休暇とお弁当
「おはようございます。お嬢様」
「おはよう。今日はよろしく」
「お任せください」
さて。昼食用のお弁当を作るとしよう。美味しい物が出来る訳ではないが、出来る限り私が作るつもりだ。お礼だし、せっかく咲に叩き起こして貰ったんだから、頑張っていこう。筋肉痛がすごく辛いのだけは、如何ともし難いが。
「朝早くから悪いね」
「いえ。状況が状況ですから」
「お気になさらず」
自分だけだといつものお握りしか作れないから、咲と料理長に付き添って貰っている。十時に学校到着で良いのだから、こんな陽が見え隠れしている時間に作る必要はないのだが――昨日、プレゼントを買って家に戻ると、少々問題が起きていたから仕方ない。
「起きる前に作ってしまおう」
「誰が、かしら」
「おはようございます。早いですね」
ああ、私の不運は継続しているらしい。起きて来てしまった。大変不本意ながらこの人は、私と一緒で朝が弱いはずなのに。
「……おはようございます。秋敷様」
「おはようございます」
「ええ、おはよう。そんなに畏まらなく良いのよ?」
「いえ。旦那様の姉君であらせられる秋敷様を蔑ろには」
「冗談よ」
昨日何があったか知らないが、秋敷楓は咲と普通に話せている。あんなにも苦手意識を持っていたというのに、だ。
(やはり、片桐母が関わっているのだろうか)
何にしても――秋敷楓が暫く、この家に住む事になった。父が帰ってくるからという事だが、その父がいつ帰ってくるか分からない。それに帰ってきたからといって出て行く訳でもないだろう。
「悪いわね。桜」
「いえ。私はこの家の主という訳ではありませんし、私に謝る必要はありません」
どうせ父から許可を貰っているはずだ。わざわざ私に気を使う必要はない。この家に住まわせて貰っているのはむしろ私なのだから。
「それで、何をしているのかしら」
鷹揚に頷いた秋敷さんが、私達の後ろにある材料と調理道具を見ている。その頷きがまるで、自分の立ち居地がよく分かっているじゃない、といった物に見えて、少々苛立ちを覚えてしまう。かなり被害妄想だが、そうと言い切れないのがこの人だ。
(最近、嬉しい事が多かったからだろうか)
磨耗していた精神が回復したのだろう。秋敷さんの、些細な行動に過剰な反応をしそうになってしまう。これでは昔のように、玩具にされてしまう。私がキレでもしたら、元も子もない。
「今日も部活ですから、お弁当を作っているんですよ」
「そう。それにしては量が多いわね。凝ってるみたいだし」
そういえば、こんな人でも主婦だったな。私の食生活も覚えているらしい。
「誰用かしら。随分と力が入ってるように見えるんだけど」
「お嬢様は最近、食生活を見直しましたから」
「夕飯もしっかり食べるようになってくれまして、我々一同ほっとしております」
「……あっそ」
ありがたいことに、咲だけでなく料理長までフォローしてくれた。秋敷さんの事だ。咲の言葉だけだと信じなかっただろう。
「朝食に致しますか? すぐにでもお作り致しますが」
「外で食べるからいらないわ」
それだけ言うと、秋敷さんは外に出て行った。咲がお見送りをしたが、心底邪魔そうにしている。秋敷さんがこの家に来て漸く思い出した事だが、咲だけでなく母とも上手く行っていなかったように感じる。もしかしたら、咲の後ろに見える母を嫌っているのだろうか。
(まぁ、今は関係ないか。出て行ってくれて助かった。これを見られると言い訳出来なかったはずだから)
父と一緒に母も帰ってくる。この広い家で、執務室に篭る父と、殆ど自室とパーティを行き来するだけの母に会うかは分からないが、観察してみるのも良いだろう。その関係性から、突破口が見つかるかもしれない。
