九条 桜③
高等部学舎二階から三階の間にある屋上の一角。フェンスに囲まれたここは本来、入る事が出来ない。万が一にも落ちてはいけないという事と――教員の一人が庭園を造っているからだ。
私は特別に鍵を借りて、度々入らせてもらっている。あくまで教師の手伝いという形だから私用で入って良い訳ではないけれど、昼食時に利用していても怒られた事はない。そう考えると、私はやっぱり不良なのかもしれないな。
「桜さん。これを」
「ん? これ、お弁当箱?」
「はい。その……桜さんに食べて欲しくて……」
どうやら、愛葉が私にお弁当を作ってくれたようだ。全寮制だが、申請すれば厨房を借りられる。推薦組や一部の物好きなお嬢様達は、自分でお弁当を作っているらしい。
「嬉しいけど、私も持って来てるんだ」
「でしたら、交換しましょう。桜さんが私のを食べて下さい」
「それなら構わないけれど――」
私のお弁当、と言っていいものだろうか。それは、お握りニ個という簡素なものだ。
使用人達は、あの無駄に広い屋敷を毎日綺麗に保っている。あの父親は殆ど帰って来ない癖に、帰ってくれば小言で責め立てるのだ。だから私のお弁当を作る暇があるのならば、両親が見る場所を掃除した方がいい。そう思って、自分で作っている。
作っていると言っても、この様だが。お握りなのに箸で食べた方が良いくらい崩れやすい。
「見ての通り、二個のお握りだけだよ」
「私は、それが良いです」
「物好きだね。愛葉」
思わず、笑ってしまう。
仮にも九条家のお弁当がお握りニ個だ。
この学院に通うお嬢様達の大半は、専属のシェフがわざわざ面接を受けて厨房に入ったり、高級レストランも裸足で逃げ出すような学食で食べているというのに、九条の一人娘は形の悪いお握りニ個なのだ。
食べられない物を作った覚えはないが――少しばかり、恥ずかしいな。
「それじゃ、交換としようか」
「ありがとうございますっ」
そんな笑顔を見せられてしまっては、断る事は出来ない。それに後悔もしてしまう。もっとちゃんと握ればよかった、と。
「桜さんが作ったんですよね」
「うん。不格好だけど」
「おいしいです。すごく」
「そう?」
人に食べてもらうのは初めてだ。だから少しだけ緊張していたが、美味しいようで良かった。
(緊張、久しぶりの感覚だ)
自分を諦めてからは、緊張などした事がない。
「愛葉のもおいしいよ」
「早起き、頑張った甲斐がありました」
殆どを寝て過ごしている愛葉が、早起きして作ってくれたらしい。その頑張りが嬉しいと思えるが、それと同時に少しばかり申し訳ないと思ってしまう。
「ありがとう」
「――! はいっ」
頭を撫で微笑む。目の前に居る可愛らしい子。お礼という事だったが、十分すぎる。
食事を終えた私は、少しばかり考え込む。十分すぎるお礼を貰ってしまっては、対等とはいえない。家の格式だ何だと、立場を考える者ばかりの学院だ。対等の立場というのがそもそも珍しい。私はこの子と対等で居たいと思っている。
「おいで愛葉」
「え?」
頭を撫でるついでに、引き寄せる。
「まだ時間はある。少しお休み」
「良いの、ですか」
「少し硬いかもしれないけど」
「いえ……」
私の膝の上で、愛葉がゆっくりと目を閉じていく。そしてすぐに、寝息が聞こえてきた。
「良く頑張ったね」
もしかしたら、昼夜逆転してしまっているのかもしれない。見えないところで努力しているのだろうか。努力を見せたくないという人は一定数居る。しかし、愛葉はそういう子には見えない。昼は起きてられないのだろうか。
(やっぱり、無理をさせてしまったか)
どうして私の言う事は聞いてくれるのか、とか。あんなにも眠っていたのは何か理由があるのか、とか。疑問は尽きない。しかし――最近は、一人で見上げていた空虚な空が、今日は輝いて見える。
今はただ、この時間が続いて欲しい。私はそう思いながら、あの子の事を思い浮かべていた。
(――取り巻き、か)
この時の私は――。
「……どうして、あの子ばかり……っ。……九条さん、桜……ちゃん……」
物陰からこちらを窺う子が居るとは、知らなかったのだ。
予鈴が鳴ってしまった。
「愛葉」
「ん――。桜さん……」
眠気眼を擦りながら、愛葉が身動ぎする。中途半端に寝させてしまったか。
「失礼するよ」
「桜さ……さんっ!?」
教室まで運ぶとしよう。
「軽いね、愛葉。もっと食べた方がいい」
頬を赤く染めた愛葉がぱくぱくと口を動かしている。横抱き――所謂お姫様抱っこは恥ずかしいようだ。
「午後の授業も、無理をしない程度に少しだけ頑張って。ネムリヒメ様」
「は、はいっ」
少しばかり注目を浴びながら、愛葉の教室へ向かう。どんな噂が流れるかは分からないが、牽制にはなるだろう。片桐の取り巻きはしつこそうだからね。
「それじゃ、またね」
「はい。その、放課後は……」
「ごめんよ。そちらは先約だ」
