4.今の俺に出来ること
バスケットボールの試合はクオーター制だ。
1クオーターが10分。
クオーターごとにインターバル。
第4クオーターが終わった時点で得点の多いチームが勝つ。
シンプルで分かりやすい。
そして、この形式なのでインターバルが心理的節目になる。
試合の流れを変えるポイントにもなる。
「有村。第2クオーターの頭から行けるか。島田と交代だ」
だからコーチに呼ばれた時も。
「はい、行けます」
俺は半ば予期していた。
そろそろ来るなと思っていたから。
スコアボードを確認する。
修応が19点。海凛は16点。
僅かに劣勢といったところ。
「役割は分かっているな。お前のDFを起点にトランジションゲームを仕掛ける。積極的にスティールを狙っていい」
トランジションゲーム、つまりは展開の速い走り合いだ。
速攻で連続得点をあげれば、試合の主導権を握りやすい。
コーチの狙いは分かる。
「ハイリスクになりますがいいですか」
それでも一応確認しておく。
PGの俺が抜かれれば、チームDFはガタガタになる。
積極的にスチール−−ボールを奪うDFを仕掛けるのはギャンブル性が高い。
相手を止めて時間を稼ぐだけのディレイの方が堅実だ。
俺の質問の意図を汲んでか、コーチは深く頷いた。
「それも承知の上だ。公式戦ならともかく経大戦だからな。派手に狙え」
「そういうことなら喜んで」
「あとな。有村、お前がこの一年頑張ってきたのは知っている。シュートを諦めてDFに力を注いできたのも」
「あ、はい」
「悔いを残してバスケを辞めることだけはして欲しくない。今の全力振り絞ってこい」
「……ありがとうございます」
一瞬言葉に詰まった。
けれど悪い気分じゃない。
その時笛が鳴った。
立ち上がりコートに入る。
ベンチからとは風景が違うな、やっぱり。
「待たせたな」とだけエージに言った。
「コーチ、何か言ってた?」
「俺のDFでトランジションに持ち込めってさ」
「おー、責任重大」
「あと悔いは残すなって」
「そだね。俺たちこれが最後だし」
最後。
最後か。
言葉の意味はもちろん分かる。
けれどその重みや意義までは、まだ俺には分からない。
センターサークルの周囲につきながら、とりあえず思考は捨てる。
"まずは目前の試合に集中する"
そう決めた時、第二クオーターが始まった。
二度目のジャンプボールはエージが勝った。
俺にボールが回ってくる。
速攻……もう無理か。
落ち着いてゲームをコントロールする。
声を張り上げ、チームを鼓舞した。
「一本! 一本、ゆっくり!」
敵DFのマークはそこまで厳しくない。
ドリブルで抜かれることを警戒しているのだろう。
深く守っている。
これを抜くのは無理だ。
さっさと味方にパスした。
ボールが止まると、オフェンスは停滞してしまう。
"俺にはアウトサイドは無い"
だから影に徹することにした。
パスした方とは反対側へ。
自分のDFを引きずり回す。
他のDFとコースがかぶるように、わざと嫌な方向に走った。
こういう地味な動きがじわじわ効いてくるんだ。
個人成績には出ないけどチームには貢献出来る。
味方がフリーになる確率を引き上げる。
が、今回は上手く行かなかった。
こちらのシュートは外れた。
リングからこぼれたボールは、垣内がきっちり掴んだ。
リバウンドも上手いな、あいつ。
いや、だがここからが狙いどころ。
"相手の位置とボールの角度から"
垣内からのファーストパスを読み取る。
真横にいた修応のPGへのパス。
けれどパスが渡った時には、俺は既に詰めていた。
簡単には出させない。
スティール狙いの許可も貰っている。
観客の声が鼓膜を叩いた。
「寄せ速くね!?」
「前から当たるか、熱い!」
当たり前だ。
俺は俺に出来ることをする。
今の俺に出来ることをする。
泥臭くても地味でもいい。
シュートを諦めた代わりに、DFに力を入れてきた。
簡単に振り切らせなど許すかよ。
窒息しそうな間合いまで詰め、相手の焦りを誘う。
ここまで寄せればドリブルで抜けると思うだろう。
逆だ。
加速する隙さえ与えない。
フェイクしても体の重心から見抜く。
"ほら、時間が無いぞ"
ハーフラインを10秒以内に越えないと、オフェンス失敗と見なされる。
ボールの保有権はDF側となり、攻守が入れ替わるのだ。
俺が狙ったベストの結果まで、あと4秒、3秒、2、1……ちっ、パスされた!
