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百合の花 ~赤い心と鈍い金~  作者: あんころもち
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学園の日常―部活動―⑮



 咲さんにコーヒーをご馳走になり、席につく。コーヒー……中学の時は、良く飲んでた。眠気覚ましになるものは一通り試したけど、コーヒーは一番効かなかったなぁ。


「いただきます」


 スティックシュガーの半分を入れ、かき混ぜる。普段飲む時は二本入れるけど、あまり長い時間ここに居られない。眠気覚ましでコーヒーを飲んでいた時に調べた事だけど、ゆっくり飲むなら甘いコーヒーも良いらしい。でも、短時間で飲むなら糖分は少ない方が良いとの事だ。


 どちらにしろ私は、コーヒーで覚める眠気の類ではなかったようだけど。


「お茶菓子もと思いましたが、今日は軽い話だけですので」

「早く戻ってくるようにと、顧問から言われてますから、お気になさらず」


 初日だし、部活仲間で戦えるくらいのルールは覚えて貰うつもりだ。会員達との勝負をするにしても、大会前の最終調整くらいになるだろう。ルールを一応知っているのは香月さんくらい。二人でルールを教えるのが今日の活動。


Niemand(本日お呼) sonst hat(び立てした) mich heut(のは他で)e ange(もあり)rufen(ません),お嬢様についてです」


 突然、ドイツ語になった。多分回りの耳を気にしてだろう。私がドイツ語を話せるって、誰から聞いたのかな……。知ってるのは、両親くらいだ。サンマルテの推薦が取れなかったら、治療目的でドイツの学校に行く事になっていた。だから話せる。


 ドイツ側の推薦は貰えていたけど、サンマルテから手が上がったからそちらを選んだ。ドイツの医療技術でも私の眠気は取ることが出来ないと確信していた。だって私のこれは……病気ではないのだから。


「先ほどの続き、という訳でもなさそうですね」

「はい。お嬢様の事ですから、巻き込みたくないと黙っている事も多々あるでしょうから」


 今日桜さんから過去を少し聞いたけど、確かにまだ秘密があるような感じだった。でも――。


「桜さんが意図的に隠したものを、ここで聞く訳には……」

「ご安心を。お嬢様が隠している物を話す事はありません。ただ――気になる方が一人、いますので」

「気になる……?」


 桜さん関係で、咲さんが警戒する気になる人。多分桜さんと片桐様が抱える問題に関わっている。となると――。


「秋敷先生、でしょうか」

「はい。お嬢様からはなんと?」

「ただ、知っている人とだけ」


 しかも、名前を聞いた訳ではない。新任の教師という言い方だった。あの日着任したのは一人だけ。特別講師という、余りにも特殊な立ち居地だった。なのに今日、桜さんのクラスだけ英語の授業に参加したらしい。あの学院でそんな目立つ行動をすれば、休み時間の間に誰の耳にも入る。


「今日も、授業中やけに桜さんを指名していたと、噂になっていました」

「私の耳にも入っております。全く…………あの人達はいつも――」


 後半、ぼそりと呟くような声だった。でも、その呟きは余りにも力強くて、怒りが凄く篭った――咲さんのイメージからはかけ離れた雰囲気だった。


 その雰囲気に呑まれそうになったけど、咲さんが校内の出来事を知っているという事に疑問が湧いた。桜さんから聞いた、という訳でもないだろう。多分、小鞠先生達に聞いたはず。大学時代から今に至るまで、仲の良い友人らしいから。


「お見苦しいところをお見せしました。本日はその秋敷楓という()()についての話をしておきたいと、お呼び立てしました」


 声音や雰囲気は落ち着いていても、言葉選びに棘が感じられる。余程、赦せない事をしてきたらしい。


「桜さんが名前を伏せたのは、その」

「恐らく、愛葉様を巻き込まない為でしょう。私としましても、普段の秋敷楓様であれば無視するのですが、今は状況が状況ですので」


 身内が学校の教師になる。しかも特別講師だったり、授業への参加が自由だったりと、明らかにサンマルテに副わない行動をしている。妙と言えば妙だ。いくら環境大臣の奥方であろうと、九条の背景があろうと、サンマルテは屈しない。屈するとすれば――やっぱり……。


「片桐、家……でしょうか」

(羽間先輩達に聞いた通り、ですね。少ない言葉と状況から、ここまで。だからこそ、お嬢様は愛葉様を巻き込まないのでしょう。知りすぎる事は時に……不幸を呼び寄せるのです。愛衣様のように……)

「その辺りは予想でしかないので、明言は避けておきます。ただ、普段の秋敷楓様の行動ではありません」


 深く考えすぎるな、という事だろうか。踏み込まれるのを嫌ったというよりは、桜さんと同様私を巻き込むのを避けた形に聞こえる。


 生徒の自主性を重んじる。入学式で聞いたサンマルテの言葉。羽間教頭達、サンマルテ卒業生からはその意志を感じた。だけど、学院長達は別だ。サンマルテの校則には従っているけど、普通学校と変わらない教育方針で居る気がする。


