『グルーミーな男子高校生によるエッセイ集』というタイトルについて。
何とはなしに作者ページを開くと「面白い。」とコメントがあった。まことに嬉しいことである。感想を書いてくれた東源雷頸華さん、ありがとう。やはり読んでくれる人がいるというのは有難い。それを原動力に続きを書くことができるのだから。
……本当は推敲待ちが一作、新たに書かなくてはいけない短編が三作、長編が一作あるのにここに来てしまうのだから本当に感想の力は偉大だ。
ここまでで約二百字、いったん休憩。コップの湯の中に七回使った紅茶バッグを入れて、ほとんど白湯のそれを飲む。
さて、今日は何の話をしようかな。うむ、タイトルについて書いてみよう。
この作品のタイトルは『グルーミーな男子高校生によるエッセイ集』というものであるが、まあ、「グルーミー」というのはそのままで、私が陰気で悲観的な人間である、というだけなのでここで完結する。ここで語りたいのは「男子高校生」の部分である。
インターネット上に未成年が己の社会的身分を晒すのはネチケットが足らないのではないか、なんてことを個人的に考える私ではあるが、SNSをふらふらしていると意外と自分の所属、顔、位置情報につながるモノを平気な顔で流している人が多かったりする。もしも変な奴に興味を持たれたらどうするんだろうか(お前みたいなつまらない奴には関係ないよ、というご意見はこの際無視する)、個人情報をインターネットの海に投棄すること以上の見返りがあるのだろうか。まあ、ある場合ならいいと思う。
なんだか真面目な話になってしまった。いかんなあ、別にこんなこと書くつもりはなかったのに。よし、リテラシーの話はここで終了。
またも個人的な意見で申し訳ないのだが、人間の価値の一つに「若さ」というものがあると思う。別に年老いることを否定しているわけではない。良い「老い」があることも知っている。
しかし、事実として、毎朝見るニュースのアナウンサーといえば若い美人だし、ゴールデンタイムに踊ることが許されるのは基本的に若い少年少女であり、オバサンが見て喜ぶのは年下のチャラチャラしたニーチャンであり(母がそうなのだ)、ラノベの表紙でも、献血のポスターでも若い(というかロリータの気すらあるかもしれない)少女が性的な恰好をしながら笑っている。これがセクシュアルな「若さ」だと思う。
もしこれらの人物が全て老いていたとしたら? 朝のニュースの視聴率は少なくとも半減するし、食卓の前で踊る老人、天然アピールの代わりに人生の苦悩を語る爺さんズ。超高齢化社会ってレベルじゃねぇぞ! まあ、それが受け入れられた社会も見てみたいものであるが……。
ああ、いつの間にか千字に到達してしまった。いや、気にせず書くぞ。
少なくとも表面的な部分において「若さ」というものは絶大な力を発揮する。だからこそ、年老いても生き延びる人物は優れているのだ。じゃなくて話の主眼はそこではない。
話はタイトルに戻る。タイトルは表面だ。人を惹きつける力が必要だ。そこで「若さ」なのだ。と言ってもこちらはセクシュアルな「若さ」の話ではない。じゃあさっきの話はなんなんだよ? 自分でもよくわからない。
そうだ忘れてた、仮想空間では美人、不美人のハードルが下がる。なぜなら見せる機会がないから。まあ、それを見せてさらに人を惹きつけられれば良いのだが、大抵の人間はそうではない。
若い男はみんな馬鹿だ。特に高校生なんてその最たるもので自ら進んで黒歴史を製作しては人に見せびらかす。そして人の悪い皆さんはどれどれ、また馬鹿がアホなことをやっているな、とその黒歴史をニヤニヤと見ているのだ。その馬鹿さが持つ人を惹きつける力を期待してこのタイトル『グルーミーな男子高校生によるエッセイ集』をつけた。要点はここだけだ。今までのは無駄だったかしら。まあいいや。
この淫売の如き所業、私は好きではないが殆どの人はやっているものだ。コミュニティの人気者、裏の性格は最低だがモテる彼、テレビの中では小動物のように振舞うアイツ。まあ、私だって読んでもらわないと何も始まらないからこんなことをしている。
本質(これもまた難しい言葉だ。考えれば考えるだけ分からなくなる。「若さ」を本質としている人だっているのだから)よりも先に上面で稼いでおく。そしてこれは「若さ」だけに限られているわけではない。「容姿」「経歴」「家柄」など、この類いは探そうと思えばいくらでも出てくる。みんな嘘つきだ。でも仕方がないのかもしれない。こうでもしないと居場所がなくなってしまうような気がして。私には後ろめたく思えてしまうがこれだって立派な武器だ。どんどん活用するべきだ。勿論リスクと相談しながらではあるが。
勢いで書いた話だから変だと思う。