてますね?」
「君がバカにされるような体してるんでしょ。……まあ、でも、言いたいのは、そういうことじゃなくてさ」
ふふっと笑う先輩の横顔は、夕陽が当たっているせいかなんだかいつもより妖艶に見えた。
「君は、絶対に、人を傷つけるようなことはできないってこと」
ほっそりとした綺麗な白い脚が、スカートの下から覗いている。頬に微かに紅が差しているように見える。
「私だって、そうた君が性格が曲がってるのは知ってるよ。最初はただの根暗っていう認識しかなかった。でも、こうやって一緒に話していて、うまく言えないけど、そういうのとは違うなって思うようになったの。平気で人を傷つけるような人に、君はどうしても見えないんだよ」
自分が言ったことを確かめるように先輩はうんうんと一人でうなずいた。
しかし、何がうんうんなのか全くわからなかったので首を傾げるほかない。
「あの、僕、ついさっき三浦さんを泣かせてきたばかりなんですけど」
「えっ? ああ、えっと……あいつは人じゃないからセーフ!」
「おい、そこのサディスト」
「ま、まあ、冗談はさておいておくとしてね……」
冗談でクラスメイトを人じゃないことにした件については、話が進まなくなりそうなのでスルーする。僕も猿扱いしていたので、同罪だ。
先輩は、そこで一呼吸を置く。
続いて、どんと胸をはった。
「要するに、言いたいことはね、私は君が好きってことなんだよ」
「……」
先輩のショートカットの前髪ががひらひらと風に揺れ、沈んできた夕陽が、土手に座った二人の長い影を伸ばしている。
遠くの方で、プウォーと汽笛が鳴った。
「……あの、先輩」
「何かな?」
「loveの方ですか?」
「loveだねえ」
「……」
「……どうしたの?」
「いやね、なぜこの文脈で告白されたのかについて考えているんですよ」
「あら、おかしかったかしら」
「とても」
「そう」
先輩の表情はなぜか漫然としていて、頬を染めて恥いる様子は一切感じられない。何というか、もじもじして上目遣いにこちらを見てくるような期待していた告白と違う。
男子に告白をする女子の態度が、こうであっていいのだろうかと全国に疑問を投げかけたいレベルだ。
「私がそうた君のこと好きなのは、気付いてたんでしょ?」
「そりゃ、気づいていますけどもね」
「だったら、今更って話じゃない?」
「それも、そうなんですけどもね」
「ご不満かしら」
「不満ですね」
むうっ、という表情をして先輩は上目遣いで僕を睨む。
そんなかわいい表情で睨むことができるのなら、もうちょっとかわいい表情で告白をしてくれてもよかったのではないでしょうか。
「……私が好きだと、その、そうた君、迷惑なの?」
「なぜ答えが分かり切っているのに質問するんですか?」
「それもそっか」
「え、聞いてくれないんですか?」
「分かり切ってるからね」
仕返しだと言わんばかりに、先輩は僕にあっかんべーをする。なんだかんだ言って僕が先輩のことをどう思っているか質問してくるだろうと期待していたので、少し残念な気持ちになる。
唯一先輩の誤算があったとすれば、あっかんべーは僕にとってはご褒美だということだけである。
「でも、迷惑でも仕方ないんだからね。君には、私を惚れさせた責任があるんだから」
「……あの、こういう聞いてるだけで恥ずかしいツンデレは、僕がもたないんでやめてもらえませんか」
「あら、それはそれは……でも、ごめんなさいね。これからかなり恥ずかしいセリフを連呼することになると思うけど、私と一緒にせいぜい死ね」
「無理心中!」
「じゃあ手始めに、私が君のどこに惚れたのかを三つのエピソードを通じて紹介するわ」
ふふふ、と不敵に笑う先輩は、魔女的な妖艶な笑みを浮かべ、そろりそろりと僕に近づいてくる。
「いやだ、まだ死にたくない!」
「……はーい、つっかまえた」
低くおぞましい声で先輩は僕の肩の後ろに手を回し、かっちりとホールドする。
先輩の黒くて透き通るような瞳とシャンプーの甘い香りに当てられて、僕は硬直する。
そのまま、先輩は僕の頬に自分の唇を押し当てた。
直後、僕は死んだ。