休暇とお弁当②
「それでは、牧舎の掃除から始めましょう」
「ああ」
桜ちゃんは、私に尋ねませんでしたが……気になっていると思います。お母様が何故急に、桜ちゃんに話し始めたのか。何故桜ちゃんのお母様、愛菜さんの話をしだしたのか。
(どうやら、愛菜さんが帰ってくるそうですから……それで、機嫌が良いのでしょう)
昨日お母様が見せた反応からの想像でしかありません。とはいえ、愛菜さんが帰ってくるとなると納得です。恐らく、今度のパーティに招待するつもりなのでしょう。
(昨日と今日のは、予行練習と誘い、ですね)
愛菜さんが招待に応じてくれるか、微妙なところですが……。
(もし受けてくれたとしても、桜ちゃんは来ないでしょうけど)
子供同伴となれば別――ああ、入園パーティのようにそうするつもりなのかもしれません。もし桜ちゃんが来るとなると……この予行練習と誘いは無駄にならないでしょう。
(今までは、お互い触れ合わない事で危険を避けていました)
私達が会話をすれば、お母様が指摘出来るだけの変化が現れるでしょう。そしてパーティとなれば、会話しないなんて状況はありえません。私は片桐の娘、桜ちゃんは九条の娘としてパーティに参加しますから。
そして、入園時は……お母様の所為でお開きとなりましたが、今度はそうなりません。お母様はその練習をしています。もう、視線で威圧する事はないのでしょう。
パーティに来てはいけない、と言いたいですが……桜ちゃんは自由奔放に見えて、両親の言いつけは基本的に守ります。人権を無視するような、縁談の強制は跳ね除けますが、それ以外は聞くのです。ですから、愛菜さんがついて来るように言えば来てしまうでしょう。
(そもそも、お願いされる事がない……のですが……)
「ご両親が、いつ帰ってくるか知っていますか?」
「何時かは判らない。咲も知らなかったんだ」
「そう、ですか」
咲さんが知らないという事は、雄吉氏の独断という事になります。そうなると、帰ってくる時期は誰にも――いえ……秋敷氏が居ましたね。お母様とも繋がりがある秋敷氏と雄吉氏が、未だに繋がっているかは怪しいですが……。
(……まさか、ですよね)
いくら何でも、そこまでするとは思いたくありませんが……元々期待はしていません。せめて秋敷氏が監視する機会が、現状維持なら……何とか。
「気付いているかと、思いますが……片桐邸でパーティがあります」
「そうだね。愛香さんもそんな事を言ってたよ。次会う時は母と一緒が良いと」
「時期は未定ですが、夜会後であるのは確かです」
「夜会後、か」
気が緩むなんて事、私達にはありません。ですがもしかしたら、ありえます。
「あー、えっと。私も出る、から。今月だけかもしれないが」
(今月を機に毎月出るかもしれないが、周りや先輩が五月蝿かったら分からない)
桜ちゃんが夜会に……愛葉さんのお陰、ですね。そこは複雑ですが……私にとっても朗報です。それと同時に、”もしかしたら”の一因になりえます。
「ドレスは持っていますか? 桜ちゃんならタキシードでも良いかもしれませんが」
「咲がお店を予約してくれるらしい」
咲さんに任せれば、問題はありませんね。
「愛葉さんのはどうしましょう。愛葉さんのサイズとなると、中等部の物になってしまいますが」
「あー、私のドレスを買う時に、愛葉のも」
「……そう、でしたか。でしたら問題はありませんね」
問題だらけです。それって、デート……ではないでしょうか。水曜日の祝日も、予定を入れられていますし……。
「……」
ため息を吐きそうになってしまいます。私はもう、ずっと昔から……桜ちゃんと休日を楽しみたいと思っていたのに……。
(とはいえ……愛葉さんになら……)
いえ、やはり羨ましいです。我慢は、出来ますが。
「二人共初参加ですから、来週か再来週、レクチャーしましょう」