 保護者の言葉に弱かったり、世間の言葉に耳を傾けすぎていたり、付き合いから断りきれなかったり、だ。そんな学院長達の考えを、強い言葉で表現するなら――自分がない、だ。


 地位に固執する余り失敗を恐れている。責任を回避する為に言葉を濁し、責任の所在を分散させるように他者を巻き込む。良くも悪くも一般人の域を出ない。


 これらが悪いとは言わない。何事もバランスだと思う。危機管理の面では当然だし、教育者として間違った考え方ではないと思う。保護者を完全排除するのが良いとも思えない。世間から離れすぎるのは絶対に間違えている。バランスというのは、そういう所だ。


 羽間教頭や片桐様がサンマルテの意志だとしたら、学院長達は普通学校の意志。これらが上手く混ざり、制御され、サンマルテの改革は良い方向に進んでいた。


 ただ、秋敷楓については少々違和感がある。今まで学院長に批難が集まらなかったのも、サンマルテに五年以上務められていたのも、そのバランスが取れていたからだ。しかし今回の出来事は明らかに、浮つきすぎている。


「彼女を一言で表すなら――蛇です」

「蛇、ですか?」


 私は蛇が嫌いではない。冷たい肌も、チロっと舌を出す仕草も、くりっとした目も、可愛いとさえ思える。だからぴんと来ないけど――世間一般で蛇というと、悪いイメージで例えられる生き物だ。狡猾、執念深い、といったところだ。


「お嬢様が生まれた時から、秋敷楓は何度も九条邸に足を運んでいます。これだけ聞けば、従姪の誕生を喜んでいると思われるかもしれませんが」

「違う、んですよね」

「はい。お嬢様が生まれた瞬間、秋敷楓様は旦那様と共に、求めた子ではないと話しておりました」


 咲さんは無感情なのに、私は心が震え上がるような感覚を覚えた。桜さんが覚えていない部分。そして小鞠先生達が聞いていない部分……。そこで何があったのか、咲さんの感情が見えない事が余計に恐ろしい。


「それ以来旦那様はお嬢様を居ない者として扱い、秋敷楓様は――お嬢様で遊び始めました」

「……?」


 遊ぶ、というのがどういった物なのか、想像出来なかった。しかし、「と」ではなく「で」という部分だけで、ぞわりと背筋が張り詰めるような空気を感じたのは言うまでもない。


「あの方はお嬢様が最も苦手としている方です。愛菜様と旦那様の方がマシと、お嬢様は秋敷楓様を評しています」


 嫌悪にも似た感情を両親に持っている桜さんが、マシという人。正直、最悪の印象でしかない。


「詳しく何をやったか、等は避けますが……彼女は自分勝手の権化です」

「そんな人が、学校の教師に?」


 自分勝手の権化とまで言われる人が、教師という規則に縛られ、行動すらままならない職に就くだろうか。


 いくら巨大な背景を持っていて、ある程度の自由が許されているとはいえ、苦痛ではないのだろうか。それはつまり、背景の者から何かしらの命令を――。


「まさかと思いますが……」

「確実に、()()でしょう」


 片桐様が玄関で私達をお見送りしていた時、校門だけでなく学校側にも視線を送っていた。てっきり桜さんを見ているのかと思ったけど、もしあれが、秋敷先生を見ていたのだとしたら。


 間違いなく、秋敷楓と片桐家は繋がっている。そしてそれは、桜さんと片桐様の監視だ。少し前片桐愛香様が学校に来たのも、もしかして? 秋敷楓が着任してすぐだったし……。


「学校側は、なんと?」

「羽間教頭ではどうしようも出来ないと」


 私がまだ知らない、桜さんと片桐家の確執。これは桜さんも知らない事で、咲さんと片桐様しか知らない事だ。だから、聞けない。私はその一件を、桜さんより先に知ろうとは思っていない。


 私にとって桜さんは憧れの人で、好きな人。幸せにしたい人。私の人生に彩りをくれた、優しい人。片桐様はライバルで、友人……腐れ縁なのかもだけど、とにかくそんな感じの人。その二人が、困っている。


「愛葉様にこの話をしたのは」

「はい」

「気をつけるように、と教える為です」


 助けて、ではなく、気をつける。その意味が解らない程……私は馬鹿ではなかった。私が変に緊張したり、かき回せば、事態は悪化する。何も知らないに等しい状況なのだから、私が出しゃばる訳にはいかない。


(それに……私が、桜さんの弱点になりえてしまうから……)


 友人の為に何一つ出来ない事が悔しい。変に賢い自分の性格もまた、悲しい。賢い、か。こういうのを小賢しいというのだろう。


「お嬢様も愛衣様も、愛葉様の事を良く分かっています。いつも通りで居てくれる事こそ、お二人の学校生活なのです」

「はい……」

(純粋な方。その純粋で、真っ直ぐな貴女だから、二人は貴女を大切に扱うのでしょう。九条と片桐に巻き込まれて、貴女が――消し飛ばされぬ様に)