「ありがとう」
「いえいえ。自分は本当のことを言っただけです。出来ればもっと、量を食べて欲しいと思ってますがね」
「それは――善処しよう」
料理長にも心配と苦労をかけている。出来るだけお願いは聞くべきだろう。私の体調を慮っての事なのだから。とはいえ、量はいきなり増やせない。私は今の量で満足できているのだ。
お弁当を作り、朝食を食べ、少し落ち着いてから家を出ることにする。咲とは別行動の方が良いのかもしれないが、少し早めに登校すれば大丈夫だろう。
「私服、持ってたんだ」
メイド服以外の咲を見るのは、昨日が始めてだった。感想らしい感想を言う事が出来なかったが、新鮮だ。私服を持っていた事も驚きだが、結構バリエーションがあるのも意外だったりする。
「一応、季節毎で二,三着程。似合っていますか?」
「私に聞いても仕方ないと思うが――似合ってるよ。何処から見てもモデルだ」
佇まいと合わせて、運転手には見えないだろう。雑誌の表紙を飾っていても違和感がない。こういった事に疎い私に聞いても、綺麗とか、似合ってるくらいしか言えないのが少し情けなくは思う。ただ、似合っているというのは本当だ。咲なら何でも似合うだろうけど。
「ありがとうございます。お嬢様の私服もご用意しませんと」
「私? 必要ないと思うけど」
現状、制服以外必要ないと思う。外の大学に行くなら、必要だろうけど。
「そうですか? 今度の祝日には、必要になると思いますが」
「ん? あー、そういう事か」
随分と愛葉と話せたようだ。嬉しく思うと同時に、どんな話をしたのかと気恥ずかしくなる。まさか、水曜日の予定まで知っているとは。
(明日あたりに話して置こうと思っていたんだが)
その必要はなくなったようだ。
「学校の外に出るか分からないんだから、私服はいらないと――」
「これからの事もありますから」
こうなると、断るのは難しいか。咲は頑固なんだ。
(それにしても、私服か)
サンマルテは幼稚園から大学まで制服だ。つまり私は、家着以外の私服を持たない。家着で外に出るのは、拙いだろう。確かに、そろそろ私服の一つか二つあった方が良さそうだ。
「それに、夜会のドレスも見繕いませんと」
「まだ出るとは、決めてないよ?」
「愛葉様と愛衣様は、出て欲しいと仰りますよ」
まぁ、そうなるか。愛衣にとっては、純粋に楽しめる夜会は今回が最後かもしれないのだから、最後くらいは私も参加すべきだろう。
生徒会長である愛衣は、元々楽しめる時間が少ない。それにも増して三年になると、今以上に忙しくなる。夜会自体出られるか怪しいのだ。そして大学になると、両親含めた夜会が多くなる。もし大学行きとなっても愛衣は心休まらないはずだ。
(だから大学生達も、高校の夜会に頻繁に出てくる訳だが)
愛衣はそんな事しない。二年生の間が最後、という気持ちになるのも理解できる。
「一応、用意しておこうか」
「はい。ご予約を入れておきましょう」
「頼むよ」
予約制のお店なんて、用意しなくても良いのだが――どんな服を着れば良いか分からないのだから、咲に任せる。
「ご予定が合えば、愛葉様もお連れになりますか?」
一応、学校貸し出しのドレスがあるが――。
「聞いておいてくれるかな」
「畏まりました」
貸し出しの物より、愛葉専用の方が良いだろう。愛葉の身長だとどうしても、中学生用になってしまう。オーダーメイドで作った方が良い。
「水曜日辺りが」
「お嬢様、それではあんまりです」
「ん?」
「今日ご予定を話し合いますから、ご安心ください」
「分かった」
「それと、私服は先に買いますからね」
私服とドレスを買う予定のはずが、私服は別に買うらしい。咲には咲の考えがあるし、予定もある。任せておこう。夜会自体は月末だから、来週末もある。焦る事はないだろう。
