買い物
九時三十分か。丁度良いくらいに到着出来そうだ。
今日は水曜日。創立記念日で休みとなっている。寮で愛葉と過ごそうかと思ったのだが、咲と予定を立てたらしい。今日『夜会』のドレスを買いに行く予定となっている。
愛葉は成績優秀者等に贈られる外出許可が貯まっていたらしく、申請したらすぐに許可が下りたようだ。
寮に迎えに行くと提案したら、駅で待ち合わせをしようと逆に提案された。
(遠慮しているのだろうか)
愛葉が余りにも力強く提案するものだから、その場では押し切られる形になったが――普段私の送り迎えで休みの少ない蓮さん含め、今日は休みで良いだろうと思ったのだ。秋敷さんは居るが、あの人は今日も朝早くから出て行った。九条邸も休日で良い。
そんな訳で――市営バスに初めて乗ったが、学院生以外にとっては平日だからかお客は少ない。
都心からは離れているとはいえ、ここも結構人が通る駅だ。この時間、休日だったらゆっくり出来なかっただろうなと、窓から外を眺めながら考えてしまう。人の多さとか気にしないが、気が滅入るのを止められそうにない。
駅は終点らしいから、乗り過ごすことはないはずだ。このままゆっくり、揺られるとしよう。
(……ん?)
何やらジロジロと見られている上に、ヒソヒソと話されている。大学生だろうか。大方、「不良が学校をサボっている」といった話をしているのだろう。良い気分とは言えないが、気になる程でもないか。放っておこう。
「モデルさん……?」
「見た事ないけど……」
「ネットで聞いてみよ」
話の内容は聞こえないが、携帯――スマホをこちらに向けている。写真でも撮るのだろうか。盗撮は犯罪なのだが。
(まぁ、私の後ろを撮ろうとしているのかもしれない訳だから)
注意するのも、おかしな話か。シャッター音も聞こえないし、私の勘違いだろう。
あの大学生達も同じ駅だったようで、最後まで一緒だった。最後まで何か盛り上がっていたが、なんというか元気だな。
待ち合わせは、駅前の掲示板前に十時。私の到着は九時五十五分だったのだが――愛葉がすでに来ていた。可愛らしいワンピースタイプの服でそわそわしている。私服で、緊張した面持ちでカクカクとした動きをしているからか、ドール感が増していた。微笑ましい光景だけに、もう少し見ていたかったが――時間だ。
「愛葉。お待たせ」
「さ、桜さん。おはようござ――!?」
私を見て、緊張が解けるどころか更に緊張してしまった愛葉に、首を傾げてしまう。元々、私と会話する時はそこそこ緊張する愛葉だが、今日は得に、だ。
「あっ――そ、その……似合ってます!」
「ん? ああ、服か。ありがとう。愛葉も可愛いよ」
「……はぅ」
ぼんっと聞こえそうな勢いで頬を赤らめた愛葉が俯きながら震えている。怒っているようにはみえないから、喜んでくれているのだろうと、思いたい。
咲の言われるがままに着ただけだが、愛葉は気に入ってくれたらしい。普段の適当な服で来ていたら、苦笑いを貰っていただろう。
(だぼっとした服なのに、ほっそりしてるのが分かる。バランスが良いから、すっごく格好良い……!)
「ぁ……ご、ごめんなさい。ちょっとメールが……」
「咲から聞いてるお店までのルートを確かめないといけないから、大丈夫。返事をしてあげてくれ」
「はいっ」
電車で二駅程上って、十分くらい歩かないといけないか。愛葉も歩き易い靴で来ているし、大丈夫だろう。
「えと、桜さん」
「うん?」
「今日、バスで来たんですよね」
「そうだね」
「その時、写真撮られませんでした……?」
「携帯を向けられたけど、シャッター音はしなかったよ」
どうしたのだろうか。メールで何かを尋ねられたのだろうか。
「シャッター音しないカメラアプリがあるんですけど、それで撮られたかもしれませんっ」
そういって愛葉が見せてくれた画面には、バスに乗っている私が確かに写っていた。顔は塗り潰されているが、この黒の混ざったくすんだ金は私以外居ないだろう。
「あの大学生、愛葉の知り合い?」
「いえ……SNSにアップされてるみたいです」
「そうだったのか」
完全に盗撮されていたのか。SNSとは確か、不特定多数が見れる場所だったな。顔は隠してくれているようだが、見る人が見ればすぐに分かるだろう。実際、愛葉と愛葉に知らせた子は知っていたようだし。
「このモデル知りませんか、って、書かれてますね」
「モデル?」
「バスにモデルっぽい人が居るって――わ、凄い話題になってますよ」
顔だけは良いと、秋敷さんに言われたのを、再び思い出してしまう。不良が居るとかじゃないだけマシなのだろう。人によっては誇らしいのかもしれない。だが、余り良い気分ではない。
(それにしても……香月さん、何でこれ見つけられたんだろ……。デートですか、ってメール来て、どこかで見てるのかと思ったけど……まさか、こんな写真が出回ってるなんて……。削除依頼が通るかは分からないけど、しておこう。桜さんはこういうの、嫌うだろうし)