お母様が桜ちゃんをパーティに誘う以上、私が夜会等の礼儀を教える事を止められないでしょうから。片桐のパーティに誘うという事がそういう意味なのは、分かっているはずです。
「頼むよ。パーティなんて、入園時しか行った事がないから」
「練習はしているのでしょう? 咲さんから聞いています」
「少しだけね。でも、まったく身につかなくて」
「今回は大丈夫ですよ」
桜ちゃんは昔から、やる気と成果が直結しているのですから。
やる気が空回る事もあるでしょう。やる気があっても成果が伴わない方も居ます。ですが、桜ちゃんはその辺りが顕著でした。頑張れば頑張った分だけ、身についていたのです。ただ……御両親と、私が、その芽を摘んでしまっただけ……。
(桜ちゃんは、私の所為とは、言わないでしょうけど……)
幼い私は、桜ちゃんに良い所を見せようと躍起になってしまいました。桜ちゃんの気持ちを蔑ろにして。最初に失敗した結果、私は――。
「愛衣はスパルタだからなぁ。お手柔らかに頼むよ。愛葉の事は知ってるだろう?」
「はい。少々軽く見てしまいましたが」
あそこまで深刻だったとは思いませんでした。ネムリヒメ、ですか。確かにそうですね。桜ちゃんがあの時諭さなければ、昔のようにずっと眠っていたでしょう。そして、だからこそ桜ちゃんは気にしています。
「昔よりも授業に出てくれていますし、人との交流も円滑に行っています。愛葉さんと桜ちゃんの判断で休息をお願いします」
「ああ。軽伊さんも手伝ってくれてるから、大丈夫だ」
「その軽伊さんですが、備品を使い込まないようにと、桜ちゃんからもお願いします。先日お願いしたのですが、今度はサポーターが一つなくなっていますから」
「……またか。何処かに良い病院があれば、入院してでも治して欲しいが」
「年末年始まで、軽伊さんは行かないでしょうね」
「だろうね。保健医が慢性腰痛で苦しんで、病院にいかないっていうのも、何と言うかだが」
「本末転倒ですが、軽伊さんしか居ないので仕方ありません」
軽伊さんの腰痛は悪化しているようです。本来ならすぐにでも休みを取るべきなのですが、あの人は責任感が強いですからね……。咲さんや羽間さんも、そう評しています。
昔、もう一人の保健医が居ましたが……問題を起こして解雇となっています。それ以来軽伊さん以外の教諭は配属されていないそうです。唯一の保健医という事で、軽伊さんは軽々しく休暇を取りません。
(軽伊さんの、備品使い込みも問題といえば問題ですが、軽伊さんの持つ役割を考えれば、備品の一つや二つ、経費に含んでも良いのしょう)
牧舎の掃除は終わりましたね。次は、ジェファー達と散歩をしましょうか。
「桜ちゃんの筋肉痛、結構酷そうですね」
「分かる?」
「ええ。動きがひょこひょこしてますから」
「なるべく普通に歩こうとしてるんだけど、体の内側が痛くてね」
運動不足、ですね。きっと無理に動けば攣るでしょう。乗馬なんて以ての外です。攣るだけならまだしも、断裂なんてしようものなら大会に間に合わないかもしれません。
「といっても、ゆっくり動く程度なら出来そうですね」
「ああ、大丈夫だ。歩けるよ」
信頼がなければ、馬術は上達しません。馬に限らず動物は、人が思っているよりずっと、人という物を理解しています。侮れば軽蔑され、軽んじれば離れていく。人と人の交流と何一つ変わらないのです。
「ジェファーと一番仲が良いのがルージュです。ですから、ジェファーと仲が良い桜ちゃんなら問題ないと思います」
ただ、気懸かりがない訳ではありません。ジェファーと桜ちゃんは、ほぼ対等です。人との付き合い方と似ているとはいえ、馬術では人主体で動く必要があるのです。
(現状、ルージュの方がやや上といった印象です。乗馬に慣れていない桜ちゃんに、ルージュが合わせているので仕方ありませんが)
