3.ティップオフ!
そしてその日はやってきた。
「やっぱ修応の方が建物綺麗だよな」
エージがぼやく。
バッシュの紐を締めながらの会話だ。
「東京と神奈川の差って感じがする。あれ、それ去年も言わなかったか?」
「言ってないよ。去年は海凛でやったじゃん」
「あ、そうだった」
うっかりしていた。
緊張しているのだろうか。
会話を打ち切り、俺もバッシュの紐を締め直す。
既に着替えてユニホーム姿になっている。
試合前の更衣室には、独特の緊張感がある。
全員が着替え終わった頃、コーチが入室してきた。
誰が何を言うでもなく、スッと背筋が伸びた。
「準備は出来たか?」
「はい!」
「よし、行くぞ」
会話はそれだけだ。
揃って更衣室を出る。
次に戻る時は試合後だ。
隣接した体育館に入ると、観客の姿が見えた。
エキシビジョン的な経大戦だが、そこそこ注目度は高い。
お祭りの一環として両校が楽しみにしているからだ。
別の場所では野球部やサッカー部が頑張っているだろう。
コートの反対側を見る。
修応の選手達がアップしていた。
"誰が垣内だっけ"
意識するまいとしても勝手に探してしまう。
こだわっているな、俺は。
しかし彼の顔は覚えていない。
身長しか手がかりがないので諦めた時だった。
不意に視線を感じた。
自然とそちらにフォーカスする。
"ああ、こいつか"
目が合ってしまった。
互いに言葉は交わしていない。
だが分かった。
雰囲気から記憶がフラッシュバックしたんだ。
多分間違いない。
一、二歩近づく。
エージが「ほっちゃん」と声をかけてきた。
「挨拶するだけだ」と振り向かずに答えた。
その間にも相手との距離が詰まった。
「あの、お久しぶりです」
相手−−垣内誠はぺこりと頭を下げた。
背は高いが、屈強な感じはしない。
どちらかといえば物腰穏やかな方だろう。
「……お久しぶりです」
俺も頭を下げる。
チリチリと心の一部がひりついていた。
冷却し過ぎた鉄のようだ。
怒るな。
大人になれ、俺。
「去年の試合ではすいませんでした。まさかあんなことになるなんて」
「気にしていません。意図的な行為じゃなかったんでしょ。だったらいいです」
「そうですけど。自分のブロックのせいかなと思ったら、やっぱり気になりまして」
「俺の着地が下手だっただけですよ」
さすがにお前のせいだと責めるわけにはいかない。
そう出来たら楽だけどさ。
俺はまっすぐに垣内を見た。
数秒沈黙した後、彼は口を開いた。
「シュートのイップスになったって本当ですか」
思わず舌打ちしてしまう。
ちっ、情報洩れてやがる。
「知ってたのか」
「一度、海凛の試合観に行ったことがありまして。その時に、ちらっと聞こえてきたというか」
なんてこった。
機密情報ってほどじゃない。
それでも出来れば弱点は伏せておきたかった。
けれどこうなったら仕方がない。
「事実です。シュートは全然入らない。これで満足ですか」
思わず語調が強くなる。
垣内の目が泳ぐ。
「すみませんでした、本当に」
「謝ってくれなんて言ってない。それにどっちにしたって、俺のシュートは戻らない」
「……」
「それでもここにこうしている。最後の試合に出ようとしているってことだ。はぁ、あああ、面倒くさいな。お互い全力出してすっきりさせて、それでお終いってことにしよう。あんたもこれが最後の試合だろう」
「え? ええ、はい。多分本気でバスケやるのは最後ですね」
「俺もだよ。社会人になったらバスケ辞めるし。だからせめて後悔しないよう、全力でやろう」
右手を差し出す。
ちょっと戸惑った後、垣内も右手を出してきた。
握手すると結構な手のでかさにびびった。
やはりこいつはかなりやる。
手を引き、最後に軽く一礼した。
振り返るとエージがいた。
表情が引きつっている。
「どうしたよ、エージ」
「いやあ、何ごとも無くて良かったなあって。ほっちゃんが殴りかかっていったら、どうしようか考えてた」
「そこまで単純馬鹿じゃねえよ」
気が抜けた。