と、学校に着くな。
「私が先に校内へ入りますので、お嬢様は少し後からお願いします」
「ああ」
もう咲が只者ではないとバレているだろうが、一応は一応だ。九条家のメイドとバレるのも問題だし、気をつけておく事に異論はない。
(片桐の次は九条か、なんてなると、お嬢様達の妄想が爆発してしまう)
せっかく落ち着いてきた私達の噂が再燃しそうだ。
「昨日の事もあるし、今日は少し警戒するか。そろそろ出るよ――」
「む」
「どうしたのかな」
「い、いえ。もう少しお待ちになった方がよろしいかと」
咲が出て暫く経ち、私もそろそろと思ったのだが――蓮さんが何か見つけたようだ。何だろう、っと探る必要もないな。大きなリムジンがこちらに向かってきている。
車から出てきた愛衣は、車内を一瞥もする事無く門を潜って行った。いつもの愛衣なら、運転手へ頭を下げたり、片桐母と二三話すのだが。
(昨日の一件、耳に入ってしまったようだ)
これ以上事を荒立てる訳にはいかないと、片桐家の車が出るのを待っているのだが、一向に出て行かない。もしかせずとも、私を待っているのだろう。
「はぁ……蓮さん、ありがとう」
「は、はい。……咲さんに連絡をしますか?」
「いや、大丈夫だよ。片桐家と九条家が挨拶をするだけさ」
このまま相手が痺れを切らせるのを待っても良いが、私の所為で愛衣と両親の仲が悪くなっているのだから、私だけ逃げる事は出来ない。昨日話しかけられた以上、しっかりと礼を尽くそう。
車を降り、門へと向かう。ちょうど門の正面に止まっている片桐車の窓が開いた。やはり、私を待っていたようだ。
「おはよう。九条さん」
「おはようございます。片桐様」
「今日もしっかりと顔を出してくれたようね。愛衣も喜ぶでしょう」
「それは、分かりませんが、迷惑にならないように努めます」
「ふふ、迷惑だなんて。しっかり励みなさい」
「はい」
片桐母は、前のように私を憎憎しげに見ることはなかったけれど、一度も視線が合うことはなかった。ただ一点。私の前髪辺りを見ている。
「あの髪飾り、止めたのね。似合っていたのに」
「……もっと似合う子に渡しました」
「そう。それも良いでしょう。また機会があれば話しましょう。色々と積もる話があるもの」
「はい。機会があれば」
一礼し、車が発進するのを見送る。ほっと一息吐き後ろを見ると、愛衣がこちらを見ていた。
どうやら、餌にされたらしい。片桐母はあの時のように、愛衣が私を引っ張って行く所でも見たかったのだろう。残念ながら、それは叶わなかったようだが。
「お嬢様」
「私の部活が終わるのは三時だけど、咲を待ってから帰るつもりだ。四時か五時に迎えに来てくれ」
「畏まりました。お気をつけて」
「蓮さんも」
九条の車も見送って、私も校内に入る。愛衣が申し訳なさそうにこちらを見ているが、将棋、囲碁部の子達も集まってきていた。愛衣に声を掛けるのは、牧舎についてからで良いだろう。気にしなくて良いとだけ、手を上げて伝えておく。
「おはようございます。片桐様、九条様」
「おはようございます」
「おはよう」
私達が居たからだろうか。噂が噂でしかなかったと分かった今でも、多少空気が緊張してしまうようだ。私語をしながら集合していた子達が静かになってしまった。
「先生方、咲さん。後はよろしくお願いします」
「畏まりました」
それだけ伝えると、愛衣は一足先に離れた。やはり、少し元気がない。足早に去っている辺り、何かをぐっと我慢しているようにも見える。
「愛葉、頑張って」
「はい! 桜さんも、頑張ってくださいっ」
(いつも、手ぶらなのに……あの荷物、なんだろう?)