出来るなら、桜ちゃん>ルージュがベストです。普段は対等で構いませんが、試合では桜ちゃんが指揮者となるよう、今日からルージュと付き合って貰います。
「ここに至っては、腕はもはや関係ないでしょう」
「そうかな。上手い方が良いんじゃ?」
「それがベストですが、桜ちゃんになら任せても良いと、桜ちゃんに任せて負けたのなら仕方ないと思えるくらい信頼して貰えれば、手綱を握らせてくれます」
本来、鞭を振るい長い年月をかけて調教していくのですが、ここは学び舎です。馬術・乗馬部の本懐は、馬とふれあい、雄大な自然の如き心を学ぶという物。鞭以外の方法で馬と触れ合う事を是としています。その集大成が、馬との信頼を見せる場である試合です。
勝つ為にやっていますが、淑女としての振る舞いを忘れる事無く、学んだ成果を見せるのが、私達サンマルテの試合です。だから、ただ勝てば良い訳ではないのが、サンマルテを背負うという意味の真実です。
「ルージュは優秀な馬です。ジェファー程ではありませんが、乗り手を選ぶタイプ。並の馬が相手なら、ルージュの判断でジャンピングを勝ち残れるでしょう」
「ああ、そう感じた。でも――」
「はい。高弓含む上位陣に勝とうと思ったなら、ルージュ任せだけでは難しいです」
人馬一体。その言葉は何も、並外れた騎手にだけ送られるものではありません。馬術、乗馬、競馬。どんな競技でも、人馬一体を成し得なければ戦えません。プロは皆、人馬一体を成し遂げた者達といえるでしょう。
「ルージュが乗せると決めたのですから、第一段階はクリアしています。後は、ルージュの信頼を得るだけですね」
「信頼、か。私から信頼するのが、この段階の第一歩、かな」
「はい、その通りです」
お互いが歩み寄る準備は終えています。後は、お互いを知るだけです。それには時間が必要です。これからは毎日、今度は雨が降ってもルージュと会って貰います。
「まずは夜会。その後、参加する事になれば片桐のパーティ。そして大会は、来月中旬です。当然ながら勉強を疎かにしないよう、頑張るとしましょう」
「ああ……。過密スケジュールだが、頑張るとしよう」
(まぁ、当然と言えば当然か。愛衣が知らないはずがなかった)
桜ちゃんの苦笑いは分かっています。私が御両親の帰宅を知らないはずがない、ですね。私をこれ以上心配させないように、という配慮ですから、私からこれ以上突く事はしません。
ですが、対策を取る為に話はします。お互いのズレは私達の致命傷。夜会や大会は問題ありませんが、片桐のパーティでの振舞いは決まりました。最低限の会話のみで、それ以外はお互い不干渉です。
(恐らくお母様と愛菜さんは会話する為に近づくでしょう。そして私達は二人に着いて行く事になるはずです)
そうなった時……桜ちゃんが、知ってしまうかもしれません。いえ、二人が会って……かも、なんて……楽観視しすぎです。
(出来るなら、知られたくありませんが……)
その時はその時、です。桜ちゃんは何時か、知ってしまうのです。それがその時か、先になるか、だけなのです。
「桜ちゃん」
「ん?」
「もし…………い、いえ。少し遠くまで行きましょう。見られています」
ああ、言えませんでした。だって……もしそれが知られると、いよいよ私は……桜ちゃんと……。
「……? ああ、分かった。もう知ってるっぽいから言うけど、秋敷さんが九条邸に暫く住む事になったんだ」
「…………へ? い、一緒に!?」
(あ、知らなかったのか……)
私達の関係で、困った事にはなりません。ですが……桜ちゃんの心労が……。はぁ……お母様だけでなく、秋敷氏まで……。そして雄吉氏の帰宅。せめて、夜会くらいは楽しみたいですが……。
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