学園の日常―登下校―⑮
ルート的には、車通りが少ない道のようだ。蓮さんがその道を教える為に走らせてくれているのだろう。
「ありがとうございます。蓮さん」
「いえ。金曜日はこちらも込むかもしれません。その際は通常通りの道を通った方が良い場合もあります」
「分かりました」
花の金曜日、というやつか。こちら側には商店街や繁華街がある。平日ならば直帰する者達も、その時ばかりはこちらに向かって来るのだろう。
(成人したら、私もそういった道を通る事もあるのかもしれないな)
何処かの金持ちに売られない限りは、普通の会社員になりたいと思っている。ただ、その道を通ると九条には居られないだろう。勘当されるだろうから。その方が――良いのかもしれないが。
「お嬢様、カフェに入ってみますか?」
「ちょっと見ておこうか。蓮さんのコーヒーも買って来るよ。エスプレッソで良いかな」
「ありがとうございます、お嬢様。エスプレッソで構いません。ただ」
「ああ、甘党だったね。砂糖は多めにするよ」
「ありがとうございます」
車内でコーヒーを飲んでいる蓮さんを見た事があるが、角砂糖をこれでもかと入れていた。それを数回混ぜた程度で飲み、底に溜まった砂糖を食べるのだ。カラメルのようになっていて美味しいとの事だが、試した事はなかったな。
公民館兼ボードゲームカフェという事だが、三階建てになっているようだ。一階にはトランプや人生ゲーム等のパーティゲーム。二階にカフェ。駅を一望出来る立地だからか、眺めは結構良い。そして三階に将棋や囲碁、麻雀だ。
「お客様、こちらは初めてですか?」
「はい」
「一階と二階は自由にお使い頂けます。ですが三階だけは会員制となっております」
なる程。会員制なら安全か。
「見る事は出来ますか?」
「見学ですね。それでしたらこちらへどうぞ」
「お嬢様。私はカフェの方で注文してきますので」
「うん。私が見ておくよ」
「はい」
愛葉の為の下見というのは、咲には分かっているのだろう。私が行くのが道理だ。受付について行き、見学に向かう。
「あんだ、ありゃ」
私に聞こえるように、不快感を示す声がした。ただ、それを相手にしてあげる義理はない。無視して向かう。
「チッ……」
舌打ちをしながら、私の後についてくる。いや、同じ方向に用事があるのだろう。顔や姿までは見えなかったが、同世代の女性だ。少々ガラが悪そうという印象を抱く性格のようだが、私に直接突っかからない辺り、理性はある。
「お客様のその制服は」
「ああ、サンマルテです。明日から将棋と囲碁部がこちらでお世話になるらしいので、少し見てみようかと」
「そうでしたか。三階のスペースは完全に会員制ですのでご安心下さい。ただ、カフェスペースと一階は何方でも入れますので、注意するようにとお伝え下さい」
「ありがとうございます。伝えておきます」
サンマルテの生徒が問題を起こす事はないだろう。だけど、サンマルテと分かると絡んでくる者は少なからず居る。実際、生徒が外出すれば高確率で何かしら問題が発生しているのだ。
(その度に、愛衣が頭を抱えているのだが)
監督役の教師には是非、頑張ってもらいたい。そろそろ愛衣に任せっきりは止めるべきだ。愛衣も後二年程で高等部を出る。その後の進路は大学を予定しているようだが、愛衣ならばすぐにでも前線に立てるのだから、在学中に片桐グループの一社くらい任せられるかもしれない。
「その言い方、気に入らない。まるであたしらが危ないみたいな言い方じゃないか」
今まで黙って後ろを歩いていた女性だが、私達の会話が気に入らなかったようだ。
受付の言い分は確かに、女性の言うとおりに聞こえたかもしれない。だが、そういった意味ではなかったのだ。
「すまないね。悪気があった訳じゃないんだ。サンマルテの生徒はどうしてもトラブルに巻き込まれてしまうから、気をつけるようにという意味で、他意はないよ」
「ああん?」
