九条 桜②
最初こそ良い出会いではなかったが、私と片桐は会う機会に、良く恵まれた。
「九条さん!」
「――おはようございます、片桐さん」
片桐は何故か、私を見つけると駆け寄ってくる。二度目の邂逅で、「母が無礼を働きました。申し訳ございません!」と謝罪を受けてから、ずっと。様と呼ぶ私を、同じ学院に入るのだからと、止めたりもした。
正直に言おう。この時の私は――どうすれば良いか、困惑し続けていた。
「一緒に参りましょう!」
「教室、別だから、すぐ別れる事になりますよ」
「構いません!」
片桐は私の手を掴むと、大きく振って歩き出す。私の何が気に入られたのかは分からないが……これも、いつもの事だった。
社交パーティで見た時とは、別人のようだ。しかし私にとっての片桐とはこちらであって、社交パーティの片桐は何か、お人形? いや、これは失礼がすぎるな。しかし――そう、見えたのだ。
学院の中では、片桐と九条という家の名前で見られない。そう見てくるのは生徒ばかり。先生は、私達を一生徒としてみてくれる。そして家族であっても好き勝手に入れる訳ではない学院は、片桐と九条にとっては気の休まる場所なのだろう。
「九条さん」
「はい。先生」
「お家からお電話。何でも今晩から三日ほど家を開けると」
「そうですか。ありがとうございます。先生」
得意先との外遊だろう。三日という事は、中国辺りか。珍しい事でもないから気にしない。言うまでもないが、お家からの電話という事は――両親が私の為に連絡をした訳ではないのだ。
そもそも、わざわざ教師を経由せずとも良い。普通の家なら朝食なり昨晩なり、用事が出来た時に家族で話し合う。私が家を出て突然メイドたちに伝えられ、メイドが急いで私に伝えようとした結果なのだ。
「では九条さんは、三日間一人で……」
「大丈夫です。慣れてますから。それに、執事やメイドが居ます」
そう……もう、慣れてしまっている。
でも、それで良い。同じ食卓についても、家族での会話なんて物はないのだから。父と母の会話どころか、同じ時間に食事を摂る事すらない。私に至っては、両親から視線を向ける事すら無いし――むしろ両親が居ない時の方が、食卓は明るい。
変化らしい変化といえば、あのパーティー以降、母が家に帰ってくる頻度が激減した事くらいだろうか。変化とは言った物の、私からすれば……何も変わってないが。
「でしたら、今晩我が家に――」
「それは、止めた方がよろしいかと」
「どうしてですの!?」
「……片桐さんのお母様は、私の事が余り、好ましくないようでしたから」
社交パーティで見せた、私を見る目。父や母と似ていた。邪魔者を見るような、恨んでいる様な。
初めて会った人に、何でそんな目を向けられたのかは分からない。しかし、母の名前で曇った事から、母が関係しているというのだけは分かった。
あの母は社交パーティとなれば問答無用で参加する。きっとそこで何かあったのだろう。同じ金髪金眼だし、母が一方的に絡んだとか? 母の事を私は何も知らないから、何が起きたのかは分からない。
「私は大丈夫です」
「納得、いきません……!」
片桐は頬を膨らませて怒り、自身の教室へ帰っていった。そして今日はそれっきり、片桐と会う事はなかった。
次の日になって、片桐と再会したのは通学路での事だった。
この学院は幼稚園から大学まで全寮制だが、私と片桐は自宅通いだ。だが幼稚園児にずっと寮暮らしというのは酷と思ったのだろう。他の生徒も休日は自宅に帰る事が出来る。
そして今日はその、休日明けだ。
私の隣には家族ではなくメイドの咲が居る。他の者達が母に連れられている中、それは少し浮いていた。私にとっては姉のような存在であり、育ての親でもある咲を信頼しているのだが。
何故浮いているのかといえば、この登校日は、親達が一同に会する場でもある。近況を話し合ったり、新しい人脈作りなど余念がないのだ。