もう出回っているのだから、気分を悪くするだけ損か。初めて愛葉と過ごす休日なのだ。穏やかな気持ちで過ごしたい。
「電車で行こうと思ったけど、タクシーにしようか。私が出すよ」
「い、いえ。私も」
「大丈夫。お金だけは余分に渡されてるから」
両親のお金を使いたくなくて、アルバイトをしようとした事がある。だが、咲に止められた。私の自立に必要なのだが――私を自立させたくない父親が居る。
(誰かの手を借りなければ生きていけないとなれば、結婚が早まると考えたのだろうな)
あの時の咲の顔には、「言いたくない」と書かれていた。理由は分かっているが――今言う事ではない。とにかく、お金は両親から過剰に送られてくる。
最初こそ、こんなお金を使いたくないと思ったが……人は慣れるものだ。ある分は使う。必要ないときは使わない。それだけだ。
「ま、盗撮されたくないだけだから」
「そういう事、でしたら。ありがとうございます、桜さん」
一日に何度も盗撮される事はないだろうけど――普段SNSを見ていないであろう愛葉にも届くくらい、あの盗撮写真が有名になってしまっているのだから、気にしすぎという事もないだろう。
「それじゃ、行こうか」
「はいっ」
タクシーで行くなら、予約している時間より早く着くな。車でしか行った事ないから正直な話、歩きで行けるか不安だった。方向音痴ではないはずだが――車以外で外を歩くのは初めての事なのだから、仕方ない。
桜さんの写真の削除依頼は、当然のように無視されてしまった。本人って訳でもないし、難しいのだろう。それにもう……拡散されすぎて、全てを追う事は不可能だ。
(格好良いし、綺麗だし、モデルって勘違いするのも分かるけど……)
桜さんの服、何処で買ったんだろう……? ブランド品っぽいけど。
「桜さんの服って、何処で買ったんですか?」
「今から行くところのだよ。私は私服を持ってなかったから、顔見せするついでにね」
持っているのは部屋着くらいだったらしい。学校の行き帰りくらいしか外出しなかったと、咲さんから聞いている。つまり、友人と出かけるのも……今日が、最初。
(片桐様とは、行けなかったの、かな)
昨日ちょっとだけ、睨み合いになった。今日の予定を、片桐様も知っていたのだろう。睨み合いになるだけで、片桐様は何も言ってこなかった。一杯、言いたい事があるはずなのに。
(それなのに私は、桜さんのお出掛け第一号になれて、喜んでる)
かなり、自分が嫌になってしまう。でも、気にしすぎるのは桜さんだけでなく、片桐様にも失礼なのだ。
二人の関係を知れば知るほど、私はこのままで良いのかって思ってしまう。
「愛葉」
「は、はいっ」
「……ありがとう」
「……え?」
顔に、出てしまっていたのだろうか。こんな事では、色々な人に失礼だ。最初は空元気になってしまうかもしれないけど……ちゃんと、楽しむ。
桜さんとのお出掛けが嬉しいのは事実なんだから、落ち込んでちゃ駄目だよね。
「愛葉の私服も新しいみたいだけど」
「きょ、今日の為に、用意しました。凄く楽しみだったのでっ」
「私もだよ。夜眠れなかったくらいだ」
「ほ、本当ですか!?」
そんなに待ち遠しく思ってくれていたのかと、少しだけ興奮してしまう。桜さん自身が言っていた事だけど、桜さんは緊張とは無縁との事だったから。
「ああ、だから――楽しんで欲しい。ドレスを買いに行くけど、その後は殆ど未定だから、行きたい所とかないかな?」
「でしたら、その。美味しいトルティーヤが食べられるお店があるみたいなので、そちらにっ」
「うん。分かった」
桜さんの、楽しんで欲しいという言葉の真意は分かってる。気にしても仕方ないって事と、私も楽しむから一緒に、という意味だ。片桐様との件が気にならないはずがない。でも――楽しもう。義務でも責任感でも、罪悪感もなく。ただただ、桜さんとこうやって、学校の外で遊べる事を。
高校生活は長いようで短い。今しか――今日しか出来ない事を目一杯楽しもう。
「到着したね。あのお店だよ」
「はいっ………………は、い」
ちなみに私の私服は、小学生の頃のが入るからと気にしていなかった。だから慌てて買ったという面もある。何だかんだで私も、友達と出かけるのは久しぶりなのだ。
急遽用意した服は通販。何処にでもある見た目だし、生地からして化学繊維だ。サイズだって、自分で適当に測って買ったからちょっと大きめ。詳しい人でなくても、安物と分かるもの。そんな服で……あの、お店に?
(確か、世界的に有名なデザイナーが創ったっていう……)
私がこの服を選んでいた時、香月さんとの雑談でも出てきた、店名。私が少したじろいで居ると、メールがまた来た。相手はこれまた香月さん。
《そういえば桜さんの服、あのお店のでしたね。肌触りとか見た目や店内の感想が欲しいのですが、どうですか? 出来れば桜さんにも聞いていただきたいのです!》
今から私、そこで買い物します。この安物の服で入って、大丈夫なのかな……。ああいったお店って、ドレスコードとか、あるんじゃ……?




