放課後の公民館。
一時間かけて書き出した文章が三分間で読了してしまう現実を小説情報のバーで示されて、冷静に、いや冷静に考えるまでなく地味な作業だなって痛感させられる今この瞬間。三分間といえば、「ずっと真夜中でいいのに。」さんの『正義』を十分に聞くことすらままならない時間である。たまたま今聞いていたので書いてしまった。許してほしい。ああ、ブラインドタッチが習得できない馬鹿がここにいます。やめろ、やめろ、こんな風にネガティブだからつまらない作品ばかりができてしまうのだ。戒めよ、戒めよ。
まあ、そんなことはどうでもいいのである。今回は前話(とりあえず学校の話でもしようかな。)のその後の話でもしようかなと思う。
先日、私は公民館に内設された図書館で見延典子さんの『もう頬杖をつかない』を予約した。1981年に第一刷が発行された本で50万部の売り上げをたたき出したのだという。なんでも「大胆な行動と湿った生理の間に訪れる現代の愛のかたちを爽やかに描いた」作品であるのだと。そういえば、前話でうちの高校の図書室はすげえんだぞ、と言ったもののやはり無い本もしっかりあった。無い本がある。不思議な表現である。……はて、何の話をしていたのだっけ。
ああそうだ、『もう頬杖はつかない』を予約したんだった。そしてそれを今日受け取りに行ったのである。このように書くとなんだか私が公民館でまで本を借りる本の虫のように思えるかもしれない。まァ、虫みたいな奴である、というのは否定しないが、公民館に行ったのは先日が初めてで今回は二回目なのである。
扉を開けて中に入ると、右手にカウンター、左には本棚がドミノのように並べられている。倒してみたいと思ったのはここだけの秘密である。私の顔を見るなり司書さんはその黄ばんだ『もう頬杖はつかない』を渡した。
黄ばんだ本は嫌いじゃない。むしろ好きだ。あのバニラの香り、歴史の香り、時代を超えて出会えたことにはある種の運命すら感じてしまう。時のふるいにかけられて生き残る作品というのは本当に優れた作品であることを意味するのではないか。そう考えて、最近は昔の本ばかり読んでいるから流行にはついていけない。まあいいや。どれもこれもファンタジー一色で食傷気味だったので丁度いい。そう書いたものの私自身もファンタジー小説を書き貯めしているから馬鹿みたいだ。あら、いやだ、恥ずかしい。
そんなこんなでいつの間にか一千字である。とりあえず休憩に入らせていただく。