ふと視線を上げると、片桐の隣にも母親が居た。一気に場の空気が、引き締まる。片桐家というのは、そういう存在なのだ。
本来は大勢居る大人達と話すのだろうが、片桐の母は私を見つけると、あの時と同じく顔を歪めた。その事で咲が少しムッとしたが、メイドの動向など気にしていないのか、気付いていない。少しだけほっとする。
「……」
「分かっているわね」
「……!!」
片桐は母親を強く睨むと、私の方へ走り寄り手を取った。
「付いて来てください」
「え――」
「ちょっと、愛衣!」
片桐は私を引っ張り、学校の中へ入っていく。片桐の母と咲は、学校の中に入る事は出来ない。保護者が入れるのは門の手前まで。門から先は、子の世界。自主性を高めるために、親の手はここには届かない。
片桐はまるで見せ付けるように、繋いだ私の手を強く曳いて走っている。視界の端では咲が頭を下げて見送っていて、片桐母は――何故か複雑な表情で、視線を逸らしていた。その心情は私には良く分からないが、迷っているようだ。
「片桐さん?」
「私は……!」
片桐は泣いていた。如何して良いのか。何があったのか。私は混乱してしまい、二の句を継げなかった。
「私は……。認めませんわ」
「何、を?」
「母がなんと言おうと、私は貴女が――」
片桐は泣きながら、私にヘアピンをつけた。そして目元を拭うと、いつもの表情を無理矢理作った。
「お近づきの印です」
「えっと」
触ってみると、ひんやりとした角ばったものが付いていた。すぐにそれが、宝石と分かった。ガラスにはない温もりがあったのだ。
「こんな高価な物……」
「構いません。私は貴女と、か……お、お友達になりたいのです!」
私と片桐が友達。それは、世間的には難しいのではなかろうか。何より、片桐の母はやはり、私を嫌っている。
でも、良いと思った。ここは学院。親から離れ、世間と隔絶された場所だ。私にも友達が居ても良いと、思った。
「ありがとう。大切にするよ」
「はいっ!」
友達なのだからと、少しフランクに話しかけてみる。それがお気に召したのか、片桐は――私に抱きついた。
それからは、片桐と仲良く学院生活を送った。
片桐は小等部三年の時からずっと生徒会長だ。そのため、あまり遊べはしなかったけれど……私と片桐はひっそりと友情を育んだ。
今でも本当は、極稀に共に過ごしている。お互いにそれは秘密という事にした。私はいつからか、不良という事になってしまったから、私から提案した。
すごく反発されたが、私も譲らなかったから片桐が折れた。私は片桐が、不良と共に居るというレッテルを貼られるのが嫌だったのだ。
だから、普段は仲の良い姿は見せていない。その所為で周りからは犬猿の仲と見られているが、その方が都合が良いからと放置している。
(私が不良と認識されはじめた時……か)
本当は分かっているのだ。私が大きく変わった事を、私は理解している。私が、全てを受け入れた時からだ。そこから私は諦めてしまった。
両親との関係を。片桐の母から向けられる憎しみの目を。自分の価値を。諦めたら、気が楽になった。そして、どうでも良くなった。
変わらず私と共に居てくれたのは、片桐だけ。だから片桐と仲違いになってしまいそうになった時、私は本当に落ち込んだ。変わってしまった私だけど、片桐との関係は変わりたくなかった。
とりあえず、仲直りは出来たようだから……安心している。
(片桐と話す機会があってよかった。私と片桐との決闘云々という話は不本意すぎるが、片桐の本音が聞けてよかった)
片桐から貰ったヘアピンを見る。
自分には合わないと思っているが、家に置いたままにした事はない。常に、手元に置いている。それ程までに大切な物だ。
それにしても――。
(私が執着する、で……最初に愛葉が出てくるのか)
それは少し、勘違いだ。
