愛葉 久由梨
登校してからの私は、殆ど会話することがない。朝ともなれば、誰も近づきたがらない程だ。どうやら機嫌が悪そうに見えるらしい。朝弱いだけなのだけどね。私は低血圧なんだ。
「おはようございます。九条様」
「おはよう」
そんな私でも、挨拶されれば返すくらいの愛想はある。今日は特に、声をかけられた。九条様と私は呼ばれているらしい。新しい発見だ。
何故こんなにも、話しかけられるのだろう。思い当たる事が何一つない。
「おはよう。九条さん」
「おはよう」
まさか、片桐まで挨拶をしてくれるとは思わなかった。当然の如く取り巻きは一人も居ない。あの時体育倉庫に居た子達だけでなく、それ以外の取り巻きも近づき辛いのだろう。
まさかと言ったのは、片桐と朝の挨拶を会話を交わしたのは久しぶりだからだ。
「……」
良いのかい? と、視線で尋ねる。
「今日から貴女なの担当となるのです。少しは関係を良くしませんと」
「成程」
別にギスギスしていたという事実はない。でも、回りはそう思っている。非常に面倒な事に、だ。そんな空気を払拭するために、お互い歩み寄っていると見せるという事だろう。乗馬の練習をする間、周りから変な目で見られるのは面倒で仕方ない。
取り巻きの所為で不自由だったという訳ではないだろうけど――片桐の表情はどこか、晴れ晴れとしているように見えた。
「今日はやけに、皆に話しかけられるんだ。原因が何か分からないかな?」
「お気づきになってませんの……?」
どうやら片桐は知っているらしい。
「今日の貴女は、いつもより表情が柔らかいんですよ」
「……そう?」
自分の顔を触ってみても分かるはずも無いのだけど、思わず触ってしまう。
「昨日は、ご両親がご不在でしたね」
「暫く帰って来ないよ。わざわざ向こうの御曹司との縁談を持ってきたくらいだから、北海道が気に入ったんじゃないかな」
どうして気に入ったのか分かるかというと、決まってそうだからだ。気に入った土地の有権者と私の見合いをセッティングしようとする。自分から提案はしない。そうなるように仕向ける辺り、陰湿だ。
とにかく、気に入った場所でより良い経営をしたいのだろう。その為に、有権者に私を差し上げるというわけだ。良く出来た苺をお裾分けする、気の良い友人のように。
所詮私は、貢物程度の価値しかないのだ。私が断れば無かった事になる辺り、人としては見てもらえているようだけど。
「……お母様ではありませんけど、私も九条家は好きになれませんわ」
「まぁ、自慢出来ない両親ではあるかな」
自嘲的に笑ってしまう。片桐はこの癖が好きではない。片桐の前ではしないように頑張ってはいるのだけど、成功した試しがない。
「縁談は、どう返事を?」
「断ったよ」
これはあくまで自論だけど。と前置きし、話す。久しぶりに人目も憚らず、片桐と話せるのが嬉しいのかもしれないな。饒舌になってしまう。馬術部の大会が終わるまでの、特別チャンスだけど。
「お見合いで婚約者を決めようとする男に、碌な者は居ないと思っているんだ」
「少し、分かる気がしますわ」
「だろう?」
片桐もよく縁談を持ちかけられるのだろうか。早いうちから片桐家との繋がりが欲しい家は多いだろう。片桐が結婚、か。少しばかり――寂しいな。
「私が結婚する気がないっていうのが、一番の要因だろうけど」
「私も、今の所は予定がありませんわ」
少しほっと息を吐いた片桐は、目を伏せた。
「……」
片桐がじっと私を見ている。
「どうし――」
「桜さんっ」
後ろから声がかけられる。鈴を鳴らしたような、綺麗な声だ。今私達を遠巻きに見ている子達の何人が、この声を聞いた事があるのだろうか。
「おはよう。愛葉」
「おはようございますっ」
今朝の愛葉は元気だ。ぐっすり眠れたのだろう。にこりと微笑む愛葉はかなり貴重だと思う。
「……おはようございます。愛葉さん」
「おはよう、ございます。片桐様」
周囲の空気が重くなるような、二人の間にはそんな空気が流れている。色々と思う所があるようだ。
「そろそろ教室に行った方が良いんじゃないかな」
「分かりました。お昼の予定は問題ありませんか」
「ああ、大丈夫だよ」
「放課後は、大丈夫ですか?」
「ん、うん。約束通り、寮まで帰ろうか」
片桐がお昼を強調した気がしたが、気のせいだろうか。愛葉もより強く片桐を睨んだような。何故か張り合っているように感じる。
(お互い、相性が良くないのかもしれない)
仲良くなって欲しいとは思うが、私がどうこうする問題ではないだろう。愛葉はしっかりと授業を受けるようになったのだから、後は片桐が自身の葛藤と向き合うだけだ。私から片桐に気をつけるように言うのは、逆効果な気がする。
(はぁ……。私も教室に行くか)
片桐のお陰で、愛葉も私も取り巻きに気をつける必要はなくなった。ゆっくり過ごせるはずだ。
そうなる、はずだった。
「……」
「……」
「はぁ……」
二限が終わった後、片桐と愛葉が無言で教室に入ってきた。どうやら、教室前でばったりと会ってしまったらしい。お互い、目当ては私だったようだけど、睨み合ったまま話してくれない。
「お先にどうぞ」
「いえ。片桐様を優先させなければ、取り巻きの方達に怒られてしまいます」
「もう取り巻きは居ません。安心してお話になってください」
ずっと譲り合っている。
