学園の日常―部活動―⑧
「それでは提出してください」
予定通り十分で感想提出となった。残りの時間は何をするのだろう。考えられるとしたら――正しいマカロンの作り方辺りかな。多分もう一度マカロンを作ることになると思う。
「皆さん作っている時に思ったでしょうけど、時間が足りなかったはずです」
本来、ああいったお菓子は一時間を目安に作る。生地を寝かせたりする場合は、六時間は必要になる。
「これから手順を教えますので、休みの間に作ってきてください。こちらの感想とお菓子の出来で点数をつけます。当然、先日の時点で時短レシピ等の工夫をしていた子達には追加点を上げますので、ご安心を」
明日明後日は休み。とはいえ、部活が再開するんだから参加しないと。せっかく桜さんと片桐様がチャンスをくれたんだから。それに、桜さんも乗馬・馬術部に参加するんだし――。
(もしかしたら、会えるかも)
そんなに長々と話は出来ないだろうけど、少しでも話せたら良いなぁ。
(それに、来週の水曜日は桜さんと過ごせる)
部活があれば、過ごせないかもだけど……。何とか、時間を作ろう。
「それでは手順をボードに書いていきますので、ノートに書いてください」
「先生ー、材料は自前ですか?」
「場所は何処を使えば良いですか? 寮のキッチンでしょうか」
「材料は人数分用意しています。休日中この調理室を開放しますので、作る際は職員室に連絡してくださいね。私と数名の家庭科教師は常駐してますから」
「はーい」
先生なしで火を扱うのは危ない。お菓子作りとはいえ、包丁を使う場合もある。監督役は必要。学内での負傷は先生の責任となってしまう。ここにはお嬢様ばかりなのだから、気にしすぎとはならないはずだ。
「片桐さんは自宅で作りますか?」
「……いえ、学校で作ります」
(皆さんもそれを望んでいるでしょうから)
「分かりました。一時帰宅希望者は居ますか?」
幼稚園や少等部では一時帰宅が認められている。桜さんから聞いた話だと、クラスの大半は自宅に帰っていたらしい。でも中等部からは原則禁止になるとの事。でも高等部からは少し事情が変わると言っていた。
(確か、高等部にもなると家のお手伝いとかする人が居る、だったかな)
原則禁止は変わらないけど、申請すれば出られるらしい。学生として過ごして欲しい学校側は、余り推奨していない。それに、一時帰宅と言っても遊びに出て良い訳ではないそうだ。その時は親から学校に報告しなければいけない。
(まぁ……報告を入れる親の方が、少ないそうだけど)
そういえばクラスでも一時帰宅の募集をしていたけど、手が上がっていなかった。
(授業の一環でも、帰りたいって人は多いと思ったんだけど)
「普段なら多いです。ですが、夜会前は余り居ません」
「そう、なんですか?」
「この学院の夜会は人脈作りに適していますから」
(なので、調理実習の宿題とはいえ私が居た方が良いでしょう。先日は私情で班から離れてしまいましたし、その埋め合わせをしないといけません)
私が首を傾げていたからか、片桐様が教えてくれる。家に帰ってくる暇があったら、人脈作りの為に学校で過ごせという事だろうか。片桐様が在学しているのだから、少しでも交流しておくように、とか任務を受けてそう。
「それに、両親と離れて過ごしたいという方も多くいるんですよ」
「それは……分かる気がします。私の両親は余り干渉してきませんが、少し煩わしいと感じた事も少なくありませんから」
(私は、感じた事がないなぁ。両親には心配ばかりかけてきたし……)
香月さんも、そういう事があるんだ。反抗期? 思春期、だろうか。私の反抗期は中学一年で終わっているけど、その時の経験からだと――少しだけ、分かるかもしれない。
親は単純に、子供の将来を按じているのだろうけど……子供からすれば、ただの束縛と感じてしまう。そして家族だからと、言葉足らずに罵りあう事が反抗期、思春期の始まりとなってしまう。
ただ私は両親に心配ばかりかけているから、偶には帰ってみたいと思えるくらいには、成長出来たと思っている。両親は私を心配してくれているのだから、私もそれに応えたいと。でも、ただの顔見せで申請は通らない。それは推薦組もエスカレーター組も一緒。家庭の事情、不幸事ややむを得ない状況でしか帰れない。
「片桐様も、そうなんですか?」
片桐様ならば、他者の気持ちを酌む事くらい出来るだろうけど……どこか、自分の事のように話していると感じた。だから思わず、尋ねてしまったのだろう。
「こんな言葉が出るのですから、私も少なからずそうなのでしょうね。寮で過ごしたいと思っているのかもしれません」
(寮が良いといえば、私は通るでしょう。理由さえ整えば、いつでも。ですが――)
片桐様でもそうだという事に、香月さんが驚いている。でも私は何となく、その理由が判った気がした。だって片桐様は、桜さんを見ている時と同じ表情をしていたから。
「居ないようですね。では、ノートをとってください」
片桐様が桜さんの事で、あの目になる時は……両親が関わっている時が多い。両親の所為で、二人は思い通りにいかないのだと思う。その理由までは分からないけど、簡単に入り込めない雰囲気がある。
(桜さんはきっと、聞けば教えてくれる……。でも、聞こうって思えない)
片桐様が私を見ている。この先を知りたかったら、聞いてみろって事かもしれない。でも……簡単に訊ける問題ではないだろう。だってその秘密は二人の仲を複雑にし、桜さんをあんなにも変えた原因だろうから……。
「……」
ノートを取りながら、私は昔を思い出している。入学後一週間経った頃――私がこの学校に入って、最初に聞いた噂は二人の事だった。