片桐がしっかりと予約している。片桐の勘違いを解く良い機会になると思う。
「片桐さ……様、ですよね」
「そうだね。正確には片桐主導での馬術部集会だよ」
部長は別に居るが、片桐が実質トップだ。片桐は生徒会や学校運営で忙しい為、部長を別に立てた。
私に部長をしろと言って来たのは驚いたが、部長として責任ある行動をさせたかったのだろう。部長ならば、簡単にサボる事はできないのだから。
もちろん、断ったが。
「片桐との約束は破れないからね」
「分かりました……。ですが明日は!」
「うん。寮までの間になるけど、帰ろう」
「はい!」
父は長期出張。母はそれに着いて行っている。場所は確か、北海道だったか。片桐の会社がまだ展開していない北海道を、先んじて取るのだろう。陣取りゲームじゃあるまいし、何がしたいのやら。
何にせよ、あの家は私が守る事になった。しっかりしなければ、使用人達も愛想を尽かしてしまう。
一つの会社への恨みだか怒りだかで会社を動かす阿呆と、それに着いて行って新天地の奥様方との交流を楽しみたい阿呆。せいぜい踊ってくればいい。
あの家に、あの二人が帰って来ないというだけで気持ちが楽になる。いくら諦めたと心も体も納得していても、魂の様な物……体の芯の部分までは納得していないようだ。
そんな憂鬱な帰路も、愛葉のお陰で楽しみになれそうだな。
「また会おう愛葉。お弁当ありがとう」
「はい。桜さん。ごちそうさまでした」
愛葉を一撫でし、自分の教室へ帰る。
九条の名がどこまで効果があるかは分からないが、せめて愛葉から意識が離れてくれれば良いと思う。
だから――。
「そんなに睨むのは止めた方が良い」
「愛葉さんと貴女はどんな関係です」
佐藤(仮)の次は鈴木(仮)か。
「関係も何も、見ての通りだよ」
「見ても分かりません」
直接聞きたいって事だろうか。
「友人かな」
「そうは見えませんでしたけど」
聞いておいて、否定してくるのか。自分の想像している答え以外は嘘と決めつけているらしい。
「友人だよ。だから余り虐めないで欲しいね」
「虐め? 何のことでしょう」
「とぼけないでくれ。片桐の評判を落とすような行為さ」
「そんな事してません」
取り巻き自体を止めているのではないのだ。片桐にとっても、頼りになる子が周りに居た方が良いだろう。だけど――片桐に付き纏って変な事をされたら、迷惑になるのだ。
片桐の名前を出して良いのは片桐だけ。取り巻きの人間が片桐の名を使って好き勝手して良い道理など無い。
「虐めないと学院を楽しめないのなら私を狙うと良い。サンドバッグが欲しいなら、この学院には居ないよ」
「人聞きの悪い事を言わないでください。片桐様の御言葉を無視していた愛葉さんが悪いのです」
「片桐が少し私情を挟みすぎていただけだ」
「何なんですの……貴女」
「九条だよ。どうしようもなくね」
佐藤(仮)と鈴木(仮)は私を標的にしてくれるみたいだ。不良と言われていた私だけど、敵対していた子など居ない。やっと不良らしく、敵対者だ出来たみたいだ。
(不本意すぎる)
放課後、片桐に頼むか。いや……私が蒔いた種だ。片桐を巻き込むのはやめよう。
今日の終わりを告げる鐘がなる。この後生徒は部活に励み、寮へと帰る事になるわけだが。
「九条さん。お時間よろしいかしら」
「君から片桐に説明してくれるなら構わないよ」
佐藤(仮)と鈴木(仮)が、他の取り巻きと一緒にやってきた。
「何故私達が」
「放課後は片桐に呼ばれていてね。時間を無駄に出来ないんだよ」
「無駄……?」
仲も良くなければ、私に敵対している人の為に使う時間はないんだ。表向きは部活の話だが、私にしてみればちょっとしたお茶会なのでね。
「もう行く。片桐にまた怒られてしまう」
「どうせ叱られるのでしょう。終わった後体育倉庫へお願いします」
「行けないよ。片桐は私に言いたい事が多いだろうからね」
佐藤鈴木が私に何を言いたいのか知らないが、片桐を邪魔してまで言う事ではないだろう。
「貴女が言ったんですよ。愛葉さんを狙わずに自分を狙えと」
「脅しかな」
「私達がそんな下品な事をする訳ないでしょう」
「貴女が言った事を確認しただけです」
この取り巻き達は、狙わせてくれないならば愛葉を狙うと、そう言っている。一体愛葉にどんな恨みがあるというのだろう。
愛葉は少しばかりサボリヒメだっただけだ。私は挑発的だったから、恨まれていてもおかしくはない。だからといって、脅される筋合いもないが。
「遅くなるかもしれないが、顔だけは出すよ」
返事を待たずに馬術部の部室へ向かう。遅れてしまっては片桐が怒ってしまう。目の前に居る数人よりも、怒った片桐の方が怖い。
(しかし本当に、何をするつもりだろう。集団リンチでもするのだろうか)
もしそうなら、私より余程不良だよ。全く。
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