買い物⑥
戻ると、私が最後だったらしい。愛葉の姿が見えないが、先に着替えているのだろうか。
「片桐も大丈夫だったのかな」
「はい。驚く程、あっさりと」
時間が掛かると思っていたのだが、本当に驚きだな。逆に怖いと思ってしまうあたり、私は失礼がすぎるな。
今日くらいは素直に喜びたいものだが、中々出来ない自分に自嘲してしまう。私がいつも思い描いていた光景がここにある。三人で何気ない会話をしつつ、何気なく時間を過ごしていく。そんな、ありふれた日常がこんなにも掛けがえのない物と思えるのだ。
「良かったわぁ」
やけに艶々とした社長が試着室から出てきた。愛葉の姿は見えないが、社長の後ろに影が見える。
「あ、二人とも大丈夫だったかしら」
「はい」
「こちらも問題なく」
「うんうん、上々ね。じゃあ二人にも着替えて欲しいけど、先にお披露目といきましょうか!」
社長が後ろに居るであろう愛葉の手を取り連れ出そうとしている――が、やけに力を込めている。愛葉の抵抗が見える。
(袖の、フリルからして……私もあれを着なければいけないのでしょうか……。ドレスと余り変わらないとは、思いますが……)
派手な服を着ているようだ。今日着ていた服は地味目だったが、愛葉は派手な服を好まないのかもしれない。
「大丈夫よ。私を信じなさい」
「信じる信じないじゃ、ありませんから」
「良いから良いから」
愛葉の体格を抜きにしても、大人の力は強い。抵抗虚しく、愛葉は私達の前にふわりと舞い降りた。
「う……」
スカートの裾を掴み、もじもじとしながら愛葉は上目遣いに私達を見ている。俗にいう絶対領域を隠すように必死にスカートを下げようとしているが、見せる為に設計されたスカートは、隠す行為に協力してくれない。
フリルの効きすぎた服だが、それが愛葉には良く合っている。スカートや胸元にあしらわれた薔薇。髪を結ぶでもなく、ただただ可愛さを付与するためだけのリボン。腰できゅっと締まり、袖やスカートはふわりと。愛葉の黒髪に合わせてか、明るめの色にするのかと思えば――あえてシックな色合いに纏め、調和させている。黒と赤は相性が良い。
(これがプロのコーディネートか)
服が主役ではなく着ている人が主役となっている。黒にワンポイントの赤があるが、その赤は愛葉のための赤となっている。服単体では味気ない色合いを、愛葉が着る事で華やかさまで生まれたような気さえする。
そんな愛葉の、普段はカーテンのように閉ざされている髪は分けられ、ウェーブがかけられている。ほんのりとメイクが施されており、日本人形のような静かな愛らしさから、ビスクドールのような動きのある可愛さへと。髪型も重要なお洒落だ。私は髪を弄るのが好きではないが、服に合わせるという事も必要なのだろう。
「凄いな」
それ以外の感想を言えなかった。情けないとは思うが、これでも絞り出した方だ。それくらい、見惚れてしまっていた。普段隠されているからこそ、見えた時の嬉しさはあると思う。だがやはり、愛葉は前髪で顔を隠すべきではない。こんなにも愛らしいのに、勿体ないと思ってしまう。
(愛葉は、自分の容姿に自信がないようだが)
自己評価なんてものは、そんな物だ。
「流石、といった所でしょうか。これ程派手な衣服を、ここまで違和感なく……」
(愛葉さんというモデルが優秀だから、というのもあるのでしょうけど――それを私から言うのは、少し)
愛衣の言う通り、このまま外に出ても違和感はない。注目は多いに浴びるだろうから、愛葉は断るだろうけど。
(褒めて貰えるのはうれしいけど、恥ずかしい……)
愛葉には似合っているが、さて――これを私が着る事になるのだろうか。正直いって、私のような人間にはこれは、華やかすぎるな。今日の服ですら派手と思っていたというのに。
「それじゃ、皆で着替えていきましょう。竹ちゃん、着替えを手伝ってあげて。私はカメラ持ってくるから」
社長が撮るのか。拘りのアングルとかあるのだろう。何にしても――似合う服にして欲しいものだ。
撮影は、少しだけ時間を掛けながら進んでいる。プロのモデルは一秒に一ポーズを決めるらしいが、私達にはそんな事出来ないのでゆっくりと、ごねごねとやっている。三人の中でモデル経験者は、サンマルテの広報誌やパンフレットの撮影に参加している愛衣くらいだから、私と愛葉のペースに合わせて貰っている。
それなのに、愛葉と私はいつもよりずっと疲れている。撮影という物に慣れていないし、ポーズをかっちりと取るという事をした事がない。この写真が使われるのかと考えると項垂れそうになる。