 片桐様と桜さんの小波とは、訳が違う。相手は学校そのものを動かして破壊する、津波。私がかき回して混ざり合う程度の流れじゃない。


「それでも話したのは、秋敷楓様は味方ではないと知っておいて欲しかったのです。蛇と言ったのは、そういう意味です」


 狡猾。その一言に尽きるという事だろう。どんな目的で送り込まれたかは、明らかになっていない。でも二人の仲を引き裂く為というのは想像出来る。その為なら、優しい教師の顔を被って私を利用するはずだ。


 片桐様と桜さんの関係は極秘。いくら桜さんの親類とはいえ話さない。親類だからこそ話さない。でも、秋敷先生が桜さんの親類と知ったのは今日だ。それを隠して、小鞠先生達のように味方という体で近づいてきたら……ぽろっと話す可能性もあった。


「小鞠先生達は、この事を?」

「先日、送迎の件を話した時に話しております。本当は余り巻き込みたくはないのですが……向こうも手段を問わないようですから」


 目には目を、かな。秋敷先生が余りにも酷いようなら、事情を知る三人が動くのだろう。教頭と保健医、そして美術教師。保健室や庭園といった密室もそうだし、秋敷先生も簡単に捜査出来ないはずだ。


「そろそろお戻りになった方が良いかと。お時間を頂き、ありがとうございました」

「いえ。コーヒーご馳走様です」


 日本語に戻って、密談を終える。コーヒーは冷めてしまったけど、ここのコーヒーは冷めても美味しいらしい。一気に飲んで、席を立つ。


「……」


 席を立ったところで、私は少しだけ考え込んでしまう。私がやるべき事は済んだし、お互いの意思確認も済んだ。咲さんとはこれからも送迎に関わらず話す事も多くなるだろうと思う。でも……。


「咲さん」

「はい。なんなりと」

「桜さんの……っ」


 これ以上はいけない。桜さんの家庭環境を知って、桜さんをもっと、幸せにしたいと思ったからか、余計な考えがふつふつと湧いてしまう。


「愛葉様」

「は、はい」

「お嬢様が気に掛けるのも納得です。ですから、一つだけ」

「……はい」

「お嬢様はちゃんと、祝福されて生まれたのです」


 もし、これが普通の人なら……当然と思った。でも桜さんは、違う。本人はそう思っていない。この咲さんの言葉に込められた意味は、当然と流せない。


「これは愛衣様も知らない事です」

「片桐様も……」

「愛葉様もどうか、お嬢様を愛して下さい」

「はい――ひゃいっ!?」

「ふふ。さぁ、こちらを」


 からかわれ、た? でもそんなはずがないから、桜さんは祝福されていたという言葉を、私は考える。考えていたから、突然の言葉に反応が遅れてしまったんだけど!


 そう、わたわたとしている私に、咲さんは一枚の紙を渡してくれた。


「これ、は!?」

「お嬢様の事ですから、忘れていると思いまして。本当は愛衣様も持っていない物を渡すのはどうかと思ったのですが……」


 片桐様が持っていないのは、納得出来る。これを片桐様が持っていたら、バレるなんてものじゃない。完全に証拠だ。


「良いんですか……? その、桜さんの携帯の、番号ですよね?」


 数字の羅列と、まるで初期設定のままのような英数字の羅列。何の意味もない羅列だけど、私にはこれが……星の輝きのように見える。


「お嬢様は殆ど持ち歩きませんので、連絡の大半は私を経由する事になります。ですが、あった方が良いでしょう」

「は、はいっ!」


 学校外でも、桜さんと話せるかもしれない! ただそれだけの事だけど、凄く嬉しい。ただ純粋に喜べないところもある。片桐様の事を考えると、私だけが……という想いがあるのだ。


「よければ、愛葉様のアドレスも――」

「い、いえ。その……多分、連絡はまだ先になりますから」


 これは大切に、本当に大切に仕舞い込む。いつになるかは分からないけど……片桐様も手に入れてから、連絡する。そう決めた。


「私と片桐様は、ライバル、なんです」

「――ふふ、あははっ」


 きょとんと、私は咲さんを見てしまう。店内の、ちょっと増えていたお客さん達も咲さんを見ていた。超がつく美人な人が、屈託なく笑っていたら誰だって見てしまう。


「ふふ……申し訳ございません」

「い、いえ」

(お嬢様の友人、という認識でしかありませんでしたが、確かに――愛らしい方ですね。お嬢様、愛衣様)


 笑いを落ち着けながら、咲さんはコーヒーを一口飲んだ。笑った後の仕草なのに、絵になるなぁと、場違いにも思ってしまう。


「お邪魔しないと申しましたが、撤回します」

「えっ?」

「応援、しております。お二人の想い」

「あ――」


 にこりと……メイドでも、従者でも、ましてや他人でもない。桜さんの、姉……いや、母のように咲さんは、微笑んだ。



ブクマ評価ありがとうございます! 

週一というスローペースですが、今後とも楽しんでいただければ幸いです!

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