だが、肩から力が抜けたのも事実だ。
「エージ」
「どしたん?」
「やってやろうぜ」
ごく短い言葉だ。
だがこれだけでも十分だった。
エージが白い歯を見せる。
「おう、最後の試合はすっきり締めたいもんな」
「そういうこった」
やっと気持ちに火が入った気がした。
† † †
会場の雰囲気は程よく盛り上がっている。
観客もまあまあ入った。
ざわめきが届く中、コーチがスタメンの名を呼んだ。
エージは呼ばれたが、俺は入っていない。
代わりに島田が呼ばれている。
「お先にすいません」
「気にすんな。予定通りだし」
そう、俺は気にしない。
俺がプレイ出来るとは言っても、あくまで限定的にだ。
俺のポジションはポイントガード(PG)。
ボール運び、パス回し、ゲームのコントロールなどが主要な仕事ではある。
けれどミドルやロングレンジからのシュートも本来はやる。
その部分が俺には無い。
"あくまで流れを変えるのが役割だから"
ベンチに座る。
出番は後からやってくる。
島田の方がPGとしての完成度は高い。
現主将という立場を考えても、スタメンは妥当だろう。
だからこだわりは無かった。
視線をコートへと流した。
修応の選手も出てきた。
垣内は当然スタメンか。
他の四人は知らない選手だ。
去年の経大戦に出ていたのもいるだろうけど、覚えちゃいない。
審判が「それではこれより修応大学と海凛大学の試合を始めます。礼!」と声をかけた。
五人と五人が頭を下げ、各々声を上げる。
「お願いします!」が人によっては「しゃす!」に聞こえてきた。
体育会系独特の挨拶と言えなくもない。
ソロリ、と体育館の空気が熱を帯びた。
センターサークルの真ん中に、お互い一人ずつ進む。
修応は垣内、うちはエージだ。
残りはその周辺に陣取る。
観客のざわめきが不意にスゥ、と静まった。
試合開始直前の緊張感の高まりだ。
審判がボールを掲げ、そして真上へと放る。
笛の音がピィーと響き、消えていく前に。
「おお!」
誰かの歓声が聞こえた。
ジャンプボール目がけて、垣内とエージが跳ぶ。
どちらも高いが、先にボールに触れたのは。
「垣内か!」
やはり高いな。
エージの指先を僅かに制し、垣内がボールをティップしていた。
ボールの軌道先に滑り込み、修応の選手が掴む。
修応ボールでスタートか。
流石に192センチと褒めるしかない。
俺が驚いている間に、修応は最初のオフェンスを展開する。
球技の絶対要素その一。
先取点は絶対欲しい。
だから確実に。
「ハイポスト、ボール入ったー!」
「垣内、いけ!」
垣内がボールを構える。
ゴールに背を向けた姿勢。
つくのはエージ。
ダブルチームは無い。
修応の選手が逆サイドに走る。
垣内の周りにスペースが出来た。
シンプルな1on1だ。
ここからどうする−−キュッと垣内のバッシュが鳴った。
"速い"
高速スピンターン。
上手い。
あいつ、デカいだけじゃない。
一瞬エージが遅れた。
ゴール下。
そのまま垣内がねじ込みにかかる。
だが。
「やらせっかよ!」
エージが吠えた。
瞬発力を最大限に引き出し、高々と跳ぶ。
精一杯伸ばした手は、見事に垣内のシュートを叩き落とした。
ブロックショットだ。
わっと観客が沸く。
抜かれたのに後から追いつくか。
エージめ、やる。
「ナイスブロック!」
こぼれたボールを島田が拾う。
間髪入れず、ドリブルで自分のDFを振り切った。
速攻。
一気に敵陣へ。
修応の別の選手が必死で追いすがるが、島田は追いつかせない。
ゴールへ向かうと見せかけ、3Pラインで止まる。
動から静へ。
乱れの無い見事な挙動。
「いけ、島田!」
思わず叫んでいた。
視線の先で、島田が3Pシュートを撃った。
スムーズな体重移動に、綺麗なフォロースルー。
手首の返しも決まった良いフォームだ。
そのフォームに相応しい理想的なシュートの軌跡。
ザン、とボールはゴールネットを通過する。
「入ったー、3Pー!」
「今年の経大戦、先制は海凛ー!」
よっし、最高の出だしだな。