三人で和気藹々と楽しめるという気持ちから安請け合いしてしまったが、私にモデルは無理そうだ。正直合わない。自分の感情に合わないポーズや表情を取る事に慣れていない上に、私は元々表情に乏しい。体で表現するという事もした事がない。所謂無感情。
愛衣や愛葉、咲から見れば、私は結構表情に出るらしいが――サンプルの写真を見る限り、私は完全に無表情だ。むしろ嫌気すら感じているように見える。
「自然な感じで良いんだけどねぇ。二人とも」
「そうなのでしょうけど――真面目ですから」
(二人とも、ちゃんとしなければいけないって思っています。緊張してますね)
自然な感じと言われても、だ。真面目という訳ではないが、適当には出来ないだろう。というより、愛衣も緊張しているように見えるが――そこは流石愛衣、というところか。緊張を表に出さないのはお嬢様の必須スキルらしいから。
「じゃ、休憩しましょ。五分後に最後の一枚を撮るから、着替えだけは先にしててね」
そういって渡されたのは、私服といえる普通の服だった。私は元々着ていた物に近い服。愛葉も近いが、サイズが合うだけでも違うのだな。愛衣の私服自体初めて見るが――ワンピース、か。真っ白な無地の、何の変哲もない。それにつばの広い帽子。港で別れを告げるお嬢様といった、映画のワンシーンで見るような服装だ。小道具として置かれたトランクが更にそうさせているのだろうか。
愛衣に良く似合っているが、これでは服のパンフレットとしてはどうなのだろうか。完全にモデルありきの服装だ。私が着ようものなら、補導されてしまうだろう。着なさ過ぎて家出と思われるという意味だ。私があれを着るなら、何か羽織らなければいけない。ワンピース一本なんて、愛衣か愛葉にしか合わない。
「どういうコンセプトなのでしょう」
「旅立ちじゃないかな」
「里帰りかもしれませんよ」
なるほど。久しぶりに帰ってきたお嬢様と地元の友人か。そっちの方がしっくりくるし、落ち着くな。愛衣の旅立ちを見送るのは寂しい気分になってしまう。といっても、里帰りという事は愛衣が出ていたという事だ。結局見送りはしていたのか。
「ふふ……。そういう設定ですよ?」
「ん? ああ、顔に出てたかな」
「寂しそう? でした」
愛衣と愛葉が困ったような苦笑いを浮かべている。少々気恥しい。ただの撮影の設定にセンチメンタルとなっていたのだから。
「流石に恥ずかしいな」
撮影が始まって、初めて普通に笑えた気がする。それは愛衣と愛葉も同じようだ。休憩中という事もあるのだろうが、今が自然体だ。
「何というか、二人とも良く似合って――」
パシャリと、今日何度も聞いたシャッター音が聞こえた。ゆっくりと横を見ると、社長がカメラを構えているのが見える。どうやら、嵌められたらしい。
「作戦成功ね!」
自然体を撮るために、休憩させていたようだ。まんまと普段の様子を撮られてしまった。
「ふぅ。満足出来たわ。ドレスの時もお願いね?」
完全に趣味の延長なのだろう。趣味を仕事に出来る人は少ない。その職に就けても、趣味と仕事は分けた方が長続きするというのが定説だ。だが、社長は完全に趣味全開だな。だからこそ、感性のままにデザイン出来るのだろうけど。
写真の編集とパンフレットのサンプルを持ってくると言って、社長は出て行った。そんなすぐに出来る訳ではないだろうけど、時間を残して撮影を終えたのはそれが理由か。もっと撮りたいと、着せ替えしたいと顔に書いていたが――割り切りの良さも、社長の資質なのだろう。
「愛衣様、もう着替えても良いと先生が」
「そう。分かりました」
(もう少しで、桜ちゃんに褒めて貰えるところでしたのに……残念です)
「私達も着替えるとしよう」
「は、はい」
「愛葉様はそのままでも良いと、先生が仰っていました」
「え」
ああ、そういえばプレゼントだと言っていたな。
「せっかくだから、そのままで良いんじゃないかな」
「さ、桜さんが、そういうなら」
元々のコーディネートに近い形にしたのは、そのままで居られるようにという配慮だろう。破天荒なところが前面に押し出ているが、細やかなところはさり気ない。優秀な社員が多く就くのも納得という人柄だ。
「咲が贔屓にする訳だ」
「やはり、咲さんのご紹介でしたか」
「ああ、言ってなかったね。咲の私服は全部、社長が選んでいるらしい」
先日は予定が合わず社長に会えなかったが、普段咲が行く時は予約するらしい。予約すると、社長がやって来るのだとか。今回もその予定ではあったのだが――やはり、初見では驚くな。咲が微妙な反応を見せる訳だ。
パンフレットが出来るまでもう少し時間がある。店内を見て回っても良いという事だったが――そのまま撮影スペースでゆっくりさせて貰おう。疲れたからというよりは、此処は丁度死角だから。