「ああー、惜しいー」
「でもすげえDFだったな、今の」
「海凛、逆襲のきっかけになるかも」
観客達がどよめいている。
褒められているようだが、浸っている暇も無い。
選手とボールが動き続け、気を抜く暇が無い。
バスケットボールとはそういうスポーツだ。
修応がパスを回す。
俺は他の四人と連携し、隙を作らせない。
トータル24秒がシュートに持っていくまで許された時間だ。
俺一人で9秒削ったから、ハーフコートでの展開には15秒しか無い。
当然、修応はゆとりが無い。
苦し紛れのシュートは外れた。
お返しとばかり、エージがリバウンドを奪う。
「くれ」
パスを要求した。
やや出遅れたが、構わず速攻を狙う。
斜め右に開いたフォワードにパス。
すぐにリターンをもらった。
一人目のDFを視線だけのフェイクで振り切る。
体の軸が流れた時点で勝負ありだ。
フロア中央を突っ切り、相手のゴール下へと迫った。
だが、やはり簡単には行かせてくれない。
垣内がすでに戻っていた。
くそ、状況判断がいい。
おまけにでかい割に速い!
"諦めてハーフコートゲーム?"
いや、ダメだ。
ここで引いても状況は好転しない。
うちに流れを引き戻す。
ここは勝負だ。
右からと見せかけ、背中からボールを回して左手に−−ビハインドバックドリブル。
左手にボールが触れた瞬間、またもう一回ビハインドバックドリブル。
垣内は反応していない。
俺の技に体勢を崩していない。
だが、どちらから来るか迷ったはずだ。
その僅かな戸惑いに賭けた。
「いっけ!」
やや遠い間合いから踏み切った。
右手のレイアップ。
今の俺のシュートで一番使えそうな技。
だが、これくらいの高さでは垣内のブロックのいい的だ。
ぐっと伸ばした奴の左手が俺のボールへ。
"誰がまっすぐ撃つかって"
体を流しつつ、右手をゴールから遠ざける。
不自然なフォームになるのは承知の上だ。
どうせ不格好なシュートしか出来やしない。
何が何でも垣内のブロックから。
"あの日の光景から"
空中。
左肩を無理やりねじ込む。
その分だけ間合いを作った瞬間、右手を転じた。
ぽぅん、と放ったこのシュートはレイアップじゃない。
DFの指先を掠め、リムへと当たる。
くるりとリムを舐めた後、ボールはゆっくりとネットへ落ちた。
その時には俺はすでに着地していた。
急いで自陣へと引き返す。
「ショートフック気味のスクープショット!」
「あのでかいのから一本取ったぞ!?」
「いけいけ海凛、いけいけ海凛、おぉー!」
よく知ってるじゃないか、皆。
空中での動きを加味して、少しダブルクラッチ気味になったけどな。
自分より高身長の相手をかわすにはこれしかなかった。
"2点縮めた"
スコアボードに目を走らせる。
まだだ。
まだここからだ。
この試合はまだまだ動く。
手を広げ姿勢を低く。
相手のPGをマークする。
油断は全然出来ない。
点差もそうだが、もっと大きな要素がある。
さっき点を決めた時、俺は見た。
垣内の表情が変わったのを。
これまでは真面目だが淡々としていた。
けど、今のあいつの表情はどうだ。
目つきから甘さが全く消えている。
"楽には勝たせてくれねえよなあ"
果たして試合は。
俺の予想通りに動いた。