確かに私は、愛葉を見るのを楽しみにしていた。つまらない授業の楽しみの一つとして。出来れば沢山話をして、友人になってみたいと思う程度には気になっていた。だから、愛着はある。愛葉と出来た繋がりを大切にしたいとも思ってる。
これも私の変化なのだろう。自分から率先して繋がりを求めるのは、片桐を除けば愛葉だけだった。だけど私には、執着というものはない。あるのは愛着だけだ。その愛着は――。
(君にも、あるんだけどね)
片桐は、勘違いをしている。友人として、幼馴染という無二の存在として、私は片桐を大切に思っている。そんな子が、虐め紛いの事を黙認していたら……誰だって止めるだろう。
何も愛葉だけの味方をした訳じゃない。勝手について来ている取り巻きに片桐が辟易していようとも、止めるくらいはして欲しかっただけだ。
四限終了の鐘がなる。
愛葉の教室に向かうとしよう。確か、五組のはずだ。
「九条さん」
今度の声は片桐ではない。一応聞き覚えがある。佐藤(仮)だ。
「何か用? 私は忙しいのだけど」
「冗談を。貴女が忙しそうにしているところなんて見た事ありません」
「酷い言われようだ」
しかし、佐藤(仮)の言うとおりだ。
不良と呼ばれる所以たる、面倒くさがりな性格。学院中に知れ渡ってしまう程の物を持っていながら、忙しいという理由で逃げようとしたのが間違いだった。
「撤回するよ。これから愛葉の所に行くんだ。彼女は君達のお陰でしっかりと授業に出ていてね」
「そうですか。それは良かったですわ」
皮肉が通じない。胸を張って無駄に誇らしげな姿に、片桐の苦労を見て取ってしまう。
「君達二人の行いも見てた。私はすぐさま先生の所に行く事も出来るんだけど」
「片桐様がそんな事――」
「聞いてなかったのかな。私は二人と言ったんだ」
片桐は愛葉を諭していただけだよ。少し個人的な感情が入っていたように見えたけどね。
「不良の貴女と私達では、信頼に差が」
「私を不良と思っているのは生徒だけだよ。まぁ、良いか。それで? 何の用」
時間がかかるようなら、本当に先生に言うとしよう。エスカレーター組に退学はない。せいぜい懲罰房で反省文だ。恨むなら私を恨めばいい。
「馬術部部長がお呼びですよ」
「それは片桐に行かないと伝えてるよ」
「……片桐様を呼び捨てって何様です」
「片桐と九条というだけだよ。片桐本人から咎められた事はない」
本来はこうやって、私と片桐の関係は知られていないはずなのだ。愛葉は何処で知ったのだろう。ますます興味を持ってしまう。
「もう良いかな。片桐に確認を取ってくれれば分かるよ」
返事を待たず、私は五組に向かう。私からすれば、佐藤(仮)の方が何様なのか? と思うのだが。
「……野蛮な。あんな人が九条? 片桐様と肩を並べる……? 許せませんわ」
五組に入ると、愛葉が囲まれていた。
「どうして今日は起きてるの?」
「何かあった?」
「何か昨日、片桐様と話してたって」
「あー知ってる! そこに九条様も――」
愛葉への質問が多い様だけど、昨日の出来事、その真偽が知りたいのが本音みたいだ。愛葉を置き去りにして盛り上がっている。
「愛葉」
「桜さんっ」
声をかけると、小さい体を懸命に人垣に押し込んで私の所にやってきた。小動物的な可愛さがあるなと、少し思ってしまう。
「眠くない?」
「少し……。ですけど、頑張りますっ」
言われた通り、授業をしっかり受けているようだ。
「片桐も言ってたけど、出る事に意味があるってだけだから。眠かったら寝ても良いんだよ」
「一応、出来るだけ頑張ってみます」
「そうか」
愛葉を一撫でする。撫で易い位置に頭があるというのもある。だがそれ以上に、撫でると目を細め、嬉しそうに受け入れる愛葉が可愛いと思った。
「着いて来て」
「はい!」
人気がないところに行こう。
きっともう噂になってるだろうけど、私と一緒に居るところは余り、見られないほうが良い。