竣工
1914年に勃発した第一次世界大戦。
この世界大戦では多くの新兵器が投入された。
飛行船や飛行機もその一つだ。第一次世界大戦を経て、この新しい兵器が、制空、偵察、爆撃、雷撃、弾着観測など様々な任務に投入できる極めて有効なものであることが判明した。
第一次世界大戦では、主に英独仏露──ヨーロッパで、しかも大半がユーラシア大陸の国──による地上での戦いが中心だったが、海上における艦隊同士の戦いでも充分役に立つであろうことは想像に難くなかった。
その結果、有力な海軍を持つ日米英は、それぞれ、飛行機を搭載し艦隊に随伴して作戦行動を行う浮かぶ航空基地──航空母艦という新しいフネをこぞって建造し始めた。
空母の歴史のはじまりである。
さて、ここからは我が国、日本における空母建造の歴史を辿ってみよう。
空母建造の歴史で絶対に外せないものがある。
それは1922年に締結されたワシントン海軍軍縮条約だ。この条約で、日米英仏伊の主要列強は、この未知の艦種に対し、「10,000トンを超え、27,000トンを超えないものとする」という単艦基準排水量を定め、それぞれ割り当てられた合計基準排水量までのみに限って空母を保有することを定めた。ただし、戦艦や巡洋戦艦からの改装艦に関しては、単艦基準排水量の上限33,000トン以内で2隻を建造することが例外として認められた。
日本は81,000トンを割り当てられたが、この81,000トンが一つの論争を引き起こすことになる。
すなわち、「基準排水量33,000トンの巡洋戦艦改装大型空母2隻と10,000トン程度の小型空母2隻を建造しよう」という【大型建造派】と「いやいや数を揃えて対抗した方がいいから10,000トン程度の小型空母を8隻揃えよう」とする【小型建造派】である。
【大型建造派】は主力艦の改装による資材流用・工期短縮や、単艦当たりの保有機数──この時の計画では巡洋戦艦改装の「赤城」で常用48機。同時期に検討されていた翔鶴(初代・10,000トン・24機)の2倍に当たる──等々でメリットを主張した。
一方【小型建造派】は単艦当たりの保有機数が少ないことを認めつつ、当時竣工していた「鳳翔」(常用15機)と建造計画7隻分(1隻当たり24機)合わせて183機の保有機数の多さ、多量建造による建造費用の節減、空母機動戦時の抗たん性──1隻が使えなくなってももう1隻で反撃できる──を主張。
最終的にこの論争は【大型建造派】【小型建造派】双方のいいとこ取りのような折衷案でまとめる。すなわち、33,000トン級巡洋戦艦改装空母1隻と、8,000トン〜10,000トン級小型空母4隻の新規建造である。
空母という新しい艦種に対して、日本海軍はまだ明確な方針を打ち出せずにいたのだ。
そして1935年までに日本海軍は巡洋戦艦改装空母「赤城」と小型空母「鳳翔」「祥鳳」「瑞鳳」「龍鳳」「白鳳」の計6隻が勢ぞろいした。
☆巡洋戦艦改装空母「赤城」
・1927年竣工
・基準排水量32,774トン
・常備排水量34,364トン
・全長/全幅:261.2/29.0メートル
・飛行甲板全長:249.2メートル
・速力31.0ノット
・搭載機60機(常用)
*1:当初は「天城」が改装予定だったが、関東大震災で工場が被災した為、「赤城」に変更された。
*2:左舷中央部に島型艦橋、右舷中央、下方に屈曲した大型煙突。全通式一段甲板。
☆8,000トン型小型空母「祥鳳」型
・基準排水量8,000トン
・常備排水量11,733トン
(後期型では13,100トン)
・全長/全幅:180.0/20.32メートル
・速力30.0ノット
・飛行甲板180.0メートル
・搭載機36機(常用)
・同型艦「瑞鳳」「龍鳳」「白鳳」
*1:「祥鳳」「瑞鳳」では竣工当初艦橋は飛行甲板の下にあった(のちに改装)。この為、「祥鳳」「瑞鳳」を前期型、最初から右舷前部に島型艦橋を設け、飛行甲板を拡張した「龍鳳」「白鳳」を後期型と分類することもある。また、荒天時の復元性が悪いことが指摘され、後にバルジの増設などの改装作業を受けている。
☆艦隊編制
・第一航空戦隊
空母「祥鳳」「瑞鳳」他駆逐艦2隻
・第二航空戦隊
空母「龍鳳」「白鳳」他駆逐艦2隻
・第三航空戦隊
空母「赤城」「鳳翔」他駆逐艦2隻