曰く、片桐家のお嬢様と九条家のお嬢様は仲が悪い。顔を合わせれば睨み合い、喧嘩をしている。学校を良くしようとする片桐お嬢様と、それを疎ましく思っている九条お嬢様。二人の仲は平行線を辿り、交わる事がない、と。
実際、一度だけ見た事がある。二人が睨みあっている所だ。でも私にはそれが、我慢しているように見えた。
噂は所詮噂だ。そうやって噂を切り捨てた私に、もう一つの噂が聞こえてきた。色々なところで隠れるように眠っていた私の耳には、良く入ってくる。
その噂とは――昔の桜さんは、あんなにも無気力じゃなかった。というものだ。何でも精力的に行い、成績にしろスポーツにしろ、高水準だったそうだ。でも、ある時から今のようになったという。
授業には出ているが、ノートを取っている様子はない。学校を休む事はないが、行きたがっている訳ではない。運動の時は出席だけして見学。テストは白紙で出すこともあるらしい。ただ、留年だけは避けている、というものだ。
余りにもチグハグで、首を傾げた事を覚えている。
気だるげな雰囲気は、うっとりするような容姿に影を作っていた。この学院に居る人の中で、それは浮いていた。世間一般でいう所の不良。それが桜さんのレッテルだった。
でもそれは、お嬢様達が本当の不良を知らないからだ。漫画やドラマという、家でも見られる媒体でしか不良を知らないお嬢様達は、九条お嬢様にそのレッテルを貼った。と、私は考えている。
それは概ね当たっているだろう。香月さんの態度が証明している。香月さんは噂とイメージだけでしか桜さんを知らない。それで不良と思っていた訳だが、話して見ると全然違うと言っていた。
本当の不良を知っているのなら、話そうとすら思わないだろう。皆想像の中でしか、不良を知らないのだから。
話は逸れたけど、私は遠巻きに桜さんを見て思った。不良とはいえないけど、不真面目な人なんだ、と。そう思ったけど、不快感はない。何しろ私が一番不真面目だったから。
よって私は、桜さんと片桐様の事は遠巻きで見るだけの一般人でしかなかった。回りに居るお嬢様達もだけど、一生関わる事のない人達なのだと信じて疑わなかった。
中学時のある出来事が原因で、私は誰にも迷惑をかけないように眠い時は寝るようにしていたから。他人と交流するなんて、思ってもみなかったのだ。
そんな私が、二人の真実を知る事になったのは――高等部一年を半分くらい過ぎた時だろうか。私は屋上で寝ようとしていたけど、熱くて眠れなかった。だから戻ろうとした時、二人が入ってきた。
こんな人気のない所に来たものだから、私は思わず……噂通り険悪で、今から喧嘩しようとしているのかと思って、隠れた。でも違った。二人は仲良く、話していた。笑顔で冗談を言い合ったり、窘めたり、本当に……普通の友達のようだった。
それを見て私の頭の中で巡ったのは、二人は仲が良かったんだ、ではない。何で二人は隠れるようにして、密会しているのだろう、だ。
そこから気になって、二人を見るようになった。片桐様を観察する事は出来なかった。取り巻きが常に居たし、隠れて観察でもしようものなら、隠れファンに何を言われるか分からない。
だから、九条お嬢様……桜さんを、観察した。いかなる物にも興味を示さず、教室ではじっと外を見るだけ。回りの会話に耳を傾けているようだけど、それに反応する事はない。というのも、遠巻きに桜さんを窺うだけで話しかけないから、桜さんの回りに人は居なかったのだ。
最初に思ったのは……桜さんは孤独なんだ、という事だ。片桐様が居なかったら、桜さんはもしかしたら……学校にすら、来ないのではないかとさえ思った。
最初は同情、もしくは共感だったのかもしれない。桜さんにどんな事があったのかは分からないけど、私と同様に孤立していると感じたのだ。
私はこの体質ゆえに、友人らしい友人に恵まれなかった。いや……作ろうとさえしなかった。桜さんと私は似ている、と感じた。
でも、今はどうだろう。私よりずっと……難しい立場に居ると分かった、今なら……。
(私の想いは、同情でも共感でもない。私は、桜さんの優しさを知ってしまった。桜さんの笑顔を、慈愛の瞳を知ってしまった)
私では想像もつかない事情があるにも関わらず……それは、片桐様が深く後悔し、苦心している程の物なのに、桜さんは優しい。名前すら知らない、顔すら見られた事もない。会話をした事なんて挨拶すらない。なのに桜さんは、私を助けてくれた。
あの時よりずっと前から、気になってた。格好良いし、優しい笑みを浮かべる、素敵な人。多分一目惚れだった。でも、あの日……助けてもらって、確信した。
(私は桜さんが好き)
私が起きている時間は短い。その短い間だけ、隠れて桜さんを観察していた。
じっと外を眺める桜さんは、何を考えているんだろう。もしかしたら雲の数でも数えているのかも、とか。
自身の噂をどう思っているんだろう。もしかしたら傷ついているのかもしれない。だったら何か力になれないかな、とか。
遠くから見るだけで良かった。もう一度片桐様と話している時の笑顔を見てみたいと思ったけど、桜さんを見られるだけ少しだけ学校が楽しくなった。
その笑みが今、私にも向いている。桜さんが私との交流を楽しみにしてくれていて、昔より学校を楽しんでいるように感じる。私はまるで、童話の世界に迷い込んだような気分だ。
白馬の王子様と、お姫様。そしてそれを眺めるだけだった街娘。私にとっての『ガラスの靴』が何だったのか、それは未だに分からない。でも、私の足にはぴったりだったようだ。
あの物語に続きがあるのかは知らないけど、私は――王子様を射止めたい。