「サンマルテ側が気をつけてどうこうなる問題でもないが、極力三階から出ないで欲しいって事。客を区別している訳ではないよ」
全く出ないというのは無理だろう。部活動生徒はこのビル内での半自由が許されている。カフェスペースの利用は許可されている以上、店側は大声で注意出来ない。サンマルテ側が自発的にトラブルから遠ざかるしかないのだ。
「申し訳ございません……」
「気にしないで下さい。ただの部活動で問題を起こすのは、どちらも避けたいでしょうから」
無理を言ってここでの部活動をさせてもらうのだから、店側の言い分に頷くのは当然だ。
「……金持ちってのは傲慢で、人を見下した奴ばっかだろ」
「そういう人間も居るかもしれないが、今度ここに来る子達はそうじゃないよ」
漸くしっかりと女性を見る事が出来たが――制服を着崩し、髪を茶に染め、頬には絆創膏が貼ってある。なんと言うか、テンプレートな不良だ。喧嘩でついた怪我ではなさそうだが、にきびでも隠しているのだろう。
髪の乱れ具合とか、染まりきっていない髪を見ると、自分と重なり肩を竦めたくなる。ただ私のような生まれつきではなく、この女性の髪は手入れ不足によるものだ。しっかり整えれば、サラサラな髪に戻るだろう。
「あんだよ。見んな」
「ああ、すまないね」
「チッ……お嬢様学校にも、あんたみたいなのが居るんだな」
「見た目だけで不良と思わないで欲しいが――サンマルテにしては珍しい人間か」
元々絡むつもりはなかったのだろう。気に食わないから憎まれ口は叩くが、直接的な攻撃はないようだ。正直助かる。私は喧嘩が強い訳ではないし、愛衣の負担になる事だけはしたくないのだ。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
「いや、何でもないよ。明日からお世話になると思いますので、よろしくお願いします」
「はい。分かりました」
中の様子までは見れなかったが、悪い場所ではなさそうだ。この不良っぽい子が気になるが、自分から仕掛ける子ではないようだから大丈夫だろう。
「おい」
ただ、私のような見た目不良の人間は気に食わないらしい。
「何かな」
「あんたも来るのか」
「私は違う部活だから来ない」
「……ふん」
それだけ言うと、その子は三階に向かって行った。あの子も会員らしい。見た目だけで判断するなら、麻雀か。
(気にする事じゃないな)
あの子と愛葉が関わる事なんてなさそうだし。
「帰ろうか」
「はい。エスプレッソがなかったので、普通のコーヒーになってしまいました」
「砂糖があれば、蓮さんは満足してくれるよ」
「そうですね。病気にならなければ良いのですが」
確かに、病気になりそうなくらい砂糖を飲んでいる。
「次の定期健診まで、普段の料理を気をつけた方が良いかもね」
「それはお嬢様もです」
「私は、大丈夫だよ」
「ギリギリを大丈夫とは言いません。愛衣様も心配しておいででしたよ」
今晩は野菜を食べる約束をしている。ただこの様子だと――野菜だけで済みそうにないな。
私も蓮さん仕様のコーヒーを飲んでみたが、私には合わなかった。一応全部食べたが、もう二度としないと思う。コーヒー自体は美味しかった。
(ケーキやクッキーがあるというのぼりが立っていたから、休憩も楽しめるはずだ)
「ああ、咲」
二つの袋を咲に渡す。忘れていた訳ではないが、お茶菓子の事を考えていたから、今渡す事にする。
「こちらは――愛衣様と愛葉様が御作りになった?」
「調理実習で作ったらしくてね。凄く美味しいから、咲も食べて欲しい」
「ありがとうございます、お嬢様。夕食後落ち着いてから、お茶にしましょうか」
「うん」
アフターディナー・ティーか。記憶にある限り、その時間に飲んだ事はない。たまには夜更かしも良いだろう。
と、家が見えてきた。違う道から帰ると、別物に見える。西洋風の豪邸だが、どこか和風なのだ。左右非対称な作りだから、角度が違うだけで変わる。