(先に話してしまったら、それで終わりになってしまう)
(後から話した方が、九条さんと長く話していられます……っ)
「私の方はそんなに重要な話ではありませんから、片桐様がお先にどうぞ」
「重要でないのなら、先に済ませても良いのですよ」
変な譲り合いだと思う。それでも私が口を挟める雰囲気ではないのだ。
「九条さん。少し職員室まで――」
「……」
「……」
「――三限の後で良いから来てね」
先生を威圧したのはどちらだろうか。いや……両方か。後で私の方から謝っておこう。
「あー、二人共。そろそろ休み時間も終わる訳だけど。用事は何かな」
もう三分もない。
(この時間ならば、私の話だけで終わりそうですね)
「九条さ――」
「桜さん。次の休日は、暇ですか?」
今、片桐の話を遮った気がしたのだけど――その事に触れるとまた争いになりそうだ。答えてしまおう。
「次、か」
答えたいのは山々なのだけど、部活の大会は月末だ。まだまだ先とはいえ、どうしたものか。
「次の休日は、練習の予定とかあるのかな」
「その話をしようと思って来たのです」
「……」
勝ち誇ったような顔の片桐なんてそうそう見れない。仲が良いのか悪いのか、判断に困ってしまう。少なくとも愛葉は、片桐を苦手としているようだ。
「部員全員で集まる予定があります。大会形式で一度流してみようかと思っていたところですので」
「それは、私も出た方が良いのかな?」
「もちろんですわ」
愛葉の用事も気になるけれど、部活は頑張った方が良いだろう。そうでないと、片桐母の目を誤魔化せない。部活を頑張るため仕方なく片桐と私は協力関係を築いている。それが、カモフラージュの全容だろう。周りにそう印象付けようとしたのが証拠だ。
部活の集まりをキャンセルするわけにはいかない。これはチャンスだ。少しばかり疎遠になりかけていた片桐と、再び話せるようになるための。
「愛葉、ごめんね」
「い、いえ。そういう事、でしたら……」
「埋め合わせといっては何だけど、祝日は空けておくよ」
来週の水曜は祝日だ。そこなら、問題ないだろう。
「!?」
「是非!」
片桐の驚いたような顔が見えた気がしたけど、すぐに愛葉の顔が重なって見えなくなってしまった。片桐が何に驚いたのか、後で聞こう。お昼は一緒なのだから。
チャイムがなり、休憩時間が終わる。
「では……お昼に」
「失礼しますっ」
少し落ち込んでしまっている片桐と、うきうきとしている愛葉。対照的な二人が教室を出て行く。
(……?)
私は正直、何がなんだか……分からなかった。
三限の休憩時間。私は職員室に向かう。先程片桐と愛葉が威圧した件も、謝らないといけない。
「失礼します」
「あ、こっちよ。九条さん」
「はい。先程は申し訳ございません」
「い、いいのよ。私もちょーっと空気読めてなかったかなって」
英語担当の高嶋先生が「たはは……」と困ったような笑みを浮かべている。空気が読めてなかったとは、どういうことなのだろう。あの場にどんな空気が流れていたのか、気になってしまう。
「それで、どうしました?」
しかし、まずは用件を済ませよう。休憩時間は有限だ。
「えっとね。今度新しい英語の先生が来るんだけど」
「え?」
私の疑問は、高嶋先生以外の英語教師は必要ないと思ったが故の物だ。今更増やす事に意味があるのだろうか。
高嶋先生は発音も完璧で、日常会話を優先させる教師だ。片桐からの評価も高く、英語教師として人気がある。その分文法が疎かになってしまい、一部の生徒からは点数が上がらないと苦言を呈されているが。
日本のテストには合わないが、英語圏の人間と話したときに高嶋先生に感謝する事になるだろう。先ず間違いなく、リスニングに差が出ているだろうから。
「それで、その先生と私にどういった」
「んっとね。何か、先方が君の名前を出したらしくてね?」
「私の?」
英語教師の知り合いなど、居ないはずだが。
「えっと名前は――秋敷、楓さん?」
聞き覚えがある名前だ。
(覚えたくはなかったが、忘れられる名前ではない)
私の、父方の従姉妹にそんな名前の人が居たような気がする。
(気がすると思いたいだけだが)
しかし、英語教師だっただろうか。
「放課後時間ある?」
「無いです」
「部活だっけ」
「はい。片桐に呼ばれてますので」
「そっか。片桐さんの呼び出しなら、仕方ないか。じゃあこっちから伝えておくわ」
「ありがとうございます」
私を呼んでいる以上、知っている秋敷楓さんなのだろう。でも、片桐より優先すべき相手かといえばそうではない。父方の従姉妹という時点で分かると思うだろうけど、私と秋敷さんは仲が悪い。
「次私の授業だよね」
「はい」
「じゃあ、これ運ぶの手伝って欲しいなって」
「分かりました」
プリントを持ち、教室に戻る。テストの答案用紙だろうか。テストの事など聞いてないから、どうやら抜き打ちテストのようだ。
「抜き打ちテストを私に運ばせて良いんですか」
「え? あっ! 頼むのこっちだった!」
「はぁ……」
私達はプリントを交換し、再び歩き出した。それと同時にチャイムがなり、小走りで向かう事になる。そして教室前で――先生が転けてプリントが散乱し、抜き打ちテストが抜き打ちでなくなったのは、内緒にしておこう。
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