「香月も」
「ええ。九条様」
「桜で良いよ」
「あら。でしたら私も美雪で構いません。桜さん」
「!?」
「ああ、分かった」
美雪をぎょっと見た愛葉が気になったけど、くすくすと笑む美雪に曳かれて行ってしまった。
「うぅ――――香月さ――」
「愛葉さんも、私の事――」
「は、はい――じゃなくて――」
仲が良さそうで、良い事だ。少し羨ましいと感じるが――愛葉が楽しそうなのは嬉しい。
「……」
咲のジト目が見えた気がしたが、私も牧舎に行かないといけない。目礼だけして、この場を離れるとしよう。もう一人も気になるから。
牧舎に着くと、他の部員達が心配そうにしながら出て行くところだった。
「あ……九条様」
「おはよう」
「お、おはようございます。その……」
「どうかしたのかな?」
一応チームを組むかもしれない子達だから、コミュニケーションをとっておくべきだろう。個人競技の延長でしかないチーム戦とはいえ、仲間である事に変わりはない。
「その、片桐様が落ち込んでいるように見えて……」
私だけでなく他の者にまで気付かれるとは。重症のようだ。とはいえ、冴条や正院が私との関係に薄っすら気付いたりと、少々抜けているのが愛衣でもあるのだが。
「こっちでも気にしておくよ。安心――は、出来ないか。まぁ、あまり気にしすぎない方が良い」
「は、はい。ありがとうございます。九条様」
今までずっと幽霊部員だった上に、愛衣を取ってしまっている私だ。余り仲良くしたい相手ではないかもしれないが、大会が終わるまでは頼むよ。個人的な理由でしかないが、私は今回の大会、負けたくないと思っている。
他の部員達が走り出すのを待って、牧舎に入る。他に残っている部員は、居ないようだ。
「愛衣」
「っ」
振り向いた愛衣は、泣いていた。ジェファーが愛衣の頬に唇を寄せながら、私を睨んでいる。私の所為ではないのだが、直接的ではないにしろ間接的には私も関わっている。甘んじてその視線を受けよう。
「っも、申し訳ございません。ジェファー。桜ちゃんの所為じゃ、ありませんから」
「ヒヒン」
「ブルル」
ジェファーだけでなく、ルージュが私の背を小突き、促してくる。まったく。愛衣は本当に、馬達に好かれてるな。微笑ましさに、笑みが零れてしまう。
「片桐母の事かな?」
「一時間遅らせているからと、油断してしまいました……。お母様ならあれくらいするって、思いつけたでしょうに……」
それは、愛衣なら可能だっただろう。でもそれは出来なかったと私は思っている。というより、そうであって欲しい、か。
「それは、母親を疑うって事だ。出来ない方が良いに決まってる」
「しかしっ」
「私は気にしてないよ。緊張はしたけど」
あの時、話しかけられるとは思わなかった。すごく緊張したし、何を言われるかと戦々恐々だった。だが、その後秋敷さんから聞いた、両親の帰宅の方が私は衝撃だったのだ。
正直片桐母が言った、次は母と一緒が良いという言葉は気になるが――どちらにしろ、母が帰ってきたら会う機会もあるだろう。社交パーティを開けばすぐにでも。
そういうわけで、交流らしい交流があった訳でもないし、何か不都合が起きたわけでもない。やけに話しかけられるようになったが、隠れて何かされるよりは対処が容易だ。
「美味く出来たか分からないけど、ちゃんと作ってきたんだ。楽しみにしてくれると嬉しい」
「ぅ……」
「片桐母は愛衣が心配なだけだ。昔から私は、片桐母を苦手としていても嫌いではない」
私の何に警戒し、心配しているのかは分からない。ただ、愛衣を貶めようとか、そういった意図は一切ないのだ。お互いのすれ違いが何故おきているのか、私には想像も出来ないが……私の事で仲違いする必要はない。
「私は変わらず、今も幸せだ」
「……はい」
少しは落ち着いてくれたようだ。本当に、幸せ者だよ。私が気にしてない所であっても、愛衣は私のために心を痛めてまで、力になってくれようとしている。そんな幸せ者が居て良いのかと、常々思っている。
ただ、それで傷つく愛衣には耐えられない。余り気にしすぎる事無く、愛衣も今を楽しんで欲しい。三年になれば忙しくなると決まっているのだから、今でしか楽しめない事を、楽しもう。
「お勧めはイチゴのタルトなんだけど、九割くらい咲が手伝ってくれた物だから安心して欲しい」
「他の料理も楽しみですわ。桜ちゃんが初めて作ってきてくれた手料理なんですもの」
まだ涙の跡は残っているが、愛衣はちゃんと笑顔に戻ってくれた。ジェファーとルージュの反応を見る限り、及第点は貰えたようだ。
ジェファーには悪いが、愛衣を慰めるのは私の方が上手い。
「ヒヒンッ」
「いたっ」
「ジェファー!?」
何も、噛み付くことはないと思うのだが。
ブクマありがとうございます!