(そんな事に今日気付くくらい、同じ道しか通ってないって事だけど)
まともに見ようとしていないのも関係しているか。私はこの家が嫌いなのだから。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「ありがとう。ただいま」
「御夕食の方はどうしましょう」
「今日からしっかり食べるから、頼むよ」
「畏まりました」
食べない時の方が多いから、毎回夕食の事を尋ねられる。でも今後はしっかり食べるとしよう。愛衣だけでなく愛葉まで心配している事だし。
「夕飯は一時間後を予定しております」
「分かった」
咲と一緒に自室に戻る。荷物を持たせるのは昔から慣れないが、咲も譲らないのだ。
「ここまでで良いよ」
「はい。では、御用があればお呼びください」
「うん」
咲から自身の荷物を受け取り、部屋に入る。着替えて、予習でもしようか。それか乗馬について少し調べるか。
「勉強するか」
もう少し成績を上げておこう。サンマルテの大学に上がれるのは決まっているが、慢心はいけないから。
咲も自室に戻り、資料をいくつか取り出す。秋敷楓と片桐愛香についての資料だ。電気をつける手間すら嫌うかのように、資料を見ながら窓辺に歩みを進めている。
「……」
じっと見ながら、受話器を手に取る。数度のコール後、繋がったようだ。
「急なお電話申し訳ございません。実は学院に秋敷楓様が――はい。はい」
会話を続けながら、資料に書き込んでいく。しきりに頷いている咲だが、何度か眉を顰める様子が見て取れた。
「お嬢様は…………分かりました。今まで通りですね」
通話を終えたのか、受話器から耳を離す。しかし咲はそれを置く事なく、じっと見詰めていた。
「本当に、それで良いのですか…………? ――様」
紡がれた二文字の言葉。名前らしきそれは、自室の暗闇に吸い込まれる。咲は目を閉じ、葛藤する。桜の事を考えながら、どれが正しいのかを迷っているのだ。
「貴女の不器用さ……変わっていませんね……。本当に、そっくりです」
受話器を置き、短くため息を吐く。不器用と評された女性を想いながら、咲は資料畳むと――火をつけた。暖炉に放り投げ、燃える様を見詰める。
(現状維持。お嬢様に任せる。秋敷様に関しては要観察。お嬢様に報告出来るのは、まだまだ先になってしまいますね……)
結局何も分からないままだった。秋敷楓の件に、九条は関わっていないのだろう。
(料理長に、献立を伝え忘れていました。野菜多目で、海草類とお肉……デザートは――)
燃え尽きた資料を火かき棒で雑に崩した後、咲は部屋を出た。調理場に向かいながら、献立を考える。
桜は出された料理は全部食べる。せっかく作ってくれたのだからと。だが、桜に料理を出せる日は少ない。大抵が手軽な物だから、料理らしい料理を出せないのだ。そんな桜に振舞えるのが嬉しいのか、作れる時は食べきれないくらい作ってしまう。
(お嬢様に尽くしたいのは分かりますが、加減して欲しいものです)
九条邸に残っている、咲を除いた使用人達は、九条雄吉によって雇われている。だからといって、雄吉に忠誠を誓っている訳ではない。契約と金銭により繋がっているにすぎない。
契約内容の中に、桜に関する物はない。なので本来、桜の言う事を聞かずとも良いのだが、使用人達は全員桜の言う事を聞く。むしろ雄吉の命令よりも聞くのだ。
使用人達は皆、桜を娘の様に思っているのかもしれない。幼き頃よりずっと見てきた少女の成長が楽しみなのだろう。
「はぁ……もう、こんなに作ったんですか?」
「つい」
「いきなりこんなに増やしては、体を壊してしまいます。運ぶのはこちらとこちら、それと」
過保護とまではいかないが、誰が見ても一番桜に対して加減出来ていないのは――咲だが。
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